昨年のエイプリルフールでは「ご冗談でしょう、ファインマンさん」を読んだ。その時は、アル中ハイマー&オッペンハイマーで盛り上がり、ノーベル賞物理学者に女性を口説く基本法則を伝授してもらった。今年もファインマンさんでいこう。本書は、「ご冗談でしょう!」に続くエッセイの続編である。相変わらずの哲学者ぶりに、日々の出来事が馬鹿馬鹿しくなる。著者は、ロスアラモスで原爆の仕事に携わった人に多いという腎臓周辺組織の癌と闘い、何度も手術を重ねた。本書は、その度に復帰した中での物語である。にも関わらず、悲壮感など微塵も感じさせず、人生を謳歌している様子がうかがえる。自称「積極的無責任者」と語るが、そこには照れ隠しが見える。これがファインマン流哲学であろう。権威のあるお偉いさんにはあまり見られない行動ぶりに、おもしろく読みいってしまう。
著者は、最後に、科学の価値とは?全身全霊を打ち込んできた科学とは?その疑問への答えを導こうとする。原爆作りに携わった人間として、間違った使い方をされた科学の恐ろしさを告白する。その中で、進歩を重ねるためには、自分の無知を悟り、疑問の余地を残すことが重要であると語る。少々意外であるが仏教の言葉も飛び出す。
「人はみな極楽の門を開く鍵を与えられているが、その同じ鍵は地獄の門をも開く」
社会貢献という言葉をよく耳にする。科学者は社会に及ぼす影響を考えるべきだと説教する人々がいる。科学は人間の知的欲求から成り立つ。科学の発展は新しい世界観をつくる。それをどういう世界観にするかは人間次第である。そもそも社会の役割とは何か?社会は人間のエゴのために存在するのか?生物の存在すらほんの一瞬の宇宙現象に過ぎないのかもしれない。もし、人類に宇宙を解明をする使命があるならば、まだまだ人類は存続し続けなければならない。
今宵のブランデーは濃厚なマイルド感を醸し出す。気持ち良く千鳥足で章立てて見よう。
1. 生い立ち
著者は、ユダヤ系の家庭で育った。父親の教えに次のようなものがある。
「権威なんぞというものには頭を下げてはならない。どんな立派な人間が発言しようとも、それが理にかなうかどうかを自問することだ。」
父親から科学することを学び、母親から人間の精神の到達できる形は笑いと人間愛であることを学んだと語る。少年期は、大人の教える奇跡が許せなかったようだ。サンタクロースが一夜のうちに一人残らずプレゼントを配るという奇跡はまだ可愛い話である。しかし、モーゼが杖を投げると、これが蛇になってニョロニョロと這い出すなんぞは許せないと力説する。ラビの教説は最たるもので、ユダヤ教会の日曜学校では子供達にいろんな奇跡を話して聞かせる。異端審問でユダヤ人が拷問にあって苦しんだ話では、ルツという特定人物を持ち出す。ルツの話は、実は作り話であったことを知ると、以来宗教というものが信じられなくなったと語る。
2. 夫人の不治の病
夫人の家系で唯一許せない習慣があるという。それは、善意から出た嘘ならいくらついても構わないというものだ。著者は言う、こっちがどう思っていようが、どうでもいいことではないのか。この点は、意見が一致し、互いに嘘をつかないと誓いあう。婚約したばかりの彼女が不治の病であることを、本人に告げるかどうかをめぐって家族会議で苦悩する。著者は嘘をつくべきではないと譲らない。説得されて一旦は隠し通すが、彼女に見抜かれてしまう。彼女は、誓いを破ったにも関わらず、家族に追い詰められたことを気遣う。そして一層の絆を築き結婚する。ロスアラモス時代、入院中の夫人との冗談のやりとり、検閲を遊びに使った手紙のやりとり、むしろ夫人の方が冗談は巧みだったようだ。夫人が重病人であるにもかかわらず、そこには悲壮感がない。しかし、読んでいるとそれがむしろ悲壮感として伝わる。夫人は、著者の定義できないというだけで信じないという主張に、美的バランスを教える。美には決して定義できないにも関わらず、ある定まった何かがあることを。著者は美術にも興味を持つようになる。そして、いよいよ最期を迎える。
3. 名前を覚えるのが苦手
