2011-12-18

"ユークリッド「原論」とは何か" 斎藤憲 著

雑念を払い、ひたすら厳密性に傾注した記述とはどんなものか?到底手の届かない領域にあることは想像に易い。それでも、生涯で一度は触れてみたい古典がある。アル中ハイマーな知識では、いきなり読んでも退屈するだろう。そこで、心の準備となる書を漁ってみた。

「原論」は、紀元前3世紀頃に成立したと言われるギリシャ語で書かれた数学書である。そして、9世紀にはアラビア語に、12世紀にはアラビア語からラテン語に翻訳されたという。
言語の優位性を眺めれば、その時代の文化や学問の勢力を読み取ることができる。8世紀頃、数学はイスラム世界を中心に発展し、ルネサンス期には科学論文はラテン語で書かれた。18世紀頃、文化の中心がパリへ移ると王侯たちはフランス語を学び、あのフリードリヒ大王までもフランスかぶれになった。20世紀以降、留学先はイギリスやアメリカが中心となり英語が世界語となった。よって、母国語の優位性を主張したければ、その言語圏で文化や学問を世界の最高水準に高めればよかろう。尚、ユークリッドの名は英語読みで、ギリシャ語ではエウクレイデスとなる。

「原論」は全13巻で構成される。だが、数々の写本が残されるものの原本は現存しないらしい。現在出版される各国語訳は、デンマークのハイベアが1880年代に出版したギリシャ語校訂版に基づくという。これは、19世紀初頭、フランスのペイラールが発見したヴァチカン図書館所蔵の9世紀の写本を基にして、他の写本を参考にしながら作られたものだという。そして、数々の修正を繰り返しながら今日に至る。
本書には、その第V巻までの概要が紹介される。このあたりが初等数学として一番多く読まれる箇所であろう。三角形や平行線、あるいは円や多角形の考察は、幾何学の基礎として数学入門者の間でも人気が高い。最初の6巻だけの簡略版も多く出回っているようだし。
ところで、ユークリッドは実在したのだろうか?集団説もあるが、今ではあまり顧みられることはないようだ。プトレマイオス朝の時代、アレクサンドリアで活動したという説はよく耳にする。ちなみに、「数学には王のための道はありません」と答えたという逸話もあるとか。ユークリッドに言及している最初の数学者はアポロニウスだという。
それにしても、古代ギリシアで、なぜ厳密性を問うような文献が誕生したのだろうか?霊感や占星術の盛んな時代にもかかわらず。ピュタゴラス教団でさえ宗教結社とされるのに。当時、ソフィストたちが、政治的、社会的影響力があったのは間違いなかろう。弁論術や処世術を教えて喰っている自称教育家たちである。ソクラテスは彼らを詭弁家として思いっきり批判したとされる。彼らの存在が、逆に主観性を極力排除すべし!という認識を急激に育てたのかもしれない。現在ですら、論理性に主観性が結びつくと、しばしば議論が迷走するのだから。主観性の強すぎた哲学が論理性を取り入れながら変化し、更に純粋な客観性としての数学が分離していく時代だったのかもしれない。

科学では、命題を検証や証明によって記述し、その命題の連鎖によって定理を積み重ねていく伝統がある。逆に言えば、一つの命題が否定された途端に脆くも崩れるという危険性を孕んでいる。客観性を強調するために、純粋な証明以外のメタ的見解を排除しようと努力してきた。まさに「原論」の示す形式である。
しかし、本書は意外な面を紹介してくれる。線や円など図形の名前のつけ方に一貫性がまるでないこと。命題参照で命題番号を付けずに代名詞で扱っていること。そして、暗黙的な表現が多く、一部の識者の共通認識を前提として書かれている節があるというのだ。数学の文献として整えられたのは、ずっと後になってからのことらしい。
また、図版では特殊なケースを扱っていて、一般化の配慮がまったくなされていないという。三角形を扱うのに二等辺三角形や直角三角形は特殊なケースだが、見映えがいいのも確かである。だが、紹介される写本の図版は現在の見慣れた図版とは大きく違い、わざわざ難しくしているようにも見える。実に奇妙だ。記述をパピルスや岩に残すことができたとしても印刷術のない時代、知識を伝えるには主に言明を手段にしていたことが推察されるという。代名詞を多用するのも、図版よりも言明を重視した結果ではないかと。この時代、まだ言明と文献の区別があまりなかったのかもしれない。そのために説明不足も生じる。同時に、最小限の命題とともに最小限の物言いで研究者たちの想像力を掻き立ててきたとも言えそうだけど。論理学では、余計な解釈や余計な形容を用いないという鉄則がある。アル中ハイマーの最も苦手とするところだ。
カント曰く、「多くの書物は、これほど明晰にしようとしなかったら、もっとずっと明晰になったろうに。」

