2018-04-08

"aha! Insight ひらめき思考(1, 2)" Martin Gardner 著

古本屋を散歩していると、なにやら懐かしい香りのする書を見つけた。マーティン・ガードナーの世界に魅せられたのは三十年以上前、おいらが美少年と呼ばれていた頃だ。今でも感動してしまうのは、進歩のない証か。エレガントな問題集には娯楽数学の極意が詰め込まれ、答えが見つかった時、ついニヤリとしてしまう。何かを悟った瞬間とは、そうしたものか。逆に答えが見つからなければ、ムヤムヤ感が溜まり、今夜は眠らせないよ!とピロートークを仕掛けてきやがる。それが、M にはたまらないときた...

ひらめきとは、突然変異の類いか。それとも、眠っていた意識が目覚めたに過ぎないのか。寝ずに考え抜き、夢の中まで攻め倒し、それでもどうにもならない難問が、まったく予期せぬタイミングで、ふとしたことから解決してしまうことがある。トイレで思いついたり、風呂場で思いついたり... アルキメデスの逸話は、下半身を解放してやることが解決の糸口であることを証明しているのか。どうやらフル思考は、フルちん志向と相性がいいらしい。
考えるとは、言葉を使って論理を展開すること。言葉とは記号であり、数学的に記述できれば、いっそう論理展開の道筋が見えてくる。そして、言葉を正しく知り、論理的思考を深めれば、日常の問題をもっと正しく、もっと賢く解決できるようになるはずだ。
しかしながら、論理数学ってやつは、ゲーデルが示したように不完全性の悪魔に取り憑かれている。すべての問題を演繹的に解決できればいいが、帰納的な思考も用いなければ、現実的な解決は望めない。この帰納的な思考に、自己矛盾という悪魔が背後霊のごとくつきまとう。証明も反証もできない無矛盾性に遭遇すれば、非決定性の問題で袋小路に迷い込む。
ライプニッツは、論理学を "Ars combinatoria(組合せ術)" と呼んだそうな。組合せ論において、不可能性の証明ほど難しいものはない。人類の未解決問題であった四色定理にしても、ケプラー予想にしても、答えを出したのはコンピュータであった。数学の問題は、なんでもコンピュータにかけちゃえ!という時代の到来か?
現実世界が論理で解決できないとなれば、トンチも有効な解決策となろう。本書にも、トンチ先生が登場する。トンチにはユーモアが含まれ、それはある種のジョークから発している。ジョークは感情で理解する領域にあり、人によってはジョークにならないこともある。アハ!とひらめく瞬間とは、こうした遊び心から発し、なによりも子供心から発している。マーティン・ガードナーは、たまには童心に帰ろうよ!と誘ってくる。創造力とユーモアには、密接な相関関係がありそうだ。
形式論理学だけで人間社会のあらゆる問題が解決できるならば、人間は精神を獲得する必要がなかったのかもしれない。いや、精神を獲得したがために、人間はこうも苦悩するのか。ニーチェはうまいことを言った... 笑いとは、地球上で一番苦しんでいる動物が発明したものである... と。だから、弁証法ってやつが重宝されるのか。なるほど、論理数学者とは、屁理屈屋であったか...

本書にはユーモアとは裏腹に、組合せ論、幾何学、数論、論理学など多岐に渡って、深遠な数学の概念がちりばめられる。人類の文明の始まりを規定することは難しいが、一つの考え方として、数を数えるようになったのが始まり、とすることはできよう。整数は、現実社会において実に有用な概念である。しかも、プラス側に重要な意味がある。なぜかって?人生という自然界にとって実にちっぽけな空間を生き抜くには、プラス思考でもなければやってられんよ。
人間の世界では具体的な数を与えることによって生活が営まれるが、数学の世界では問題の一般化が問われ、n という抽象化された数の法則が求められる。数の n への昇華とでもしておこうか。こうした数学的な思考の始まりは、ディオファントスの算術に見てとれる。線形方程式ってやつに。入力値を n で与え、多項式を n 次元で規定できれば、アルゴリズムを編み出すことが可能となり、コンピュータにかけてお仕舞い。プログラミングでは、いかに効率的なアルゴリズムを実装できるかが問われる。このテクニックは、時にはアートと呼べるほどのエレガントさを具えている。
本書は、OR(オペレーション・リサーチ)という研究分野を紹介してくれる。OR では、しばしば実務上の問題をグラフ化して考えるというから、グラフ理論にも通ずる。グラフ理論では、最小の極大木を求める「クラスカル法」のようなうまいやり方も見かけるが、「シュタイナーの木」のようなNP困難な問題もある。
グラフ志向は、今日のネットワーク制御でもよく用いられる。例えば、インターネットでは、物理的な距離を計測するよりも、ルーティング経路や帯域幅などで数値化するホップ数やメトリックのような見方が有用となる。こうした最適化の思考は... 料理人が厨房で最も効率的に多くの料理をこしらえるには... 企業が最も効率的な人員配置をするには... 最もコストのかからない軍事行動を行なうには... といった戦略的問題で有効となる。
そして、人生戦略に思考が及べば、今やることの優先順位を考えずにはいられず、今宵も眠れそうにない。寝不足こそ、思考を鈍らせる最大の敵にもかかわらず。なので、Aha! でも読んでストレス解消といきたい...

