2011-12-04

"カオスとフラクタル" 山口昌哉 著

図書館を散歩していると、ある本に嵌ってしまう。本書はブルーバックス版(1986年)。尚、ちくま学芸文庫からも発刊(2010/12)されていることを後で知った。なるほど、復刊するにふさわしい入門書である。

カオスという言葉が文献に登場したのは、紀元前700年頃ヘシオドスの「神統記」にまで遡る。一方、数学界にこの言葉が登場したのはずーっと後のことで、1975年リーとヨークの定理が最初だという。その頃、ブノワ・マンデルブロが、フラクタルという言葉を持ち出す。当時、カオスの方は、決定論的プロセスと非決定論的プロセスの境界がなくなるとして研究者たちが群がったが、フラクタルの方は、あまり反響がなかったそうな。フラクタルに注目され始めたのは70年代末、コンピュータグラフィック技術の進化によってである。
カオスは、複雑系を確率論的にしか捉えられない不規則な世界である。関数もすっきりとした連立方程式から導かれるのではなく、波動的あるいは集合論的な関数によって導こうとする。対してフラクタルは、単純な基本図形から自己相似形を繰り返していくと、極めて不規則な、いや不規則そうに見える図形を形成するという摩訶不思議な世界である。どちらも混沌に向かってそうに見えるが、フラクタルは数学的に計算できるのが、その違いである。本書は、この二つは別々のものではなく、実はカオスのプロセスを逆に観察するとフラクタルが見えてくるという。その共通概念は非線形である。
ところで、線形という言葉の定義も難しい。線形やリニアとは、グラフで描けば直線になるもの、すなわち一次関数と習ったものだが、縦軸の目盛を対数にとれば対数関数や指数関数も直線になる。目盛を任意の関数にとれば、どんな曲線も直線になるだろう。線形とは、原因と結果が何らかの形で連続性を示す予測可能な関係とでも言おうか。
しかし、線形を求めたところで、あらゆる物理現象は非線形に見舞われる。世間では未来を予測するために法則というものを考えるが、実際には初期条件や境界条件なるものを前提しなければならない。電子工学でリニア素子と呼んだところで、限られた範囲の周波数特性において線形性を見せるだけだ。そう、非線形な現象の中から線形に見えるところだけを都合よく用いているに過ぎない。したがって、非線形な市場経済では、市場動向の予測可能な範囲で参加すればいいだけのこと。人生も非線形的で、成長著しい10代からやがて老化して飽和していく。なによりも生まれて死ぬという特異点がある。おまけに、その二大特異点で連続性が保たれるのか?と問えば、宗教しか答えてくれない。神は、人間が特異点に出会う度に想定外だと言い訳する態度を、滑稽に眺めているに違いない。

微分とは、物理現象を解析する上で、その瞬間をスナップ写真のように映しだす便利な道具である。微分方程式とは、未知の関数とその導関数との間に成り立つ関係である。ただ大きな問題は、微分方程式の多くが解けないことである。だから、ε-δ論法なんて近似的な思考を持ち出して、せっかくの数学愛好家を落ちこぼれにしやがる...と愚痴る。
近似と言えば、ニュートン時代からの古典的な思考に差分方程式がある。連続性を映しだすには、差分区間を無限小に近づけることになり、極めて微分の思考と似ている。
ところが、だ!本書は、その微小dtが差分Δtになった途端に奇妙な現象が起こるという。すなわち、限りなく小さい区間を、大雑把に小さい区間にすると、たちまち非線形性が現れるというのだ。ニュートン力学では物理現象を連続性で捉えるが、差分的思考では離散的に捉えて近似する。要するに近似とは、人間の認識能力を誤魔化す巧みな方法論なのだ。
本書は、カオスを引き起こす原因は離散力学系にあるとしている。電子工学では、滑らかで連続的なアナログ波形に対して、デジタル波形となると、たちまちオーバーシュートやアンダーシュートが起こる。いわゆるギブス現象というやつで、急激な変化点では発散する。この現象は、三角関数で連続的に微分できるにもかかわらず、フーリエ変換ですんなり証明できてしまう。となると、連続性よりも離散性の方に真理があるのか?と思えてくる。電子スピンはどういうわけか、離散的な軌道を描きやがるし。連続性を前提にした微分とは、永遠に近づけない真理への無駄な努力ということか?人間認識の本質が近似にあるとすれば、誤魔化しのきく人間ほど幸せになれるということか?いや、救いは離散系におけるランダム性に求めて、そこに真の純粋性があるに違いない。そう、精神分裂的な気まぐれこそ純粋哲学というわけだ。