1. 定義、そして公準と公理
原論には序文がなく、唐突に点や線の定義から始まるという。こんな具合に。
「点は部分のないものであり、また線は幅のない長さであり、また線の端は点である。直線とはその上の諸点に対して等しく置かれている線である。...」
その前の時代でも、アリストテレスの著書「自然学」のように、序文で前提や立場などが語られる慣習があったらしいが、唐突に始まるのは珍しいようだ。ちなみに、「自然学」は当時の物理学書のようなもの。
では、なぜ原論は唐突に始まるのか?実は、もっと前の紀元前5世紀、「原論」なるものがキオスのヒポクラテスによって編集されたという。尚、医学のヒポクラテスとは別人。それも完全に失われているので、ユークリッドのものが最古ということになるそうな。通説ではユークリッドはプラトンやアリストテレスの影響を受けたことになっているが、「原論」は哲学的議論を避けるようにできているという。論証スタイルも、アリストテレスの哲学論法とはまったく違うそうな。自明な事象を淡々と羅列する形式は、哲学の入り込む余地などないと宣言しているのか?そして、哲学なんぞに頼らなくても、最低限の公準や公理だけで宇宙は説明できるとでも言っているのか?
最初の点や線の定義は20数個からなり、次に証明なしで承認を要求するという。それぞれ「要請」「共通概念」とし、今日では「公準」「公理」と呼ばれるものである。いわば自明というわけだ。
ところで、有名な5つの公準のうち、第五公準はだけが長文でややこしいのはどういうわけか?いわゆる平行線公準である。ここに、非ユークリッド空間の可能性を示唆していたと想像するのは、考え過ぎだろうか?非ユークリッド空間が証明されたからといって、ユークリッドを蔑む気にはなれない。その本質的意義は論法にあるからだ。宇宙を説明する時、自明だが証明できないものがあるという前提は、天地を覆す発想である。これぞ、人類の最高の知的財産ではなかろうか。客観性と同じくらい直観の偉大さを示しているわけだが、ある意味宗教的ですらある。だから批判にも曝されるのだけど。科学と宗教の違いは紙一重ということであろうか。少なくとも、神の存在と死後の世界を具体的に提示するよりは、はるかに進んだ思考である。

2. 論理スタイル
定義、要請、共通概念の次に命題がくる。命題は伝統的に定理と問題に分けられるという。なんらかの性質を証明するのが定理である。なんらかの条件を満たす対象を得るのが問題で、図形ならば作図法を、整数論ならば数を求める手続きを示す。命題は六つの部分に分けられるのが慣例だという。それは、言明、提示、特定、設定、証明、結論。まず、命題を一般的に「言明」し、点や図形などを導入して「提示」する。次に、命題に即して少し言い換えて「特定」する。そして、具体的な作図手順を「設定」する。最後に、「証明」して「結論」を述べる。...といった具合。
おもしろいのは、命題の最後の最後に「これがなされるべきことであった」と締めくくられるという。それが、定理だったら「これが証明されるべきことであった」となる。そのラテン語文は、前者が Quod Erat Faciendum. 後者が、Quod Erat Demonstrandum. 略して Q.E.F. や Q.E.D. となる。哲学書でもお馴染みのフレーズだ。
ところで、古代、あらゆる運動や変化を否定したエレア派という学派があったそうな。ユークリッドは点や線から生じる物理現象を説明していることから、エレア派への対抗意識があったという意見もある。それを強く主張したのがアルパッド・サボーという人だそうな。エレア派の始祖パルメニデスの言葉に、「あるものはある、あらぬものはあらぬ」というのがあるという。あるというのは存在を意味し、存在することと存在しないことは違うこととして、存在から存在しない状態に変化することは矛盾すると考えるそうな。その解釈が拡張されると、物体の変化や運動の存在すら否定される。その対抗意識で、なにかと批判や文句を言う奴の顔を思い浮かべながら書くと、無味乾燥的な書になるのかもしれない。すなわち客観性に訴えることになろう。「原論」は、それを実践した結果なのかもしれない。

