2008-11-16

"ドキュメント 戦争広告代理店" 高木徹 著

本屋をぶらぶらしていると、なんとなくタイトルに惹かれた。本書は、NHKスペシャルで放送されたドキュメンタリー番組「民族浄化 - ユーゴ・情報戦の内幕」に、番組で紹介しきれなかった記事や、その後の情報を加え、国際紛争の仕組まれたPR戦争の実態を記したものである。この番組は観た覚えがある。その中で紹介される民族浄化のCMには、嫌悪感を抱いたものだ。そこには、血筋を清めるためのレイプなどの残虐行為がある。

民主主義の下で軍事行動を起こすには、正義の旗印を掲げることが絶対条件である。そうでなければ世論を納得させられない。逆に言うと、なんでも正義の口実をでっちあげればいい。本書は、メディア戦略に左右される民主主義の恐ろしさを露呈している。今日では、インターネットなどの高度な情報手段が発達し、あらゆる情報が簡単に入手できるようになった。これは、国際世論を扇動するための政治戦略の道具となる。巧みな情報操作とは、デマを流布すことではない。重大な事実を過小評価させ、些細な事実を誇張することである。これは報道にもよく見られる傾向であり、当人が意識しているかに関わらず、情報が捻じ曲げられる。言論の自由を叫ぶメディアが、自由な言論を迫害する現象もある。その結果、世論に煽られて正義と悪が入れ替わる可能性だってある。民主主義 + 情報化社会には、それを助長する危険性をはらんでいる。優れた情報戦略やPR戦略を具えた組織が、経済活動や軍事活動を有利にさせるのは、民主主義の宿命なのかもしれない。W.リップマンは、その著書「世論」の中で、ジャーナリズムの本質は人間の理性にかかっていると悲観的な結論で締めくくった。現実に、国際紛争や経済活動の中で陰の仕掛人が暗躍しているが、PRのうまい方が勝つというのも幼稚な社会に見える。軍事戦略やマーケッティングのみならず、規格化競争しかり、討論会しかり。世の中が便利になればなるほど人々は横着をし、情報を得るにしても手軽な手段に走りがちになる。それも仕方がないだろう。多くの知識を得る機会が増えて、その恩恵を受ける場合も多い。ただ、それをプロの情報屋がやっては、本質から遠ざかる傾向となる。人類には、時代の流れをものにした者が勝利してきた歴史がある。人間社会では、優れた方が必ず勝利するという原理は機能しないようだ。

ここで扱われる題材は、90年代に起きたボスニア紛争である。紛争後、ボスニア・ヘルツエゴビナの首都サラエボでは、世界からの援助によって資金や人材が流れ込む。その一方で、セルビア・モンテネグロの首都ベオグラードでは、NATO軍の空爆でトマホークの直撃を受けたままの瓦礫の山で放置される。同じ旧ユーゴスラビアでありながら、なぜこのような違いが現れるのか?本書は、それがまさしくボスニアが情報戦争に勝利した証であると語る。ボスニア紛争は、冷戦構造の終結と共に起こった民族紛争の中でも最大級のものである。著者は、この紛争が実際にはどういったものなのか?誰が加害者で誰が被害者なのか?それを客観的に述べられる人物は世界中どこを探しても居ないという。分かっているのは、この紛争で失われた命は数十万人、その後のコソボ紛争やNATO空爆によって更なる犠牲者を生んだという事実だけである。冷戦構造の終結後、西側諸国は民族紛争でどちらに味方していいのかを判断するのが難しい。国際世論はどちらにでも傾く可能性がある。そこで重要な役割を果たすのが巧みなPR戦略である。本書は、そのPR戦略で活躍したアメリカの民間企業とアメリカ国務省の姿を物語る。国際世論は、セルビア人を悪とし、モスレム人を悲劇の主人公とした。その手段は、「民族浄化」と「強制収容所」という二つのbuzzwordによってもたらされた。国連も、世論に従いユーゴスラビア連邦を追放した。しかし、著者は、セルビア人だけが悪とされる論調に疑問を投げかける。セルビア人だけでなく、モスレム人にも、クロアチア人にも責任があると主張する。世論が一方的になったのは、国際的に関心のなかったボスニア紛争に、最初の段階でイメージを定着させたことにあるという。本書の主題は、この差が生じた原因に迫ろうとする。それは、PRのプロを雇ったモスレム人と、雇えなかったセルビア人との差である。実際に、旧ユーゴ戦犯法廷ではモスレム人も収容所をつくり、人権侵害を行ったとして逮捕者が出ている。戦場からネットを通じて、国際世論を誘導する手段には倫理上の疑問が残る。だからといって情報を規制すれば、権力によって情報を支配されてしまう。情報の検証も必要である。湾岸戦争のように少女の証言による「やらせ」などは批難されるべきである。紛争はいつもどこかで起こっていて、ますますPR企業は繁盛しそうだ。本書は、紛争に介入するPR企業は「情報の死の商人」であると語る。

