この書は、本来「仕事と日々」と呼ばれることが多いようだが、訳者松平千秋氏はあえて「仕事と日」と題している。ギリシャ語の「ヘーメライ」が複数形だから素直に訳せば「日々」となる。様々な吉凶の日について語られるので、それはそれで自然であろう。しかし、日本語は元来、外国語ほどは単複を使い分けないし、ニュアンスも少し違ってくるだろうという意図があるらしい。
本書は、怠惰で性悪な弟を訓戒するための叙事詩である。ヘーシオドスは、父親の遺産をめぐって弟ペルセースと法廷で争った。ペルセースは賄賂で解決したが、遺産を浪費し、再び不正によって兄ヘーシオドスの財産を奪おうとする。こうした背景があって、兄が弟に労働の尊さを説こうとする。極めて個人的な状況を題材とした点で、この時代には珍しく歴史的にも貴重なものだそうな。
ただ、必ずしも弟にだけ語りかけているのではなく、社会風刺も込められているのであろう。それは、神々の関与による人間の創世を語り、人間の苦悩の根源をパンドーラの物語に立ち返っていることから、一般的な教説と解することもできるからである。古代ギリシャ人は、強力な軍隊を背景に新天地を次々と植民地化していった。そうした時代背景で、奪い取るばかりで自国農業が衰退していった様子と重ねているのかもしれない。
本書の思想の根源には、人間の行為は神々によって監視され、悪行に対してはいずれ天罰が降りかかるというのがある。そして、正義を回復するために、実直に仕事に励むことだとしている。世の中への絶望を語るあたりは、一種のニヒリズムの表れであろう。
また、迷信めいた事柄と神の行為を重ねながら教説を唱える。農耕をやる季節や航海のための風向きなど、あらゆる仕事を行う時期は神々の導くままに従うようにと。この書には、まさしくキリスト教の予定説的な思想の源泉、あるいは「働かざる者食うべからず」といった思想の原点があるように思える。ルネサンスや宗教改革に現れた思想転換期にしても、その源流をこの時代に遡ることができそうだ。こうしてみると、人間の精神は古代からあまり進歩していないかのように映る。
本書には、付録で「ホメーロスとヘーシオドスの歌競べ」が収録される。ヘーシオドスとホメーロスは、古代ギリシャの詩人として比較されることが多いので、この題目には興味深いものがある。しかし、実際に二人が競ったのかは疑わしく、創作というのが大方の見方のようだ。
この作品は、13世紀か14世紀のものと推定される古写本によって伝承されたもので、1573年ヘンリクス・ステファヌスによって初めて刊本されたという。通称「ケルターメン(歌競べ)」で呼ばれるそうな。
この短篇が学界で注目されるきっかけになったのは、ニーチェの論文だという。それまでアレクサンドリア時代の無名の作家が作った駄文とされてきたが、紀元前4世紀の高名な弁論家で修辞学者のアルキダマースに由来する可能性を示したという。更に19世紀になると、いくつかのパピルスからテキストの断片が発見され、「アルキダマース著、ホメーロスについて」というのが見つかり、アルキダマース原作説が有力になったという。ただし、実証されたわけではないようだ。
1. エリス(争いの女神)
本書は、ムーサ(詩歌女神)たちが、父なるゼウスへの語りから始まる。知るものも知らないものも、語るものも語らないものも、すべてゼウスの御心のままにあると。この形式は、この時代の叙事詩の流行りであろうか?あるいはヘーシオドスの形式であろうか?
