「原論」の最高の意義は、その論法にあろう。自明であって証明の要なしという宣言は、まさに直観の偉大さを示してる。それは、定義、公準、公理で始まる論理スタイルが物語っており、人間能力の限界ひいては言語論の限界を唱えているように映る。また、あらゆる命題とその証明の後で「これが証明すべきことであった(Q.E.D.)」と締めくくる叙述方法は、今では哲学でお馴染みだが、定理の普遍性を強調している。こうした特徴は、ある意味宗教的ですらあるが、確実に宗教と一線を画す。幾何学とは、人間認識の立体的感覚、すなわち精神空間から生じた真理の学問とすることができよう。数学とは言語である。そして純粋な精神の手段である。それを実感させてくれる一冊である。
尚、本書は、共立出版(1996年)から刊行された「縮刷版」である。既に絶版となっているので図書館を利用した。だが、とても貸出期限2週間で読破できる代物ではない。一度は延長させてもらったが、二度となると顰蹙であろうか。てなわけで、アル中ハイマーな能力では斜め読みするぐらいしかできない。おっと、いつのまにか「追補版」が刊行されている。ちと高いが、衝動は抑えられそうにない。
「原論」と言えば、幾何学の集大成という印象がある。その通りであろうが、歴史的には代数的に解釈されてきた部分もある。驚くべきは、全13巻のうちのほぼ半分が無理量を扱うことに費やされることだ。代数的手段をまったく持たない古代ギリシャ数学において、これは由々しき問題である。そこで、数論を導入しながら、量の大小関係から比や比例関係を扱い、更に相似形によって相対的に無理数を説明する。幾何学のみで説明しようとすれば、そうするしかないのかもしれん。近代数学においても、多くの微分方程式が解けない事情から、大小関係から近似的に迫る方法が盛んに行われる。ε-δ論法はその最たるものだろう。そぅ、アル中ハイマーを数学の落ちこぼれにしやがった、あの忌々しいやつだ。得体の知れない対象に迫るには、既に分かっている量と比較しながら近づいていく。これが相対的認識能力しか持てない知的生命体の典型的な思考方法、あるいは合理性なのかもしれない。
無理量を大々的に扱っている第10巻は、なんと全体の1/3を占める。そして、二項線分、余線分、優線分、劣線分とかいう奇妙な言い回しで、無理線分なるものを定義している。そもそも、こんな量を扱う目的とは何か?それは、プラトン立体の正体を暴くための布石であろうか?古代ギリシャにおいて、プラトン立体の存在は哲学的にも大きな意義を持っていたに違いない。「原論」の目的とは、ピュタゴラスの定理とその拡張からプラトン立体に至るまでの道しるべ、すなわち、プラトン宇宙の体系化と解釈するのは行き過ぎであろうか?そう思えるのは、最後の第13巻が正多面体論で締めくくられるからである。
また、議論が盛り上がると、背理法的に命題が組み立てられる。もともと帰謬法と呼ばれた思考方法である。矛盾を仮定しながら、自ら解決するといった記述も目立つ。対話的でもある。当時、弁証法的思考から背理法的思考を進化させたのかもしれない。ユークリッドは、哲学と数学の境界線を明確にしようとしたのだろうか?
「原論」は、厳密性を重視した思考の方法論であるがために、読み辛い書となるのは避けられない。おまけに代数的な記号がまったくないので、プラトン立体が幾何学のみで表現されるのはなかなかの見物だ!ゲーテ曰く、「制約の中にのみ、巨匠の技が露になる。」
それにしてもプラトン立体が二重根号に帰着するとは...知っていたとはいえ、最後の最後に溜息しかでん!
