自叙伝ってやつは、その人の生き様を容赦なく炙り出す。笑いを誘うような愚痴のオンパレードに、その人の人となりが露わとなり、革命家魂を垣間見る思い。「学問のすゝめ」に至った動機も十分に味わえる。
尚、土橋俊一校訂・校注版(講談社学術文庫)を手に取る。
動乱期を生きた人物の叙述にしては、どこか余裕を感じる。これが人間の度量というものか。例えば、維新前夜は辻斬りが横行し、武士だけでなく、町人や百姓までも怯えた様子が克明と伝わる。こうした世情では隙を見せられず、堂々と歩いているふりをして、すれ違い様にとんずらするのが良策だとさ。そして、当時の様子を、こう笑い飛ばす...
「こっちも怖かったが、あっちもさぞさぞ怖かったろうと思う。今その人はどこにいるやら、三十何年前若い男だから、まだ生きておられる年だが、生きているなら逢うてみたい。その時の怖さ加減を互いに話したら面白い事でしょう。」
また、渡米時の感想では、こうもらす。
大統領が四年交代ということは知っていたが、ワシントンの子孫となると大層な扱いだろうと思っていたら、市民は知らないどころか、興味すら持っていないことに拍子抜け。日本でいえば、源頼朝や徳川家康の子孫となると、それだけで大層な権威を持つものだが、これが民主主義ってやつか...
ただ、「学問のすゝめ」では、ちと違和感のある二つの極端論があった(前記事)。
それは、「赤穂不義士論」と「楠公権助論」で、日本古来、義人として認められるのは、佐倉宗五郎ただ一人としている。赤穂浪士と楠木正成公の否定論は、やや勇み足の感は否めない。庶民感覚としての権威主義への反発から、二つの物語を讃美しすぎると考えるのも分からなくはない...
本書では、封建社会における価値観には、ほどほど呆れた様子。過去のすべてを否定するかのような勢い。そして、伝統に対する世俗のあまりの盲目ぶりに物申す。
矛先は、当時の論調を代表する「門閥圧政鎖国主義」と「勤王佐幕」の二派。前者は、封建制度が後ろ盾になった旧来の価値観。後者は、勤王は尊王に類似した用語で、佐幕は倒幕の対抗馬。封建門閥精度には親の仇のごとく捲し立て、そればかりか改革派も開国論者ですら攘夷論の張本と切り捨てる。こんな勢いで二つの極端論を口走ってしまったか、と思わせるほどのブチ切れよう。人間は社会の虫なり!とまで言い放つ...
この時代にひときわ目立つように西洋文明を吹き込み、開国論を主張すれば、あらゆる論者を敵に回すは必定。幕末には、非国民、売国奴、西洋がぶれなどとレッテルを貼られ、維新の流れに転じれば、開国論者の第一人者として一目置かれる。政治のご都合主義にはほどほど呆れた様子。
「一身の独立なくして一国の独立なし!」とは、彼の名言の一つだが、明治政府からの誘いを拒み、身をもって独立自尊に徹した啓蒙家であったとさ...
「私の生涯のうちに出来(でか)してみたいと思うところは、全国男女の気品を次第々々に高尚に導いて真実文明の名に愧ずかしくないようにする事と、仏法にても耶蘇教にてもいずれにてもよろしい、これを引き立てて多数の民心を和らげるようにする事と、大いに金を投じて有形無形、高尚なる学理を研究させるようにする事と、およそこの三か条です。」
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