本書で恐ろしく感じるのは、アメリカのPR企業のレベルの高さだけでなく、彼らは民間であるがために、どこの国とも契約する可能性があるということである。政権が交代する度に、高級官僚は総入れ替えとなり、民間と政府の間を行き来しているというのも、日本では考えられない光景である。アメリカの柔軟さは、国際紛争のPR活動で成功した者が望めば、国務省入りすることもあり得るということだ。本書は、そうした懐の深さが、国際政治のPR戦略を立案するためには絶対に必要であると語る。日本では、大学を卒業したら外務省に入り、一生その中で生きていくのが大半である。最近では、多少の人材を民間から登用することもあるが、量、質ともに話にならない。著者は、硬直しきった官僚の人事制度を根本的に変革しない限り、日本の国際的地位は下がると断言している。こうしたPR戦略は、民間企業で起こるスキャンダル問題でも当てはまる。不祥事や事故などの事態で、多くの企業がメディア対応の失策によって社会から葬り去られている。発展途上国の成長によって、いずれ日本は経済的な優位性を失うだろう。そして、国際世論の奪い合いといった舞台に引きずり出される。日本の政治家や官僚は、世論に訴えるよりも、相変わらず有力者に接近するという手法を繰り返す。コネ社会という伝統がそうした行為を根付かせているのだろう。日本は、ナチスと同盟したファシズム国家であったという過去の看板を背負っている。現代感覚からすると、なんとも馬鹿馬鹿しい発想であるが、PR戦略はどんなことでも材料にして攻撃を仕掛ける。こうした時代の流れは、好まずとも押し寄せるであろう。

1. ボスニア紛争
指導者チトーの下、40年間続いたユーゴスラビア連邦は、六つの連邦で構成される多民族国家である。チトーの死と冷戦構造の崩壊は、民族独立の気運を蘇らせた。まず、最も西に位置するスロベニアが独立。次にクロアチアが独立。これに対して連邦政府は軍事力で独立を阻止する。当時の政府は、セルビア共和国の大統領ミロシェビッチらに牛耳られていた。その構図は、ユーゴスラビア体制を維持しようとするセルビア人と各民族との対立である。ここで注目すべきは、ボスニア紛争は他の独立とは事情が違っている点である。スロベニア共和国は、その大半がスロベニア人で占められる。クロアチア共和国もクロアチア人で占められる。しかし、ボスニア・ヘルツエゴビナは、最大民族モスレム人でも四割を占める程度で、三割のセルビア人、二割のクロアチア人といった具合である。モスレム人は、中世に征服したオスマントルコの影響によってキリスト教からイスラム教に改宗した人々の末裔だという。当時のボスニア・ヘルツエゴビナは、モスレム人による政府である。ボスニア紛争は、モスレム人とセルビア人の対決である。

