本書は、前記事に続く二つ目の呪文の罠である。ブルーバックスの企画もなかなか憎い。高校まで数学が得意だったと錯覚していたアル中ハイマーには、「高校数学でわかる!」という言葉にいちころである。本書でも、高校物理と大学物理には断層があると語ってくれるあたりは、少しは慰めになる。幼少の頃、小学館だったか?科学実験を体験できる雑誌があった。おもしろく遊んでいた記憶がなんとなく甦る。なぜかそうした懐かしい感覚で読んでいる。
電気磁気学は電子工学を専攻すると必須科目である。赤点を取った嫌な記憶も甦る。なんとか丸暗記で誤魔化したものである。以来、マクスウェルという言葉の響きには、どんな酒でも学生時代に飲んだレッドの味わいに染める魔力が潜む。そんなアル中ハイマーでも、本書の世界に入るとレッドな気分をホワイトな気分にさせてくれる。なによりも法則の意味合いを大事にしているところがうれしい。そこには、
「電気磁気学の法則 = マクスウェルの4つの法則 + ローレンツ力」
が記される。これぞ学生時代に出会いたかった入門書である。
もっと早く出会いたかった本は、なぜか昔出会った女性を思い出させる。一人の女性がいるとそこには磁場が発生する。そこには引力あるいは斥力がある。この微力な磁場を強力にするには、男性が回りを囲めばいい。これがソレノイドである。目をつけた女性の視線は直進性が高い。これも一種の電磁波である。電磁波は永遠に進み続ける。これでアル中ハイマーはいちころである。これが「夜の社交場の法則」というものである。
生物の神経で情報伝達に電気信号も使われていることは20世紀になって明らかになった。例えば心電図は心臓で生じる電気を拾ったものである。ところで、電磁波をあびると女の子が生まれるという説は本当だろうか?昔ある企業に所属していた頃、テレビ設計者の子供は女の子が多いという話を聞いた。言うまでもないが、当時のテレビはブラウン管である。確かに先輩たちを見るとその傾向はあった。電磁波はXY染色体に影響でも与えるのだろうか?実験室には、股間用の防磁グッズがあったのを思い出す。ただ、Hが下手だと女の子が生まれるという説もある。こちらの方が説得力を感じたものだ。
1. 歴史を振り返る
日本では、平賀源内が1751年オランダから幕府に献上された静電気発生装置「エレキテル」に興味を持ったことから始まる。これは、ガラス管と金属の摩擦によって帯電する単純な装置である。アメリカの政治家フランクリンも1746年にこの装置に興味を持つ。彼は雷が電気であることを発見する。雷の巨大なエネルギーに対して、電気を溜めることができる最大の入れ物は地球(アース)である。この時、彼が電気のプラスとマイナスを決めた。
この2つの微力を測定したのがクーロンである。互いの電荷が増えれば増えるほどクーロン力は増し、その力は距離の2乗に反比例する。これは、万有引力の、互いの質量が大きいほど引力は増し、その力は距離の2乗に反比例する関係に似ている。違いは、電荷はプラスとマイナスに帯電するため、引力と斥力ができるところである。クーロンは、更に磁石を使って磁界においても法則が成り立つことを発見している。クーロン力と万有引力の類似性から、多くの科学者は二つの法則を統一しようと試みたが、現在に至るまで誰も成功していないようだ。
クーロン力と万有引力はいずれも離れたものの間で働く力であり、遠隔作用である。ファラデーは、音が空気を通じて伝わるように、クーロン力も媒体が伝える近接作用として捉える。この媒体がエーテルである。当時、エーテルは全宇宙に充満していると唱える科学者が多かった。エーテルの存在を確かめる実験に挑んだのが、マイケルソンとモーリーである。結局エーテルは存在せず、真空中でも電気や磁気の力が伝わるという遠隔作用説に戻ったようだ。しかし、ヘルツによる電磁波の実験は近接作用説に基づく学説になったという。そこで、クーロン力を伝えるのは空間そのものであるという解釈に到達する。その場に電荷があれば、その周りの空間には電界が存在するということである。
歴史は、電荷、磁界、電流、力の重要な関係に辿り着く。アンペールの磁界と電流の関係がそれである。磁界の方向に右手を置くと親指の方向に電流が流れる。電流の回りに右回りの磁界が発生する。拡張した解釈がビオ・バザールの法則で、コイルに発生する磁力を示している。ファラデーは磁界と力の変化によって電流が生まれる電磁誘導に成功する。この法則で電池に頼らなくても電流を生み出すことが可能になる。人類は、力学エネルギーを電気エネルギーに変換することに成功したのである。
2. マクスウェルの法則