忌まわしいエリスは抗争を撒き散らす。エリスは根性なき男を目覚めさせて仕事に向かわせる。富を目指して励む人には、その隣人が羨望を抱く。陶工は陶工に、大工は大工に敵意を燃やし、物乞いは物乞いどうしで、伶人は伶人どうしで妬みあう。裁判では賄賂をむさぼる連中が蔓延る。悪行が横行するのは、神が人間に「命の糧」を隠しておられるから。人間の怠け癖や横暴な振る舞いは、いずれゼウスの裁きによって田畑を荒らすことになろう...と歌い上げる。
2. パンドーラの甕
有名な「パンドーラの箱」の一節であるが、「仕事の日」では「箱」ではなく「甕」としている。奸智のプロメーテウスが天界から火を盗み取り人間に与え、これにゼウスが怒り人間どもに災厄を与えるというお馴染みの話である。
まず、ヘーパイストスに命じて泥で乙女の体を造らせ、それに生命を注ぎ込む。アテーネーには様々な技芸や布を織る術を教えさせ、アプロディーテーには乙女の頭に魅惑の色気を漂わせ、恋の苦しみを注ぎかけよと命じる。更に、ヘルメイエース(神々の使者ヘルメス)には犬の心と不実の性を植え付けよと命じる。
こうして造られた乙女にパンドーラの名を与え、プロメーテウスの弟エピメーテウスに贈った。エピメーテウスは、兄からゼウスからの贈り物を受け取れば禍いが振りかかると忠告されていたが、パンドーラの美に惹かれ受け取ってしまう。
それまで、地上に住む人間どもは、あらゆる煩いを免れ、苦しい労働もなく、死をもたらす病苦も知らなかった。ところが、女が甕の蓋を開けて、人間に様々な苦難を撒き散らしてしまった。しかも、その中のエルピス(希望)だけが甕の縁に残って、女はそれが外に飛び出す前に蓋を閉じてしまったとさ。
3. 五時代の説話
五時代とは、黄金の時代、銀の時代、青銅の時代、英雄の時代、鉄の時代である。
オリュンポスの館に住む神々は、最初に人間の「黄金の種族」を作った。これは、クロノスがまだ君臨していた時代の人間たちで、心に悩みもなく、労苦も悲嘆も知らず、神々と同じように暮らしていた。惨めな老年が訪れることもなく、手足は衰えず、あらゆる災厄を免れて宴楽に耽っていた。死は眠るがごとく訪れ、あらゆる善きものに恵まれ、農地はひとりでに豊かな稔りをもたらし、幸せに満ちていた。
しかし、ガイア(大地)がこの種族を覆い隠した後は、クロノスの子ゼウスが人間の守護神となって、人間に富を授けた。それが第二の種族の「銀の種族」である。それは黄金の種族とは似つかぬものであった。子供は百年の間、頑是ない幼な子のままで、家の中で戯れつつ母の膝のもとで育てられた。やがて成年に達すると、無分別ゆえに互いに無法な暴力を抑えることができず、様々な禍いを被って生涯を終える。ゼウスは、人間どもが神々に敬意を払わぬのを怒って、この種族を消してしまった。しかし、ガイアがこの種族をも覆い隠し地下に住まわせ、黄金の種族に劣るとはいえ至福なる人間と呼ばれる栄誉を授けた。
ついで、ゼウスが第三の種族、「青銅の種族」を作った。とねりこの樹から生じ、怖るべく力強く、悲惨なる暴力を好む。心は鋼のごとく硬く、強靭な肢体、扱う武器は青銅製で、青銅の農具を使って田畑を耕す。彼らは、互いに討ちあって倒れ、身も凍るハーデス(冥界)のカビ臭い館へと落ちて行った。
しかるに、ガイアがこの種族をも覆い隠した後、ゼウスは第四の種族を作った。この種族は先代よりも正しく優れた英雄たちの高貴な種族で、半神と呼ばれた。だが、この種族ですら、忌まわしき戦争によって滅び去った。これがトロイア戦争前後の「英雄の種族」である。
最後にゼウスは、第五の種族、「鉄の種族」を作った。鉄具を使って農耕を営む種族で、まさしく現世の人々である。昼も夜も労役と苦悩に苛まれ、神々は苛酷を与え、様々な禍いに見舞われ、親子で心が通わず、兄弟どうしで争う。親が老いれば、たちまたこれを冷遇し、正義は腕力にあるとする。あらゆる悪事が横行し、正義や希望のない退廃を極める。政界では、アイドース(廉恥)とネメシス(義憤)の二神がその美しき姿を覆い隠し、人間どもを見捨ててしまった。ここには、ゼーロス(妬み)に憑かれた悲惨な人間社会がある。
「かくなればわしはもう、第五の種族とともに生きたくはない、むしろその前に死ぬか、その後に生まれたい。」
4. 農事暦とセイリオス
神々は季節に応じて仕事をお示しなさる。田畑を耕し種子を蒔く時期をお示しなさる。人間はただそれに従えばいいと。
ここで、セイリオス(シリウス)の星について言及している。その際立った明るさのために、強力な熱源と考えられていたという。この星が夜明けの直前に昇るのが7月頃で、終日太陽とともに頭上にあって暑熱をもたらす。9月下旬になると、この星が昇る時刻が4時間ほど早くなるので、昼間に頭上に留まる時間が短くなり、暑気が和らぐとされた。夏の猛暑を耐えて大切に種子を育てれば、稔ある収穫が得られるのが農耕というわけか。
