2008-11-23

"戦場の現在(いま)" 加藤健二郎 著

著者は、自ら戦争に強い思い入れを持って戦地へ赴いたと語る。幼少の頃から戦争に興味を持ち、兵士に劣らず専門知識を勉強したが、各地で志願しても視力が低いなどでうまくいかず、仕方なくジャーナリストになったという。そして、15年以上もの間、世界の戦場を渡り歩いた様子を回想する。著者にとって戦争取材は戦場へ向かうための手段に過ぎない。ちなみに、アル中ハイマーは、むかーし防衛大学を受験した。おいらも視力が低いがそれ以上に学力が低い。
戦争取材をする人の多くはジャーナリストやカメラマンである。だが、著者はジャーナリストはやじ馬の香りがするので嫌いだという。いまだにそのイメージは拭いきれずジャーナリストとしての誇りが持てないという。著者は、戦場に突入する時、「特に根拠のない自信」を持たないと弱気になって失敗すると語る。そして、検問や包囲網を潜り抜け、ゲリラと行動を共にし、拷問覚悟で拘束される様子や、列車の中では無理やり現地人と親しそうに大げさに笑ったりして検閲から逃れる様子などが語られる。それも、映画「大脱走」のシーンを重ねながら意外と明るい感じでつづられ、まるで冒険小説のようでもある。生命の危機を体験した人は明るく語れるのだろうか?何事も前向きでないと成功しないということだろうか?苦しい時にこそ明るさが必要なのかもしれない。ちなみに、アル中ハイマーは少し落ち込んでいる自分が好きである。ちょっとMだし。

日本人が戦争体験をすることは非常に難しい。平和ボケし、どっぷりとぬるま湯に浸かった酔っ払いに、こうした体験を綴ってくれるのはありがたい。本書を戦争好きな人間による平和論として読んでいる。それは、実際に戦っている兵士同士の醜さよりも、軍の威厳や政治の思惑あるいはメディア戦争といった外圧によって、対立を煽られている様子を物語るからである。平和論者は戦争を悪魔の代名詞のように叫ぶ。だが、その悪魔を解明しなければ、泥沼へ落ちていく姿にも気づかない。建物を破壊したり人を殺すという意識には全く進歩がないようだ。闘争本能は人間の本質としてある。近代戦争は、ハイテク化する分、被害範囲を狭めることができるかもしれない。しかし、巧みな諜報活動や正当化を装うメディア戦が存在する分、複雑でやっかいである。

近代戦の風景では、ユーゴが空爆に曝された時、首都ベオグラードの雰囲気は呑気なもので、深夜になっても灯火管制がひかれるわけでもなく、日中は商店やカフェバーなどに人々が出入りしていたという。ジャーナリストは、燃える建物や病院の犠牲者など、これぞ戦争!という映像を並べるが、彼らは戦争らしい絵を撮るために各地を駆けずり回っているだけだという。そして、死体袋に入った死体を求めるのではなく、現場に放置された残虐無残な死体を求める。彼らは、軍部や政府の暴走と報道しても、マスコミの暴走とは報道しない。戦況報告を水増ししたところで、大した問題にならないのだろうか?死者が多ければ、被害者意識を煽り国際世論を味方に付けることができる。攻撃側から見れば戦闘効果をアピールできる。そこで問題になるのが、その死者は戦闘員か?民間人か?である。誤爆などは、被害者側の絶好の宣伝材料だ。近代戦争では、死者の数の正確性よりも、プロパガンダ性を重要視する傾向にあるようだ。いつの時代でも、戦争の死者数を低い方へ修正しようとすると批難される。戦争は派手に注目され、歴史のページを飾りやすい。にも関わらず、あまりにも不正確な情報が飛び交うのも皮肉である。歴史として残りやすいから、有利になるように画策される。そもそも歴史文献には、時代の権力者が都合の良いように伝えるという性格がある。これを鵜呑みにして、史実を解明していることを嘆いている歴史学者も少なくない。ましてや戦争資料となると捏造が氾濫し正確な歴史解明は難しい。著者は、戦場写真は証拠を撮るという意識のある人は稀で、芸術性を求める人が多いという。現地住民がいつも命をかけて紛争を求めるとは考え難い。どこの住民でも平和を願うだろう。にも関わらず、軍部や政治屋にメディアが加担して戦争を煽られる様子がうかがえる。著者は、戦闘シーンを求めて駆けずり回った挙句、戦後の光景を眺めると虚しさを感じると語る。そこには、新築住宅が出来上がり、商店が並び、着々と復興する姿がある。これは、現地住民が平和に暮らすことを願っている証でもある。著者は次のように語る。
「戦争について生き生きとしているのは、外国人ジャーナリストだけか」