1. 組合せ論について
タイル貼りの問題では、正方形のパーツを並べていく分にはなんの悩みもないが、長方形となるとちと悩んでしまう。不規則な敷地をきちんと埋め尽くせるか?の問いには、その証明を奇数パリティを用いてエレガントにやってのける。
また、誤った錠剤の入った瓶を探す問題では、基数システムと結びつけて簡単に解決して魅せる。二進数と結びつけて。整数ならば、どんな数でも 2 の累乗で表すことができ、二進法はコンピュータ工学では欠かせない道具だ。こうした思考法は、デジタルシステムの誤り訂正システムでよく使う手である。
おまけに、トーナメント表で不戦勝者の数を決定する問題では、データソーティングと思考が同じときた。
組合せ論では、すべての組合せパターンを抽出し、それぞれの事象にとどまる可能性を探る。その意味で、最悪から逃れるためのパターン検索、という見方もでき、ここに確率論の本質を垣間見る。つまり、生き延びるための事象はどれか?という意味で。
そして、組合せによってグループ化や階層化する戦略は集合論にも通じ、組合せ論、確率論、集合論の三つの原理が切っても切り離せない関係にあることを味あわせてくれる。

2. 幾何学について
図形には、対称という美の概念がある。それは、形を移し替えても、幾何学的性質はそのままというもの。ユークリッド幾何学では、移動、回転、反射、拡大縮小といった操作を行った時に形の不変性を問い、アフィン幾何学では、形がある方法で引き伸ばされた時にベクトル的な不変性を問い、位相幾何学では、ゴム製の物を変形させるように乱暴にゆがめても、その基本的性質の不変性を問う。
さて、よく見かけるケーキを平等に切るといった問題では、差分法的な発想が登場する。微分の基本的な思考がこんなところに。ただ、誰も不平を言わないように切る実践的な方法となると、切る人の選択権の優先順位を下げるのが有効となろう。人間社会では、完全な平等よりも、平等そうに見える方が、はるかに重要なのだ。
極点を周遊するパイロットの話では、航程線(等角航路)という面白い曲線を扱う。到着場所は極点に収束することに。
元の鞘に収まるという話では、直線の剣ならば間違いなく鞘に収まるが、曲線ならばどこまで許容できるだろう?と問えば、近代科学で重要視される螺旋形が浮かび上がる。それは、自然界にあふれる形で貝殻や植物などに見つけることができ、DNA の分子構造もこれに従う。
ただ、螺旋構造は必ず右巻きか左巻きで規定されるので、対称性という観点からはどうであろう。人間社会には、実に多くの右巻きの概念が溢れている。時計回りに、ネジ、ボルト、ナットなど。そして、理髪店の看板も右側に登っていくように見える。回転軸に対して並進という意味で、やはり対称性を保っている。ちなみに、酔いどれ天の邪鬼のつむじは左巻きかは知らん...

