2008-03-09

"日本の歴史をよみなおす(全)" 網野善彦 著

タイトルの(全)とは、なんだろう?と思ったら、「日本の歴史をよみなおす」と「続、日本の歴史をよみなおす」の2冊をまとめたものらしい。更に文庫本化されている。2倍でコンパクト!アル中ハイマーはなんとなく得した気分で幸せである。

本書が扱う時代は、13世紀から14世紀の南北朝動乱期。この時代は、現在の転換期と同じような大きな変化が起こり、この時代の考察は現在の社会を考える上でも意義深いと語られる。それは、社会や商業の形体、宗教の意識、差別感覚の発達などの変化である。ここで言う差別感覚とは、身分や階級ではなく非人の扱いである。そして、中世の日本社会が本当に農業社会であったのか?日本文化の持つ特有性は、島国であるがゆえの孤立国家により作り出せれたものなのか?という一般の歴史で語られてきたことに疑問を投げかける。歴史家の落とし穴は、もっぱら文献資料を扱うことにあるという。多くの歴史資料が国家制度の影響下にあり、それを率直に受け入れたことによって、多くのゆがんだ歴史像を提供していると指摘する。本書に感銘を受けたのは、民族学や考古学からも考察され、庶民の側から歴史を概観できるところである。日本社会には、建前と本音の二重構造が潜在する。その中で庶民の視点まで掘り下げた本質的な考察が難しいのも事実だろう。これは、歴史学に限らず経済学や社会学などにも言える。中世の日本というと、庶民は貧困に喘いでいたという印象があるが、本書は少々違った印象を与えてくれる。

1. 文字社会
中世における日本人の識字率は世界的に見ても恐ろしく高い。特に女性の識字率が高い。また、平仮名、片仮名、漢字の3種類の文字を使いこなす民族も珍しいだろう。平仮名や片仮名の混ざった文章が登場するのが10世紀頃、13世紀後半までは文書全体の20%ぐらいに仮名文字が混ざっていたが、室町時代の15世紀に入ると60%から70%へ跳ね上がったという。それも片仮名は少数派で平仮名の勢力が強い。公文書など堅苦しいものは片仮名で、読みやすく庶民文化に親しんだのが平仮名という傾向がある。女性が平仮名を多用したことから、女性文字と言わることもある。三島由紀夫著の「文章読本」でも「枕草子」「源氏物語」など、日本文学の源流が女流文学であると述べていたのを思い出す。中世から女性がすぐれた文学を生み出した民族も珍しいだろう。しかし、こうした女流文学が生まれたのは14世紀までだったという。この頃に、女性軽視の社会的意識が生まれたのだろうか?鎌倉、室町時代には、平仮名が男性社会にも普及する。こうした文字が普及した社会とは、何を意味するのだろうか?文字の普及とはその実用性と関係がある。文書が増えれば文章にも品がなくなる。こうして日本語は口語調に変化してきた。インターネット時代では、気軽に記事が公開できる分、言葉も荒れる。現在では、翻訳語の勢力も強い。おいらは翻訳語に犯されて、本筋の日本語を使いこなせない。識字率の高さは、文書を前提とした政治体制をつくる。これは世界の中でも特異な国家だという。政治家が自己主張するのに文書を棒読みする癖は文字社会の伝統かもしれない。行政も文書主義を厳格に実施し、口頭でものが動かない社会となる。ただ、共通認識を明文化できるという長所もある。日本人が語学を勉強する時、文法主義に陥るのも、こうした伝統があるからかもしれない。言葉を知らないと馬鹿にされるが、言葉の持つ意味を本質的に理解しているかは疑わしい。そもそも、全てを言葉で表現できると信じることに限界があるだろう。

2. 商業と金融
和同開珎が鋳造されたのが8世紀始め。当時は、貨幣というより一種の呪術的な意味をもっていたようだ。まだ、社会が貨幣を必要としていない。13世紀の後半から14世紀にかけて貨幣の流通が本格的に始まる。拝金主義もこの頃生まれたという。注目すべきは、流通した銭が、中国の宋銭、元銭、明銭だったという。当時の日本には、銅の産出も活発で鋳造技術もあった。にも関わらず支配者は銭を造ろうとはしなかった。後醍醐天皇が銭を造ろうとしたぐらいで、王朝も幕府もそういう発想を持たなかった。本書は、中世日本が市場社会を受け入れられない体質があったという。物々交換は贈与互酬の関係になり、人のつながりを深く結びつけ、特定の人間同士でしか交流しない。しかし、市場原理は無縁の人間の交流があって盛んになる。物と人も世俗の縁から切れて無縁となる。そう言えば、金融の場で利息という発想も不思議である。金融の起源を遡ると「出挙」に帰着する。出挙は稲作と結びついており、最初に獲れた初穂は神に捧げられ、神聖な蔵に貯蔵される。そして翌年、神聖な種籾として農民に貸し出される。収穫期が来ると、借りた種籾に若干の神へのお礼を付けて蔵に戻す。これが利息の始まりだという。金融行為そのものが神聖なものだったのである。こうした金融行為がしだいに、現代の感覚でも理解できる世俗的な性格を持ち始めたのが14世紀頃だという。

