2020-05-24

"解析入門30講" 志賀浩二 著

数学の落ちこぼれを癒やしてくれる数学の書とは、こういうものをいうのであろうか。「数学30講シリーズ」は、群論に続いて二冊目。群論という巨大な要塞も三十にも分解しちまうと、軽やかな調べのように流れていく...

ここでは、微分と積分にまつわる物語。この二本を柱とする解析学の世界に一歩足を踏み入れると、底しれぬ数学の深海へ引き摺り込まれる。測度論、直交関数論、ポテンシャル論、変分法、調和解析... 等々解析学という名で包括される分野は計り知れず、集合論、確率論、整数論、幾何学などの研究にも解析的な方法が用いられる。この学問分野をどのように捉え、どのように接するかは、その広大さからして十人十色。おいらの目には、近似法の具体的な手段を提供してくれるツール群に映る。電子工学や通信工学では、多項式や微分方程式の類いによく遭遇するが、その解決策として...
フーリエ変換にしても、テイラー展開にしても、マクローリン展開にしても... コンピュータの物理構造は、冪級数と三角関数に看取られているようで、その背後にオイラーの影を感じずにはいられない。
ちなみに、おいらには、数学は哲学である... との信条がある。なぁーに、落ちこぼれの遠吠えよ...

さて、本書で注目したいのは、斉次多項式と C- 級関数の存在感を示してくれることである。前者では、解の全体がベクトル空間を形成することで群論に通ずるものを匂わせ、後者では、何回でも繰り返し微分することで循環性の威力を魅せつける。
ここで鍵となる数学の性質は、「連続性」ってやつだ。数直線上を埋め尽くすには有理数だけでは不十分だが、人間社会に登場する無理数は有理数で限りなく近似できる。近似では、循環小数という有理数の性質も非常に役立つし、ピュタゴラス教団が無理数の存在を隠蔽したのも分からなくはない。だが、彼らが崇める図形、すなわち、正方形の対角線や真円の弧に出現すれば隠しおおせるものではない。無理数は連続性を補完する存在なのか、それとも、有理数が特異な存在なのか...

そんなことはさておき、関数が連続とはどういうことであろう。その定義では、あの忌々しいε-δ論法風の記法が示されるが、なんの抵抗感もなく、すんなり頭に入ってくる。

「f(x) が a で連続
⇔ どんな正数 ε をとっても、ある正数 δ で、
  |x - a| < δ ⇒ |f(x) - f(a)| < ε
を成り立たせるものが存在する。」

それは、微分可能か?積分可能か?最大値と最小値の存在は?といった問いに対する一つの答え。最大値と最小値の存在保証が叶えば、平均値の定理が輝きを放つ。
しかしながら、連続関数であっても微分不可能な奴らがいる。株価のランダムウォークを思わせるワイエルシュトラス関数、直角にくねるペアノ曲線やヒルベルト曲線、あるいは、フラクタルな世界にも病的な奴らが多くいやがる。この酔いどれ天の邪鬼には、連続性には程度というものがあるように見えてならない。無限という概念に、濃度(アレフ)という格付けめいたものがあるように...

そして、微分可能と積分可能とでは、必ずしも一致した見解ではなくなる。何事も現象を客観的に観察しようとすれば、より近づいて観る眼と、ちょいと遠くから眺める眼の両方が要請される。微分は、対象となる点に限りなく近づく視点。積分は、その点から距離を置く大域的な視点。
本書は、微分の視点に「一様収束」、積分の視点に「一様連続性」という用語を使い、それは妥協を模索した表現にも映る。
区間を指定するリーマン積分は、連続性が前提される。最初に定式化した人物の名に因んでいるだけで、最も馴染みのある形式である。
一方、抽象化の一歩進んだルベーグ積分は、非連続性を内包している。では、非連続性はどの程度まで許容できるのか。非連続部を加法的に連結すれば、いくらでも積分範囲を広げられるし、これを近似しようと思えば、いくらでも矩形で細分化すればいい。アルキメデス風の取り尽くし的な発想だ。
微分の場合は、より厳密性が要求されるが、積分の場合は、大雑把な傾向を観察するだけでもかなりの情報が得られ、大胆な加法が用いられる。それで用途に耐えうるかどうかは、当事者の眼に委ねられる。実際に物理現象を分析する際、微分における初期値の決定と積分における範囲の決定は、いつも悩ましい。そして、最終的な解決法は... 数学屋さんへボトルの差し入れよ。

そもそも、物理現象と微積分との相性の良さは、ニュートン力学の基本法則が微分方程式で記述されることにある。

 ma = m   d2x

 dt2 
 = f

それは、時間 t に幽閉された世界。とはいえ、時には、時間が不連続であることが心を癒やしてくれる。時には、記憶の曖昧さが幸せにしてくれる。しかも、時間や記憶の連続性は、アルコール濃度に比例して分解できるときた。
コーシー・アダマールの定理で収束半径を厳密に求めるのもいいが、境界線は少しばかりガウス関数でぼかした方がいい。不定積分を求めるにしても、有理数を部分分数に分解しておけば、なにかといいことがありそうな。
なにごとも近似で誤魔化す酔いどれ人生!なるほど、解析学とは、人生を測量するツールであったか...

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