2008-08-03

"笹まくら" 丸谷才一 著

連続して素晴らしい文学作品に出会えて幸せである。最近、アマゾンのお薦めは精度が悪いような気がする。本を選ぶには、やはり立ち読みしてみるのが一番である。
本書は、素晴らしい趣向(酒肴)を見せてくれる。それは、現在と過去を自在に往来する文章構成である。文体の区切れもなく、何の前触れもなく、いつのまにか過去へ、いつのまにか現在へと。今宵は時空の移動を感じる純米酒がピッタリだ。

アル中ハイマーには文学センスが全くない。高校時代、国語や古典では学年で最下位を争っていた。試験問題では、作者が何を意図しているか?などと問われても、「知らんがね!」という態度を取っていた。そんなことよりも、読者の感覚を自由にしてもらいたいと願っていた。以来、文学作品は大嫌いになり、近寄りもしなくなった。親しい同級生には、「お前は国語が苦手なのではなく、試験問題に素直になれないだけだ。」と言われたものだ。この友人は、理系に進んでいるのになぜか数学が苦手だったが、文学の才能は抜群だった。数学に対する発想力もおもしろく、考えをヒントにさせてもらったことも多い。その奇抜な発想のために、混乱を招くことも多く、自ら蟻地獄に嵌りこんでいた。しかし、こういう人間こそ真の理系向きなのかもしれない。彼の最大の武器は根気強さである。これは、研究には欠かせない気質であり、羨ましく思う。おいらは、「お前は数学が苦手なのではなく、試験問題を解く効率が悪過ぎるだけだ。」と言い返したものだ。互いに、三角形の面積の解き方を何種類言えるかといった遊びで競ったりもした。幾何学的手法から、ベクトル解析、微分積分と、あらゆる方法で何十種類もでっち上げ、意地の張り合いをしたのが懐かしく思い出される。本書を読んでいると、なぜかそんな昔のことを思い出してしまう。それも、時代を自在に往来する時空の旅を見せてくれるからであろう。

「笹まくら」という題目は、鎌倉時代の歌から取ったものらしい。著者は、旅寝をしている時、かさかさする音が不安感に襲われると表している。時代は太平洋戦争。主人公は徴兵忌避者で国家から逃亡し、戦後まで生き延びる。そこには、やりきれない孤独や絶望を描いたアウトサイダーの物語がある。主人公は、戦後、問題にならなかった徴兵忌避が次第に噂され、勤務先で息苦しくなる。他人の生活を覗き込むような社会は、別の意味での軍隊生活。息苦しい戦後生活が逃亡生活と重なる。戦時中も戦後もたいして変わらないという意識を訴えているかのようである。おそらく著者は、日中戦争から太平洋戦争へと動く世論に反対の立場をとったのだろう。そう思わせる節がところどころにちりばめられている。著者は、自分自身と徴兵忌避者を重ね合わせる。著者自身が入隊し、戦地に送りこまれる前に終戦したという。
本書の注目すべきは、文章構成である。それは、戦時中と戦後を何度も自在に往来する。まさしく酔っ払いが、気分良く時空を散歩するかのごとく。本名と偽名の往来。戦時中に助けてくれた女性と、戦後の妻との対比。軍隊からの逃亡と、居場所のない戦後社会の対比。過去と現在の心の違いを放浪するテクニシャン振りは感動ものである。文学の世界には、このような技法があるのかと驚嘆させられる。だが、よく考えるとアル中ハイマーのてんでばらばらで時系列などない文章構成にも似ている。芸術と酔っ払いの領域は、隣り合わせの時空に存在するようだ。

1. 徴兵忌避者
物語は、逃亡生活を助けてくれた女性の死の知らせから始まる。主人公は社会復帰し大学職員として平凡に暮らし、既に戦後20年が過ぎていた。女性の死の知らせが主人公を戦時中へと連れ戻す。主人公は徴兵忌避者となり、家族にも友人にも知らせずに逃亡生活に入る。ラジオや時計の修理をしたり、砂絵師となって各地を転々とする。徴兵を忌避した理由は、自分が死ぬのが怖かったわけではない。人を殺すのが嫌だったと語る。戦争というものが生まれつき嫌いだったのだ。だが、家族や親類にも非国民の汚名が着せられる。逃亡中、母親の自殺。父親も早く参ってしまう。弟は憲兵に追いまわされ殴られ、結核で死ぬ。主人公は自らを責める。人殺しをしたくないと行動した結果、別の人を死なせてしまったという矛盾にやるせなさを感じる。徴兵制度は軍国体制の基礎で、それに逆らえば銃殺か危険な戦地に送られる。いずれにせよ死を運命づけられていた。戦後まで国全体を敵に回しながら逃げ通したのは奇跡である。皆の顔が、徴兵忌避者のせいで負けたと恨んでいるように見える。徴兵忌避者が勝利するとしたら戦争に敗れることしかない。にも関わらず喜べない。空虚な心。実は、生き残る可能性など信じていなかったことに気づく。笹の葉は、風が吹くにつれて、様々な色に微妙に変り、元の色に戻る。偽名で生きた人間は本名へ戻る。だが、本名に戻ることを恐れる。主人公は戦争が終わった後をどう生きるか考えていなかった。徴兵忌避者のせいか、社会を信じることもなく、異常な警戒感を持つ性格となっていた。一緒に逃げ回った質屋の娘の死。最後の一年間養ってくれた。もし、彼女がいなければ自首していたかもしれない。だが、ここで疑問が残る。なぜ、この女性と分かれたのか?国に逆らうことへ情熱を燃やしてきたが、戦争が終わった途端、二人の関係も終わる。過去を引きずることを嫌ったのか?少なくとも逃亡中には、その娘との小さな幸せがあった。小さな幸せを取り戻したいとでも思っているのか?現在に絶望し、過去を懐かしんでいる様が描かれる。

