2008-03-02

"近代ヤクザ肯定論" 宮崎学 著

前記事の「反転」では、元検事さんの本を読んだ。今度は、裏社会の立場の本を読んでみるのもおもしろそうだ。本書に興味を持ったのは著者の経歴である。父は伏見のヤクザ寺村組の親分。早大在学中は日本共産党のゲバルト部隊に属したとある。なんとなくド迫力の香りがする。ただ、意外なことに、社会学的に考察している点はおもしろい。歴史の面からも、日露戦争後、ブルジョアとプロレタリアの棲み分けがはっきりしていた時代から、戦後急速に民主化が進んだ時代を経て、バブルに至るまでを底辺社会の視点から概観できる。

戦後の名だたるヤクザは、被差別部落や在日コリアン、その他に島の出身者が多いという。瀬戸内の島々、奄美、沖縄、済州島など。また、教育レベルの低い者や障害者もいる。社会的弱者が生き延びるためには群れるしかない。こうした背景でヤクザの存在意義が語られる。中でも山口組は利益社会型としての先駆者であったという。三代目組長田岡一雄氏は、ヤクザが博奕で食っていく時代は終わったと断言し、組員が正業を持ち一般社会の中に入るべきであると説いている。また、柳川組の谷川康太郎氏の言葉は印象的である。
「何が善で何が悪だといえるのは、まだ余裕のある人間だ。ドストエフスキーの"罪と罰"なんて所詮インテリの精神的遊戯だ。そんなことで飢えた人間は満たされない。」
そこには、ヤクザしかなれない人がいる。麻薬密売でしか生きていけない人がいる。任侠や愛国とか言う前にそういう現実がある。彼らは右翼団体や政治団体とは一線を画す。本書の目的は、こうした世界があることを伝えることであると語る。そして、そこにヤクザという選択肢があったことに文句がつけられるだろうか?と問いかける。

アル中ハイマーには、善悪を超えた領域など想像もできない。ただ、ヤクザは、前科、出身、国籍、経歴をいっさい問わない唯一の集団なのかもしれない。そういえば、小学生の頃、同級生にヤクザの息子がいた。少々喧嘩早いところもあったが、まったく違和感がなく結構いい奴だったので一緒に遊んだりもした。中学生になる頃、既に上級生の子分を10人ほど引き連れていた。本人は以前のように気軽に話しかけてくるが、遠い存在であることを認識させられた。おいらはすぐに転校したから、あれからどうしているか知らない。当時住んでいた公団の横にヤクザの幹部か、あるいは組長の豪邸があった。同級生とは苗字が違うが親戚とか言っていたような気がする。その名も梶原さん。まさか本書に登場する人物とは関係ないだろうなあ。その豪邸には大勢の組員が出入りしていたが、お行儀の良い人達であった。ただ、大きなドーベルマンが数匹飼われていて近寄りがたかった。優しそうなおじさんが、よく背中の刺青を見せてくれたことに、幼少ながら面白がっていたのを思い出す。今思うと恐ろしい地域に住んでいたものだ。先日も発砲事件のニュースが流れていた。

1. 労働力供給業と芸能興行
海運業は、貨物取扱量の変動が季節的にも日々においても激しい。船会社や荷主は、経営コストを下げるために港湾運送業を直営にせず、下請業者にリスクを背負わせる。下請業者も、大手業者に直属して大口取引を独占したり、雇用する労働者を最小限に抑えたりして、リスクに対抗する。直属関係は縄張りを生み、荒らす者には暴力的な手段が取られる。労働者を最小限に抑えるために、日雇い労働者や臨時労働者で雇用調整する。いきなり船が入ってきた時は、即座に労働力を供給する必要もある。過酷な労働に人員を集めるには、前歴を問わず、荒くれ者や流れ者が多く、強い統率力なしでは運営できない。いつでも労働力をプールするには、底辺社会、裏社会とのルートをもつことが有利となる。これぞヤクザの真骨頂である。港湾荷役から労働供給者として独立したものの一つに山口組があった。日本の経済成長とともに、ヤクザは労働組織から必要に応じて自然発生したのである。また、吉本興業の用心棒をした関係からも芸能界にもつながる。大阪相撲の興行権も獲得する。芸能プロダクションが地方興行権を得るには、その縄張りにお伺いをたてなければならない。芸能人につきものの数々のトラブルを揉み消す役目もある。興行権といえばプロレス界もその典型である。興行権を手にすれば、芸能界も牛耳れるという構図である。山口組は労働力供給業と芸能興行の二つの事業で成長していく。

