2024-08-11

"単位と比 - わけのわかる算数のはなし" 芹沢正三 著

これは、児童向けの書である。童心に返るのは難しい。ましてや脂ぎった大人には難しすぎる。唯一の頼みは、気まぐれってやつ。気まぐれは偉大だ。何一つ馬鹿にすることなく、まったく抵抗感なく、手に取ることができるのだから...

なにゆえ人間は、モノを測ったり、数えたりするのか。それは性癖か、退屈病がそうさせるのか。この単純行為は、なにやら心を落ち着かせてくれる。精神病患者や知的障害者は、数を数えることによって気持ちを整える。ある種の儀式のように。サヴァン症候群のような突飛な能力の持ち主ともなると、数字が風景に見えるらしい。おいらも、デスクトップ上のスキャンカウンタをなんとなく見入ってしまう。

日常、人は何かを測定したり、計算したりする時、「単位」ってやつを使う。
3 + 5 という単なる足し算も、3 万円 + 5 万円となった途端に目の色が変わる。
3 メートルと 5 グラムを比べても意味はないが、3 メートルと 5 メートルを比べれば、長さの違いが見えてくる。太閤検地なんぞで田畑の面積を画一的に測量された日にゃ、土地の隅々まで年貢の対象とされ、根こそぎよ。持ってけ泥棒!
単位は、それが比較の対象で同じであれば、数字を同じ土俵に立たせることができる。となると、単位はある種の性質や属性を表していることに。科学界が SI 単位系などと称して国際標準化に奔走するのも無理はない。

物理量には、二つの量がある...
数字で数えられる離散量と、数字で数えられない連続量とが。リンゴは、1個、2個と数えられるが、水はどうやって数えるの?コップで、1杯、2杯としたところで、コップの容量が違えば...

重さを測れば、奇妙なことに...
万有引力の法則によると、地球の重力はすべての物体に対して平等に働くことになっている。だが、地球は完全な球形ではない。おまけに地形も様々で、場所によって重力に誤差が生じる。すべての物体の重さが地球の重力で決まるとすれば、地球の重さは?すでに自己矛盾に陥っている。
そこで、質量という概念が編み出された。物体の重さが地球という外部要因で決まるなら、質量はその物体自体に具わった量ということに。その方が、得たいの知れない潜在的なポテンシャルエネルギーってやつも受け入れやすい。
ちなみに、キログラムは、白金イリジウム合金でできた国際キログラム原器が基準であったが、現在ではプランク定数で定義される。やはり、単位は人工物の関与を避けたい。人間ってやつは傲慢だから。命の重さは地球よりも重いって本当?体重計の上では軽さを演じておきながら、存在の重さとなると目くじらを立てる。

単位によっては、足し算ができたり、できなかったり...
長さや重さは足し算ができるのに、温度は足し算ができない。だが、熱量なら足せる。やはり熱エネルギーは手ごわい。エントロピーに看取られているだけに。しかも、この宇宙空間には、絶対零度ってやつが存在すると聞く。それを人類が知っているというのも疑わしいが...

足し算の限界値では、循環論に陥ることも...
角度では、360度までなら足し算ができるのに、それを超えた途端に循環論に陥る。この循環性から位相という概念が編み出された。自然界には、振動という現象が多い。実に多い。いや、量子の世界まで突き詰めれば、すべての物理現象は振動で説明できそうな。
そして、モジュロ演算の抽象度に感服せずにはいられない。モジュロ演算では割り算とその余りが主役となり、比の解釈を拡大させてくれる。

古来、人類は時間と暦の計算に悩まされてきた...
太陽を基準に、ユリウス暦に、グレゴリオ暦に、改良に改良を重ね、閏年で調整しても足らぬ。二千年問題ではコンピュータ業界を震撼させたが、それは千年紀の問題であろうか...
時間ともなると、12 進数と 60 進数が混在しやがる。おまけに、時刻と時間で使い分けられ、時計は時刻を知らせ、ストップウォッチは時間を刻む。正確さを求めれば、地球の運動だけでは足りず、セシウム原子に縋る。

古典力学では、時間と組み合わせた単位が幅を利かす...
速度 m/s に、加速度 m/s2 に、角速度 rad/s に... 物理現象を時間の変化として捉えれば、そうなる。さらに、時間以外の単位を組み合わせて、線密度、面密度、濃度、人口密度なんて量を次々と編み出し、正比例や反比例としただけで、その現象が理解できた気になれる。
相対的な認識能力しか持ち合わせていない知的生命体にとって、「比」ってやつは、すこぼる重要な概念だ。

ところで、時間は絶対であろうか。相対性理論は告げる。光速に近い速度で運動すれば、時間はゆっくりと進むと。オチオチ静止している場合ではなさそうだ...

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