ヒトラーの建築家と呼ばれたアルバート・シュペール(シュペーア)、彼はナチ党政権で最も理性的な人物と評される。だが、ヒトラーと最も親密でもあった。ヒトラーはオーストリア時代、建築家を志望しており、二人は趣味を通して朝方まで語り合う仲。当初、オブザーバーのような立場に身を置き、技術者として政治に無関心な姿勢を貫いていた。ベルリン改造計画「世界首都ゲルマニア」を立案し、ヒトラーのイデオロギーを建築物で表現しようとする。
ところが、この計画が千年王国という誇大妄想を呼び起こすと、一変して軍需大臣に任命される。シュペールは一貫してアウシュビッツを知らなかったと主張するが、知らなかったでは赦されない立場にあることも認めている。そして、なぜ非人間的行為を阻止しようとしなかったのか?その罪悪感を告白する。この物語は、ニュルンベルク国際軍事法廷で禁固20年に処せられた男が、服役中に綴った回想録である。
「もし、ヒトラーに友人がいたとすれば、私がその友人であったろう。私の青春の歓びと栄光も、それから後の恐怖と罪も、ともに彼のおかげである。」
ここに綴られるシュペールの態度は、一般的な人間の態度を象徴しているのではなかろうか。それは恐怖体制下における保身という意味で。人は誰もが小心者だし、しばしば無分別な行動をとる。平生ではそれを権威や財産で武装しているに過ぎない。当時のドイツは、第一次大戦の敗戦で莫大な賠償金が課せられ、空前のハイパーインフレで喘いでいた。そこに台頭してきたヒトラーは、天才的な演説によって国民を陶酔させていく。シュペールもその一人であった。
「ファウストみたいに魂を売ってもいいという気持ちだった。そういうところに私のメフィストが現れたのである。彼はゲーテのそれに劣らず魅力的だった。」
ナチ党は、資本階級やユダヤ人富裕層を非難し、大規模な公共投資で労働者を救済する。更に、アーリア民族思想で落胆していた国民の誇りをくすぐり、外国人排斥運動を煽る。深刻な経済問題を解決した実績を前にすれば、少々荒っぽい行為も黙認される。いや正当化される。そして、反資本主義と反共産主義、あるいは反キリスト教と反ユダヤ主義を掲げ、ヒトラー崇拝思想で民心を画一化していく。ついには、あらゆる共和政的な法律が改正され、絶対君主「総統」が誕生した。その思想は、思考することを許さず、陶酔することのみを奨励する。「総統が考え、そして導く!」これは国民が合法的に賛同した結果なのだ。そして、一旦戦争に突入し国民総力戦ともなれば、もう取り返しがつかない。民衆の思想観念は、親衛隊やゲシュタポの管理下で崩壊し、恐怖政治は惰性的に継続される。
さて、このような狂気していく社会にあって、自分だけは冷静でいられると言えるだろうか?主義主張を曲げずにいられるだろうか?俗世間の酔っ払いには自信が持てない。むしろ助長する側にいるかもしれない。そもそも、思考しない人間が思考しているつもりになって同調している状態ほど、扇動者にとって都合のよいものはない。ここには、人間性と非人間性の二重性という人間精神の本性的なものが提示される。
「ユダヤ人、フリーメーソン、社会民主党あるいはエホバの証人派の人たちが、私の周囲の者によって野良犬のように殺されたことを聞いても、私個人には関係ないと思ったに違いない。自分さえそれに加わらなければいいんだと。」
シュペールは撤退時の焦土政策に頑固として反対したという。対してヒトラーの言葉は...