2. PR企業ルーダー・フィン社のジム・ハーフ氏
物語は、1992年、ボスニア・ヘルツエゴビナの外相ハリス・シライジッチがアメリカを訪問するところから始まる。彼は人権活動家や国務省の要人と会い、アメリカを味方につけようとするがうまくいかない。アメリカの中東介入が素早いのは、その関心事が石油だからである。バルカン半島の紛争は、所詮ヨーロッパの裏庭の揉め事でしかない。また、バルカン半島はパルチザンの伝統を持つので、地上戦ともなれば泥沼化しそうである。アメリカに限らず軍事介入は避けたいところだろう。アメリカ政府を味方につけるためには、まずアメリカ世論を動かすことだ。世論の後ろ盾無しで予算を付けることは、政府としては自殺行為である。そこで登場するのが、アメリカの大手PR企業ルーダー・フィン社の幹部ジム・ハーフ氏である。通常の顧客は民間企業であるが、ハーフ氏の得意分野は国家そのものを顧客とし国益を追求することだという。彼は、1991年にクロアチアと契約しバルカンの文化や歴史を研究し、クロアチア独立戦争に正当性をアピールした経験があるという。民族紛争を小国の内部紛争で終わらせるかどうかは、国際問題にできるかどうかにかかる。ハーフ氏の手法は様々な点で関心させられる。人間は、外部から窮地に追い込まれると、それを訴える時には、どうしてもその経緯を感情的に説明したくなるものである。だが、ハーフ氏はそれはタブーだという。そうした前提を説明している間に視聴者はチャンネルを変えてしまうからである。歴史的経緯などはどうでもよく、その瞬間に起きている悲劇を訴えないと効果はない。物事を一言で印象付けることができればその効果は絶大である。そこで登場させるのがキャッチコピーである。頭が良い人ほど一言で物事を判断できるだろうが、おいらにはゆっくり観察する時間を与えてくれないと理解できないので、歴史的背景などを説明してくれる方がありがたい。情報化が進む分、頭が悪いぐらいがちょうどよいのかもしれない。

3. 民族浄化
ボスニア紛争が他の紛争と違っているのは、「民族浄化」を謳っている点である。PRビジネスとは、メッセージのマーケッティングでもある。いかにミロシェビッチが残虐行為をしているかを宣伝することが仕事である。アメリカという国は、民主主義や人権という価値観に敏感に反応する。「民族浄化」というキャッチコピーには、欧米人にとってナチスの迫害を思い浮かべるものがあり、見事に大戦のトラウマをついたものである。日本人のおいらでも、この言葉にはインパクトを感じる。ハーフ氏は、セルビア人 = ナチスというイメージを見事に作り上げた。ただ、ホロコーストやナチスという直接の表現は避けている。残虐の規模からすれば比べようもなく、下手するとユダヤ人への冒涜となる可能性があるからである。「民族浄化」という言葉は、バルカン半島には以前からある言葉らしい。第二次大戦時に、セルビア人とクロアチア人の紛争で使われたという。当時、クロアチアにはナチスの傀儡政権があった。多民族が混在する中、無理やり「クロアチア人の純血国家」とする政策をとり、「セルビア人狩り」をした。これは、セルビア人の六人に一人が殺されるという凄まじい残虐であったという。この言葉は、戦後チトー政権の元で封印されたが、うってつけの言葉である。アメリカ国務省もこの言葉に目をつける。ミロシェビッチを、サダム・フセインやカダフィと同じように、残虐者という印象を与えるのに都合が良い。その一方で、歴史的には、イギリスもフランスもセルビアに親近感があった。第二次大戦でナチスの傀儡政権に、死力を尽くしたのはセルビア人である。よって、当初ヨーロッパとの歩調は合わなかったが、「民族浄化」という宣伝文句が後押しをする。アメリカでは、連日ボスニアの話題がマスコミを賑わす。アメリカ人の中には、ボスニアで親を失った子供を養子に迎えたいという申し出まであったという。アメリカの国民性は、こうした苦難に直面している人々を見ると、奉仕の精神を見せるところがある。この点は素晴らしいが、それを逆手に取る連中がいつも付きまとう。実際に、モスレム人だけが被害者なのかということに疑問を持っている知識人も多かったという。しかし、世論の風向きからして発言するには勇気がいる空気が流れていた。

