2011-03-20

"武士道" 新渡戸稲造 著

大震災で被災者の忍耐強さを見ていると、日本人の誇りに通ずるような書を読み返したくなる。本書に出会ったのは学生時代であろうか。本棚の奥から引っ張り出すと...げげ!カビってやがる...
新渡戸稲造の「武士道」は、内村鑑三の「代表的日本人」や岡倉天心の「茶の本」と並んで、日本人が英語で書いて日本の文化と思想を欧米に紹介した代表作である。本書は矢内原忠雄氏による翻訳版。
ちなみに、ルーズベルト大統領も読んだらしい。文化人類学者ルース・ベネディクトが、この書に影響を受けたことは想像に易い。彼女が記した日本人文化論とも言うべき著書「菊と刀」には、あちこちに類似性を見つけることができる。

武士道は、騎士道とよく比較される。どちらも武徳を示すだけに留まらないという点で、非常に似通っている。違いといえば、精神の後ろ盾に宗教があるかないかであろうか。騎士道精神は、キリスト教の信仰が土台となって道徳観や倫理観を構築している。対して、武士道精神は、武士道自体が道徳観や倫理観を構築している。教義的には、孔子や孟子を土台にしているかに思える。しかし、本書は、もともと日本には慣習的な土壌があって、孔子や孟子はそれを具体的に説明したに過ぎないと指摘している。鎌倉時代から武士階級を中心とした封建制度で育まれてきた精神が、孔子や孟子の教えと調和しやすい関係にあったということらしい。その中心となる仁義の教えは、武士の保守的な思想によく適応し、青少年の教科書となった。実際には、中国との政治体制がまったく違うので、日本流に加工された。マルクスは、「資本論」における封建制の社会的政治的諸制度の研究で、封建制の活きた形はただ日本にのみ見られると語ったという。
更に、武士道精神は、武士階級にとどまらず民衆にまで広がり、階級を超えて受け継がれてきた。武士道の紳士的行儀作法は、英語のgentleman(ジェントルマン)、独語のGemuth(ゲミュート)、仏語のgentilhomme(ジャンティオム)と近いように思えるが、それぞれの微妙な味加減は民族の特徴を表していると言えよう。
ちなみに、数理論理学者レイモンド・スマリヤンは著書「タオは笑っている」の中で、「禅とは、中国のタオとインドの仏教を混ぜ合わせ、日本人がこしょうと塩で味付けしたようなものだ。」と語っていた。