「戦争に敗北すれば、国民も失われるだろう。ドイツ国民は、きわめて原始的な生存に要する基礎的なものなどを顧慮する必要はない。むしろ反対に、自分でそれらの物を破壊するほうがよい。なぜなら、この国民は弱い国民であると実証され、未来は結局、より強い東方民族に支配されるからである。この戦いの後に残るものは、どっちみち劣等なものばかりだ。よきものは滅びるのだから。」
ヒトラーは産業国家の最初の独裁者とすることができようか。技術革新の裏で、ナチ党組織は伝言ゲームのような様相を見せる。国民を扇動するためにラジオを用い、指揮系統では電話、テレックス、無線をフル活用する。総統が組織の末端に直接命令を下すことだって可能なのだ。そして、国民は監視され、同時に国家犯罪は隠蔽された。昔の独裁者は、自主的に行動できる指揮官を求めた。情報が乏しければ、現場で判断するしかないのだから。ところが、ここには通信手段だけで組織化できる方法論が示される。その結果、無批判、無思考で命令に従順な者のみが出世する。自立的人格という人間の最高の特権までも放棄してしまう社会を形成したのである。
「この回想録を書き進めていくうちに改めて自分でも驚き、愕然としたのは、私が1944年まで、めったに、いや本当はまるっきりといってよいくらい、自分自身と自分のやっていることを考えてみたことがなかったということ、私が自分というものを一度もふり返ってみたことがなかったということである。」
ここにはナチ党組織の弱点が露呈される。ヘタをすると電話交換室から偽命令を出すことだってできる。まさに暗殺未遂事件「ヴァルキューレ」は、命令系統を掌握して、その従順さを利用したものである。いや、そうなるはずだった。ゲッペルスは、通信経路と放送局の占拠の遅れが失敗の原因と見ていたという。また、秘書ボルマンが総統と高官との間で中継役になって影の実力者になったのも、技術とあまり関係ないが理屈は同じであろう。
なるほど、この事例は近代社会の弱点を暗示しているかもしれない。インターネットは、ある意味で情報開示されやすいが、肝心なところで情報を遮断することも容易だ。国民は隅々まで監視されると同時に、通信経路をちょいと遮断するだけで世論を偏重させることもできる。既に多くの国家で実施されているだろうけど。ネット社会では、思考することよりも情報量の多い方が優位に立てるが、それだけに情報操作の餌食になりやすい。トップの命令がデジタル配信で済ませられれば、中間層は伝言係と化す。いや、伝言係すら不要か。情報の利便性は、一握りのエリート層だけが思考すれば、その他大勢は行動だけすればいい!...という社会を助長しているのかもしれない。これがカリスマ性の正体かは知らん。
何もせず当り障りのない者が出世するとなれば、もはやリスクを冒してまで責任を負う人間は不要となろう。社会の利便性とは、非人格化を一段と促進させるのか?いや、そうは思いたくない。ただ、情報の利便性と独裁制は相性が良さそうに映る。民主制もけして相性が悪いわけではないだろうが、それを機能させるためには個々に思考が求められるという難しさがある。
アリストテレス曰く、「最大の不正は貧窮によって起こされるのではなく、過度に物を求める人によって起こされるということは真実だ。」
当時の笑い話だそうな...
「純粋なアーリア人とは何でしょう?それはヒトラーのようにブロンドで、ゲッペルスのように背が高くて、ゲーリングのように細っそりとしていて、その名前をローゼンベルクという。」
実際、ヒトラーは黒髪で、ゲッペルスは背が低く、ゲーリングは肥満で、ローゼンベルクはユダヤ系の名前である。ヒムラーの容姿もナチ党の理想像からは程遠い。そもそも、ヒトラーはオーストリア人だし、ドイツ人の定義も曖昧だ。
さて、ヒトラーの特質は、常に楽観的な意見を採用することであろうか。難題に立ち向かうためには必要な資質ではあるのだけど。だが、現実を直視することが前提になければ単なる妄想で終わる。おもしろいのは、不都合な情報はすべて悲観論者の陰謀と決めつけることだ。暗殺未遂事件が起こる度に戦略の失敗は裏切り者のせいだとし、自分の戦略に却って自信を深めるという奇妙な思考の持ち主。自己顕示欲が異常に強く、彼にとって作戦の成功よりも、自分が正しいと思わせることの方がはるかに重要なのだ。
それにしても、政権を握るまでは緻密に計算されているのに、政権を握ってからの無計画さには愕然とさせられる。戦争が不確定要素の多い分野であるのは確かだけど。夢想癖のある爺さんに楽観的な報告をするのは危険だ。苦しい時の口癖がこれ「君は、この状況を克服する天才だ!」
ちなみに、奇妙な発言では我が国も負けてない。某国営放送のドキュメンタリー番組では、牟田口司令官の訓示が紹介されていた。
「日本人はもともと草食動物なのである。これだけ青い山を周囲に抱えながら、食料に困るなどというのはありえないことだ。」
ここに綴られる親分と子分たちの物語は、まさに人間喜劇である。ナチ党の破局は、ほとんど必然的だったと言っていい。自分を天才と呼べるのは幸せかもしれない。まさに天災だ!
