2018-12-16

"新板 バブルの物語 - 人々はなぜ「熱狂」を繰り返すのか" John Kenneth Galbraith 著

原題 "A Short History Of Financial Euphoria."
Euphoria... こいつをどう訳すかは微妙。その名は楽曲やプログラミング言語にも見かけ、なにやら薬物の香りがする。どうやら幸福感のようなものを表す語のようである。幸福感ってやつは、ある種の熱狂であり、その最高峰に自己陶酔がある。自己陶酔ってやつは、自惚れの最高位にあり、おまけに現実逃避からくる健忘症を患い、財産を失うほどのこっぴどい損害を受けながらも、そのとき培った警戒感は二十年もすればすっかり忘れられるときた。それどころか、バブルで大敗を喫しても、リベンジとばかりに次の機会を虎視眈々と狙ってやがる。金融の機会に恵まれると自らの才能に酔いしれ、自我を肥大化させてしまう。金が人を狂わせるのか、そもそも人が狂っているのか。狂ったこの世で狂うなら気は確かだ... とはよく言ったものである。
尚、鈴木哲太郎訳版(ダイヤモンド社)を手に取る...
「私はこの小著を警告の書とするよう特に配慮した。頭脳に極度の変調をきたすほどの陶酔的熱病(ユーフォリア)は繰り返し起こる現象であり、それにとりつかれた個人、企業、経済界全体を危険にさらすものだ。のみならず、本書で述べるとおり、予防の働きをする規制は明らかな形では全く存在しないのであって、個人的、公的な警戒心を強く持つこと以外に予防策はありえないのである。」

初版は1991年、日本経済がまさに泡となろうとしていた時代。この時の副題は「暴落の前に天才がいる」としている。長らく絶版となり、この復刻版では「人々はなぜ熱狂を繰り返すのか」としているものの、前の副題も捨てがたい。金融危機の前触れに登場するノーベル賞級のスターたち。彼らの金儲けの方法が公的機関のお墨付きとなると、誰もが群がる。人間社会では、それがどんなに良い事であっても、同じことをする人が多過ぎると何かと問題が起こるものである。
ジョン・ケネス・ガルブレイスは、市場原理主義や規制緩和政策に批判的な立場をとり、経済学公認の立場から距離を置く。宗教でいうなら、既存の教会とは一線を画す立場。彼は、経済学を心理学的な、社会学的な側面から観察して魅せる。まさに本書は、代替価値をめぐる心理学の書と言えよう...
「あらゆる投機的エピソードには、金融の手段または投機機会について一見新奇で大いに儲かりそうなことを発見して得意になるという面が常にある。そうした発見をする個人や機関は、大衆よりもすばらしく先へ進んでいるものと見なされる。そして、やや遅れて他の人々もそれなりの思いで追随するようになると、先駆者の洞察が正しかったことが確証されるというわけだ。何か類まれな新奇なものがここにあるという認識が、投機へ参加する人のエゴを満足させ、また同時に金儲けにつながると期待される。そして、少なくとも暫くの間は、儲けることができる。」