3. 鎌倉新仏教と非人
この時代に鎌倉新仏教という新しい宗派が登場する。本書は、海外でキリスト教が果たした役割を鎌倉新仏教が果たしたのではないかと考察している。贈与互酬を基本とする社会で、神仏との特異なつながりをもつ場、無縁の場を提供したのが鎌倉新仏教であるという。寺社の修造のための寄付金集めが神聖的に行われたのは想像がつく。鎌倉新仏教系の寺院が、祠堂銭を元に金融活動を行い、それで寺院を運営していた。しかし、16世紀に入るとキリスト教を含む新興宗教は大弾圧される。織田信長、豊臣秀吉、江戸幕府によって、宗教は独自の力を持つことができなかった。日本の支配者は、政治に対する宗教の影響の恐ろしさを認識していた。こうした宗教弾圧は、差別意識にも影響を与えたという。非人とは、なんらかの理由で平民の共同体の中に住めなくなった人である。そこには障害や病を持つ者、身寄りの無い者など、広義では犯罪人で放免になった者や川原者も含む。「身分外の身分」という位置付けが一般的なようだ。しかし、本書は職能民の面をもっていると語る。ただ、この主張は学界では市民権を得ていないらしい。なんとなく著者の愚痴が聞こえてきそうである。仕事は、葬送、処刑、罪を犯した人の住居の破却などで、「穢れから清める」という意味がある。よって、穢れを清める力をもっている神聖な側面もあるという。彼らは乞食になったりする。乞食は仏教では世を捨てた人の修行の一つで、乞食に物を施すことは、仏に対する功徳であると考える。乞食は仏の化身でもある。彼らには、職能から神仏に直属するという誇りもあったという。しかし、13世紀後半の文献「天狗草紙」では、非人を「穢多」という言葉で表し、明らかな差別語を用いる動きが現れた。この時代に、穢れに対する差別と、非人への救済という思想のぶつかり合いが始まった様がうかがえる。この頃、遊女も非人と同じ扱いを受けるようになる。浄土宗や一向宗、時宗にせよ、日蓮宗にせよ、また禅宗や律宗にせよ、いわゆる鎌倉新仏教は、悪人、非人、女性、穢れの問題に、正面から取り組もうとした。しかし、世俗の権力によって徹底的に弾圧される。そして、日本社会では、被差別部落、ヤクザ、遊女、博奕打に対する差別が定着していくことになると考察している。

4. 女性の身分
宣教師ルイス・フロイスが残したものにこんなものがあるらしい。
「日本の女性は処女を重んじない。夫婦の財産は別で時には妻が夫に高利で貸し付ける。離婚も不名誉ではなく再婚に支障を来たさない。夫に断らないで何日でも自由に外出できる。」
これには著者も驚いたようだ。日本の女性に対する偏見ではないのか?中世ヨーロッパの女性の地位が非常に低いことに比べれば、日本の女性は比較的強い立場に写ったというのが本当のところではないだろうか。しかし、本書はもう少し突っ込んだ考察を進める。明治維新頃の離婚率の高さから、江戸時代の離婚率の高さを推測できるという。幕府の法制から、離婚権は夫側にあったというのも実態とは違う可能性を指摘する。というのも、日本は極度に建前を気にする社会だからである。本書は、女性の貞操観はかなり後に確立されたのではないかと推測している。女性の識字率の高さから見ても教育レベルの高さが想像できる。「三くだり半」という言葉は、伝統的に使われた可能性もあるだろう。案外フリーセックスの時代だったのかもしれない。鎌倉時代では、御家人の名主に女性がなっている例も多いという。通説では女性がかなり虐げられていたことになっているが、女流文学が高度に発展していることとは、少々矛盾を感じる。著者は、こうした通説にはまだまだ研究の余地が残されていると述べている。日野富子は将軍の奥方でありながら、大名たちに多額の金を貸し、財を蓄積したと非難される。これも氷山の一角であり、彼女だけを悪女にするわけにはいかないだろうと語る。しかし、14世紀頃から女性の地位も失墜していったという。

