2008-11-09

"武装解除" 伊勢崎賢治 著

本屋を散歩していると、ある言葉に目が留まった。「職業: 紛争屋」アル中ハイマーはこの宣伝文句にいちころである。著者は、アフリカのシエラレオネという最貧困国とも言うべき国で国連NGOとして活動し、東ティモールでは県知事を務め、アフガニスタンでは日本のODAに参加した経験を持つ。紛争を目の当たりにした立場からの論議は、視野の狭いアル中ハイマーに新たな角度を与えてくれる。人類の歴史には、平和主義者が戦争を呼び込んできた例が多い。また、本当の意味での平和を願っているのは軍人であると主張する偉大な軍略家も少なくない。実際に軍事の現場を見た人間でないと、真の平和論は語れないのかもしれない。人間社会はおもしろいもので、経済学者が経済危機を引き起こし、政治家が悪しき政治を招き、道徳家が道徳を乱すといった現象がある。

ここで言う「紛争屋」とは、国連が乗り出す紛争処理を渡り歩いている連中のことである。世界で紛争が起こると国連安保理が乗り出し、PKOなどの国連ミッションが生まれる。紛争処理の現場はものすごい速さで動くため、多くの人が招集され各国代表も殺気立つ。紛争国に権益がある国にとっては、ここで政治力を発揮できないと外交力のない国と見なされる。こうした短期決戦の場では、幹部ポストの人間は自分の息のかかった人物を集める。これは縁故主義ではあるが、人間関係を新たに構築する暇はない。したがって、紛争処理の現場では顔見知りの人間と出会う機会が多くなるという。

本書は、平和を支える治安装置の意義に、日本のメディアは嗅覚が麻痺していると語る。国際援助では、留置場、刑務所などの体制系インフラは、小学校や病院などの癒し系インフラに比べ、興味を引きにくい。メディアが好む映像もその傾向にあり、日本の論調もその流れに乗る。統一国家が形成される中でもっとも重要なのは治安である。本書は、小学校よりも刑務所の方が大事だということを、日本国民も認識すべきだと訴える。海外の軍事行動を監視するのは官ではなく民であって、民意を創るジャナーリズムが有効である場合が多いという。ジャーナリズムの眼が愚かな政治判断の抑止にもなる。しかし、日本のジャーナリズムは大本営化していると嘆いている。各社が大挙して護送船団のように押しかけ同質の報道を続ける。イラクにおいても、自衛隊の広報が流した情報をあたかも自ら取材したかのように流す。戦場報道に限らず政治報道においても、その癒着体質は報道内容からも見てとれる。

本書は、日本政府の援助は政治的な条件をつけることを知らないと嘆く。それを内政干渉と見なし避けてきた伝統がある。しかし、平和を願って出される血税の使い道を監視するのは当り前である。軍事行動に独自判断を許すわけにはいかない。そこで、軍隊には最良のパートナーが必要となる。平和目的の軍隊はシビリアンコントロールが原則である。自衛隊の海外派兵が、どこの国策にも影響されない中立なパートナーによってコントロールされることが望ましい。国連は完全に機能していないにしても、米国よりは公正に思える。平和への理念は、政治や外交を超越した世界であり、各国の利害関係を優先するものではない。しかし、各国は一つの外交手段として権益を主張する。そもそも、そんなに貧しい国に、カラシニコフが大量に出回るとはどういうことか?巨大な武器生産国が、国連の常任理事国を占めているのも、紛争屋にはやるせないだろう。今日、一国の内戦という事態を、国際社会が見過ごすことはない。国際社会は民主主義の構築を求める。そのために莫大な予算が飛び交う。たとえ民主主義が自然発生的に起こらなくても、非民主的だという理由で、その手段が侵略であっても、無理やりにでも誘導する。そして、紛争屋も繁盛する。

