2023-01-29

"超予測力 - 不確実な時代の先を読む10カ条" Philip E. Tetlock & Dan Gardner 著

「優れた判断力プロジェクト」の主催者フィリップ・テトロックは、「平均的な専門家の予測の正確さは、チンパンジーが投げるダーツと同じ...」という調査報告を発表した。
この発言は、なにも驚くほどのものではない。すでに市場予測では、証券アナリストたちの当てずっぽうぶりに似たような表現が用いられてきたし、大手マスコミにしても決まり文句を平然と報じるばかり。当たり障りのない要因を一つ持ち出しては、利益確定売り... だとか、ダウ平均に刺激されて... だとか、FRB の利上げ観測で... だとか。それで視聴者も分かりやすいし、分かった気にもなれる。
しかし、経済市況がそう単純な現象でないことは明らかだ。だからといって、こうした情報を無益として切り捨てるのはやり過ぎであろう。それを材料に、自ら調べればいい。そして、専門家の意見に反論できるほどの考えを持ちたいものである...

この調査報告で興味深いのは、さらに踏み込んで、そうした専門家の中にも、ごく少数の並外れた予測力を持つ人たちを発見していることである。本書は、彼らを「超予測者」と呼ぶ。しかも、その資質では、超優秀でなくても、ちょいと優秀な人ならできそうなものばかり。「できそう」と「できる」とでは、雲泥の差だけど...
例えば、慎重で謙虚、柔軟で知的好奇心旺盛、内省的で自己批判的、数字に強く確率論的な洞察に優れ... といったことである。健全な懐疑心の持ち主とでも言おうか。
学習プロセスでは、挑戦、失敗、分析、再挑戦... といった単純なサイクルが提示される。誰もが生まれた時から実践してきた基本的な思考プロセスだが、脂ぎった大人が地道にやるのは難しく、難癖をつけては近道するのがオチ。これを、超予測者は素直にやってのける。オタク的な継続力とでも言おうか。童心を忘れずにいられるのも、超予測者の資質であろう。そして、最も重要な心得は、予測に絶対はない!ってこと...
尚、土方奈美訳版(早川書房)を手に取る。

「専門家とその予測を否定する立場と擁護する立場を両極とすれば、その中間にある合理的な見方を提示していく余地は十分にある。否定派にも一理ある。予測市場には、いかがわしい洞察を売り歩く怪しげな輩もいる。先を読むということについては、どうしても越えられない壁もある。未来を知りたいというわれわれの欲求は、常にその能力を超えてしまう。しかしあらゆる先読みを無益と否定するのもまた行き過ぎだ。状況によって、またある程度であれば、将来を読むことは可能であり、それに必要な能力は知的で柔軟で努力を惜しまない人間であれば誰でも伸ばせると私は考えている。『楽観的な懐疑論者』とでも呼んでいただきたい。」

そもそも、予測に求めるものとはなんであろう。予測は正確を旨とするとは、よく言われれるが、はたしてそうだろうか。当たらなくて良かったという予測もある。例えば、核戦争はいずれ起こる!と、かなり前から予測されてきたが、人類はそんなに愚かなのか?抑止力となっている面もある。では、核戦争は起こらない!に一票か。いや、それではあまりに楽観視しすぎであろうし、単なる先送りでもある。
予測は正確であることに越したことはない。だが、どんな予測も最初はいい加減なもの。いい加減だからといって切り捨てては何も始まらない。ならば、予測そのものよりも、予測に至るプロセスを大切にしたいものである。

「認知的不協和に対処するのは難しい。『同時に二つの矛盾する考えを抱きながら、うまく折り合いをつけていけるかが一流の知性の持ち主かの試金石となる』と F・スコット・フィッツジェラルドも自伝的エッセイ『崩壊』に書いている。われわれはナチス政権に対する感情と、国防軍の組織的強靭さに対する客観的判断を切り離し、国防軍が当然破壊されるべきおぞましい組織であったと同時に、われわれも学ぶべきところがある優れた組織であったことを理解しなければならない。ここに論理的矛盾はない。心理的矛盾があるだけだ。超予測者をめざすならば、それは克服する必要がある。」

それにしても、平均的な専門家が当てずっぽうより精度の低い予測しかできないという指摘も、にわかに信じがたい。一般的に揶揄される専門家は、だいたい平均レベルにある人たちのようだが、露出度の高いコメンテータの類いか。一度でも重要な予測を当てれば、そこに人は群がり、カリスマ予測者に祭り上げるのが集団社会。予想屋がいい加減なら、それに群がる連中もいい加減なもの。
予測とは恐ろしい行為だ。当たると褒められ、外れると馬鹿にされ、知らぬが仏ということもある。メディアで知識をひけらかし大言壮語する専門家を横目に、水面下では専門家よりも見識の深い素人が静かに暗躍している。とかく知的活動では、アマチュア感覚の方が有利なことも多い。研究や調査では自由な発想が要求され、なによりも遊び心が求められる。ここに、権威や名声は無用だ。「超予測者」という称号をもらっても、却って息苦しそうだ。尤も彼らにそんな自覚はないだろうけど...