「仕事と日」は、シリウス星について言及した最初期のもので、歴史的にも貴重なものらしい。
5. 人生訓
この章句には宗教じみた説教が続き、アル中ハイマーな天の邪鬼にとって、なんともこそばゆい。
- しかるべき歳で嫁を迎い入れよ。良妻に勝るもらいものはなく、悪妻を凌ぐ恐るべき災厄はない。
- 至福なる神々を敬うことを怠ってはならぬ。
- 友人を兄弟として扱ってはならぬ。しかもなお、そうする場合は、こちらから先に相手を害してはならぬ。
- 相手が先に気に障ることをすれば、二倍にして返してやれ。しかし、仲直りしたいと申し出て償いもすると言えば、それを受けてやれ。あれこれと友人を変えるような者は、つまらぬ奴じゃ。
- 内なる心が、外なる姿を欺くようなことがあってはならぬ。
- 他人から客好きとも、客嫌いとも言われぬようにせよ。
- 貧困に苦しむ人を嘲るごとき振舞いがあってはならぬ。貧しさもまた神々の下されたものだから。
- 言葉を慎め、節度を守って動く舌は、何にもまして床しく好ましい。
6. ホメーロスとヘーシオドスの歌競べ
ヘーシオドスもホメーロスも、自国の出身として誇りにされるという。
ヘーシオドスの出身については、父親が小アジアのキューメーに住んでいて、貿易業に失敗してギリシャ本土に移住し、ボイオーティアー地方の寒村アスクレーに定住したことを、自身が書き残しているので議論の余地はないだろう。
一方、ホメーロスには、様々な国の住人たちが自国の出身であると主張しているそうな。その代表はスミュルナの住民で、当初メレース河にちなんでメレーシゲネースの名で呼ばれ、後にホメーロスと改名したという。ホメーロスとはその国で盲人を意味する。対して、キオスの住人は、ホメーロス一族と称する後裔としているという。更に、コロポーンの住人は、ホメーロスの処女作が「マルギーテース」だと主張し、その作詩した場所まで示しているという。両親が誰かという説も様々な主張が飛び交い、その例を上げると切りがない。こうした状況が、ホメーロスが本当に実在したのか?と疑わせるところかもしれない。生きた時代も、ホメーロスとヘーシオドスではどちらが古いか?あるいは同年代か?と様々な説が飛び交う。
これだけ情報が錯綜すれば、二人が歌競べをしたという伝説が残っていても不思議はなかろう。「仕事と日」にも、自分の航海経験としてエウボイア島のカルキスで歌競べに勝ち、賞品に三脚釜を獲得してヘリコーン山麓のムーサたちに奉納したことが記される。この記述が、「ホメーロスとヘーシオドスの歌競べ」の題材とされたのは想像に易い。
話の展開では、ヘーシオドスが一方的に質問をしホメーロスが答えるという構図があって、どう見てもホメーロスが勝つように仕組まれている。ホメーロスの詩人としての技巧の高さは評判で、優れた回答を出すことは聴衆も分かっているのだから。逆に、質問者ヘーシオドスが失敗することはないとも言える。
こんな具合に...
ヘーシオドスが問う。
「メレースが一子、神より叡知を授かりたるホメーロスよ、語ってくれ、死すべき人間には何がもっとも良いことか。」
ホメーロスは答える。
「地上に住む者にとっては、そもそも生まれぬことがもっとも良い、生まれたからには一刻も早くハーデース(冥王)の門をくぐることじゃ。」
ヘーシオドスが問う。
「されば神にも似たるホメーロスよ、次のことを語ってくれ、死すべき者にとり、何がもっとも賞(め)でたきことと、そなたは思うぞ。」
ホメーロスは答える。
「愉楽の気は堂に満ち、宴(うたげ)に与る客は屋敷のうちに席を列ねて、楽人の歌に耳を傾け、傍らの食卓にはパンと肉とが山と盛られ、酌人は混酒器より美酒を酌んで席を廻り、酒盃(さかずき)に酒を注ぐ、これぞ愉楽の極致とわしは思うぞ。」
...
ホメーロスの見事な回答が観客を唸らせ、もはや勝敗は決したかに見えた。ところが、最後にパネーデース王の発言で、両者に朗誦で競わせ、しかも強引な裁定で逆転させる。ヘーシオドスは農業と平和を歌い、続いてホメーロスは戦争とその英雄を歌った。その応酬でも、観客はホメーロスの勝利を信じていたが、パネーデース王は、真の勝利者たるものは農業と平和の勧めを説くものでなくてはならないとし、ヘーシオドスが勝利する。実際に「パネーデースの判定」という諺があって、愚かな判定の意で使われるらしい。
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