4. 強制収容所
「民族浄化」がナチスを直接言及しなかったのに対して、「強制収容所」はナチスのイメージそのものである。セルビア人がモスレム人を収容しているというスクープをしたのは、ニューヨークのタブロイ紙ニューズデイだという。以前から、強制収容所らしきものがあるという噂が渦巻いていたが、その情報を具体化させた。確かに収容所はあったが、それほど残虐なものだったかは疑われたまま、セルビア人による報道規制などの状況から想像して記事にされたという。その後も十分な証拠に裏付けされたものかどうかは判断できないらしい。しかし、その記事を書いたガットマンという記者は自信満々だったという。彼はピューリッツァー賞に輝いた。ある情報では、ボスニア・ヘルツエゴビナで若い記者が事実を捻じ曲げた情報を、メディア本社に送っていたという証言もあるらしい。ニューズディはタブロイド版の地方新聞に過ぎないので、それだけでは世間を賑わすことにはならない。この記事にハーフ氏が目をつけ、このイメージが大手メディアに浸透していく。強制収容所の衝撃は、国連と議会を刺激する。こうして、セルビア人が加害者でモスレム人が被害者という構図が出来上がったという。

5. 国連軍のマッケンジー将軍
国連軍サラエボ司令官のマッケンジー将軍は、カナダ軍の名声を高めた英雄として凱旋した。将軍は軍歴の大半を国連平和維持活動に捧げた人物として紹介される。彼はハーフ氏から警戒されていたという。悪いのはセルビア人だけではないと発言したからである。現場の将軍の発言には説得力がある。そもそも国連は中立でなければならない。マッケンジー将軍は、紛争に介入することではなく、監視する役割を十分に認識していたという。将軍は後に中立であることにこだわり続けたと述べている。実際に、セルビア人による残虐行為の情報には、根拠のないものも多かったらしい。例えば、動物園のライオンの檻に、モスレム人の赤ちゃんが餌として投げ込まれているとかいう話が、真面目に大新聞にも掲載されたという。大砲をわざと病院の脇に設置するなどといったことを双方ともやっている。国際世論を惹き付けるための行為は互いに卑劣で、被害者になるように仕組んでいると将軍は証言している。国際世論を敵に回したセルビア人からすると西側の記者は敵である。期待に応えて侮辱的なゼスチャーもするだろう。これが更に悪いイメージとして報道される。メディアは、決まってわざと感情を煽り、人間性をカメラの前に曝け出そうとする。こうした挑発的な態度でメディアを敵にして墓穴を掘った著名人も多い。マッケンジー将軍にとって不運だったのは、任務を終えた頃、ちょうど強制収容所説が大ブレークしたことであるという。国連本部での記者会見でも、その質問が浴びせられたが将軍は一度も見ていないと発言した。これはハーフ氏にとっては死活問題になりかねない。強制収容所説がでっち上げとなり、敵のPR戦略の材料にされかねない。将軍の発言はカナダ政府への抗議となった。上院での公聴会では、議員たちが詰問調の質問を浴びせかける。地元カナダの論調も英雄扱いから、疑念の目で見られる。ただ不思議なのが、マッケンジー将軍が帰国した、そのタイミングで強制収容所説が湧き上がったことである。まさしくPR戦略の餌食にされたのかもしれない。将軍は様々な中傷を受けたという。将軍自身がサラエボの収容所でモスレム人の女性をレイプしたといった話まで飛び出す。国連軍の将軍として派遣されたからには、双方の政府が接触してくるだろう。セルビア人と面会した事実もあるに違いない。そうしたこともPR戦略では材料にされる。こうして、将軍は人生を狂わされ軍を去ったという。

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