前記事の新渡戸稲造著「武士道」には、その精神の淵源に孔子との共通点を見出していた。ついでに、これも読み返しておくか。げげ!こいつまでカビってやがる...
同じ本でも読む時期によって、こうも景色が違って見えるものか。学生時代は教説的な印象が強く、その意味するものを必死に追いかけていたような気がする。ところが今読むと、語彙が音律として流れるとともに癒される。そして、まったく強制的なものを感じない。爽やかな風にあたりながら草木が揺れるのを感じ、ぼんやりと純米酒を味わかのごとく、そんな自然と戯れるような書だったとは知らなんだ。それでも、時折説教される気分になるのは、昔とあまり変わっていない。道徳と無縁の人間には仕方がないか。歳を重ねれば、足が臭くなり、口が臭くなり、酒の席で醜態を演じながら、精神が腐っていくのを感じる。だからこそ、自然で風狂的な言葉を欲するのかもしれない。
論語といえば、儒教の経典として古くさい道徳主義を連想する人も少なくなかろう。「老人には安心され、友人には信じられ、若者には慕われたい」という平凡な願いが込められているだけなのだが。そして、「道理があるからといって必ず報われると思うのでは道理から外れている」といったことを教えている。どんなに優れた書物に出会っても、受け入れるだけの心の準備がなければ素通りしてしまう。20年後に読み返せば、更に違った景色を見せてくれるに違いない。
論語は、古代中国の大古典「四書」の一つで、孔子の言葉や弟子たちの問答を、彼の死後に編纂された言行録である。その言葉が断片的なだけに、ちょっとした時間に気軽に読みつなぐことができる。偉大な言葉や教えを残したからといって、そのぬくもりや笑い声をいつまでもとどめておくことは難しい。だが、その光景を想像してみると、なんとなく懐かしめいたものを感じる。論語には、そうした弟子たちの思いが込められる。
ところで、孔子の解釈は様々であろう。封建制度や官僚体制を広めた根源として悪評に曝されることも珍しくない。だが、それは本末転倒であろう。
「(法制禁令などの小手先の)政治で導き、刑罰で統制していくなら、人民は法網をすりぬけて恥ずかしいとも思わないが、道徳で導き、礼で統制していくなら、道徳的な羞恥心を持ってそのうえに正しくなる。」
確かに、孔子の唱える「礼」は一種の不文法で、封建制度や官僚体制と矛盾するわけではない。そして、それが硬直化した時に腐敗的な精神が蔓延する。新渡戸稲造は、武士道精神とよく調和するとしながら、偽物の礼があることも指摘している。
本書は、礼は仁をともなって、はじめて効力を発揮するものだとしている。ただし、仁が最高とも言っていない。学問すれば智者になれるとは限らない。智者だから仁の持ち主になれるとも限らない。誠実だけでも足りない。仁とは、実践するに非常に難しいもののようだ。また、仁があっても、弁の立たないことで損をすることもあろう。実にもったいない。だが、真に仁があるならば、なにも弁が立つ必要はないという。
「君子は自分に才能のないことを気にして、人が自分を知ってくれないことなど気にかけない。」
また、どんな儀礼も、心の合理性から生じたものとし、その意味を知らずに盲従することを嫌っている。恥とは、儀礼を知らないことではなく、儀礼が意図することを実践できないこととしている。
「知ったことは知ったこととし、知らないことは知らないこととする、それが知るということだ。」
人間社会とは奇妙なもので、本来、心の道理に基づいて設けられた制度も、時が経つにつれ独り歩きを始める。やがて、人々は道理を忘れ、制度に従うことあるいは反発することのみに躍起になる。どうしてそのような決まりになっているのか?と疑問を持ち続けることが「考える」ということであろうか。もっと言うならば、道理とは真理に基づくものであろうし、それを探究し続けることが「学問する」ということであろうか。
「学んでも考えなければ、はっきりしない。考えても学ばなければ、危険である。」
孔子の思想は、たまたまその時代の政治体制と結びついただけのことで、同じく民主政治や専制政治にも矛盾しない。それは、もっと抽象度の高い自然学、あるいは宇宙論に近いもののように映る。
歴史的に偉大な思想というものは、ほとんど言いがかりのような批判を受けてきた。目立つだけに愚人たちの餌食にされやすい。あらゆる言葉は、状況や用い方の違いでいかようにも濫用できる。おまけに、偉大な思想家たちは慎重に抽象的に語るもんだから、様々な解釈の余地を残す。軽々しく言葉を用いないのは、実践が言葉に追いつけないことを恥じていたのかもしれない。
1. 孔子という人物
紀元前551年、孔子は魯国で生まれ70有余年を生きた。それは、キリスト生誕の約500年前で、釈迦とほぼ同時期に当たる。孔子というのは尊称で本名は「孔丘(こうきゅう)」。頭の頂きがへこんでいたことから「丘」と名付けられたという説もある。身長は9尺6寸(当時の換算で約2メートル)で、「長人」と呼ばれたという。
彼が生きた時代は、統一王朝の周が衰え数十ヵ国に分裂した春秋時代、各地で政変が相次いだ。聡明な者が批判好きな輩の餌食となり、博学の者が噂好きな輩のために危険に曝される。政治をする者の中にただ一人賢人がいても、多数の愚人によって治められるのが世の常。禍は言葉より生じ、賢人が生きるには息苦しい社会であったのだろう。しかし、偉大な思想は、乱れきった時代でこそ、その反発エネルギーとして育まれる。
孔子は、権勢を目の前にして政治のあり方を議論し、現実を直視しながら実践的な教育を目指したと思われる。彼は、魯国で大司寇の地位まで出世した。大司寇とは司法大臣のようなもの。後に、政変が起こって魯の実権を握った陽貨(陽虎)に誘われたが、その人間性を嫌って弟子たちとともに国外へ巡遊の旅に出る。いつも沈着冷静で、誇りに満ち、穏やかでいられれば、その人物に憧れてしまう。孔子とはそういう人物だったのだろう。