人間が心理的に虜になる原理とは...
本書には、「てこ」という用語がちりばめられる。それは、レバレッジの源泉だ。経済学用語には、違和感のあるものが多い。他人が提供した資本でも、法的に返済義務が発生しなければ、「自己資本」という名の元に繰り入れてしまうような業界。「信用」という言葉と「空売り」という言葉が同義となる業界では、あらゆるカラクリがレバレッジの温床となる。「てこの原理」といえば、物理学では小さな力で大きな力を与えようというものだが、こと金融界においては、無を有に装う原理として働く。アルキメデスはあの世で呟いているだろう。一緒にすな!と...
交換の利便性とやらが面倒くさがり屋の性癖をくすぐると、価値の仮想化が始まった。価値の尺度として登場した貨幣の歴史は古く、大量生産を目論む紙幣から便利すぎるほど便利な電子マネーに至るまで、仮想通貨の出現には限りがないと見える。
いまや金融のプロにも予測不可能なほどに複雑化し、餌食となる交換財は、証券であれ、美術品であれ、土地であれ、住宅であれ、ゴルフ場であれ、人が群がるモノならなんでもあり。かつてはチューリップまでも...
人間ってやつは、自分だけ損することは絶対に許せないにしても、みんなで損する分には諦めがつくものらしい。それでいて、誰かが儲けていると聞くと、それに乗れ遅れまいと躍起になり、狼が狼を呼ぶ。
新たな投機法を次から次に編み出す天才たちの出現は後を絶たない。彼らは大衆に投機の機会を与え、しばらくはみんなで儲けることができるゆえに、金融のスターなのである。これに疑問や異論を唱えようものなら、高名なアナリストたちに非難されるのが常で、金融界の既得利益を擁護することに...
投機のブームは後を絶たず、また、それを正当化する言い訳もまた後を絶たない。それは、いつもレバレッジによって価値尺度を複雑化することから始まり、これに公認の格付会社がお墨付きを与え、そこに大衆が群がってたちまち価値の欺瞞が増殖し、ついに誰にも制御できなくなるところまで行ってしまうという構図。そして、賢明な人々がブームから少しずつ離脱を始め、世間が気づいた時には既にパニックに陥っているという寸法よ。
但し、この価値の欺瞞は、大衆の後ろ盾によって生じた結果であるということを強調しておこう。陶酔的熱狂に浸っていると、自分の意思を正当化して、目の前の利益が既得のもののように錯覚してしまう。大衆の幻想が絶対的な価値にまで押し上げてしまうのである。そんな状況で警戒心を持つチャンスは、そうはない。高度な金融テクニックを編み出した天才たちは、なにも最初から欺瞞しようと企んでいたわけではあるまい。それでもいつも非難の的とされる運命にあり、これに便乗して儲けようと企んだ大衆の軽信や貪欲が非難されることはない。ヒトラーは言った、「私を選んだのは大衆だ!」と。金にまつわる特徴的な構図はいつも同じで、そこには群衆心理学が透けて見える。それにしても、ジャンクボンドの歴史は長い。レベレッジってやつは、いわば虚栄心を担保にしているようなものか...

「あらゆる人は、最も幸福なときに最もだまされやすいものだ。」... ウォルター・バジョット

1. チューリップ狂!... 希少価値の虜
投機の歴史は、少なくともフィレンツェやヴェネツィアが栄えた時代に遡るようである。当時から、活発な証券市場が存在し、現在の価値だけでなく、将来の予想に基づいて価値の取引がなされていたとか。すでにサヤ取りの原理が見て取れる。ただ、近代的な株式市場となると、17世紀初頭のアムステルダムに現れたという。
歴史に名をとどめる投機の大爆発としての最初のものは、やはり、1630年代のチューリップ狂であろうか。コンスタンティノープルからアントワープに着いた球根の所有と栽培は、大きな名声を獲得する。美しく、色も多種多様。最も凝った品種を所有して展示することが、金持ちのステータスとなる。チューリップ価格の上昇が始まると、貴族、市民、農民、職人、水夫、従僕、女中までもが群がり、希少価値の概念が大衆を幻想へと導く。小さな球根が巨額の貸付の「てこ」となり、財産を担保に借金してまで...
但し、チューリップを別の対象物に置き換えるだけで、後の投機エピソードはほぼ語り尽くせるだろう。

2. 金融の天才登場!... スコットランド人ジョン・ロー
フランス王国は、太陽王の絶え間ない戦争と贅沢のおかげで財政難に陥り、汚職が蔓延る。これに輪をかけて、ルイ15世の摂政オルレアン候フィリップ2世は放縦極まりない男ときた。フランスに渡ったジョン・ローが考えだした計画は、フランス政府の債務をルイジアナの金で支払うというもの。彼は銀行設立の権利を得て、ロワイアル銀行を設立。これが中央銀行となり、銀行券を発行する機能まで与えられる。その収入源は貿易特権のあるミシシッピ会社で、表向きはフランス領ルイジアナに存在するとされた金鉱である。だが、その資金は金鉱探査にあてられることはなく、政府の負債の返済にあてられたとさ。近年、よく耳にする金融破綻の構図がここに...