1. 行き当たりばったりな戦略
ヒトラーの特殊な性格の一つはディレッタントだという。独学を好み広範に知識を求める姿勢だけは、好感が持てる。しかし、恣意的で軽率に素人大臣を選ぶ。指導的立場を素人で占めることを好み、前経済相ヒャルマル・シャハトのような専門家を信用しなかったという。なるほど、ぶどう酒商のリッベントロープを外相に、哲学者アルフレート・ローゼンベルクを占領地区大臣に、飛行機乗りゲーリングを四ヵ年計画の全権者に、そして建築家を軍需大臣にしている。
既成の考え方にとらわれず、時折専門家でも考えつかない理解力を発揮したというから、馬鹿にはできない。当初、電撃戦などの戦略的成功は素人的発想によって成し遂げたという。しかし、空軍戦略では、イギリス空軍をほとんど壊滅状態に追い込みながら、ロンドン空襲にこだわったために再整備の余裕を与えた。そもそも、ドイツ空軍は短期の電撃戦にしか備えていなかったという。また、チャーチルに最も苦しめられたと言わせたUボート戦略にも、それほど執着していない。東部戦線では、戦略上の目標がころころ変わり、冬支度もままならず、ソ連軍に反撃の余裕を与えた。
なぜか?異常なまでに陸軍にこだわり、細部にまで口を出す。海空軍にはそれほどこだわりがない。占領政策では、陸軍が主役なのは確かだけど。塹壕戦の経験が、自分を優秀な軍人であると勘違いさせているようだ。
また、イギリスの新聞にまんまと乗せられる様子は滑稽だ。連合国の爆撃隊について高射砲の脅威について記事が掲載されると、戦闘機の生産を中止して高射砲を量産しろ!と命令する。それでも、日本帝国の竹槍訓練よりはマシか。
ヒトラーの決定は、重複した新兵器開発から、見通しのつかない補給にまで及ぶ。特に物資補給の理解不足が甚だしい。戦車兵器管理長官グデーリアンは、わずかな経費ですぐに修理できる戦車よりも、新品の製造が優先されることに不満を漏らしたという。おまけに机上戦略では、地図に表れないぬかるんだ道路や気候的要素などを排除する。ここには、会議好きのヒトラーが延々と喋り、それを取り巻き連中が聞いているという図式がある。当初は最前線の将校の意見を受け入れていたが、ナチ党幹部に対しては最初から無知だと蔑んでいる。数字の記憶力が抜群で、その正確さを捲し立てて、周囲の意見を圧倒するのが、ヒトラーの議論のやり方だ。根本的な誤りは、国防軍総司令官、陸軍総司令官を兼務し、おまけに趣味として戦車開発までしょいこんだことだという。参謀本部や陸軍兵器局や軍需部門の役割を奪い、意見が違えば無能だと侮辱される有り様。
「私の生涯で、こんなにめったに自分の感情を見せず、見せても次の瞬間にまた閉じてしまう人間に出会ったことがない。」
2. 対上陸作戦と新兵器の幻想
ヒトラーは、敵の上陸に備えて防衛施設を細目に渡り検討し、個々のトーチカを精密に設計して自画自賛したという。彼の論理では、上陸部隊は港のような要地を占領することが前提にあるという。安全なところに上陸して、そこから部隊を展開するという発想はないらしい。さすがに、西部沿岸防衛監督官ロンメルが上陸部隊を水際で撃破するために港を囲むトーチカでは不適当だと主張すると、優れた専門家の意見に弱いヒトラーも受け入れる。実際、連合国はノルマンディーに港湾用設備を持参して、陸揚げ用桟橋を建設した。しかし、諜報部の情報から上陸地点をカレーだと決めつけて、最初の一報がそれ以外の場所だったら陽動作戦に違いないから起こすな!と命令する。昼頃になってもなお陽動作戦に固執し、師団の移動は保留された。V1ロケットがカレーから発射されているのもある。だが、その効果はほどんなく、ロンドンに到達したのはほんのわずか。V1ロケットの過大評価はイギリス宣伝部の勝利であろうか。ゲーリングも空軍の大偉業として絶賛したという。