ちなみに、背が高く才があるとなれば、女にモテる。衛国に立ち寄った時、君主霊公の南子(なんし)夫人に目をつけられた逸話が、迷惑そうに綴られる。南子夫人は淫乱で愛人は数知れず。彼女に会いに行ったことが、孔子が色を好んだと噂され批判材料とされる。孔子は、弟子の子路(しろ)から南子に会ったことを問い詰められる。
「私の行いが道理から外れていれば、天が私を見捨てるだろう。」
2. 弟子の逸話
弟子の中でも、顔回(がんかい)を理想に近い徳の持ち主と評している。若くして死んだから、特に惜しんだのかもしれない。
「賢明だなあ顔回は。一椀の飯に一椀の汁で、むさくるしい路地に住んでいる。普通の人なら、その貧苦に耐えられないのに、回は相変わらず道を楽しんで勉強している。」
君子は苦境に立っても決意が変わらないが、小人は苦境から逃れるためになんでもする。苦境は君子と小人を分けるというが、どんなに頑強な決意があろうとも、喰わねば挫けるのが道理というものだろうけど。
本書には記載されないが、子路(しろ)の入門時の逸話が好きだ。ちなみに、このネタをどこから仕入れたかはまったく記憶がない。
...乱暴者の子路は、孔子のインチキ学者振りに腹を立てて、問答をしにやってきた。
子路「学問がなんの役に立つというのか?南山の竹は生まれつき真っ直ぐだ。それを矢にすれば分厚い犀革でも突き通す。」
孔子「人間は持って生まれた時にすべてが決まるということか?」
子路「だから、力の強い者には学問なんて必要ない!」
孔子「君の言うとおり南山の竹は真っ直ぐだ。だが、鏃(やじり)を付け、矢羽を付け、真っ直ぐ飛ぶようになった。鏃や矢羽を考えた人がいたんだ。学問とはそういうことではないか?」
子路「私も鏃や矢羽を考える人間になれるでしょうか?」
...と帰依していったとさ。
3. なんといっても好きな言葉はコレだ!
「子の曰わく、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(みみした)がう。七十にして心の欲する所に従いて、矩(のり)を踰(こ)えず。」
...口語訳は...
「十五歳で学問を志し、三十歳で独立精神を持ち、四十歳であれこれと迷わず、五十歳で天命をわきまえ、六十歳で人の言葉を素直に聞き入れ、七十歳で思うままに振る舞って、それで道を外れないようになる。」
まさしく人生戦略を物語った言葉である。ここには、聖人として完成したい!という願いが込められる。そして、人間が安住できる場所は墓にしかないと聞こえてくる。
なぜ15歳から始まるかというと、その歳で母親を亡くし、生きるために何かを必要としたのかもしれない。そして、身分が低いことを思い知らされ、学問を志すしかないと悟ったのかもしれない。
「教えありて類なし」
当時、学ぶことができたのは貴族だけであった。孔子は私塾を開く。誰でも教育によって良くなるとし、階級を問わず広く弟子を受け入れ、その数は三千人を超えたと言われる。その精神は福沢諭吉に通ずるものがあるが、二千年以上も先んじているとは...平等とは、すべてが平等に分け与えられるという意味ではない。学ぶことの前では貧富や身分の差別はないということである。
4. 訓示群と哲学的矛盾
本書の訓示には、多くの矛盾を見つけることができる。それは精神領域を語る哲学書に見られる普通の現象である。例えば、人と広く親しみなさい!としながら、劣った者を友人にするな!とか、目上の考えを尊重せよ!としながら、誤った考えはすぐに改めよ!とか、伝統を重んぜよ!としながら、新しきものに目を向けよ!とか、仁を積極的に説きながら、仁の正体は分からないと本音をもらしたり...あるいは、礼を尽くすことと諂うことや、誠実と馬鹿正直を区別する。
これらを統合すると、従順でありながら柔軟な態度、消極的でありながら積極的な行動、受動的でありながら能動的な思考、質朴と装飾、こうしたもののバランス感覚を大切にせよ!ということであろう。そして、「中庸の原理」あるいは「節度の概念」のようなものが浮かび上がってくる。
ここには、ひたすら実践的な教訓が羅列されるだけで、大層な理想などは見当たらない。その思考体系を統合し、理解しようとすればするほど、分からなくなっていくような気がする。自信を持っていた知識も、より深く学べば自信を失っていく。学ぶということは、次から次に分からないことを増やすことなのかもしれない。そして、分からないことが許容範囲を超えると、やがて心地よくなり矛盾と戯れるようになれるのだろうか?逆に、矛盾しないことが気持ち悪くなるのかもしれない。そんな境地に達してみたいものだ。
道を極めるとは、永遠に思考を続ける覚悟を決めることであろうか。しかし、道を志しても能力の足りない者は、自然に途中でやめることになる。それは、自ら見切りをつけるのとちょっと違う。道半ばにして断念せざるをえないのが寿命というやつだ。自我を凌駕する道は、自然に絶えるしかあるまい。
5. ちょっと気に入ったフレーズをメモっておく
「先生が言われた、学んでは適当な時期におさらいする、いかにも心嬉しいことよ(そのたびに理解が深まるのだから)。友達が遠いところからも訪ねて来る、いかにも楽しいことよ(同じ道について語りあえるのだから)。人が分かってくれなくとも気にかけない。いかにも君子だね(凡人にはできないことだから)。」
「子貢(しこう)が言った、貧乏であっても諂わず、金持ちであっても威張らないというのは、いかがでしょうか?