1. ランダムとカオス
連続であっても非線形性で分かりやすいのは折れ線グラフであろう。滑らかな曲線だってサンプル数を減らせば折れ線グラフになる。コンピュータグラフィックでは、画素をドット単位で離散的に表示する。そして、最小サンプル数で描くと基本的な形が三角形ということになろう。フラクタル図形の基本は三角形の自己相似性にありそうだ。
また、ランダム性の最も単純な現象は、コイン投げのような確率であろう。その現象は、区間[0, 1]で三角形のようなグラフを描く。これが離散力学系の基本的な現象であろう。
グラフが直線ということは、微分不可能を意味する。次元が下げられない上に上げられない現象の正体とは?カオスの正体とは、微分不可能な領域にあるのかもしれない。
さて、ランダムもカオスに含まれるのであろうが、その違いとは何か?ランダムは事象が平等に現れるのに対して、カオスは事象がすべて現れるとは限らない。ランダム性は確率論的決定論と言えるのかもしれない。だが、実験すると極めてカオス的な現象を示す。おもしろいのは、決定論的な方法で非決定論的な結果が得られるということだ。そうなると、決定論と非決定論の境界も曖昧になっていく。
本書は、カオスはある区間に閉じ込められた時に生じるもので、もし区間が解放されれば、カオスは絶対に起こらないという。カオスが生じるということは、宇宙空間が閉じていることの証しなのか?エントロピーの正体は閉じた宇宙にあるのか?
「嵐の前の静けさ...という言葉があるが、静けさの時間が予言できれば、嵐も予言できるわけである。」

2. ロジスティック方程式
個体群生態学では、ベルハルストが考案したロジスティック方程式というものがあるらしい。生態の増殖モデルとして考案された微分方程式である。変化率を人口Nの関数になると考え、環境収容能力をK、増加率をrとすると、次式になるという。

 dN/dt = f(N) = rN (K-N)/K

その解は、初期値をN0とすると、こんな感じらしい。

 N(t) = K N0 exp(rt) / ( N0 exp(rt) + K - N0 )

ここでは、最初増加率が低く比例的に変化するものが、突如指数関数的に増加し、そして頭打ちになる例を紹介してくれる。数学的には簡単でも、その意義となると極端に理解が難しい。ゼロから存在が生じることは説明できないし、そもそも環境に依存する数値が客観的に得られるのか?という疑問がある。この方程式は、なんとなく数学と社会学の境界線、もっと言うなら客観性と主観性の境界線を暗示しているように映る。
ちなみに、ロバート・メイの離散的な数値実験では、パラメータrが3以下の場合、初期値が0と1との間のどんな値でも、1 - 1/a に収束し、予測可能になるという。だが、rが3.57...以上になると、初期値の微小な差で大きな差が生じて、たちまち予測できなくなるという。これが、カオスの所以ということらしい。

3. ローレンツアトラクタ
ストレンジアトラクタとは、「奇妙な引きつけるもの」いや「奇妙に終焉するもの」と言った方がいいだろうか。結局、どこかの状態に落ち着くことはよくある。カオスに対して逆行するような現象である。
本書は、二次元におけるカオスの数理からホモクリニックな点を紹介してくれる。カオスの抽象化は幾何学的にはトポロジーに通ずるものがありそうだ。
二次元の力学系であればまだ数値解析ができそうだが、三次元となるとたちまち複雑系へと迷いこむ。ローレンツの乱流モデルがそれで、あの奇妙な引力圏を描くやつだ。1963年、地球物理学者ローレンツは、三つの未知関数で流体運動を示したという。X(t)は対流の強さに比例、Y(t)は対流で上下する流れの温度差に比例、Z(t)は上下方向の温度分布が線形性から乖離する量、といった具合に。