3. 幾何学的代数
第II巻には、ちょっと変わった歴史があって、20世紀に激しい論争が巻き起こったという。歴史的には、アポロニウスの「円錐曲線論」の研究で、「原論」の第II巻が本質的に代数であると主張したあたりから始まり、20世紀にはノイゲバウアーの「幾何学の衣をまとった代数」という解釈が通説になったという。
この論争で注目すべきは、命題5と命題6だという。
今、2つの線分 a, b で囲まれる長方形を r(a, b) と表し、線分aで囲まれる正方形を q(a) と表す。そして、面積公式から、r(a, b) = ab, q(a) = a^2 と書ける。

「命題5: 直線ABが点Gで二等分され、別のAB上に点Dが取られているとき、AD, DBに囲まれる長方形 r(AD, DB) に2つの分点G, D間の直線GD上の正方形 q(GD) を加えたものは、全体の半分上の正方形 q(BG) に等しい。」

この命題は、r(AD, DB) + q(GD) = q(BG) が成り立つと言っている。
ここで、AG = GB = a, GD = b とすると、次の展開式に対応する。

 (a + b)(a - b) + b^2 = a^2

実は、命題6も同じ展開式に対応する。命題5との違いは、点Dの位置で、命題5が線分AB上にあるのに対して、命題6では線分ABの延長上にあること。
そして、r(AD, DB) + q(GB) = q(GD) となり、展開式では次のようになる。

 (b + a)(b - a) + a^2 = b^2

つまり、命題5と命題6は代数的解釈では同じというわけだ。では、なぜ重複する命題が存在するのか?幾何学的に配置が違うことに意味があるのか?これが論争の焦点である。
従来の定説では、2数の和と積から求める連立方程式の解法に結びつけるものだったという。x + y = p, xy = Q の連立方程式が命題5に対応し、x - y = p, xy = Q の連立方程式が命題6に対応する。
作図問題が代数学と結びつくことは近代数学ではよくある話だが、はたしてユークリッドの時代にそこまで意図されていたのか?和や積が代数と結びつく幾何学的問題は、紀元前10世紀のバビロニア数学に遡るという。そして、バビロニア数学がギリシアに伝わり、「原論」に影響を与えたという説があるそうな。
なぜ代数学を幾何学で表したのかというと、ギリシア人は無理数というものを持たなかったので、平方根を表すのに幾何学的な手段を用いざるをえなかったという。ギリシア数学では、非共測量の発見後も無理数という形を用いなかったそうな。「原論」では、やたらと比や比例という概念を用いているらしい。幾何学的に言えば相似である。しかし、バビロニアの方程式の解法が「原論」に影響したという証拠はないらしい。
いずれにせよ、第II巻の命題が後述にどのように利用されるかを見ていけばよかろう。だが、あまり利用されていないというから困ったもんだ。強いて言えば、円錐曲線の理論で使われるぐらいだという。ちなみに、アルキメデスの業績のかなりの部分は、円錐曲線とその回転体に関する面積と体積の決定だという。ユークリッド自身も「円錐曲線原論」なる著作があったと言われているとか。では、第II巻の命題は、円錐曲線の理論のための補助定理だったかというと、そう単純でもなさそうだ。
本書は、「原論」で後述される「方べきの定理」で幾何学的な意義の可能性を説明してくれる。方べきの定理では、似たような定理でも巧妙に配置を変えることによって様々な形をとることが見て取れる。要するに、議論の対象とする点を円の外に置くか、円の内に置くかの違いで量的関係も変わってくるということのようだ。