[ 第1巻: 三角形と平行線、ピュタゴラスの定理 ]
三角形の合同条件や平行線の性質が綴られ、ピュタゴラスの定理に辿り着く。その定理が示す直角三角形の性質が知られたのは、「原論」よりもはるかに古く、古代バビロニアや古代中国においてである。だが、証明によって完全なる定理としたのは古代ギリシャであった。それは「ギリシャ人の奇蹟」と言われるそうな。
まず、23個の定義が唐突に始まり、次にあの有名な5つの公準が続く。
- 任意の点から任意の点へ直線をひくこと。
- および有限直線を連続して一直線に延長すること。
- および任意の点と距離(半径)とをもって円を描くこと。
- およびすべての直角は互いに等しいこと。
- および1直線が2直線に交わり同じ側の内角の和を2直角より小さくするならば、この2直線は限りなく延長されると2直角より小さい角のある側において交わること。
早々、あの「ロバの橋」の証明が登場する。中世の大学生がつまずくことから、落ちこぼれには渡れないと皮肉られるやつだ。
「命題5: 二等辺三角形の底辺の上にある角は互いに等しく、等しい辺が延長されるとき、底辺の下の角は互いに等しいであろう。」
[ 第2巻: 幾何学的代数 ]
「定義2: いかなる平行四辺形においてもその対角線をはさむ平行四辺形のどれか一つは二つの補形と合わせてグノーモーンとよばれるとせよ。」
グノーモーンってなんじゃ?日時計が作る影と棒の関係のようなL字型の図形を言うようだ。
数論では、奇数の和を平方数で表すようなことをする。
Σ(2k -1) = n^2
あるいは三乗和の公式のようなものもある。
1^3 + 2^3 + ... + n^3 = (1 + 2 + ... + n)^2
これらはグノーモーンの考えから示される。すべての数は、縦・横の面積で説明がつき、すなわちグノーモーンに通ずというわけか。
ところで、第2巻の命題はすべて代数的な表現に対応するというから凄い!その内容を訳注に従って書き出すとこんな感じ。
命題1: a(b + c + d + ...) = ab + ac + ad + ...
命題2: (a + b)a + (a + b)b = (a + b)^2
命題3: (a + b)a = a^2 + ab
命題4: (a + b)^2 = a^2 + b^2 + 2ab
命題5: ab + {(a + b)/2 - b}^2 = {(a + b)/2}^2
命題6: (2a + b)b + a^2 = (a + b)^2
命題7: (a + b)^2 + a^2 = 2(a + b)a + b^2、あるいは a^2 + b^2 = 2ab + (a - b)^2
命題8: 4(a + b)a + b^2 ={(a + b) + a}^2
命題9: a^2 + b^2 = 2[{(a + b)/2}^2 + {(a + b)/2 - b}^2]
命題10: (2a + b)^2 + b^2 = 2{a^2 + (a + b)^2}
命題11: x^2 + ax = a^2
命題12: a^2 = b^2 + c^2 + 2b(-c cos a)
命題13: b^2 = a^2 + c^2 - 2a(c cos β)
命題14: x^2 = ab
こうして羅列してみると、かなりの部分で重複している。「原論」が厳密な書であるならば、必要最小限の命題しかないように配慮されているはず。幾何学的に何か意図があるのだろうか?ある研究によると、円錐曲線論を扱う統一的方法としての見解もあるそうな。尚、命題11と命題14は、二次方程式を解くことに相当する。
[ 第3巻, 第4巻: 円の性質、方べきの定理 ]
第3巻では、弦や接線、円周角と中心角、接弦定理を経て、方べきの定理に辿り着く。方べきの定理では、円と点の関係、しかも点は、円の外にある場合と内にある場合で区別される。これは、代数学と幾何学の抽象レベルの違いを示しているのか?あるいは、位相幾何学の概念を示唆していたと解釈するのは考え過ぎか?