3. サウスシー・バブル!... 株式会社という仮面
1711年、ロバート・ハーレーが設立したサウスシー会社。イギリスは、スペイン継承戦争で生じた政府債務が滞り、サウスシー会社は設立免許と引き換えに、負債を引き受けたという。これにジョン・ブラントが加わる。彼は代書屋で、法律文書の複写の達人だったとか。会計監査のカラクリ技術の発見か。彼らにはアメリカ大陸東岸との貿易独占権が与えられ、後に西岸やスペイン領までも追加されたとか。さらに、南アメリカのブラジルを除く領域がサウスシー会社の商圏と主張したという。当然ながらスペインも黙ってない。貿易独占権がイギリス政府のお墨付きとなれば、ロンドン市場に投機の機会を与え、株式の存在感が急激に増大する。
ちなみに、あのニュートンは「私は物体の運動を測定することはできるが、人間の愚行を測定することはできない。」と言ったものの、この大科学者にして自分自身の愚行も測定することができなかったようである。

4. 華麗なる「てこ」のショーの始まり!... 世界恐慌
歴史的に最もインパクトのあったのは、やはり1929年のものであろう。陶酔的熱病のエピソードに共通するあらゆる要素が明白に備わっていたという点で、これほど勉強になる題材はあるまい。天才ともてはやされた連中が続出し、「てこ」の驚異が再発見され、楽観論の上に楽観論が積み重なって株価は青天井。暴落に転ずるや、天才と目された人々は精神的にも、道徳的にも酷い欠陥が明るみになり、誹謗中傷、投獄、自殺...
しかし、この陶酔的機運が最初に現れたのはウォール街ではなく、フロリダであったという。その火付け役は不動産ブーム。魅力的な温暖な風土が一役買う。ニューヨークやシカゴのゴミゴミした大都市とは違い、開放感のある気候が地価の高騰を招くのである。そこに猛烈な二つのハリケーンが到来し、ニューヨーク市場は反落。これに同情した救済の手が、資金貸付ブームを焚きつける。ゴールドマン・サックスの華麗なる「てこ」のショーの始まり...
まだ恐慌を知らない資本主義は、株価は永遠に上昇するものと考えられていた。当時、最も著名で革新的な経済学者と目されていたアーヴィング・フィッシャーもまた、投機の衝動に負けてしまう。
とはいえ、ガルブレイスは、ケインズの登場で、これほど大規模なダメージを受ける時代は来ないかもしれない、とも言っている。ある程度の抑制を期待している点では彼もまた楽観的ではあるが、リーマンショックを経験することに。やはり、陶酔的熱病を規制によってなくしてしまうことは、事実上不可能なようである...
「金融上の記憶というものは、せいぜいのところ二十年しか続かないと想定すべきだ...」

5. アメリカ人と日本人の性向
アメリカには、西部開拓史から受け継がれる投機ブームの歴史がある。大陸横断鉄道の夢を乗せた鉄道株ブームがそれだ。行き過ぎた鉄道融資で倒産する会社に、大銀行が連鎖反応を起こす現象は、既に経験済み。ガルブレイスは、アメリカ人は投機痴呆症にかかりやすいと指摘している。神から特別な金融的洞察力を賦与されたかのように信じる傾向が強いと。
対して、日本人はアメリカ人に比べて興奮の度合いが小さいという。自分の才能を過信したり、冒険にはやる度合いが少ないようだと。言い換えれば、金融的な発想力が乏しいとも言える。日本では、グループ会社や系列会社でなくても、ダメージを受けた会社に同情的な融資を施して救済することがよく見られる。そのために、「日本株式会社」などと揶揄される。ガルプレイスは、そうした寛容的な態度が情報隠蔽の体質を呼び込み、自己回復能力の阻害になることを指摘している。もっといえば、官僚的な体質に陥りやすいってことだ。
情報が明るみになりやすいアメリカの企業体質の方が、確かにダメージは大きいのだけど、自己回復能力が優れているという見方もできる。実際、この指摘のすぐ後に東京市場でバブルが崩壊して失われた20年を経験し、おまけに、リーマンショックでは震源地よりも大きな後遺症を抱えている...

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