4. 正五角形の分析
第III巻では三角形や多角形と内接、外接する円の問題が扱われ、続いて第IV巻では正五角形に関する命題が検討される。正五角形に関する命題は、「原論」の中でも屈指の成果だという。その本質的な作図は第IV巻の命題10にあり、それまで展開された多くの理論や技法が集中的に利用されるという。第I巻から第IV巻までの山場というわけか。尚、正五角形を円に内接させる作図は、続く命題11で行われる。
ギリシア数学では、作図すべき図形が描けてしまったと想定して、そこから何が成り立つかを探求する技法が使われたという。その技法は、「アナリュシス(分解)」と呼ばれるそうな。analysis の語源か。だが、当時の文献で解析手順を記したものは珍しいという。命題10でも、解析がなされたと推測されている程度のものらしい。
本書は、この命題の逆順を追っていくと、三角形の作図は黄金分割に帰着するという。その重要な概念は、比例と相似である。正五角形の作図には、三角形の相似と辺の比例がつきまとう。だが、これを巧みに回避しているらしい。命題10の議論は、比例と相似という言葉を回避することに大半が占められるという。
また、よく知られる「比例の内項の積は外項の積に等しい」という定理に相当するのは、第VI巻の命題17に現れるという。ただ、原論には線分の積という概念はなく、代わりに長方形や正方形の面積が使われているようだ。
更に、第IV巻では、命題16で正十五角形の作図法が記される。プロクロスは、この命題を天文学に関係すると指摘したという。正十五角形の一辺に対する中心角24度は、天文学で重要な黄金傾斜にほぼ等しい。ただ、命題16はその表現や形式から後世の追加であることがほぼ確実で、プロクロス以前の追加と考えられているそうな。

5. 比例と非共測量(無理量)
相似関係は初等的な問題であるが、比というものを非共測量と絡めると、これを言明するのは意外に難しいかもしれない。正方形の辺をs、その対角線をdとした時、その比である d/s = √2 となるのは、三平方の定理で簡単に導ける。しかし、無理数だ。ピュタゴラスの「万物は数である」という信仰が根強くあれば、数学の危機を感じたことだろう。近代数学で言えば、不完全性定理の発見と似たような状況にあったのかもしれない。数自体が明確に表現できないとなれば、比較によって相対的に記述するしかない。これが、比や比例の意義であろうか。となれば、相対的な認識しか持てない人間にとって、比較するという行為は本質的なもの、あるいは本能的なものかもしれない。
ところで、「原論」の比例の定義はヘンテコだ。ガリレオもかなり不満を持っていたという。

「第V巻、定義5: (4つの)量が、第一が第二に、第三が第四に対して、同じ比にあるといわれるのは、第一と第三の等多倍が、第二と第四の等多倍とを比較して、それらが何倍であっても、各々が各々に対して、同時に超過するか、同時に等しいか、同時に不足するときである。」

なんじゃこりゃ?4個の量において常に大小関係が一定で、しかも等多倍であるときに比例するということだけど。「原論」の比例の定義は難解とされ、16世紀になって正しく解釈されるようになったという。だからといって、この定義が非共測量の比例までも扱える一般性を具えた見事な記述だと賞賛する者はいないだろう。

6. ユークリッドの他の著書
ユークリッドの著作と思われるものに、こんなものがあるそうな。
「デドメナ」は、解析という問題探求の方法の基礎定理を提供した。
「オプティカ」は、今日の応用数学と呼べるもので、視覚すなわち物の見え方を幾何学的作図によって探求した。
「カトプトリカ」は、鏡による反射を扱った。
「ファイノメナ」は、天文現象を星が地球を中心とする球面の上にあるとして議論した。
「カノンの分割」は、音程や協和音を数の比で分析した。

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