本書は、自衛隊の平和利用のための具体的な方法も提起している。軍事力を持つ自衛隊の存在に、憲法との矛盾を感じている人も多いだろう。日本には、憲法に関する根本の議論を避けてきた経緯がある。ここを避けて自衛隊の海外派兵を既成事実化する。安全な場所への派兵という言い訳ならば、民間を派遣すればいい。後方支援という言葉も意味をなさない。何よりも気の毒なのが、実際に活動する自衛隊である。本書は、自衛隊の一つの貢献方法として、国際軍事監視団に参加することを提案している。平和憲法を掲げる日本にとってうってつけの役割にも見えるが、あっさり却下されたという。監視団は、武装勢力の中に入って双方の武器使用の監視を行うわけだから、危険地域に入り込むことになる。それも優れた軍事知識がある部隊でないと務まらない。たとえ危険地域に入っても、他国が護衛するのであれば、護衛する側も納得できないだろう。せっかくの派兵も迷惑ということにもなりかねない。また、本書は、憲法はそのままでODA大綱に反映する形で現実性を持たせることができないかと模索する。ただ、その議論にも少々無理があるように思える。読んでいると、著者は改憲論者であるかのように思えるのだが、最後に護憲論者であることを告白している。それも、今の政治議論の元で生まれる改憲案が、現実的なものになるだろうかと疑問を投げかける。むしろ、もっと悪しきものになる恐れがある。少なくとも現状の憲法は、愚かな政治判断のブレーキになっている部分もある。政治家は永田町の論理に長けた政治屋であって、あまりにも社会の論理に疎い。この悲観的意見には、現場で煮え湯を飲まされた人間の気持ちが伝わる。

そう言えば「憲法9条を世界遺産に」といった意見も聞く。おそらく冗談で言っているのだろう。日本国憲法が世界で唯一の平和憲法という主張は、日本は最高の民族であるといった神話と大して変わらない。西洋には、聖書の時代から神との契約条項を策定したきた慣習がある。日本人は、国民と国家権力の間で結ばれる契約条項である憲法をまとめるのが、比較的苦手なのかもしれない。グローバル化が進む中で、ビジネス業界では条文による契約が定着しているものの、日本人の慣習として定着しているとは思えない。それは、契約条項をろくに読まず、保険契約を結んでしまうような行動にも現れる。そもそも、理念を条文によって完璧に制御できるのか?世界に誇れるだけのオリジナル性があるのか?第一次大戦後、国際連盟は「侵略戦争は国際犯罪」とした。その後の、ケロッグ=プリアン条約では、戦争放棄と国際紛争の禁止を明確に規定している。そこで論争となるのが、自衛のための戦争を否定できるかである。アメリカでは自衛戦争は許されるとしたが、日本では未だに決着を見ない。そもそも、「自衛」という言葉が抽象的であって、兵器が革新化すれば「侵略」の概念も異なり世論をいかようにも操作できる。ケロッグ=プリアン条約が戦争を止めることができなかったのは、歴史的事実である。憲法9条はケロッグ=プリアン条約の延長上にあるように思える。
アメリカ合衆国憲法は、あらゆる独裁者の出現を拒むように考慮されている。だが、その論理的弱点を指摘した数学者がいる。これは、暗に条文を完全な論理で表すことはできないことを示しているのではないだろうか?これは、ドキュメントを作成したことがある人なら分かるだろう。規格の策定、組織の規定、契約書、仕様書などあらゆる文書において、人間の思考を完璧に表し尽くしたものなど存在しない。広範にカバーしようとすれば、極めて抽象的なものとなる。抽象的な表現は異なる解釈を生む。あらゆる条文はこのジレンマに陥る。イデオロギーや条文を完璧だと信じると、もはや人間は脳死状態に陥る。人間の生産物である憲法を普遍原理とすることは、人間を神に崇めるのと同じではないのか?思想や条文を生きたものにするためには、常に検証され続けなければならない。現在の政治権力が三権分立によってバランスされていると信じる者は少数派であろう。そうなると、権力の暴走を抑える最後の砦が憲法ということになる。だが、もやは憲法が機能していると信じる者も少ないだろう。憲法で「国民の生命と財産を守る」と謳いながら、拉致被害者を見捨ててきた政府は立派な憲法違反を犯している。にも関わらず、政治犯として裁かれた政治家を知らない。「憲法よ!お前は既に死んでいる!」こうした状況で、どんなに立派な憲法を草案しても、運営理念がなければ意義を無くす。どうせなら自衛隊を完全に国連に委ね、日本政府から独立させるのが手っ取り早い。自衛隊は、憲法にすらその存在を否定されている。自分の職業が憲法違反だと言われたら、酔っ払うしかないではないか。大人たちはこうした矛盾をどう説明するのか?確かに世の中は矛盾で成り立っている。せめて憲法ぐらいは筋を通す努力をしてもいいのではないか。