先生は答えられた、よろしい。だが、貧乏であっても道義を楽しみ、金持ちであっても礼儀を好むというのには及ばない。」
「知っているということは好むには及ばない。好むというのは楽しむには及ばない。」
「人に仕えることもできないのに、どうして神霊に仕えられよう。...生もわからないのに、どうして死がわかろう。」
「子貢(しこう)が政治のことをおたずねした。
先生は言われた、食糧を十分にして軍備を十分にして、人民に信を持たせることだ。
子貢が、どうしてもやむをえず捨てるなら、この三つの中でどれを先に捨てますか?というと、先生は、軍備を捨てる、と言われた。どうしてもやむをえずに捨てるなら、あと二つの中でどれを先にしますか?というと、食糧を捨てる。昔からだれにも死はある。人民は信がなければ安定しない。と言われた。」
「君子には仕えやすいが、喜ばせるのはむつかしい。道義によって喜ばせるのでなければ喜ばないし、人を使うときには、長所に応じた使いかたをするからだ。
小人には仕えにくいが、喜ばせるのはやさしい。喜ばせるのに道義によらなくても喜ぶし、人を使うときには、何でもさせようとするからだ。」
「自分のことばに恥を知らないようでは、それを実行するのはむつかしい。」
「話しあうべきなのに話あわないと、相手の人をとり逃がす。話しあうべきでないのに話しあうと、言葉を無駄にする。智の人は人をとり逃がすこともなければ、また言葉を無駄にすることもない。」
「国を治め家を治める者は、人民の少ないことを心配しないで公平でないことを心配し、貧しいことを心配しないで安定しないことを心配する。」
人々が多いということは、その国に魅力があることとし、教育を普及することができるとしている。
「生まれついてのもの知りは一番上だ。学んで知るのはその次だ。ゆきづまって学ぶ人はまたその次だ。ゆきづまっても学ぼうとしないのは、最も下等だ。」
「君子には九つの思うことがある。
見るときにははっきり見たいと思い、聞くときには細かく聞きとりたいと思い、顔つきには穏やかでありたいと思い、姿にはうやうやしくありたいと思い、言葉には誠実でありたいと思い、仕事には慎重でありたいと思い、疑わしいことには問うことを思い、怒りには後の面倒を思い、利得を前にしたときは道義を思う。」
「仁を好んでも学問を好まないと、その害として情に溺れて愚かになる。
智を好んでも学問を好まないと、その害としてとりとめがなくなる。
信を好んでも学問を好まないと、その害として盲信に陥って人を損なう。
まっ直ぐなのを好んでも学問を好まないと、その害として窮屈になる。
勇を好んでも学問を好まないと、その害として乱暴になる。
剛強を好んでも学問を好まないと、その害として気違いざだになる。」
仁徳などの六徳もよいが、学問に磨きをかけないと、愚かであり続けると...
「子貢(しこう)はおたずねした。君子でもやはり憎むことがありましょうか?
先生は言われた。憎むことがある。他人の悪いところを言いたてる者を憎み、下位に居りながら上の人をけなす者を憎み、勇ましいばかりで礼儀のない者を憎み、きっぱりしているが道理の分からない者を憎む。
賜(子貢)よ、お前にも憎むことがあるか?
他人の意をかすめ取ってそれを智だとしている者を憎みますし、傲慢でいてそれを勇だとしている者を憎みますし、他人の隠し事を暴き立ててそれをまっ直ぐなことだとしている者を憎みます。」
「天命が分からないようでは君子とはいえない。心が落ちつかないで、利害に動かされる。礼が分からないようでは立ってはいけない。動作がでたらめになる。言葉が分からないようでは人を知ることができない。うかうかと騙される。」
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