3. 数論について
n への昇華を求めれば、n の呪縛に嵌まる。自然数の呪縛ってやつに。数え方のトリックでは、加算、減算、乗算、除算の四つの演算が、人間社会で主役を演じている。
しかし、だ。コンピュータの世界では、第五の演算と呼ばれるモジュロ演算こそが主役!数え方の合理性という意味では、人間はあまり合理的な存在ではないということか。
本書では、列をつくって行進する時に、最後尾に何人残るかで、全体の人数が簡単に把握できるという発想を魅せつける。何人の列にするかが、何を法とする剰余演算と等価になる。この思考法は、孫子の剰余定理としても知られ、数の循環性という性質を利用したもの。
ちなみに、孫子の兵法の孫子とは別人で、古代中国の数学書「孫子算経」に掲載される。
宗教的な匂いがプンプンする古典的な問題「ヨセフスの問題」もまた、数の循環性を問うものとして知られる。
また、n 個の物を m 個の箱に整理整頓する考えを、数学者たちは「鳩の巣原理」と呼ぶ。そう、あのディリクレの編み出した思考法だ。そこには、一対一で対応できない無限集合の影がつきまとう。
さらに、互いの数が素であるという性質が、時計の長針、短針、秒針が一致する時間が、12時以外にはないことを簡単に証明してくれる。
なるほど、モジュロ演算、ヨセフスの問題、鳩の巣原理、互いに素といった概念を数の循環性という観点から念じれば、一つの強力な道具が見えてくる。今日のネット社会を根本から支えてくれる暗号システムが、それだ。エラトステネスの篩のようなアルゴリズムは、古代数学者たちによって示されてきた。まさか!素数の発見者が、21世紀の暗号システムで根幹をなすとは思いもしなかったことだろう。さらに素数定理の精度が上がり、ゴールドバッハ予想までも凌駕すれば、人間社会はどうなるのだろう... と夢を膨らませずにはいられない。

4. 論理学について
論理的思考では、おそらく演繹的な思考が王道なのであろう。しかしながら、帰納的な思考がなければ、現実社会を生き抜くことは難しい。
帰納法という用語には、本質的に二つの意味があるという。科学的帰納法と数学的帰納法である。科学的帰納法とは、特定のものを観察することから、普遍的な結論へと飛躍するプロセスである。例えば、何羽かのカラスが黒いという事実を認めれば、すべてのカラスは黒いという結論を導く。もちろん、この結論は確実なものとはならないし、一つの例外が認められれば、この法則はおじゃん!
対して、数学的帰納法は、科学的帰納法とはまったく違い、すべて演繹的な思考で導き出され、その法則の可能性は無限までも凌駕しうる。神をも凌駕しようってか。ただ、演繹的な思考で導くのに、帰納法とは、これいかに?
ところで、論理学の言い回しでは、なぞなぞのような紛らわしい記述によく出くわす。法律の条文、定義、規格といった記述にも顕著に現れ、政治屋ならこれを利用しない手はない。
本書は、ディスコのチークタイムで男女の組合せを扱う問題で、パターンを視覚化する「チャートメソッド」という概念を持ち出す。コンピュータ工学を学べば、カルノー図やクワイン・マクラスキー法といった論理式を簡略化する方法に出くわすが、これらに通ずるものがある。
形式論理学の基本的な形に、二元的な関係がある。もし... ならば... という文章の形が、その典型例。論理の基本構造は、二分岐で組み立てられ、条件の階層化によって複雑な論理回路を構成していく。
したがって、データ構造と分岐構文を理解できれば、ほぼプログラムが書けるだろう。分岐構造を持たないプログラム言語をおいらは知らない。とはいえ、プログラミング言語を操る上でデータ構造を理解することが、なかなか手ごわいのだけど...

5. いまさらだけど... 感動!

「リングの面積は、リングの内部のひくことのできる最長の長さを直径とするような円の面積に等しい。」

この驚くべき定理は、円の面積を求める公式で簡単に証明できる。内側の円の半径を、最小値に近づけ、ゼロとなったらどうなるか?と考える。すると、内側の円に外接する弦の長さが直径と同じになる。
すなわち、弦の長さが分かれば、どんな円であろうと、リングの面積が分かるという寸法だ。おそらく義務教育の時代に出くわしたような気がするが、いまさらながら感動してしまう!




6. 少なくとも一つは... という型の問題
この類いの問題は、昔からある楽しい数学のパズル。本書は、よくある問題として、レストランで帽子を間違える話を紹介してくれる。
不注意なクローク係が、番号札と帽子の組を合わせず、出鱈目に番号札を渡してしまったとさ。少なくとも一人が帽子を返してもらえる確率は?この確率は、帽子の数が大きくなるほど、ある値に近づくという。

  1 + (1/e)、つまり 1/2 強に...

e とは、ネイピア数で、この無理数が誤り率の限りない答えを示していることに、なんとなく惹かれる。
ちなみに、数学界には、二つの超越数の派閥がある。円周率π派と、ネイピア数 e 派である。誰がどちらの派に属すかはすぐに見分けられる。酔いどれ天の邪鬼は、e 派だ。その証拠に、脚線美に自然美の対(つい)を感じる。断じてオッパイ星人ではない...

0 コメント:

コメントを投稿