2020-05-10

"ハインリッヒ・ヘルツ" Michael Eckert 著

今日の情報社会において、馴染み深い物理量の単位といえば、空間の概念と結びつく bit や、時間の概念と結びつく Hz といったところであろう。物理層における通信プロトコルでは二進対数に重要な意味を与え、これらを単位とした帯域幅やスペクトル効率などが論じられる。
言うまでもなく、Hz はハインリッヒ・ヘルツに因む周波数の単位だが、その業績となるとあまり知られておらず、単位名だけが独り歩きをしている感がある。ヘルツは、電磁波の発見によって不滅の名を残し、電磁気学で大きな役割を果たした。しかしながら、この方面では、電磁誘導のファラデーや方程式の名をかざすマクスウェルの方がはるかに有名である。

物理法則は、理論と実験の両輪によって成り立つ。ファラデーやマクスウェルは理論家で、ヘルツは実験家。こと電磁波の研究では、実験そのものは電気的な火花をたどるという地味な作業の繰り返し。ヘルツが生きた19世紀は、まだ電気の正体すら分かっておらず、電子という物質的な概念もない。光電効果や火花放電といった現象は、謎のまた謎。19世紀が終わろうとする時、ようやく電気照明が街を灯し始めたという次第である。
エーテル説がくすぶる中、マクスウェルはエーテルの存在を証明しようとして、あの有名な四つの方程式を導いた。これを実験で検証し、今日のエレガントな形で伝えられるのも、ヘルツのおかげである。彼は、マクスウェル方程式を異なった形で表現し、「磁気力と電気力は相互に交換可能である」と主張する。そして、こんな言葉を残したという...
「マクスウェルの理論とは何かという問いに対して、マクスウェルの理論とはマクスウェル方程式の体系である、ということほど簡潔で的確な答えは知らない。」

しかしながら、ヘルツ亡き後、ドイツでは狂信的な国家社会主義が旺盛となり、先祖がユダヤ系であったために、Hz という単位名はヘルムホルツの略字とされ、その功績も抹殺にかかった。ヘルツの名は、「物理学の帝国宰相」と呼ばれたヘルマン・ヘルムホルツの優秀な門下生という位置づけで記憶されることに...
歴史とは皮肉である。名を石に刻み、金属に鋳造するなどして英雄視することは、素晴らしい業績に対する見方を狭め、神話化を助長することがある。歴史は人が作る... とも言うが、皮肉な意味も含まれよう。
本書では、物理学における真の英雄像の一場面を、ミヒャエル・エッケルトが掘り起こしてくれる。ヘルツは一匹狼の実験家だったそうで、その成功と失敗の過程を日記や記録からたどる。マクスウェル理論に取り憑かれた人生。実験の喜びは、何ものにも代え難い冒険心。
だが、エーテル存在説の矛盾から、やがて激しい自己批判に陥る。36歳の若さで亡くなったことも、モーツァルトよりわずか一年上回った人生から、「物理学のモーツァルト」と呼ぶ。人類の叡智とも言うべき真に業績を残した人というのは、孤独家で地味な人生を送るものなのかもしれん。英雄ってやつは、外野が作るものなのかもしれん。この評伝を通じて、ヘルツという名を物理量の単位から解放し、自然科学者として知ることに...
尚、重光司訳版(東京電機大学出版局)を手に取る。

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