2007-11-30

"SIX NOT-SO-EASY PIECES" Richard P. Feynman 著

先日、「SIX EASY PIECES」と「SIX NOT-SO-EASY PIECES」の二つをお借りした。本書は、ファインマン教授の講義録がCDで収められている。偉大な物理学の講義をオリジナルで聴こうなんて発想は、アル中ハイマーの英語力からは考えられない。そんな英語音痴でも些細な努力はしている。昔は、会社に隠れて英会話学校に通ったこともある。使わなければ元の木阿弥。ちなみに、只今一世風靡中の駅前留学ではない。外人経営のマイナーな学校である。なになに学校ってのは性に合わないのだが、なんとなく先生の人格に惹かれてしまった。ある日、ローカル番組の街頭インタービューで、流暢な日本語で答えているのには驚いた。彼が日本語を話しているのを見たのはそれが最初で最後である。今は、海外ドラマNCISを教材にしている。なぜかって?アビーにいちころなのだ。その前はX-ファイルだった。なぜかって?モルダーにいちころなのだ。歳を取ると字幕を追いかけるのが面倒になる。なかなか良い傾向だ。ようやく英語の周波数が合い始めていると錯覚している。ただ、この波は脳細胞には干渉しない。そもそも酔っ払った脳とはそういうものだ。日本語にしても言語というものは同期しないのである。今宵のアル中ハイマーは、気分良く英語の勉強と称して外人パブへ出かけるのである。

このCDは重厚だ。ノーベル賞学者の偉大な講義を酒の肴にできるとは、なんと贅沢な時間だろう。英語の勉強で文章を追いかけるような無駄は止めよう。不快な思いをするのは大先生に失礼だ。ファインマン調を味わって幸せになろう。
物理学では、追いかけるものは逃げていくという法則がある。それは、ホットな女性はつかまらないことで証明される。
始めてみると意外に文章が拾える。英語のリズムだけでも楽しめるではないか。クールな人物をイメージしていたが、語りが熱い。なかなかの名調子。人間性も伝わる。驚くべきは、語りだけでほとんどの説明がなされることだ。編集してんのか?これは漫談か?式を書くことに命をかける教授とは随分違う。偉人の講義とは思えない親近感もある。バックグランドでチョークが走る。時より発する学生の咳が生々しさを醸し出す。冗談も飛び出す。学生と一緒に笑いたいがタイミングを逸する。悔しい!そこだけリピートだ。いつのまにか目的がすり替わって笑うタイミングを計っている。ドリフの大爆笑やんけ!
物理学では、目的はすり替わるものという法則がある。それは、国のお偉いさんたちの行動が証明している。

何を血迷ったか。not so easyの方から聴き始めた。何を隠そう、こちらだけ聴いて片付けるつもりでいた。こんな難しいものが理解できるわけがない。そう思っていたからである。ベクトルや対称性から相対性理論へ話が及ぶ。当然アインシュタインも登場する。ちなみに、ファインマン先生は「Curved Space」が一番のってるようだ。おっと!聴いてるうちに目の前の空間が曲がってきた。いつのまにか6時間が過ぎている。さすがに、ずっと同じ姿勢ではケツが痛い!

そして翌日、引き続きeasyの方を聴く。んー!録音状態が悪い。昔の政治演説みたいだ。この講義は飛ばそう。次の講義からは状態も悪くない。一安心!物理学の概要の話をしているのだと思うが抽象的でよくわからない。諦めかけていたら、物体のエネルギーで引き戻される。ケプラーも登場して、んー!やっぱり聴き取れない。量子論はかなり怪しい。the uncertainty principleってなんだあ?出たあ!ハイゼンベルグ!不確定性原理やんけ!とうとう止めを刺された!締めくくりは、正確に測量できない世界がある。それでも統計的には把握する手段がある。不確定性原理とはそうした場合に有効な道具だ。とかいったことを哲学的に語ってくれているような気がする。漫談屋が真面目に語っても、冗談にしか聞こえない。偉大な人間が語ると冗談も哲学に聞こえる。人間は、耳を傾ける側の心構えでなんとでも聞こえるものだ。

酔っ払いのことだから、ほとんどを勘違いして聴いていたことだろう。物理の基本法則だから、なんとなく伝わった気になれるのかもしれない。アル中ハイマーには、なんとなくnot so easyの方が周波数が合う。歴史を感じるとアルコール濃度も上がる。さて3度目を聴こう!それにしても、こんな英語の楽しみ方があるのかあ。以上、アル中ハイマーの初体験でした。

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