1. 鍵はフェルミ推定か...
予測プロセスでは、ノーベル物理学者の名に因んだ「フェルミ推定」というヤツがある。おいらのお気に入りの思考法で、社会学系の書でも見かける。本書でも、これを鍵にしている。
例えば、「シカゴにいるピアノ調律師は何人か?」という問題に対して、まずシカゴの人口を仮定し、ピアノを保有する世帯は何割か?ピアノの調律頻度は?一日に一人で何台のピアノを調律するか?... といった具合に推定していく。最初は、当てずっぽうで構わない。それぞれの問いに適当な数値を当てはめていき、最終的な問いに答える、といった思考プロセスである。調査を進めるうちに知識が蓄えられ、分解されたそれぞれの問いに対して、徐々に精度の高い数値を与えることができる。ここには、情報論と確率論の巧みな協調が組み込まれており、頭の体操にもってこい...

2. 判断力の検証は手ごわい...
一つの業績を語る上で、鍵となるものに判断力ってやつがある。答えが分かっていれば、判断するまでもない。分からないから予測するのであって、予測では何かが起こる可能性を判断することになる。
例えば、天気予報が降水確率で発表されるようになったのは、いつ頃であったか。おいらが美少年の時代、まだ数値発表はなく、天気予報ほど当てにならなものはないというのが定番であった。気象学者は地球を科学する超エリートのはずだが、気象予報となるとまるで権威が感じられない。自信がなけりゃ、うすぐもり... ってやればいいじゃない!なんて、子供なりに嘲笑したりもした。
では、21世紀の今はどうであろう。降水確率 10% でスコールにでも出くわした日にゃ、予測が外れたことになるのだろうか。確率で語れば、言い訳ができるって寸法よ...
本書は、「それは優れた判断であったか」を「それは正しい結果をもたらしたか」にすり替えることはよくあることで、またタチが悪いとも指摘している。
確かに、正しい判断であったかを検証することは比較的簡単である。手っ取り早く結果と照合できるし、後知恵も使える。だが、理に適った判断であったかを検証することはすこぶる難しい。世間は、なんでも結果で評価しがち。だから、歴史的な判断は間違いだらけということにもできるし、歴史専門家にも、そうした傾向があるようだ。現代の世界観や価値観で評価すれば、いつの時代も間違った判断ということになりそうである。
本書は、「その判断が正しかったか」ではなく、「その判断が理にかなっていたか」という視点を強調している...

3. 永遠のベータ版、人生もまた未完なり...
予測には、自信過剰と自信過少の問題がつきまとう。主観的にしか思考力を発揮できない知的生命体にとって、客観的な視点を持つということは本能に逆らった側面がある。それも修行で補うしかあるまい。本書は、自らを磨き続け、やり抜く力を「永遠のベータ」と呼ぶ。
コンピュータ業界では永遠のベータ版という言葉が皮肉の意味で使われるが、常にアップデートを試み、改善に改善を尽くすのが人生というものであろう。わが人生は未完なり!すべてこれ未完なり!
ちなみに、チャーチルとケインズの有名なやり取りで、こんな逸話があるそうな。
チャーチル首相がルーズベルト大統領との会談にのぞんだ時、「あなたの意見が正しいと思いはじめた」と電報を送ると、ケインズは「それは残念。すでに私の意見は変わりはじめた」と返信したとか...

4. 平均的な専門家とは...
平均的な専門家というのは、自分の研究の立場を重視するあまり好みの理論や型に嵌め込んだり、自らの思想信条に固執するあまりお気に入りの因果関係の雛形に押し込もうとしたり、曖昧な答えに我慢ならず無理やりにでも結論を出す傾向があるという。挙げ句に、奇妙な自信を持ち、何事も断言するようになるとか。メディアでは攻撃的な論者をよく見かけるが、その類いか。
確かに注目度は高いし、視聴率も稼げそうだ。しかし、本書に描かれる超予測者像とは真逆に映る。どんな人間のタイプにせよ、自らの間違いを認めることは難しいことだけど...
ただ、「平均」という概念も、なかなかの曲者である。統計学で最も多く出現する数値で、メディアでもよく持ち出されるだけに、余計に厄介だ。ましてや多様化社会では、経済格差、情報格差、意識格差など、あらゆる方面で両極化が進み、平均的な人間像を描くことが難しく、平均が希少となることも珍しくない。
ちなみに、統計学の定番のジョークに、こんなものがあるそうな。
「統計学者は足をオーブンに、頭を冷蔵庫に入れて眠る。そうすると平均が心地よい温度になるから...」

5. 超予測者をめざすための 10 の心得。いや、11番目こそが...
本書の最後には、10 の心得が付録されるが、これといって真新しいものは見当たらない。ただ、11番目の心得こそが、すべてを物語っているように映る...

  1. トリアージ... 直面している問題を難易度や重要度で分類し、集中すべき問題に集中しよう。
  2. 一見手に負えない問題は、手に負えるサブ問題に分解せよ。
  3. 外側と内側の視点の適度なバランスを保て。
  4. エビデンスに対する過小反応と過剰反応を避けよ。
  5. どんな問題でも自らと対立する見解を考えよ。
  6. 問題に応じて不確実性はできるだけ細かく予測しよう。
  7. 自信過少と自信過剰、慎重さと決断力の適度なバランスを見つけよう。
  8. 失敗したときは原因を検証する。ただし後知恵バイアスにはご用心。
  9. 仲間の最良の部分を引き出し、自分の最良の部分を引き出してもらう。
  10. ミスをバランスよくかわして予測の自転車を乗りこなそう。
  11. 心得を絶対視しない!

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