本書は、ベルギーの法学大家ド・ラヴレー氏の歓待を受けた時、「宗教なしで、どうして道徳教育を授けるのですか?」と繰り返し質問されたエピソードから始まる。欧米の価値観では、道徳観や倫理観を身に付けるには宗教教育に頼るのが当然と考え、無宗教を蔑む風潮がいまだに残る。著者は、旅行中にしばしば侮辱を受けたのだろう。本書には、その悔しい思いが滲み出ている。
宗教心は論理的に精査して疑心が生じると脆く、成文法は条文の論理的矛盾が暴かれると効力を失う。人間の尊厳を宗教的戒律に頼れば、宗教間で優位性を争うことになろう。なにも宗教に頼らなくても、信仰心は構築できるし、生き方を見出すことはできるはず。本書は、日本人の道徳観念の根源が武士道にあるとことを見出す。しかし、武士道の観念は、数人の有名な武士や学者によって伝えられる僅かな格言があるに過ぎないという。
「不言不文であるだけ、実行によって一層力強き効力を認められているのである。」
ここには、美と力が調和した様々な美徳的性質が紹介されるが、同時に偽物があることも指摘される。武士道精神にまだ活気があったのは、日露戦争までという意見をよく耳にする。しかし、本書は長い徳川泰平の世に既に廃れていったことを指摘している。明治維新は英雄伝説で語られることが多いが、それは本当だろうか?革新派の中に、佐久間象山、吉田松陰、横井小楠、坂本龍馬といった錚々たる人物がいたことは見逃せない。彼らの視野は広く見識も高い。なのに、維新とほぼ同時に処刑や暗殺で姿を消したのは偶然ではなかろう。残るべき人物が残らず、残るべきでない人物が残るのが、政界の論理というものであろうか。そもそも、将軍徳川慶喜は大政奉還を奏上して江戸城を無血開城し、幕府側の中心である会津藩も要職を辞している。倒幕派も幕府派も外国からの軍事圧力に対して、藩の枠組みを超えた国家軍の創設の必要性を認めていた。にもかかわらず、薩長連合はその勢力を完全に葬り去る必要があったのか?尊王攘夷の意味とはなんだったのか?このあたりの文献もいずれ漁ってみたい。
武士道の仁義とは、正義が前提されてはじめて機能するものであって、けして仲良しグループを結成するための論理ではない。政治屋たちが、国家や国民に対する正義を疎かにしながら、党派の結束を固めるのとは意味が違う。
「義しき道理より以上もしくは以下に持ちゆかれる時、義理は驚くべき言葉の濫用となる。それはその翼のもとにあらゆる種類の詭弁と偽善とを宿した。もし鋭敏にして正しき勇気感、敢為堅忍の精神が武士道になかったならば、義理はたやすく卑怯者の巣と化したであろう。」
この書は、多くの外国人が日本という国を理解するために用いたことであろう。その余韻はいまだに残っているように思われる。そして、今では日本人こそが読むべきかもしれない。

1. 道徳的体系とその淵源
運命に任せる平静な感覚、不可避に対する静かなる服従、危険災禍に直面しても沈着冷静、生を卑しみ死を親しむ心、こうした精神が仏教から影響を受けていることは想像に易い。仏教というよりは、禅の教えに近いかもしれない。禅とは、「言語による表現の範囲を超えたる思想の領域に、瞑想をもって達せんとする人間の努力を意味する」という。
その根本思想には、自然的で絶対的な存在に対して、自己を調和させようとする意志のようなものがある。神道の神学には「原罪」の教義がないという。逆に、本来的に人の心は善にして神のごくと清浄なることを信じるという。だから、神託が告げられる聖所が至るところに設けられ、神の代理人と称する者が多く現れるのであろうか?人間は生まれつき善か?悪か?という論争は、いまだ決着を見ない。それは極めて慣習的な領域にある。まぁ、好みもあろう。「美しい民族」や「美しい国家」などと掲げれば、その民族的優位性という信仰が暴走する。宗教的な癒し系の言葉ほど、暴走しやすく厄介なものはない。そこで「節度」という概念が重要な役割を果たす。武士道の道徳的教訓の源泉は、孔子に見られる。ただし、君臣、父子、夫婦、長幼、朋友の五倫の道は、経書が中国から輸入される以前から、民族的本能として認められるという。孔子を知的に知っているに過ぎない者は、「論語読みの論語知らず」と嘲笑される。
「知識はこれを学ぶ者の心に同化せられ、その品性に現れる時においてのみ、真に知識になる」
これはソクラテスの教義に近い。また、王陽明が具体的に説明しているそうな。神の国や神の義といったものは、西洋と東洋の双方に見られる現象であり、王陽明の著述の中にも新約聖書との類似点が多いという。日本人の民族特性は、王陽明の哲学に適していたという。