2. 戦後の光景
日本もここまで国力が充実した以上、そろそろ大国らしく原水爆を持って国民の誇りを高めるべきだという大新聞の論調が飛び出す。主人公は、意見そのものは酔っ払いの論旨であるとはねつける。戦後20年も経って、問題にされなかった徴兵忌避を、世間が急に咎めようという風潮が現れる。職場でも徴兵忌避者や卑劣漢と陰口されるようになる。そこに戦争反対派の学生が近づいてくる。彼らは赤新聞的で、右翼ジャーナリストの撲滅を訴える。ベトナム介入反対で徴兵忌避したアメリカ青年と共にアメリカ帝国主義に抵抗するように持ちかけられ、学生新聞の編集に加担させようとする。この時代、日本人の生活が贅沢になり、西洋と対等だと思うようになり、もう一度戦争をして、国威を発揚しようという思想が現れた様が語られる。それも、オリンピックみたいな気分で、日本全体の雰囲気が、主人公にとって不快なものとなっていた。しかし、昔、あれだけ世間に逆らったのに、いつのまにか世間の動向に助けられながら生きている自分に、空虚な気分でいる。

3. 戦時中の光景
逃亡中、炭鉱からの誘いもある。石炭会社は、犯罪者や徴兵忌避者を多く雇う。憲兵に渡したところで何の利益にもならない。弱みを持った労働者は歓迎できる。逃亡者も引け目を感じる。朝鮮人より待遇もいいし、祖国のために働こうと胡散臭く持ちかけられる。犯罪者が炭鉱で働くのも、誰にも見られぬ所へ逃れたいという深層心理が働くのだろうか?光を避けるように、暗い所を求めるのだろうか?主人公は、徴兵忌避した理由を追い求める。アメリカ相手の戦争の意味とはなんだったのか?単なる意地か?アジア諸国の独立と称して大東亜戦争と叫び、戦争を擁護する人も多い。民族の自由を掲げ、戦争を正当化した論調はどこにでもある。主人公は戦時中孤立していた。そして、今も徴兵忌避の過去から孤立している。この光景は、戦後の近代社会が人々を孤立させている現象を暗喩しているかのようにも見える。いろんな理由付けを探しても、結局、軍隊が嫌いだったという理由に帰着するのではないかという疑惑。軍隊の習慣である往復ビンタが嫌だった。人間はあらゆるものへの反抗を正当化するために理屈づけをする。ほとんどの反抗的行為が、単純な気分によるところが多い。アル中ハイマーが仕事を拒否する理由も、単に面倒だからである。

4. 青年たちの議論
二・二六事件については、天皇親政に帰るための方法として仕方が無かったという論調が登場する。そもそも、天皇親政などという時代は、大昔から日本史にはないではないかと議論が始まる。少なくともエリートたちに、天皇陛下が日本を治めるなんて信じる者はいない。百姓の息子を戦死させるために都合良くした教えに過ぎない。一人の学生は、天皇信仰は無知な大衆向けの国家論だと主張する。国家の目的とは何か?その目的は、戦争以外にはないんじゃないか。国民の幸福や、文化の発達は見せ掛けの目的ではないのか。スパルタは戦争愛好国で、アテネは文化愛好国というのは間違いで、どちらも戦争が目的の国ではないか。偶然にも文化が生まれただけのことで、文化国なんてものは存在しないんじゃないか。といった議論が展開される。明治維新以来、戦争ばかりやっているから、こうした議論も自然に見える。国家とは資本家のものか?政府は浪費ばかりしている。資本家は利潤のために浪費を願う。ここで、主人公は、国家とは無目的なものだと発言する。国家は、内的な緊張、党派の争い、階級の争いが起こりやすい。したがって、外的緊張が必要である。戦争が起こりそうだからといって挙国一致内閣を作るのではなく、挙国一致内閣をつくるために戦争を起こすのだと語る。そして、徴兵忌避の方法を論じる。銃が撃てないように、右手の人差し指を切り落とすとか、気違いを真似るとか、病気を装うとか、そして、アル中になるのもよいだろう。

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