第4巻では、円に三角形や多角形を内接、外接させる作図を扱い、正五角形の作図で盛り上がる。そして、正六角形を経て、十五角形の作図に踏み込む。その方法は、ピュタゴラスの定理の拡張という形で到達している。ここには、すべての平面図形を抽象化すれば、三角形と円の二種類に帰着するという考え方があるように思える。そして、三角形の作図は黄金比に帰着するというわけか。あの神の比だ。んー、やっぱり位相幾何学に通ずるものを感じる。
[ 第5巻, 第6巻: 比例論 ]
第5巻では、比と比例に関する基本定理が扱われる。無理量を扱うための準備といったところであろうか。ただ、比例の定義はかなりややこしい。比や比例は初等的な問題であるが、これを一般化して言及すると案外難しいようだ。
「定義5: 第1の量と第3の量の同数倍が第2の量と第4の量の同数倍に対して、何倍されようと、同順にとられたとき、それぞれ共に大きいか、共に等しいか、または共に小さいとき、第1の量は第2の量に対して第3の量が第4の量に対すると同じ比にあるといわれる。」
「定義10: 4つの量が比例するとき、第1の量は第4の量に対して第2の量に対する比の3乗の比をもつといわれる、そして何個の量が比例しようと常につぎつぎに同様である。」
定義5は、なんとなく言わんとしたことが分かるが、定義10は難解だ。4つの量による列の関係を示しているようで、ベクトル的な解釈もできそう。近代になって、この比例論が重要視されるのは、通約量、不可通約量の如何にかかわらず、一般量として成立することだという。不可通約量とは、現代では無理数に対応するもの。ユークリッドの時代、無理数の存在をどのように感じたかは知らん。ただ、ピュタゴラスの「万物は数である」という信仰が強ければ、表現できない数字があることに危機を感じたことだろう。数自体が明確にできないとなれば、相対的に扱うしかない。これが比や比例の意義であろうか。
第6巻では、その応用として三角形の相似や相似図形の基本問題を扱い、相似となる平行四辺形の作図、面積作図の定理が証明される。
[ 第7巻, 第8巻, 第9巻: 数論 ]
第7巻では、約数や倍数、最大公約数や最小公倍数、素数、互いに素な数の性質が扱われる。
「定義21: 第1の数が第2の数の、第3の数が第4の数の同じ倍数であるか、同じ約数であるか、または同じ約数和であるとき、それらの数は比例する。」
この定義は、第5巻の比例論から引き継がれる。ただ、ここではまだ無理数に適応されていないようだ。
最大公約数を求める方法では、いわゆる「ユークリッドの互除法」が登場する。
「命題1: 二つの不等な数が定められ、常に大きい数から小さい数が引き去られるとき、もし単位が残されるまで、残された数が自分の前の数を割り切らないならば、最初の2数は互いに素であろう。」
第8巻と第9巻は、連続比例する数がテーマで、現代風に言えば等比数列といったところか。そして、第9巻では、エレガントさで知られる「ユークリッドの素数定理」が登場する。
「命題20: 素数の個数はいかなる定められた素数の個数よりも多い。」
つまり、素数は無限に存在するというわけだが、その証明を要約するとこんな感じか。
...
定められた個数の素数をA, B, Γ とせよ。A, B, Γ よりも多い素数があると主張する。A, B, Γ で割り切れる最小数ABΓ をとり、これに単位(=1)を加えたとせよ。そうすれば、ABΓ+ 1 = Hが素数であるかないかである。まず、素数であるとすれば、素数A, B, Γ よりも数の多い素数A, B, Γ, H があることになる。素数でないとすれば、H は素数のどれかで割り切れなければならない。しかし、Hは、ABΓ+ 1 でしか割り切れないのでこれまた素数であると主張する。したがって、定められた素数A, B, Γ よりも多い数の素数A, B, Γ, Hが見出された。
...