この時点では、まだ電磁気学としての全体像は明らかになっていない。電磁気学を体系化する役割を果たしたのがマクスウェルである。彼は、ファラデーやアンペールらが明らかにした電場や磁場の関係を数学的に表すことに取り組み、1864年に20個ほどの式にまとめた。後年、絞りに絞って4つの式にまとめられる。
(第1式: クーロン力を表す式 = ガウスの法則)
クーロンの法則はガウスの法則と等価である。「点電荷のまわりの電界の強さが、表面積に反比例して減少する性質」を自然に認識できる点でガウスの法則を採用しているのだそうだ。ガウスの法則の数学的証明なんて悪酔いするだけである。本書でその証明を割愛しているのは正解である。ただ、ガウスの法則のありがたみは感じさせてくれる。それはコンデンサーの例で示している。平面状の電極に電荷が一様に分布している場合、電極からいくら離れても電界の強さは同じである。これは、平面状に広がった照明と光の強さの関係に例えて語られる。
(第2式: 電磁誘導の法則を表す式)
電磁誘導の法則は、磁束が時間変化すると、そのまわりに磁界が生じることを示す。
(第3式: 磁石のN極とS極は必ずペアで存在する)
N極は磁束線の吐き出し口で、S極は吸い込み口として働くので、必ずペアで存在する。しかし、単極の磁石が存在しないという物理的確証は、実は無いのだそうだ。
(第4式: 電磁石を表すアンペールの法則)
ソレノイド内部の磁界の強さはコイルの巻き数が大きいか、電流が大きい場合に強くなる。これは、電流によって電線のまわりに磁界が生じることを示している。マクスウェルは更に、電流が流れるまわりだけでなく、電極の間の電界の強さが変化すると、そのまわりに磁界が発生するところまで拡張している。例えばコンデンサーでは電荷が蓄えているだけで電流が流れない。それでも磁界は発生する。
3. ローレンツ力
マクスウェルの方程式が完成した時点では、電子が発見されていなかった。何かがプラスからマイナスに流れると解釈しているために、「電流はプラスからマイナスに流れる」と表現する。その後、J.J.トムソンがブラウン管で電子を発見する。実際は、マイナスの電荷(電子)がマイナスからプラスに流れる。ここで、磁界の中にある電荷に働く力。ローレンツ力が重要になる。これで、電流を駆動するための力、電圧、つまり起電力の説明ができる。著者は、これをマクスウェルの方程式に加えないのは謎だと主張している。電磁波の方程式が、時間軸に対して三角関数で表現されるのは、微分しても積分しても三角関数に戻る。つまり、永遠に波である。電界と磁界が互いに一方を生じながら無限に伝播することを意味する。この仮定は、電荷や電流や磁極が存在しないとしての話である。電磁波の速度は、光の速度と同じで30万km/sである。マクスウェルは光も電磁波の一種と考えた。目に見えるかどうかは単に波長の違いである。現在もこれが通説で、電気から光を取り出す技術は進化している。発光ダイオードや半導体レーザーがそれである。
4. おまけ、国際会議における日本人
西洋では、哲学者ソクラテス以来、議論して真理に近づくという伝統がある。よって、発表よりも質疑応答を大切にする。一方、日本人は発表を丁寧にして質疑応答が苦手というのが多い。これは、日本人が海外で評価されにくい理由の一つであると語る。また、誉められない特徴として発表態度にあるだろう。欧米人が聴衆に向かって発表するのに対し、日本人は背中を向けてスクリーンに向かって発表する。これは、伝統的態度と言えるだろう。政治指導者が紙を読み上げて討論している姿からもうかがえる。学校教育の影響もあるだろう。聴衆の前で意見を披露する訓練を受けていない。また、議論には言論の自由が必要不可欠であるとも語る。科学者が自身の主張によって不利益を被った例は多い。宗教的あるいは政治的弾圧を受けてきた。ソクラテスでさえ死刑になっている。欧米諸国にはこうした苦い経験がある。現在においても、変わった意見を発言すると討論番組やマスコミによって血祭りに上げられる。特に日本人どうしの議論は、感情的になりやすい傾向がある。科学的議論であってもいつのまにか人格対人格の闘いになっている場合が少なくない。もう一つ重要なものに発想の自由がある。特に日本人は自由の概念を忘れがちだという。「科学の大きな役割の一つは、人間の思考から迷信を取り除き、合理的に問題を解決する思考方法を与えることである。」と締めくくる。
2007-11-11
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