2024-01-28

"過激にして愛嬌あり -「滑稽新聞」と宮武外骨" 吉野孝雄 著

型破りな人間!とは、こういう人を言うのであろう。外骨というペンネームからして世間をなめてんのか。いや、どうやら本名らしい。ほんでもって、トンチ絵図で明治天皇を骸骨になぞらえ、大日本帝国憲法に擬した「頓智研法」なんて出版した日にゃ... 牢獄行き!
おまけに、クソで書いた「法律」という文字で、今にも臭ってきそうな「糞法」をお見舞いする。
そして、敢えて問う、役人か悪人か... と。この人物は懲りていない。懲りるどころか、獄中でエネルギーを蓄えてやがる。奴は、次なる獲物を虎視眈々と狙っている。覚悟しておけ、役人ども!
二百三高地で苦戦が伝えられる中、いま日本は、国を挙げて露軍と戦争の真っ最中でござる。滑稽新聞社は、社を挙げて賂軍との闘いに日夜明け暮れ候...

こんなことを、21世紀の今やるとどうであろう。政界や財界に忖度しまくるマスゴミ連中を見てりゃ、時代は大して変わっとらんか。
宮武外骨の編纂哲学に、滑稽文学の真髄を見る思い。彼は、「上片贅六」をもじって「贅六主義」と称し、六つの贅沢をもって滑稽文学とす。六つの贅沢とは、理想主義に、進歩主義に、実利主義に、楽天主義に、遊び主義に、金儲け主義と、これまた胡椒が効いて... ヘーックション!

「抑(そもそ)も余輩の本誌を発行するや、只(ただ)人をして笑はしめんと欲するにあらず、余輩には抱負あり本領あり希望あり目的あり、随つて本誌の主義とする所豈に夫れ小ならんや、今若し之を哲学上よりいへば本誌は即ち理想主義と称すべく政治上よりいへば進歩主義、経済上よりいへば実理主義、宗教上よりいへば楽天主義を持し、更に進んで編輯上よりいへば遊び主義にして、発行上よりいへば金儲主義なり、余輩は此の六主義を執らんがために本誌を発行するに至りしなり、以上の六主義之を滑稽文学上よりいへば即ち贅六主義にして贅六文学の語是より起る...」

地方権力の末端から始めた腐敗への攻撃は、次第に権力の中枢に迫っていく。それも意図的にやったわけではないらしい。末端権力をほじくっているうちに、自然と権力の中核に迷い込んでしまったとか。
当局は、そんな危険な新聞を野放しにはできない。だが、処罰して封じ込めようとすれば、ますます記事の餌食に。裁判で侮辱罪を主張するにしても、何をやったかが検証され、自らの非を国民の眼に晒すことになる。
有罪か無罪か、そんなことは知ったこっちゃない。聞屋は、権力が不当に処罰するのを、ただ待っていればいいとさ。そして、監視の眼にも皮肉で応酬!

「尾行か、ご苦労だね... 吾輩は悪官吏どもを筆誅するが、君達が恐れる社会主義者や共産主義者じゃあないよ。吾輩が共産主義者になると、吐き出すほうが多いから絶対損をする。しかし、君達が共産主義者になったら、いまの月給よりよけいな分けまえにありつけるのじゃあないかね...」

滑稽新聞は、癇癪と色気が売りものだという。「肝癪を経とし色気を緯とす」
これを、検事が「肝癪は破壊主義であり、色気は淫猥奨励である」などと聖人君子ヅラで主張すれば、これに喰って掛かる。

「怒りは人間の最も基本的な感情のひとつであり、色気は少々理屈っぽくいえば、生命を生む源泉である。それがいけないというなら、もう人間をやめるしかない。」

冗談が単なる冗談で終わらず、過激にして滑稽!洒落の中に鋭い諷刺を極めた滑稽新聞も、自殺即ち、自ら廃刊することによって終わりを告げる。それは、権力に殺されたのではなく、自ら死を選んだところにユーモアと自負があるとさ...

「人は死すべき時に死な々ければ死に勝る恥があると云うが、特種の有機体たる新聞雑誌も亦(また)人と同じく死すべき時に死な々ければ死に勝る恥がある。」

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