んー...思考がエレガントでも、言い回しが馴染めない。
第9巻の後半は、偶数と奇数に関する基本的な命題が扱われ、最後に完全数が証明される。完全数とは、約数の和がその数自身と等しくなる数で、例えば、6 = 1 + 2 + 3, 28 = 1 + 2 + 4 + 7 + 14 がある。古代の歴史では、神が6日間で世界を創った天地創造、月の公転周期は28日、などの解釈で知られている。
「命題36: もし単位から始まり順次に1対2の比をなす任意個の数が定められ、それらの総和が素数になるようにされ、そして全体が最後の数にかけられてある数をつくるならば、その積は完全数であろう。」
「単位から始まる」というのは、1から始まることを意味する。そして、素直に書いてみると。
...
まず、順次に 1 : 2 の比をなす数、A, B, Γ, Δ があるとすると、1 + A + B + Γ + Δ = E が素数ならば、E x Δ = ZH となるようにすると、ZHは完全数になるとのこと。
...
現代風に書けば、「2^n - 1 が素数ならば、2^(n - 1)・(2^n - 1)は完全数」となるが、随分と違った景色が広がる。
[ 第10巻: 無理量論 ]
第10巻は命題が115個もあり、もう気が狂いそう!歴史的にも最も難解とされるところである。ここでは第2巻や第5巻から続く、無理量の詳細な理論が展開される。無理量とは通約できない量である。例えば、正方形の対角線など比の値が無理数になる量のこと。定義では、「いかなる共通な尺度ももちえない量は通約できない量」としている。通約できないということは、明確な数値で表せないことを意味し、比で相対的に扱うしかないというわけだ。そして、有理線分と無理線分、有理面積と無理面積の概念が出現する。比は方形の面積で扱われる。有理面積とは、長さにおいて通約可能な有理線分で囲まれた方形の面積のこと。無理面積とは、有理線分で囲まれても、平方においてのみ通約可能となる場合の面積のこと。
また、x^2 = ab から定められる辺xは無理線分であり、これを中項線分と呼んでいる。これは第2巻の命題14に相当する。更に、重要な概念として、二項線分、余線分、優線分、劣線分という奇妙な用語に振り回される。
「命題36: もし平方においてのみ通約できる二つの有理線分が加えられるならば、全体は無理線分であり、そして二項線分と呼ばれる。」
その証明では、次のように設定される。
「平方においてのみ通約できる二つの有理線分AB, BΓが加えられたとせよ。AΓ全体は無理線分であると主張する。」
「命題73: もし有理線分から全体と平方においてのみ通約できる有理線分がひかれるならば、残りは無理線分である。それを余線分とよぶ。」
その証明では、次のように設定される。
「有理線分ABから有理線分BΓがひかれ、BΓは全体と平方においてのみ通約できるとせよ。残りのAΓは余線分とよばれる無理線分であると主張する。」
「命題39: もし平方において通約できず、それらの上の正方形の和が有理面積で、それらによってかこまれる矩形が中項面積である2線分が加えられるならば、この線分全体は無理線分であり、そして優線分とよばれる。」
その証明では、次のように設定される。
「平方において通約できないで、与えられた条件をみたす2線分AB, BΓが加えられたとせよ。AΓ全体は無理線分であると主張する。」
「命題76: もし線分からその線分全体と平方において通約できない線分がひかれ、全体とひかれた線分との上の二つの正方形の和を有理面積とし、それらによってかこまれる矩形を中項面積とするならば、残りは無理線分である。そして劣線分とよばれる。」
その証明では、次のように設定される。
「線分ABから線分BΓがひかれ、BΓは全体と平方において通約できず与えられた条件をみたすとせよ。残りのAΓは劣線分とよばれる無理線分であると主張する。」