1. 戦場の光景
銃撃戦の最中、弾をかいくぐる兵士の描写は生々しい。その中で、著者自身の緊張と興奮が伝わる。拳銃の音は映画で見られる撃つ側からの音はほとんどせず、撃たれる側の銃弾の唸る音を伝える。戦地の中でもサラエボなどはホテルで宿泊しながらの取材だから楽だという。それに比べてジャングル戦は過酷で、一に体力、二に体力。先に衰弱した方が注意力と冷静さを失い危機となる。こうした状況下で、著者は日本人の代表という意識を持ったという。実際の検問の厳しさは、地元住民が普通に使っている路線バスなどで移動しないと分からないらしい。タクシーやチャーター車では、外国人ジャーナリストというだけで特別にパスできるからである。また、安全上でもチャーター車を利用すると、目撃者がいない状態となって狙われやすいという。紛争地で犠牲になる日本人は、チャーター車での移動中というケースが多いようだ。

2. チェチェンの爆撃
1994年、チェチェンはロシアからの独立を求めて、第一次チェチェン戦争が始まった。1996年、激しいテロ活動のためにロシアは撤退する。しかし、1999年バサエフ率いるチェチェン共和国は、隣国ダゲスタンを攻撃したため、これにロシアが介入し第二次チェチェン戦争が勃発する。2004年、ロシアでは連続して大規模なテロが発生。バス停爆破、地下鉄駅爆破、旅客機二機の爆破による墜落、北オセチア共和国の小学校占拠人質事件。これらの事件に犯行声明を出したのが、チェチェン独立派の司令官シャミール・パサエフである。彼は、チェチェンの英雄となり、ロシア側からはテロリストとして恐れられた。著者は、このパサエフの部隊に従軍した。この頃の著者は、最前線でのノウハウを身に付けていたが、ロシア語もチェチェン語も勉強せず手抜かりがあったことを反省している。言語に対する手抜きは、近年のジャーナリストに多く見られる傾向らしい。イラク戦争を取材している日本人ジャーナリストでアラビア語を習得している人は極めて少ないという。言語の習得は重要で、現地人と本音で話す機会を得たり、危険を察知する手段でもある。ここでは、圧倒的に優勢なロシア軍に包囲されていた様子を物語る。膠着状態で戦場にしばらく生活していると、敵の射撃音や飛翔音の微妙な違いを聞き分けることで、着弾地点が推定できるようになるという。それは、敵が火砲位置を変えずに射撃しているからであり、砲兵隊としては手抜きである。陸上自衛隊などは、射撃をしたらすぐに移動するのが鉄則である。このような点からも、当時のロシア軍のレベルがそれほど高くないことがうかがえる。また、暗視装置もそれほど充実しておらず、夜間攻撃の数も少なかったという。米国防省が公表した資料によると、毎日の犠牲者が部隊の3%に達すると、戦意喪失につながる危険領域だとされているらしい。こうした戦場心理を統計データと現実とを比べて体験できることが、著者にとっての関心事だという。チェチェンでは、その統計データのぎりぎりのところでの防衛戦だった。やがて、部隊の配置をロシア軍に発見され、包囲からの脱出が始まる。著者は、その脱出部隊のトラックに同乗しロシア軍の側を通過したという。無駄な戦闘は避けたいという心理はロシア軍にもあって、包囲から逃げられたのも、そうした心理が働いたからであろうと語る。強硬派のテロリストとされるバサエフの部隊でも、それほど狂信的な兵士が集まっていたわけでもないという。