 dX/dt = -σX + σY, dY/dt = -XZ + rX - Y, dZ/dt = XY - bZ

σは流体の拡散係数と熱伝導係数の比(プラントル数)。rとbは容器の形や流体の性質に関するパラメータ。本書は、ローレンツが示した連立微分方程式が三つの未知関数から成り立つことが重要であって、二つ以下の連続な力学系ではカオスは起こらないという。これは、三体問題と何か関係があるのだろうか?
ちなみに、ジャパニーズアトラクタというものもあるそうな。1961年、京都大学の上田睆亮教授によって発見された。上田教授の話によると、当初アナログコンピュータの故障かと思ったそうな。それは、二次元力学系のダフィングの方程式を写像した時に起こる現象である。ダフィングの方程式は次のようなもので、解は初期値の連続関数になるという。

 dx/dt = y, dy/dt = -ky - x^3 + B cosτ

連続力学系を離散力学系に写像した時に、たちまちカオス現象が生じるということらしい。

4. ファイゲンバウムの分岐ダイアグラム
物理学者ファイゲンバウムは、現事象の差分と次事象の差分の比に注目したという。

 (αn+1 - αn) / (αn+2 - αn+1)

そして、この比の極限を計算すると、次のようになるという。

 lim (αn+1 - αn) / (αn+2 - αn+1) = δ = 4.6602...

これがファイゲンバウム定数というやつか。分岐に関する事象では、普遍的な定数δによる法則性があるという。そして、その図形は「くまで型」になるという。こうなると、カオスにも法則性があると信じたくなるが、ほんまかいな?

5. カオスからフラクタルへ
ここで、おもろいパラドックス紹介してくれる。
「二等辺三角形の二辺の長さの和と底辺の長さは等しい???」
その証明は...二等辺三角形ABCでABの中点をB0、BCの中点をB1、ACの中点をC0として、底辺ACを二つの二等辺三角形AB0C0とC0B1Cに分ける。すると、AB = AB0 + B0C0, BC = CB1 + B1C0 となる。それぞれの三角形は相似で、これを繰り返すと分けられた三角形はジグザグな折れ線グラフを示す。そして、折れ線幅がだんだん小さくなり、やがて底辺の直線に近づいていく。なんと AB + BC = AC になるではないか。確かに、線分とは点の集まりであり、三角形も極小に近づけば点になるのだけど...
ところで、海岸線や国境線が正確に計測できないことは、広く知られている。例えば、スペインとポルトガルの国境線や、オランダとベルギーの国境線の長さは相互の国で公表値が違う。マンデルブロは、海岸線や、樹木の形、川の形などをシミュレートするためにフラクタルという概念を提案し、フラクタル次元なるものを提示した。その名前の由来は、フラクション = 分散という言葉だという。それは、普通の図形の次元は、1や2や3などの自然数であるが、コッホ曲線のように整数ではないところからきているそうな。ちなみに、コッホ曲線は、位相次元が1で、フラクタル次元は、log4/log3 = 1.36....となる。普通の次元は位相次元で示されるが、フラクタル次元が位相次元より高いものをフラクタルと呼んでいる。その性質は、全体はそれを縮小した部分から成る自己相似集合で形成される。ある部分の図形が全体の縮小された像になっていて、原型の入れ子構造となっているわけだ。
複雑な自己相似集合の例では、ジュリア集合とマンデンブロ集合を紹介してくれる。複素平面上で、以下の漸化式において、Znが無限大に発散しないような初期値Z0を持つような集合らしい。

 Zn+1 = Zn^2 + μ

その軌道は、μの値によって収束が決まる。マンデンブロ集合は、更にZ0を原点0にとって、nが無限大になってもZnが無限大にならないようなμの集合だという。その違いは、μを固定するか、初期値Z0を固定するかの観点の違いであろうか。

6. カオスの定義とは?
九鬼周造の著書「偶然性の問題」では、「必然とは、存在がそれ自身に根拠を持つ場合であり、そうでない存在を偶然」と呼んだという。この書には、他の学問は必然性のみを論じているが、形而上学のみが「偶然」に対して学問的に迫ることができると記されるそうな。形而上学を持ち出せば、学問は精神的方法論となり、それこそカオスの定義はメチャクチャになりそう。人間精神とは、自ら自己相似形によってメチャクチャにしているのか?
けして確率論も量子論も偶然そのものを研究しているわけではない。フラクタルとは、超経験的な直観的方法論にも見えてくる。これも決定論ということであろうか。
「カオスの研究は、偶然性そのものの研究といってはならないが、ある種の偶然性が必然性と近づく場面を、必然性の側から眺めているというべきではないだろうか。」

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