ロスアラモス時代の旧友からハーマンという人物が亡くなったことを知らされる。どうやら友人らしいが思い出せない。適当に話を合わせ、葬式で棺を覗けばわかるだろうと高を括る。しかし、見てもお目にかかったことすらない。とうとう我慢できずに旧友にハーマンって誰?って聞く。話によると、旧友とハーマンが親友で、旧友と著者が親友で、ハーマンと著者はロスアラモスに居た時期が入れ違いで、旧友が知り合いだと勘違いしたというオチである。おいらは10年くらい前の出来事を思い出す。川崎駅で高校時代の知人に偶然会った。名前が思い出せない。話しているうちに、とうとう我慢できなくなって、名前を聞く。もう少し我慢すれば、卒業アルバムで確認できたのに。おいらは正直ものである。また、仇名は覚えていても本名を覚えていないことが多い。アル中ハイマーは、人の名前を覚えることが大の苦手である。ただ、クラブ活動で横に座ったホットな女性の名前を覚えるのは天才的である。
4. 時間の意識
人間は、ある程度同じ速度で数を数えることができるという。では、その速度は何で決まるのか?心臓の鼓動か?著者は階段を駆け回り実験する。同僚からは大笑いされる。熱運動法則に従って、体温が高いと数える速度も変わるという仮説も実験する。著者の結論はこうだ。ものを読みながらでも数えられる。喋りながらは数えられない。だが、それも間違っていた。喋りながらでも数えられる同僚がいた。そいつは読みながらは数えられなかった。つまり、数え方が違う。著者は頭の中で数を唱える。同僚は、数の書いてあるテープが回っているのを頭の中に思い浮かべる。著者は唱えてるから、喋りながら数えられない。同僚はテープを見ながら数えているから、読みながら数えることができない。数える速度を変化させるものは、数える作業を中断させるような、脳が他のことを考える場合に起きる。んー!当り前のような気がするが、天才は当たり前と決めつけずに実証するところが偉大である。数を数えながら、できることとできないことを分析すれば、その人の脳の働きが分析できるのは確かだろう。
5. 教科書「ファインマン物理学I」
教科書の一節。これはメモらずにはいられない。
女性が運転する自動車が白バイに捕まった。
警官曰く「奥さんは時速60マイルで走っていましたね。」
女性曰く「そんなはずはありませんわよ。まだ7分しか走ってませんもの。1時間も走ってませんから。」
警官曰く「いや、あなたがこのまま走りつづけたら、1時間で60マイル行くだろうということです。」
女性曰く「私はアクセルを踏んでいませんでした。ですから60マイルも行くはずがありません。」
この話は、女性蔑視だ!という抗議デモに発展したという。わざわざドライバーを女性にすることはないだろうと言うのだ。もちろん著者は反論する。
「女性が警官をへこましたんですよ!警官の方が馬鹿に見えるのは気にならないんですか?」
すると抗議している一人の女性が叫ぶ。
「警官なんてみんな馬鹿に決まってるじゃないの。あの連中はみんなとんまな豚野郎なんだから」
著者もやり返す。
「やっぱり気にされた方がいいですよ。ああ!言い忘れましたが、その警官、実は女性なんですよ。」
6. チャレンジャー号爆発事故調査委員会
著者は、チャレンジャー号爆発事故調査委員会のメンバーである。その会議のお粗末さを暴露する。公開会議では、NASAのお歴々が一般的なシャトルの説明をする。メンバーは自然科学の学位を持った優れた連中なので、発表者が答えられないような突っ込んだ質問をする。すると、委員長のロジャース氏は「後ほど詳しい情報を提供します」と決り文句を繰り返す。著者は、期待どおりに独自行動を取る。ジョンソン基地に行くことや、技術者を集めるなどの手配をすると、ロジャース氏はメンバーが秩序正しく行動しなければならないと反対する。彼が手配したケネディ宇宙センターの見学にしても、視察と称したどこぞの議員一行様のようである。口論が続く中、話題を変えて「ファインマン先生は滞在しているホテルがお気にいらないようで、別のホテルを手配しましょう」という始末。偉人の愚痴も庶民のレベルとあまり変わらないようだ。