ヒトラーの戦略的視野は、第一次大戦で伍長として経験した塹壕戦の頃から変わっていないという。小銃の方が歩兵の目的に適うとして自動小銃の導入を拒否したり...新型コンドル機(Fw200)よりも古いユーおばさん(Ju52)の方が固定車輪で安心できて好ましいとしたり...ジェット戦闘機(Me262)の量産を中止して爆撃機にすると言い張ったり...Me262と聞くだけで自制心を失うそうな。そのスピード故にアメリカの爆撃機対策として開発されたが、小型爆撃機の無意味な存在になったという。ちなみに、核物理学を「ユダヤ的物理学」と呼んだそうな。とはいっても、戦車に関しては、砲身を長くして貫通力を上げるべきだ、といった鋭い意見もある。
ヒトラーは過去に正しかったことを常に持ち出し、今度も私が正しい!というのが口癖だという。しかし、自分の超人的能力を過信していたのは側近たちにも責任がある。みんなでこぞって戦略的天才と煽てるのだから。そして、戦況を楽観的に幻想的に考える連中の勧告だけを受け取り、敗戦直後になると空想的な新兵器に夢中になっていく。
3. 楽観的な外交戦略
当初、ヒトラーはイギリスとの友好関係を求めている。世界の再編成で大英帝国を保証してもいいとまで言ったとか。国王エドワード8世(後のウィンザー公)が退任した時、彼を通じてならば永続的に友好関係が結べたのにと惜しんだという。その気持ちは、退位後の1937年、ウィンザー公が夫人をともなってオーバーザルツベルクを訪ねた時に確信に至ったとか。だが、憲法上、国王が政府に圧力をかけられるわけがないので、議会制システムに無知だとしている。ヘスの不可解なイギリス飛行は、直談判のためだったのかは不明だが、ヒトラーが激怒したのは確かなようだ。
ヒトラーはイタリアの政策に不信を抱いていたという。大統領ヒンデンブルクもイタリアと同盟してはならないと遺言したとか。ムッソリーニは、ヒトラーの牽制を無視してエチオピアへ侵入した。イギリス主導で国際連盟はイタリアに経済制裁を課した。その制裁に強制措置がなかったので、英仏を弱腰と見る。1936年、ラインラント進駐はロカルノ条約の侵犯である。ヒトラーはピリピリと最初の反応を見たが、後に最も大きな賭けだったと述懐している。
当時、ドイツには軍隊と呼べるほどのものがなかったという。フランスが本気になれば、ひとたまりもなかったと。軍事介入がないと自信を深めると、1938年、オーストリア併合、ズデーテン割譲と調子づく。プラハ進駐ですら英仏が軍事介入しないとなると、信者たちの間にヒトラーは外交で失敗しないという妄想が膨らむ。尚、進駐後にチェコの要塞を視察すると、専門家が驚くほど頑強にできていたという。ヒトラーは、トーチカ施設の設計図を見て、断固たる抵抗に合えば占領は容易ではなく犠牲者も多かっただろうと語ったそうな。
また、同盟関係では、人種的観点から相手国としての日本は問題になりそうだが、ヒトラーは拒否しなかったという。
「まちがった宗教をもってしまったのが、そもそも我々の不幸なのだ。なぜ我々は日本人のように、祖国に殉ずることを最高の使命とする宗教を持たなかったのか?まだしも回教のほうが、こともあろうにだらしなく我慢するだけのキリスト教より、よほど我々に向いているだろうに。」
しかし、独ソ不可侵条約につられて日ソ中立条約を結んだが、ヒトラーの意図など考えもしなかったろう。彼の戦争観は、戦略的観点よりも民族イデオロギーに憑かれていた。将来において日本との対決も視野に入れていたという。