1. 米国のダブルスタンダード
9.11が人類の悲劇と言われているが、自業自得という冷ややかな目で見ている人も少なくない。その被害者が3000人ほど。しかし、シエラレオネでは、殺人よりも惨いとされる手足を切断された子供達は数千人、内戦で犠牲になったのは5万人から50万人とも言われるらしい。犠牲者の数だけで語るのも不謹慎であるが、なぜ世界的な悲劇と叫ばれるのか?こうした疑問は、犠牲者を目の当たりにするアフリカ人は一般的に持っているという。オサマ・ビン・ラディンを米国の副大統領にすると武装解除されるだろうというブラックジョークまで飛び出す。シエラレオネで、大虐殺の首謀者フォディ・サンコゥを副大統領に祭り上げたのは米国である。おまけに、その郎党に恩赦を与えた。さすがに国連も副大統領にするのは躊躇したらしいが、強い反対をしたわけではない。泥沼化した内戦を収拾させる苦渋の選択ということだろうか?その理屈からすると、米国がオサマ・ビン・ラディンを許し、和解することは可能ということになる。タリバンも同様、米国の傀儡であるカルザイ政権にタリバンを恩赦させ、アフガン選挙にタリバンを一政党として参加させるのは難しいことではないと皮肉る。シエラレオネでは、恩赦を受けた反政府軍のゲリラたちは、日々被害者と同じように暮らすという。家族が殺され手足を切り取った連中が恩赦を受けて、法的にも罪状を問われない。そうした連中を目の前にして被害者はどういう気持ちでいるだろうか?日本には、復讐の連鎖になるから暴力では何も解決できないという風潮がある。日本の社会も捨てたもんじゃない。しかし、被害者は和解を承諾したわけではない。復讐する気力もないほどに絶望を受け入れたのだ。そこには和解という暴力がある。国際世論は、被害者だけに寛容さを求めるべきなのだろうか?この問い掛けには、感情移入させられるものがある。

2. DDR: Disarmament、Demobilization & Reintegration
DDRとは、武装解除、動員解除、復員事業の順に治安回復を行うプロセスである。軍事組織というよりは盗賊集団と言った方がいいかもしれないが、そうした民兵集団にも命令系統はある。動員解除は下っ端の組織から段階的に行うことで上官に最後まで責任を追わせるというやり方が、政治的に有効であるという。そして、動員された貧困層が再動員されないように、復員事業で一般社会へ再統合する。復員事業では職業訓練を行うが、疲弊しきっている国で職業が見つかるはずもない。むしろ貧困層への再統合となるだろう。人を殺しても恩赦され、国際社会が特別な恩恵までくれるとなると残虐行為は繰り返されるだろう。シエラレオネの場合は、前線に繰り出されたのは少年兵だったという。
復員事業は期限を決めて、一般大衆が寛容さを保っている間に集中的に行わなければならないという。首謀者たちの政治的野心は絶えない。蜂起の口実は、一党独裁や政治腐敗を理由にした革命である。これに、一般市民までもが拍手喝采する。その革命が、子供達の手足を切り落とすまでの大虐殺になるとは誰もが予想だにしない。これは、失業問題を解決したヒトラーを一時的に支持した社会と似ている。
民主主義へのプロセスでは、紛争後の初めての選挙をどうやるかが焦点となるという。このあたりはいつも疑問に思うのだが、民主主義と選挙を同列にした偏った思想があるように思える。理念と手段を同列にしてはならない。多数決は民主主義の運営を効率化する手段であって民主主義の本質ではない。民族の歴史を無視して、その国民が有権者としての認識がなくても、無理やり教育して選挙をやる。教育は慣習として根付かなければ効力を失う。民主主義を異なる意見を持つ政治フループの闘争とするならば、それを武器でやるのが紛争である。民主主義とは、過激派が武装解除して政治家になるだけのことかもしれん。武装解除させるためには、平和維持活動する立場からすると、中立性を示さなければならない。反政府ゲリラとも交渉する必要がある。おまけに、武装解除後の報復措置はなし、民主主義国家への政治参加も保証しなければ、武装解除に応じない。なんとも矛盾した立場である。賄賂がまかり通る腐れきった行政、部族や宗教価値でしか政治理念を見出せない政治家のエゴイズム、主権とは名ばかりの無政府状態、こうした状況が内戦へと導く。それでも国連は、この主権を建前にしなければならない。武装解除といっても単なる武器回収ではない。選挙で、元反政府ゲリラが大敗すると、その後の動向を監視する必要がある。当然、停戦合意違反も起こる。ほとんどの場合、ちょっかいを出すのは親政府側なのだそうだ。国連が主権政府寄りだと高をくくって、驕りが目立ちお行儀が悪いという。