命題36と命題第39では点Γが線分ABの延長上にあるのに対して、命題73と命題76では点Γは線分AB上にある。気になってしょうがないのは、直線や点の名前の付け方に一貫性がないことである。命題41の補助定理あたりからの流れによるもののようだが、実にらしくない。二項線分や無理線分、あるいは、余線分や劣線分といった用語の使い方は、平方根を幾何学的に記述した結果であろうが、今日では当たり前とされる無理数の存在を認めないと、こうも複雑になるものか?この言い回しが、第13巻の正多面体論にも影響を与えるから頭が痛い。
尚、第10巻の目的は、現代風に書くと √(√a ± √b) の二重根号の形で表される無理量の一般化を考察しているらしい。
[ 第11巻と第12巻: 立体幾何学と取尽くしの方法 ]
第11巻では、立方体が扱われ、平面と点、平面と直線、平面と平面の位置関係が述べられた後に平行六面体が議論される。
「命題33: 相似な平行六面体は互いに対応する辺の3乗の比をなす。」
第12巻では、角錐、円柱、円錐、球の体積を扱い、「取り尽くし方法」と呼ばれる手法が用いられる。取り尽くし方法とは、図形の面積や体積を求める手法の1つで、ある図形に内接する多角形を描き、その面積から元の図形に近づけていく方法だという。現代で言う微積分の感覚であろうか。その方法が使われているのが、6個の命題だという。
「命題2: 円は互いに直径上の正方形に比例する。」
「命題5: 同じ高さをもち三角形を底面とする角錐は互いに底面に比例する。」
「命題10: すべての円錐はそれと同じ底面、等しい高さをもつ円柱の3分の1である。」
「命題11: 同じ高さの円錐および円柱はそれぞれ互いに底面に比例する。」
「命題12: 相似な円錐および円柱は互いに底面の直径の3乗の比をなす。」
「命題18: 球は互いにそれぞれの直径の3乗の比をもつ。」
[ 第13巻: 正多面体論 ]
正四面体、正六面体、正八面体、正十二面体、正二十面体を作図し、それぞれの辺と球の直径を比較する。つまり、プラトン立体で締めくくられるわけだ。そして、第10巻で準備された無理線分、あるいは劣線分や余線分との関係が述べられる。
「命題12: もし円に等辺三角形が内接するならば、三角形の辺の上の正方形は円の半径の上の正方形の3倍である。」
つまり、円に内接する正三角形の辺の2乗は円の半径の2乗の3倍であるとしている。
すなわち、s3 = (√3)r の関係。ただし、rは半径。
「命題13: 角錐をつくり、与えられた球によってかこみ、そして球の直径上の正方形が角錐の辺の上の正方形の2分の3であることを証明すること。」
つまり、球の直径の2乗は内接する正四面体の辺の2乗の2分の3であるとしている。
すなわち、k4 = {2√(2/3)}r の関係。
「命題14: 正八面体をつくり、先のように球によってかこみ、そして球の直径の上の正方形が正八面体の辺の上の正方形の2倍になることを証明すること。」
つまり、球の直径の2乗は内接する正八面体の辺の2乗の2倍であるとしている。
すなわち、k8 = (√2)r の関係。
「命題15: 立方体をつくり、角錐の場合のように球によってかこみ、そして球の直径上の正方形が立方体の辺の上の正方形の3倍になることを証明すること。
つまり、球の直径の2乗は内接する立方体の辺の2乗の3倍であるとしている。
すなわち、k6 = (2 / √3)r の関係。
「命題16: 正二十面体をつくり、先の図形のように球によってかこみ、そして正二十面体の辺が劣線分とよばれる無理線分であること証明すること。」
すなわち、k20 = {√(10 - 2 √5) / √5}r、これは劣線分との関係。
「命題17: 正十二面体をつくり、先の図形のように球によってかこみ、そして正十二面体の辺が余線分とよばれる無理線分であること証明すること。」
すなわち、k12 = (√15 / 3)r - (√3 / 3)r、これは余線分との関係。
最後に劣線分と余線分との関係が示されるということは、二重根号からは逃れられないということか。平方根は方形の面積で記述できるが、その面積の大小関係に踏み込めば、それも必然であろうか。はぁ~!
0 コメント:
コメントを投稿