2024-08-18

"証拠" Dick Francis 著

同じミステリー作家では、スタンリイ・エリンが、人の心に潜む悪意やいたずらを非情なまでの皮肉ぶりで暴いて魅せた。まさに、人間の存在そのものがミステリーであることを...
ディック・フランシスは、人が背負ってきたしがらみや生き様を、サスペンスに重ねて魅せる。ちと強引だけど... この強引さが、M にはたまらん!
それにしても、こいつは本当にミステリーか?
おまけに、酒が題材とくれば、やらずにはいられない。そして、一つの疑問が湧く。今、チビチビやってる虎の子のフィーヌ・ド・ブルゴーニュは本物だろうか?と。サスペンスってやつは、人を疑り深くさせる...
尚、菊池光訳版(ハヤカワ・ミステリ文庫)を手に取る。

親に失望され、見放されて生きてきた酒屋の御主人。戦争での父の勇敢さに劣等感を覚え。そんな彼を救ったのは妻。妻といる時だけが生きる喜び。そんな妻が急病で世を去ると、半ば死んだように生きている有り様。
次に、生きる気力を取り戻してくれるのは、やはり酒か。酒といっても、溺れるように飲むという意味ではない。自分の得意分野である酒の知識が生かされる場を求めて...

物語は、ワイン輸送車が急襲されたことに始まる。レストランでラベルと中身の違うボトルが見つかる。真の目的は高級銘柄のラベルか。偽物はどこに出回る?
偽物と気づかれない場所ならどこでも... 偽酒が大量に出回っている節があり、警察が動き出す。利き酒の能力と知識を買われ、捜査に協力しているうちに、陰謀の渦に巻き込まれていく。妻の急病に気づけなかった罪悪感の渦にも巻き込まれつつ... なんだ、この不釣り合い感は!
陰謀サスペンスの中で、自虐的な罪悪感や孤独な人生観を両立させているところが、この書き手の凄みであろうか。そういえば、題目は「証拠」であった。犯人は誰か?まぁ、それはおいといて...

人生には皮肉なことが多い。この方面でマーフィーの法則はことのほか冷徹だ。スコッチの熟成に劣らぬ文章の熟成ぶり... 作家が凄いのか、翻訳家が凄いのか。最後の独白にイチコロよ!

「エマ... エマ... エマ... と叫びながら家の中を通って行った。声が壁にぶつかって反響している。彼女を求めて叫んでいるのではなく、彼女に告げたくて叫んでいた... 彼女に聞いてもらいたかった... 自分が初めてなすべき事をした。いつまでも臆病者でいたわけではない事、私に関する彼女の記憶を裏切らなかった事... あるいは自分自身を裏切らなかった事... 自分のあるべき姿を具現した事... 彼女に慰められ、充実感を味わい、あくまで彼女と一体なのだと感じている事、かりに今後彼女のために泣く事があっても、それは彼女が人生の楽しみを最後まで味わえなかった事... 生まれなかった子供... に対する歎きであって... 自分が大切な物を失ったため、寂しいため... 罪の意識のために泣いているのではない事を知らせたかった。」

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