3. アフガニスタン
アフガニスタンの歴史は、中央と地方勢力の間で様々に変化する力関係に、隣接国をはじめとする外国の介入もあり常に混乱した状態にある。そこには、ロシアと英国の利権争い、英国が決めたアフガニスタンとパキスタンの国境、イスラム原理主義を含めた反対勢力の弾圧、といったクーデターや権力抗争の歴史が続く。1979年、アフガニスタンの革命を救うという名目でソ連が介入すると、パキスタンやイランに逃れた難民は、ムジャヒディン(聖戦の戦士)となり、ソ連軍から奪回するジハード(聖戦)を誓う。彼らはCIAから援助や訓練を受けて勢力を拡大する。その中にオサマ・ビン・ラディンも加わったとされる。内部紛争の中で新勢力のタリバンも出現する。当初米国はタリバンに好意的であったが、オサマ・ビン・ラディンを匿っていることが明らかになると一転して反タリバンの立場をとる。米英は、タリバン、アルカイダ掃討作戦を決行しカブールを占拠する。著者が足を踏み入れた2002年頃、アフガニスタンの首都カブール周辺では、多くの軍閥が蔓延っていたという。カルザイ大統領は暫定政権の中で軍閥の非軍事化を宣言した。独立で武装する集団は全て違法であるが、カブールから一歩出ると群雄割拠の状態にある。アフガニスタンでの国連ミッションは、DDRの順番がRDDになったという。つまり、武装解除の前に復員事業を行ったというのだ。これは、民族性、政治グループと軍閥間のパワーバランスを考慮したものであるが、著者はこのアプローチは奇妙であると語る。泥沼化した戦争の責任を負っている米国は、作戦の多国籍化を謀る。この構図はイラク戦争と同じである。しかし、国連は米国が始めた戦争だからという理由で、復興の主導権を握らず意識的に影を薄くする。結局タリバンやアルカイダの脅威は米連合軍には任せられず、逆に軍閥が強化されてたという。アフガン社会で自称兵士を募ったら、成人男子の全員が手を挙げかねないお国柄なのだそうだ。ここでの復員事業は、川口順子外相がアフガン訪問の時に、日本主導で行うことになっていたという。復員事業は、日本も戦後で経験しているので、もっとも貢献できる分野であるという乗りで日本政府が手を挙げたらしい。本書は、この日本の主導権獲得は浅はかであると指摘する。日本のマスコミも、Rを先にやれば、DDは自然とついてくるという論調が支配的だったという。だが、現場はDDが完了するまで、復員業務はできないと突っぱねたという。副大統領に解体すべき軍閥の元帥がついていて、率先して武装解除をさせない。こうした政治に疎い軍人が重要ポストについている。そこで、国防省の首脳陣改革が行われない限り、日本の血税はびた一文も使わないと、脅迫に近いロビー活動を行ったという。新国軍建設と国防省建設の責任国は米国である。表面的な人事で頓挫していた国防省改革を、日本のDDR援助を人質にしたことで動き出した様子を語る。この日本のこだわりは、戦後のODAの歴史上初めての直接的な内政干渉だという。この内政干渉で経済的な格差を利用し、著者たちは地元新聞からも叩かれ、テロの標的になることも覚悟したという。外交で物申すことはそれなりにリスクも背負う。日本のODAが国防軍の中立にこだわったとは意外である。

4. 世界初の国連軍事監視団
日本の血税が特定の武装勢力の増強につながれば、日本国民や日本国憲法に対する背信行為となる。日本の支援が中立なものであるかを監査するシステムも必要である。これを著者たちは国連に求めたが、反応が薄かったという。外交交渉で相手のコミットメントを引き出すには、まず「俺がこれをやるから、お前はこれをやれ!」といったような外交カードが必要であるという。しかし、日本は軍事に関しては外交カードがない。日本主導のDDRだけに外務省を通じて自衛隊にこの監視役を依頼したという。だが、外国軍を相手取るより、外務省を相手取る方が難しい交渉なのだそうだ。非武装で武装地域に入るのだから、マスコミからも叩かれるであろうし、そうした反応も想像がつく。本書は、日本の政治家は自衛隊の最も有効な魅力的な役割にも気づかないと嘆く。よって、日本の現役自衛官を国際監視団の顔にするのは諦め、退役自衛官に期待する。そして、地雷処理で実績のあるNGOに委託したという。米国は自らの兵力を温存し民兵組織が貢献していると宣伝し、武装解除をさせない口実を広めたという。彼らに武力供与しているのは米国である。これを米国は否定しているが、著者は監視団長の立場を利用して現場の兵器庫から確認しているという。ここでのネックは米国も一枚岩ではないということだ。戦争プロセスの米国防省と、平和プロセスの米大使館と民政担当の米軍の立場が共存する。そして、武装解除、動員解除が進んでいる一方で、米軍に動員される現実がある。著者たちは、米国軍に特定の軍閥と手を切るように働きかけたという。

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