2. 戦争と平和
ラスキンは最も平和を愛した人物だそうだが、同時に戦争の価値を信じていたという。その言葉は印象的だ。
「戦争はあらゆる技術の基礎であると私の言う時、それは同時に人間のあらゆる高き徳と能力の基礎でもあることを意味しているのである。この発見は私にとりて頗る奇異であり、かつ頗る怖ろしいのであるが、しかしそれがまったく否定し難き事実であることを私は知った。簡単に言えば、すべての偉大なる国民は、彼らの言の真理と思想の力とを戦争において学んだこと、戦争において涵養せられ平和によって浪費せられたこと、戦争によって教えられ平和によって欺かれたこと、戦争によって訓練せられ平和によって裏切られたこと、要するに戦争の中に生まれ平和の中に死んだのであることを、私は見だしたのである」
平和主義者は戦争を悪魔だと叫ぶ。その通りであろう。だが、戦争から育まれた正義や道徳の認識がある。平和は戦争によって育まれ、平和ボケによって自殺するのかもしれない。

3. 義
「義」は武士の掟の中で最も厳格なる教訓であるという。だが、「義」ほど説明の難しい概念はない。武士にとって卑劣なる行為や、歪曲した振る舞いほど忌むべきものはない。
林子平はこれを「決断力」と定義したという。つまり、「死すべき時に死し、討つべき時に討つ」けして猶予ならない心だと。真木和泉は、「節義あれば、不骨不調法にても、士たるだけのこと欠かぬなり」と言ったという。孟子は、「仁は人の心なり、義は人の路なり」と言った。「義理」の本来の意味は義務にほかならないという。だが、義務だけで命をかけることはない。正義の道理がともなう。
「義士」と呼ばれるもので、有名なのは忠臣蔵であろうか。主君に対する無条件の義理立てには、欧米人にとって理解の難しいものであろう。生まれつき階級を運命と捉えるならば、諦めの精神にも通じ、消極的な思考は怠惰と解釈される。だが、主君への屈服は慣習への屈服ではない。誇りと権威がなければ義理は生じない。忠臣蔵の仇討精神には、公儀の裁きに対して誤りを認めさせるという正義の道理が込められる。つまり、積極的な思考なのだ。
「勇気は、義のために行われるのでなければ、徳の中に数えられるにほとんど値しない。」

4. 仁
愛情、同情、寛容、憐憫は古来最高の徳とされ、王者の徳とされた。慈悲は王冠よりも善く王者に似合うという。孔子も孟子も、治める者の最高の必要条件を仁としている。封建制の政治は武断主義に陥りやすい。そこで、最悪の種類の専制から民衆を救うものが仁とされたという。
ただ、徳と絶対権力は調和しないようにも思える。歴史的に、慈悲的な専制君主が長続きした例はあまりない。どんなに君主が立派であっても、その血筋で継承されていくうちに必ず腐敗をともなってきた。
「最も剛毅なる者は最も柔和なる者であり、愛ある者は勇敢なるものである」とは、普遍的に真理であるという。このあたりに「武士の情け」の原理がありそうだ。武士道では、愛は盲目的な衝動ではなく、正義に対するものだという。そして、弱者、劣者、敗者に対する仁は、特に武士に適した徳として賞賛されたという。
「敗れたる者を安んじ、傲(たか)ぶる者を挫き、平和の道を立つること -- これぞ汝が業(わざ)。」
伊達正宗は、無差別な愛に溺れることなく、正義と道義によって戒めるように説いた。
「義に過ぐれば固くなる、仁に過ぐれば弱くなる」
フリードリヒ大王は、「王は国家の第一の召使いである」と言ったが、偶然にも同時期に上杉鷹山が同一の宣言をしたという。ビスマルクは、「絶対政治の第一要件は、治者が無私正直にして義務感強く、精力と内心の謙遜をもつことである」としたという。また、ジュネーヴ条約に基づいた赤十字活動も、武士道精神に通ずるもがあると指摘している。
「戦闘の恐怖と真唯中において哀憐の情を喚起することを、ヨーロッパではキリスト教がなした。それを日本では、音楽ならびに文学の嗜好が果たしたのである。優雅の感情を養うは、他人の苦痛に対する思いやりを生む。しかし他人の感情を尊敬することから生ずる謙譲、慇懃の心は礼の根本をなす。」
こうして見ると、武士道的観念は世界中で見られる。これが普遍的真理だとすれば、この精神の質で民族的優位性を議論しても仕方があるまい。