3. 誇張される戦況
バグダッド侵攻で、攻撃ヘリ部隊の強襲を伴うような激戦があったと発表されても、実は戦闘そのものがなかったことや、事実と違う発表がなされることが多いという。戦車を爆破したという発表も、実はエンジントラブルだったという話はよくあるそうだ。こうした傾向は戦況報告ではよくあることで、逃亡する敵を追いかけて進撃したというよりは、激しい抵抗の中で進撃したとする方が、相手の名誉も傷つけず、味方の勇敢さが誇張できる。犠牲者にしても誇張される傾向にある。それだけ損害賠償の対象にもなるし、戦後復興のために世論の同情を引きつけることができる。バグダッド突入作戦で、二千人のイラク兵を殺したと米陸軍第三師団のHPでも発表されたらしい。しかし、これほど大規模な戦闘が行われているのも疑わしいという。その突入の後に残されていたイラク兵の死体は、50体ほどと言われているらしい。実際に死体を回収したイラク人によると、死体は250体ほどで、その多くは状況を知らずに歩いていて射殺された民間人が多く含まれていたという。メディアは、注目を集めるために血みどろの大激戦を期待し戦況を誇張する。そこに、勝者と敗者、軍部の思惑、政治の思惑の利害が一致するという奇妙な構図がある。本書は、次にように語る。
「日本では平和ボケという言葉が使われることが多くなっている。その言葉を借りるなら、負けると分かっている戦争で徹底抗戦するなどと予測する専門家たちこそが、まさに平和ボケしていたのである。」
自爆攻撃を敢行する一部の人々が、人民の意志を代表しているという考えこそ、大きな平和ボケだという。米軍の空爆による近代兵器の威力だけでなく、情報通信システムの脅威を見せ付けたことも、戦意を失わせるのに充分な効果があったことを物語っている。あまりにも一方的過ぎる戦況は、軍事予算を計上し難いということか。

4. メディア戦争
ボスニア・ヘルツエゴビナの紛争では、セルビア人が悪者とされ、ユーゴスラビアは国連から除名された。これは、先日の「ドキュメント 戦争広告代理店」でも記事にした。セルビアは既にメディア戦で負けていた。セルビア当局が何十人かの民間人の死体が発見されたと発表すると、外国人ジャーナリストはアルバニア人か?セルビア人か?と聞く。そして、セルビア人だという答えが返ってくると、記事にならないとして取材希望者がいなくなり、イタリア人記者一人と著者の二人だけになったという。セルビア戦争ではセルビア人の被害を取材してもあまり報道されない。更に、コソボ紛争では、取材すらしないといった状況があったという。本書は、コソボ南西部の町で出会ったアルバニア系の男の言葉を紹介している。
「ジャーナリストなら真実を書けよ。自分の目で見たこと聞いたことだけを書いてくれ。戦争を起こす方向に持っていくような報道は迷惑だからやめてくれ!」
悪者にされるセルビア人だけでなく、アルバニア系の人にも明らかにメディアに対する不信があったという。日本のメディアの偏向報道も酷いものだと常々思っているが、欧米はさすがにスケールが違う。アルバニア系の人々は独立を希望しているが、戦争を望んでいたわけではないという。そして、セルビア人の一方的な虐殺を報じることが、戦争を煽る結果となっていると指摘している。こうなると、軍事産業で利益のある国の思惑が潜んでいるように思われる。アメリカの攻撃を一方的に受ける運命にある勢力に共通して言えることは、既にメディア戦争に負けているということだ。
ところで、セルビアでは、闇商売があまり広がらなかったという。警察が厳しく規制していたのものあるだろうが、「自国が空爆されているときに私腹を肥やすなんてけしからん」という風潮もあるらしい。

5. 日本大使館のエピソード
湾岸戦争の時、イランの動向を調査するために入国した時のエピソードは笑える。と言ったら著者に怒られるかもしれないが。仇敵イラクと戦うのか?イスラムの敵米国と戦うのか?この時点ではまだ誰も予測できない。そこで、著者は軍隊がどこに集結しているかを観察して回る。そして、イラン警察にパスポートを没収され難儀する。ホテルで、私服警官三人がカラシニコフを持って部屋に入ってきて、フィルムなどを没収される。日本大使館に電話したら、「イラン警察はパスポートを取るなんてしません。それは盗賊ですよ。」と、逆に、著者の不注意を責められたという。当時の日本大使館が、イランの危機的情勢をあまりにも理解していないことを呆れている。日本大使館などに電話した自分が愚かだと反省しきりで、二度と日本大使館とは関わりたくないと語る。官僚に危機的状況を説明したところで、こちらのせいにされるのが落ちだ。日本大使館から警察当局に抗議できるものと思ったら、どうやら違うらしい。外交ルートを通じてイラン警察に釈明を求めるが、その外交ルートというのがおもろい。まず、東京の外務省からイランの外務省に事件の釈明を求めて、イランの外務省から警察に釈明させ、その釈明内容をイラン外務省から東京の外務省に伝え、東京からイランの日本大使館に報告するというものらしい。少し外務省を弁護すると、当時に比べれば現在では外務省の動きは格段に素早くなっているという。それも、日本人が拘束される事件などを経験したからであろう。更に、著者とイラン当局のやりとりもおもしろい。著者はスパイ容疑がかかっている。当時アメリカ大使館がイランに存在しなかったので、日本大使館を通じて諜報活動をしていると睨んでいる。そして、著者があっさりと日本大使館から見捨てられた理由を探ろうとする。

