2011-03-06

"宮沢賢治詩集" 谷川徹三 編

何を血迷ったか!宮沢賢治を手にしている。この手の文学は、義務教育で説教じみたイメージを徹底的に叩きこまれた。
ところが、今読むとまったく教説的なものを感じない。対極にある存在と調和しながら、人生の指針と糧にする世界とでも言おうか、むしろ風狂的な自然哲学といった感がある。この歳になって、やっと義務教育を素直に受け入れられる心の準備が整ったというのか?いや、天邪鬼な人格が変わるわけがない。ということは、精神が泥酔しただけのことか。優等生たちがこういう作品を早くから味わえるとは、羨ましい限りだ。つまらない先入観を残したままでは、再びそれに接する機会をも失いかねない。気まぐれに感謝しよう。
そんな宮沢オンチでも、好きな言葉が一つだけある。それは「永久の未完成、これ完成なり」である。

本書は、岩波文庫版で詩群146編が収録される。この時代の作品にありがちな、平仮名とカタカナのコラボレーション、そして、思いっきり読み辛い旧仮名遣いに旧漢字。視覚的な配慮をそのまま残したのであろうか、それはそれで情緒があっていい。しかも、奇妙な外来語や西洋語を交えながら呪文と化す。これが日本語か?岩手弁から派生した原生言語か?そこには宮沢言語なるものが形成される。文の一つ一つを眺めると、ちょっと語調の整った普通の文章が連なり、突然、想像だにしない要素が紛れ込む。奇妙な単語が目立つのは、詩の中に入りきれないものを無理やり押し込んだ印象すらある。詩らしくない詩と言おうか、詩を超越した詩と言おうか、いや!詩であるよりも遥かに詩である。天才にしか分からない体系の破壊からは、破壊を超越した芸術が顕わになる。しかも、鑑賞者が抱く疑心すら黙らせてしまう。
当時、新しい詩の体系を提示しながら、その独創的な評価は没後に高まったという。宮沢賢治自身は、詩集「春と修羅」の詩「序」の中で、これらを詩とは呼ばす「心象スケッチ」と呼んでいる。

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これらは二十二ヶ月の
過去とかんずる方角から
紙と鑛質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
明暗交替のひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです
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宮沢賢治は、大正デモクラシーの自由主義が高まった時代を生きた。急速に近代化する影で、農村部では窮乏に喘ぎ、馬や牛が売られる前に娘が売られたと聞く。庶民の政治への不信感が募る中、軍部の台頭を許し泥沼の戦争へと向かった。
本書にも、そうした社会風潮への批判が随所に見られる。これは東北農民の代弁なのか?労働者の代弁なのか?そして、「おれはひとりの修羅なのだ!」と叫びながら、まるで法華経に救済を求めるかのように、毘沙門天への思いが呪文のように唱えられる。その一方で、野や山や川を描写しながら自然と戯れ、厳しい冬、穏やかな早春など東北の季節を見事に歌い上げる。一般的な詩の題材としては、こちらの方がしっくりとするのだろうが、天の邪鬼には、社会批判や奇妙な呪文ばかりに目がいく。
心に映る万象は宇宙論に通ずるものがあり、実践的哲学、科学的表現、自然学的思考、仏教的精神、あるいは、自戒の語あり、童話のような詩句ありと、その多彩な言語群は学識の広さを見せつける。「モナド」という言葉まで登場するが、ライプニッツを意識しているのか?アリストテレス的な宇宙観を意識しているのか?
しばしば、括弧でくくったト書のような文を付して臨場感を煽り、字間による視覚効果にもこだわる。突然調子の変化で戸惑うこともたびたび、それが退屈しなくていい。日常の取るに足らない光景を、さりげなく芸術にしてしまい、おまけに戦地の司令官の命令までも詩にしてしまう。
そして、最後の最後に、あの有名な「雨ニモマケズ...」で直接的な描写で完結し、安心感を与えてくれる。ここに掲載される詩群は、立体的な観点から一つの体系と見なすことができそうだ。

1. 自然に身を委ねる風狂ぶり!
「蠕虫舞手(アンネリダテンツエーリン)」の異質な言葉遊びは笑える。

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8γe6α(エイト ガムマア イー スィックス アルフア)
ことにもアラベスクの飾り文字
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これは化学式か?はたまた暗号か?5つの文字をなぞって何度も繰り返す。蠕動する虫の動きを文字の形で表現しているのだが、もはや詩という枠組みでは説明できない。

2. 絶望か?ニヒリズムか?
「白菜畑」の中身は、その題目から意外性を感じる。

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盗まれた白菜の根へ
一つ一つ萓穂(かやぼ)を挿して
それが無抵抗主義なのか

水いろをして
エンタシスある柱の列の
その残された推古時代の礎に
一つに一つ萓穂が立てば
盗人(ぬすびと)がこゝを通るたび
初冬の風になびき日にひかつて
たしかにそれを嘲弄する
さうしてそれが無抵抗思想
東洋主義の勝利なのか
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3. 呪文の度が過ぎると、そこは異次元だった!
「祭日」の呪文は、もはや宇宙人の感覚だ。

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アナロナビクナビ 睡(ねむ)たく桐咲きて
峡(かひ)に瘧(おこり)の やまひつたはる

ナビクナビアリナリ 赤き幡(はた)もちて
草の峠を 越ゆる母たち

ナリトナリアナロ 御堂のうすあかり
毘沙門像に 味噌たてまつる

アナロナビクナビ 踏まるる天(あま)の邪鬼(じゃき)
四方につつどり 鳴きどよむなり
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ちなみに、法華経の言葉に、こんなものがあるらしい。
「阿犂 那犂 菟那犂 阿那蘆 那履 拘那履」(アリ ナリ トナリ アナロ ナビ クナビ)
なるほど、この六語を組み合わせると、奇妙な呪文ができるというわけか。ほとんど記号学の世界だ。

4. 宇宙人の詩の中にも人間の詩があった!
最後の方に収録される詩群「肺炎詩篇」「手帳より」でストレートな表現に出会うと、なぜかホッとする。尚、宮沢賢治は肺炎で亡くなったそうな。「病相」という詩では刻々と衰えていく様子を描写する。「眼にて言ふ」という詩は、出血の様子からもうダメだ!という心境を眼で訴えているのか?それとも周りの空気から察知したのか?

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わたくしから見えるのは
やつぱりきれいな青ぞらと
すきとほつた風ばかりです
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「雨ニモマケズ...」は、「手帳より」に掲載されるが、メモとして書き留めたものだろうか?最後にこの詩に出会うと、やっと安心して眠れるのであった。

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雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテヰル
 ~
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
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