5. 日本と天皇
天皇の称号が定着したのは推古天皇からと言われていたが、最近では律令の規定により持統天皇からというのが古代史家の間でも通説のようだ。日本という国名も、遣唐使の時から使われているようで、ほぼ同じ時期に確立したと思われる。ということは、聖徳太子は日本人じゃないのか?「日本」とは王朝でも地名でもない。「ひのもと」は中国からみて日の出の方向で、中国を意識した名称である。律令制が天命思想を前提としているのに対して、日本では独特の解釈がなされたという。天皇には、律令制の皇帝としての存在と神聖な王としての存在がある。家元制度や職能別の世襲制が固まっていき、その頂点に天皇家という世襲制がある。南北朝動乱時、天皇が権力を失いながらも、なぜ生き延びたのか?天皇家が一つの王朝であるならば、滅亡すれば別の王朝が誕生するだけのことである。日本には、無理やり天皇家を存続させて、権力だけ持ち回りしてきた歴史がある。神になろうとした織田信長がもう少し長生きしていたら、天皇家は滅ぼされていたかもしれない。この権力と象徴という二重構造が日本の歴史を複雑なものにしているように思える。歴史的にも、南北朝のどちらが本流かという議論がなされてきた。そこには政治支配者の思惑も絡む。万世一系というのも疑わしい。徳川家康だって源氏を名乗った。系譜をめぐった論争は、皇室への冒涜と批難され抹殺された歴史家も多いことだろう。

6. 百姓は農民?
封建社会では農業が生産の中心で百姓は農民である。これは日本人の社会観であろう。これは仕方がないことで、学校の教科書がそのように表現している。ある統計情報では秋田藩の人口は76.4%が農民である。しかし、別の資料では百姓が76.4%となっているものを紹介してくれる。他は武士と町人となっているから、ほとんど生産は農業だけということになる。しかし、実際の百姓は、農業はもちろん、製塩、製炭、山林、鉱山、廻船、金融など様々な産業が含まれる。歴史教科書には、水呑百姓は田畑が持てない貧乏な農民と記している。しかし、これは田畑が持てないのではなく、持つ必要のない百姓ということらしい。むしろ比較的豊かで別の産業を営んでいた石高のない人々である。しかも非農業民は少数派ではない。おもしろいことに、「百姓」という言葉はマスメディアの世界では差別語であり、記事には使えないそうだ。中国や韓国では百姓を普通の人と訳すらしい。確かに文字からして農民とする方がおかしい。租税制度そのものが水田を基盤にしているというのも誤解を招く。制度上の用語も農業主義的なものが多い。本書は、田畑を中心とした見方は、歴史を捻じ曲げると指摘する。おいらの認識も年貢というと米しか思いつかない。こうした教育が、土地に対する思い入れの強い民族に仕立てられるのかもしれない。ちなみに、おいらの国語辞典には百姓は農民。おまけに田舎の蔑称とも書いている。もはや国語辞典も信用できないのか?

本書を読み終わって、現在においても日本人が農業を軽視する傾向にあるのは、この時代に源流があるのではないかと思ってしまう。現在の食料自給自足率を極端に下げる傾向は、この時代からの名残とも言えなくもない。また、日本人が宗教への意識が低いのも、その源流が過去の大規模な宗教弾圧にあるのかもしれない。この時代は、銭貨の流通も活発になり、金融業も活発化し、信用経済が芽を出す。土木建築に資本が動き、資本主義的にもなりつつある。大規模な飢饉が起き始めたのも13世紀頃。ずっと昔にも小規模な飢饉が起きているが、この時代から大規模化していると指摘する。これも非農業化にともなう現象と捉えている。課税も土地に対する租税だけでなく、商工業者に対する課税も始まり税収も多様化する。こうした流れは、明治維新で台頭してきた、薩摩、長州、土佐、肥前など海上貿易の盛んだった藩へと受け継がれる。封建社会とは、領主による農民の支配が、基本構造であることを学校で教えられた。しかし、産業が多様化している中で、百姓、つまり一般の人々が、それほど隷属的に従うだろうか?百姓は、多様な社会を築き高度な知恵を持っていたことが想像できる。などなど、通説とは違った歴史が概観できるところがおもしろい。

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