さて、いよいよ大戦が勃発するわけだが、さすがに過激なゲッペルスも薬物中毒のゲーリングも戦争回避に期待していたようだ。主戦派の代表は、イギリスとの外交政策に失敗して面子を守ろうとしたリッベントロープか。ポーランド侵攻の数日前、イタリアは同盟の義務が守れないと通告してきたという。ムッソリーニは、ドイツの戦力を弱体化させるほどの大量の軍需品や経済資材の見返りを要求したとか。ヒトラーは、ムッソリーニの調停案を拒否し侵攻は延期されたが、間もなく雨季になるので待てない。諜報部は、イギリス参謀本部がポーランド軍の抵抗はすぐさま崩壊するという結論に達していたことを掴んでいたという。勝ち目のないところに軍事介入するはずがないとして踏み込む。よしんば、英仏が宣戦布告をしても、世界に対する面子を保つための見せかけに過ぎないと。だが、戦争屋チャーチルが海軍大臣になったことで思惑が外れる。この戦争で、ドイツは地域紛争程度の準備しかしていなかったという。電撃戦が功を奏すことになるのだけど。戦争が起こる瞬間とは、こんなものかもしれん。つまり、政治屋の楽観的資質によるギャンブルだ。このギャンブルに民衆が長い間付き合わされてきのが、人類の歴史ということであろうか。
4. 側近たちの泥酔ぶり
ヒトラーは、自分よりも専門的に優れている人物に劣等感を持つ傾向があるという。だから、著名な建築家ではなく、新米のシュペールをおかかえ建築家にした。取り巻き連中を囲んだ食卓の会話は低俗で、党幹部たちの趣味を貶すような話題が中心だったという。実に無駄な会合や会食の連続だったとか。伝統的にドイツの政治家は高い教養を身につけているが、ナチ党の政治家はほとんど無教養だと指摘している。同じ程度の仲間を身近に置く方が気楽であろうけど。ゲッペルスは文学博士だし、話題を合わせることもできよう。
それにしても、モルヒネ中毒のゲーリングのいい加減ぶりは笑える。会議中に薬が切れて居眠りしたり。お偉方専用の機関車製造計画では、鉄鋼不足ならコンクリート製の機関車を作るようにと真面目に提案したり。スターリングラードの苦戦中に贅沢を尽くし、空軍が機能しなければ、天候が悪いといって言い訳する。
「総統!スターリングラードの第六軍団への空からの救援は私が保証します。私を信頼して下さい!」
一方、オカルトに憑かれたヒムラーは無気味だ。ナチ党の中でも独立した組織を目指していた節がある。原料工業から加工工業までの経済帝国を親衛隊が所有する計画だ。戦後の治安維持のために親衛隊が必要だと考え、アイゼンハワーも納得すると信じている。終戦間近でさえ、まだ占領下にあったノルウェーやデンマークを担保にすれば有利に交渉できると考えているし、親衛隊の勢力圏にあるプラハを拠点にすれば、十分に戦争は継続できるとも考えている。そんな意見は後継者に指名されたデーニッツが拒否するが、ヒムラーが後継者だったら、もっと悲惨なことになっていたかもしれない。
更に、ヒトラーの金庫番ボルマンに対するシュペールの非難は半端じゃない。1943年、ボルマンはヒトラーに目立たない書類にサインさせて、「総統秘書」になったという。彼を通さないと総統に面会できないというシステムを構築し、目立たないように振る舞い、影の実力者として君臨する。切手にヒトラーの絵があるのに目をつけて肖像権で収入を得たり、工業基金を募って総統への自発的献金を求めたり、産業界からたかりまくる。大物幹部のほとんどが、その資金を当てにして言いなりになる始末。ゲッペルスしかし、ヒムラーしかり、ゲーリングしかり...国民が総力戦をやっている最中、こいつら権力と金しか目がない。ゲーリングが継承権の規定に基づいて政権を引き継ぐという電報を出した時、ボルマンがクーデターの意図があると伝えれば、ヒトラーは激怒して失脚させる。これも策略だったとか。
おまけに、獄中においても、最高位が後継者デーニッツか、国家元帥ゲーリングかで揉める。これが政治屋気質というものか。ニュルンベルグ法廷での席順を見ればゲーリングが代表ということになるが、ナチ党代表として裁くならば海軍元帥よりも偉そうなヤク中の方が絵になる。ただ皮肉なことに、モルヒネ中毒は投獄されてからすっかり治療されて、見違えるほどだったという。
2012-02-19
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