2. 利益社会型としてのイノベーション
労働現場で、親方・子方関係が支配していた時代があった。企業は現場の管理を直接できなかった。ところが高度成長期になると、技術革新による生産の合理化が進み、企業が現場の労働者をも直接掌握できるようなる。これを牽引したのが自動車産業である。代表的なものがフォード・システムである。自動車産業は購入部品など下請依存の高い産業であり、自社の系列化により下請企業群を直接従わせる。その延長上に日産のOES(Order Entry System)やトヨタのカンバン方式がある。変動的な人件費も同一規格にパッケージ化される。こうした流れは、様々な産業へと波及する。山口組が支配していた神戸湾の港湾荷役では、ベルトコンベヤー、クレーン、フォークリフトを導入する。下請業者がこうした機械に設備投資すると採算が合わない。そこでリース業者が生まれる。港湾においてはコンテナ化も進む。こうなるとヤクザが支配していた臨時の労働者供給が必要とされない。ヤクザの残された道は、企業化するか退散するかしかない。これは親方・子方制が解体されることを意味する。このような時期に山口組は土建業に進出し、タクシー業、生コンクリート運輸業などと関わりを持つ。一般企業にとって、トラブル処理は、ヤクザの使い道として重宝される。ゼネコンで雇われた多くの中に荒くれ者や流れ者が含まれるのは普通であり、彼らのトラブルを親会社が処理していてはコストがかかる。むしろ、お守り料としてヤクザに裏金を還流した方が安上がりである。また、企業社会の負のサービス業として民事介入暴力で活動する。総会屋、会社ゴロ、金融者、整理屋、示談屋、取立屋、パクリ屋、サルベージ屋、アパート屋などで、紛争介入の手数料を稼ぐ。こうした利益社会に順応していったヤクザは山口組だけだったという。

3. 同和利権の誕生
行政の行動様式は、事なかれ主義の官僚体質が支配的である。名指しで糾弾されたり、デモや街宣車から、管理能力を問われると震え上がる。彼らは、差別糾弾という看板を掲げて強面のヤクザが乗り込んでくると迎合的になる。これが解放運動や同和団体と称するヤクザとの癒着を生み、同和利権が誕生することになったという。同和対策の関係官庁は、自治省(現在の総務省)である。当時、この中央官庁から都道府県に副知事として下っていき、その後知事となるケースも多い。そういう人物に同和対策室経験者が非常に多いという。暴露本では、同和関係の大物政治家を実名で紹介しているものもある。いわゆるエセ同和である。

4. 権力の手先と反権力の闘争集団
国家権力の正統性を普遍化するには、暴力の独占と法の支配が必然である。ただ、実際はそこまで徹底することはできない。経済活動に閉塞感が生まれるのもよくない。資本主義には、ある程度ヤクザが存立できる余地が残されていたようだ。国家権力からみて一元的な管理の下に従っているヤクザは存続が認められ、逆らうものは潰される。民主化運動や冷戦構造の中で沸き起こった共産主義者による武装闘争においてもヤクザは活躍する。戦後の警察力だけでは統治できない混沌とした時代には、地方の隅々まで把握したヤクザの存在は大きかった。政治思想に感化されたヤクザもいる。右翼団体や共産主義の中にも存在する。政治介入すれば、国家権力が脅しにかかる。あまり締め付けるとヤクザも反抗する。国家権力とヤクザの互いの脅し合いでバランスされる。こうした時代に、山口組は、政治色の弱いヤクザであったことが、うまく共存できた理由の一つであると語る。暴力団全国一斉取締キャンペーンで警視庁が本腰を上げた時、数々のヤクザ組織が潰されたが、山口組は潰れなかった。これは、水面下で兵庫県警と山口組が癒着しているからであるという。ただ、それだけではない。田岡氏は従来型の山口組は解体するつもりであったという。そもそも全国制覇の進展で山口組は大きくなり過ぎた。大組織になると愚か者も出てくる。少数精鋭にしなければならないと語っていたらしい。少数精鋭で経営効率を向上させ、一時的に縮小しても、更に巨大化して発展する企業も多い。山口組もその一例となる。警察のキャンペーンは、資金源を断ちヤクザを産業から放逐した。しかし、中小ヤクザを壊滅させただけで、むしろ寡占化を促進させた結果になったという。バブル期においても経済の裏側でヤクザが活躍したことは容易に想像がつく。大企業や金融機関が、ヤクザを存分に利用して巨利を得ようとしなければ、バブルは起きなかったかもしれないとさえ語る。政官財の中枢を担うパワーエリート達が陰の財テクに励む。そうしたダーティな部分にヤクザは入り込む。どちらもヤクザであることに違いはない。

5. ヤクザの存在意義
警察の頂上作戦によってヤクザは解体されていった。ヤクザの人員減少は警察も胸を張る。しかし、ヤクザを辞めた人間はいったいどこへ行ったのだろう?結局、社会の隙間に潜り込んでしまい、以前とは区別がつかないところで犯罪をする。むしろ犯罪は巧妙となり、悪戯な詐欺行為が散乱する。統制が取れていたヤクザ組織とどちらが良かったのだろうか?答えを出すのは難しい。人間社会が複雑化する限り、ある確率で犯罪は存在し続けるだろう。下層社会が拡大すれば尚更である。現在では格差社会と言われている。フリーター化、人材派遣化していく様も近代ヤクザの傾向であるという。表向きクリーンでも、その実態はヤクザである企業はますます増える。更に、グローバル化の波も押し寄せる。資本や労働が有利な方向へと移動しやすくなり、経済国境もなくなる。日本にも世界レベルの格差社会が到来するかもしれない。そうなると、新ヤクザ構想もグローバル化するのだろうか?

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