5. 礼
伊達正宗曰く、「礼に過ぐれば諂いとなる。」
礼は、社会的地位に対する正当なる尊敬を意味するのであって、肩書きや金権的差別を表わすものではない。虚礼というやつは、孔子も指摘している。
「信実と誠実となくしては、礼儀は茶番であり芝居である。」
社会には、有閑階級の産物や象徴とされるような形式ぶった儀礼が多く、礼儀作法を教える人が精神的意味を知らない人が多いと指摘している。だから、礼儀に対して懐疑的に思う人も少なくないわけか。おいらもその一人で、企業組織などで見られる形式ばった儀礼が大嫌いな反社会分子である。そんな無礼な泥酔者でも、外国で国家掲揚や国歌斉唱など敬意を払うべき時に、日本人が無礼な態度をとるという話を聞くと頭が痛い。
武士道には、厳格なる礼儀の尊守の中に含まれる道徳的訓練があるという。礼儀作法は、茶道などの芸術によって高められてきた。茶道そのものは精神的性質とはなんら関わりがないが、それが礼儀と結びついた時に精神修行の場を提供するという。皮相的な慣習としての礼が精神に結びついた時に、はじめて武士道が宿る。
ところで、物を贈る時の礼では、国民性の違いを見せる。アメリカ人は、「これは善い物です。善いものでなければ贈りません。善き物以外の物を贈るのは侮辱だから」といった感じで物品に気持ちをこめる。対して日本人は、「君は善い方です。いかなる善き物も君にふさわしくありません。だから、好意の記として受け取って下さい。」といった感じで行為に心をこめる。どちらにも合理性はあろう。ただ、武士道には経済的観念が欠けていると指摘している。行動に対する金銭的な報酬を求めるという商人的感覚を教えない。だが、経済には信用という概念がある。欧米社会では、キリスト教的な神との契約精神が会計義務とよく結びついているように映る。武士道にも誠の精神があり、それが堺商人の精神と結びついて経済活動を支えてきたのだろう。

6. 名誉と腹切
「名誉の感覚は人格の尊厳ならびに価値の明白なる自覚を含む。」
羞恥の感覚は、人間の道徳的自覚の最も早い兆候だという。「笑われるぞ!」、「恥ずかしくないか!」とは、説教の言葉としてよく用いられる。そこには、異常に体面を気にする体質がある。大義のための憤怒は義憤となる。だが、その裏腹に虚栄心が働くことも見逃せない。肩書きや権力に憑かれて、脂ぎった欲望に走る例も珍しくない。
また、武士道では、名誉と名声の下では、命さえも廉価と考えられた。
「名誉の失われし時は死こそ救いなれ、死は恥辱よりの確実なる避け所」
腹切は、罪を償い、過ちを謝し、恥を免れ、友を贖い、なによりも自己の誠実を証明する方法だったという。法律上の刑罰として命じらる時には、荘重なる儀式とされた。けして宗教的な儀式ではない。
本書は、腹切を「洗練された自殺」と表現している。ただし、死を崇めているわけではない。武士にとって、死を急いだり死に媚びるのも、等しく卑怯だとしている。戦場では最後の最後まで命をかけ、災禍困難に対しては耐え抜く。逃亡の意味での死は卑怯とされた。切腹は、命を粗末にする野蛮な行為ではなく、名誉を前提とした最も尊い儀式作法であった。感情の極度の冷静と態度の沈着さ、潔さがなければ、けしてできる行為ではない。これこそ武士の美徳であった。命よりも大切な価値観があるから、命の危険に曝されても平静でいられるのだろう。「命が最も重い!」という価値観が強過ぎると、「名誉ある生」の地位を押し下げ、他人を犠牲にしてまでも生き延びようとする意思が働く。これが、平和ボケの正体であろうか?

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