6. クルド人
クルド人は国家を持てない悲劇の民族と言われる。彼らはトルコ、イラク、イラン、シリアなどに住んでいる。しかし、クルド人同士の内紛も多く、他国の介入がなくても団結するのは難しいという。湾岸戦争以降も、イラクとトルコのクルド人は内紛を続ける。湾岸戦争でイラクが敗北したことで、クルディスタン自治州が誕生した。そこでも、KDP(クルド民主党)とPUK(クルド愛国同盟)の内紛が収まらない。そして、KDPは、フセインに依頼してイラク軍の派遣を請うというように、各勢力で後ろ盾を確保しようと画策する。クルド人同士で団結するというより、隣のクルド人と戦うために隣国の軍隊を引き入れるといった歴史を持っているという。

7. 見せかけのイン・パ戦争
パキスタンとインドは、カシミール地方の領有を巡って対立する。イギリス領から独立した時、ヒンズー教徒の多いインドと、ムスリムの多いパキスタンに分裂した。カシミール地方は、大多数がムスリムであったが、藩主がヒンズー教徒であったためにインド領となる。そのためにカシミール地方の住民は、パキスタンへ帰属を望む人が多いという。その抵抗をインドが弾圧し、パキスタンはカシミールのムスリムを支援するという構図がある。一次、二次イン・パ戦争を経て、第三次では、パキスタンが敗北し、東パキスタンがバングラデシュとして独立する。現在では、その紛争も沈静化しているようだ。機関銃陣地の視察で、防弾遮蔽に対する気配りや、機関銃の配置具合を見ても、とても両国が戦争しそうな雰囲気はないという。実際に現地の軍人にインタビューしても本音が返ってくるわけがない。そこで、企業経営者たちの意見を聞いてみると、軍部が権限と予算を保持するために、無理やりカシミールの戦争が重要だとアピールしているに過ぎないといった意見が大半だという。世の中にある紛争の火種は、その多くが軍部の権益や政治利用のためのものであろう。火種を用意しておいて、いつでも政治利用できるように確保しておく。そこに、メディアがマッチを持って歩いて回る。これが多くの紛争の正体なのかもしれない。

8. 日本政府の姿勢
対テロ戦争や自衛隊のイラク派遣は、アメリカに追従した日本政府の姿勢である。第一次派遣隊の壮行会で、「米軍が13万人以上の部隊を展開しても、どうにもならないイラクで、500人の自衛隊が役に立つなどと思わない方がいい。イラクに駐屯するのが目的である。」といったスピーチがあったという。プロの自衛官を誤魔化すようなスピーチをしても無駄ということらしい。本当の目的は、国内における自衛隊の地位向上、権限拡大、運用範囲の拡大であると考えている国民も多いだろう。戦争をやりたがる政治屋は、自衛隊で地獄のレンジャー訓練を経験させなければならないといった意見もある。戦争では、命との関係を語られることが多い。しかし、実際は、命だけでなく、重たい装備を持ち歩き、汚い環境で生活し、下痢で苦しむなどの体験をしただけでも、二度と戦争などしたくないと思うはずだという。首相からの命令には、意義を唱えずに服従するのが良い軍人であるとされる。軍が勝手な意志で行動することの危険性は歴史が示している。統帥権の微妙な位置付けが、軍部の暴走を助長したとも言えるだろう。やはり、シビリアン・コントロールが基本である。だが、現場の本音や真実が国家指導者に伝わる可能性が低いという矛盾がある。平和主義を唱える政治家が選挙に勝つことが圧倒的に多いが、平和主義を履き違えているケースも多い。軍事研究をしない政治家による舵取りの危険性はどうやって解消すればいいのか?歴史には平和主義者が戦争へ誘い込んだ例は多い。少なくとも防衛大臣が戦略の素人では話にならない。

0 コメント:

コメントを投稿