シャトルの問題は、技術的問題以外に運営の問題も明るみになる。通常より打ち上げ時の気温が低すぎると知りながら、わざわざリスクを犯したのはなぜか?噂では、その夜レーガン大統領の年頭教書演説がある予定だった。演説中、搭乗していた女性教師と宇宙から会話する筋書きになっていた。現場の技師たちが危険性に警告を発しているのに、管理職が安全基準を甘くし、問題が発生しても原因究明すらしない。ただ、技術屋は専門的な問題を話し合うのが好きな人が多い。著者の感心なところは、技術調査で最も味方につけなければならないのは、現場の技術者であることを見抜いていることである。NASAの高官連中は金を倹約するためにテスト回数を減らしたいと考えている。調査報告書に至っては、改ざんされた上に骨抜きにされる。委員会のメンバーが、自らの報告書を持ち寄って意見交換するような会議をしない。国家レベルの委員会ですら、所詮そんなものらしい。要は、政府を批判にさらしたくないという陰謀に過ぎない。著者の報告書は付録で決着する。真実を語ろうとすることと、政治家の面子は、互いに反発しあうようだ。地位の高い連中は、部下の抱えている問題は見知らぬふりをする。しかし、著者は、実は本当に知らないまぬけな連中かもしれないと語る。
7. NASAの実態
戦争中、ロスアラモスでは皆が一丸となって原爆を作ることに努力した。一人がうまくいかない問題を抱えれば、その困った人を皆で知恵を持ち寄って解決しようとする。著者は、そうした感覚は初期のNASAでもあったのではないかと推察している。人類を月に送り込もうと途方もない夢を描いた時代、同様に緊張感、切迫感があったにちがいない。ところが、大きな目標が完了するとNASAはいつのまにか大所帯に膨れ上がっていた。これだけの人材を突然解雇するわけにはいかない。常に予算を取り続けるために議会を説得する必要がある。シャトルは経済的で何度でも飛ばせる。安全であると誇張する。一方で技師たちは、そんなに何回も飛べるわけがないと叫んでいた。飛ばし続けるためには、管理職がそうした声を封印しなければならない。そして、硬直した大官僚組織の出来上がりというわけか。著者は、少なくともNASAで働く優秀な連中は、自分が何をすべきかを十分熟知していることを感じ取ったと述べている。彼らをいち早く軌道に戻すためにも、NASA組織の正常化は急務であると主張する。
x. 中洲追突事故調査委員会(おまけ)
本項は、本書とはなーんも関係がない。アル中ハイマーは中洲のとあるバーでスコッチを飲んでいた。すると、隅の方で数人の刑事と思われる連中が愚痴をこぼしていた。聞き耳を立てていると、どうやら事件の話をしているようだ。その一人が、すっかり酔っ払って近づいてきた。一杯おごるから捜査に協力しろという。その中でボスと思われる人間が、荒っぽい剣幕で捲くし立てることからアラケンと呼ばれていた。彼が言うには、事件は単なる追突事故でつまらないものらしい。凄腕の刑事からするとやりきれないようだ。被害者とされる人物は大勝(オオカツ)とかいう当たり屋で、その道では有名で胡散臭い。その相棒が雑餉に潜伏しているのは確かで、闇崎(ヤミザキ)とかいう人物である。彼は韓国人女性と一緒のところを一度パクられたが、藤西(トウサイ)という人物の手引きで脱走したらしい。とりあえず犯人と目される指名手配中の人物の写真を見せてもらった。その名は司馬懿(シバイ)といい三角関係を好む。まあ、三国志も国の三角関係であるのだが。1年前の情報では、アレックスとかいう外国人に変装して博多湾の埋立地方面に潜伏中という話だ。その姿といったら、上半身は白いYシャツに黒いネクタイ、下半身はパンティーに裸足で黒い革靴、黒いソフト帽をかぶり、得意技はメキシカンダンスを踊るという。おいらはある店で見かけたと証言した。その店に案内すると、なんと大勝氏と闇崎氏が二人揃って内股で歩いていた。おいらは、てっきり自動車事故だと思っていたが、接触したのは生身の体だったようだ。状況証拠からして、当たり屋が当たりにいったら、逆にやられたというのが真相である。こんな事件の担当ではアラケンが愚痴りたくなるのもわかる。犯人は間違いなく司馬懿氏だろう。しかし、行方不明。ここまで追い詰めながら迷宮入りか?本日2008年4月1日をもって時効を迎える。尚、登場人物は96%実名である。捜査員たちは締めにスピリタスを飲み干していた。
2008-04-01
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