2012-02-05

"ヒトラーの共犯者 12人の側近たち(上)" Guido Knopp 著

実に胸糞悪い物語であるが、人間の本性の一面を見事に暴いている。
古来、人間は生まれつき善か?生まれつき悪か?という哲学的論争があるが、未だ決着を見ない。はっきりしていることは、善にも悪にもなりうるってことだ。それが個人レベルならば心理学の領域に留まるだろうが、民衆が一斉に狂気するとなると検証が難しい。人種妄想に憑かれ、ある民族をこの世から抹殺しようとまでした政権に、国民は為す術もなく暴走を許した。個々を眺めれば殺人鬼でも変質者でもない、どこにでも見られる幼少期を送った連中が、身の毛もよだつ犯罪に積極的に加担したのはなぜか?人間の集団悪魔性に対する無力感というものを思い知らされる。

民族優位思想は、なにもドイツだけの特別な現象ではない。どこの国でも我が民族の優秀性を信じたいだろう。神聖な血統、優れた血筋、こうした思想は古代ギリシャ哲学、例えばプラトンの著作「国家」まで遡ることができる。古代の慣行では、都市国家スパルタが生まれつき障害のある子供を遺棄した。近代でも19世紀から20世紀にかけて、遺伝生物学の分野で優生学が広範に支持され、イギリスやアメリカで断種法や人種改良などの理論が提唱された。日本を盟主とする大東亜共栄圏を掲げたのも、日本民族の神聖と優位性を信じたからである。誰でも自分の優位的特徴を褒められると、自尊心がくすぐられるであろう。民衆を扇動するには、なんらかの集団の優位的特徴を掲げるのが最も効果的なやり方なのかもしれない。ヒトラーの共犯者たちは、アーリア民族思想を仕立て上げ、見事にデマゴーグの役割を果たした。しかし、ドイツ人の国民性といえば、勤勉で規則に厳しいという印象があり、共感する日本人も多いだろう。真面目なだけにステレオタイプに陥りやすいということか?第一次大戦後に成立したワイマール共和国の行き詰まりは、見事に怪物独裁者の呼び水となった。ヒトラーの演説能力は天才的と評される。彼はプロパガンダの有効性を熟知していた。武力で脅すよりも遥かに有効なことを。いや陶酔性と言うべきか。思考しない者が、思考しているつもりで同調している状態ほど、扇動者にとって都合のよいものはない。
しかし、だ。自己の意思や思想といったものが、はたして自力で思考した結果なのか?それを自問してみても、いまいち自信が持てない。少なくとも生きてきた環境に影響されるのは間違いないだろう。騙されないぞ!引っかかるわけがない!と思い込む人ほど詐欺にあいやすいとも聞く。人間が集団生活の中でしか生きられない以上、洗脳という原理からは逃れられないのかもしれない。集団の暴力、多数決の増殖力、流言蜚語、集団催眠...こうした性質は、民主主義と背中合わせにある。特に、村八分的な思考に陥りやすい日本社会にとって留意すべき問題ではなかろうか。要するに、ここに提示される狂気現象は、なんらかの条件が重なれば、どこの地域でも起こりうるということである。では、それを防ぐ具体的な方策とは何か?それは、自問し続けることぐらいしかないのだろう。

第一次大戦の敗戦で絶望的な賠償を課せられたドイツは、財政問題と経済問題に喘いでいた。そこに、ニューヨーク市場の大暴落から発した世界大恐慌が追い打ちをかける。ずたずたにされた民族の誇りに加えてハイパーインフレと大失業問題、もはや共和政で乗り切れる状況にない。なんでもいいから変革してくれ!という悲痛な叫びの中で台頭してきたのが、国家社会主義ドイツ労働者党。いかにも労働者階級を中心とした底辺層の代弁者のようなネーミングだ。彼らは反ボリシェヴィキや反資本主義を唱え、資本階級や富裕ユダヤ人を非難した。更に、集団心理をくすぐる「世界支配民族」を掲げて若年層を中心に支持を広げ、過激な学生運動を煽って後のヒトラー・ユーゲントの地固めをしていく。チルドレン選挙戦略でこれほど見事なものはあるまい。何か新しい印象を与えれば改革に期待し、多少の暴力沙汰は黙認される。いや、英雄扱いされることだってある。それほど国民は疲弊しきっていた。しかし、国家社会主義思想とは、実は無条件に身を捧げるヒトラー崇拝思想で、ナチ党はオカルト集団だった。まさか、最初からユダヤ人の大量殺戮に結びつくなんて思った人は、ほとんどいなかっただろう。ナチ党は、東方へ強制移住させたユダヤ人が平和に暮らすニュース映画まで制作している。噂があったとしても多くの国民は信じなかっただろうし、こんな狂気沙汰が一人の政治家によって実施されるとも考えにくい。そこで、悪名高い共犯者たちの登場ということになる。だが、彼らもまた生まれながらの悪魔ではなく、どこにでもいる心弱い人間であった。一つ共通して言えることは、出世欲が異常に強いことである。それは政治家の特質のようなものか。
注目すべきは、大臣や大管区指導者から省庁の課長に至るまで、それぞれの地位に合ったライバル意識を異常に煽っている点である。省庁間で緊張感があり過ぎて諜報活動にまで発展している。競争の原理というよりは互いを蹴落とす原理だ。官僚体質を最も軽蔑したはずの改革者ヒトラーは、自ら縦割りの巨大官僚組織を作り上げた。ナチ党では互いの仲間たちが敵である。秘書長に昇りつめる人物ともなれば、各省庁にスパイを送り込む。その情報網は、暗殺計画をわざと泳がせたのではないかと思わせるほど。総統の面目を傷つけるような陰口が少しでも見つかれば、あるいはスキャンダル沙汰でもあれば、即失脚に追い込まれる。古参幹部のゲーリングやヒムラーでさえ沈黙し、側近はヒトラー崇拝のイエスマンたちで固められた。総統の膝元で権力争いをさせておけば、それだけで総統の地位が安泰というわけだ。ヒトラーは恐怖体制を組織する天才であろう。側近たちは自ら持つ野心という本性のために没落していった。「地位が人を作る」とよく言われるが、「地位が人を堕落させる」というのも付け加えておこう。

この上巻では、幹部クラスの6名、ゲッペルス、ゲーリング、ヒムラー、ヘス、シュペーア、デーニッツを扱い、下巻では、実行部隊の6名、アイヒマン、シーラッハ、ボルマン、リッベントロープ、フライスラー、メンゲレを扱う。ただ、あの忌々しい「ヴァンゼー会議」の主催者、親衛隊大将ラインハルト・ハイドリヒの名がないのは意外か。もちろん随所に名前は登場するが、ここに挙げた12名は終戦近くまで生き延びた連中ということであろうか。

1. ヨーゼフ・ゲッペルス : 偶像崇拝の宣伝屋
「プロパガンダの秘訣とは、狙った人物を、本人がそれとはまったく気づかぬようにして、プロパガンダの理念にたっぷりと浸らせることである。いうまでもなく、プロパガンダには目的がある。しかし、この目的は、ぬけめなく、卓越した技量で、おおいかくされていなければならない。その目的が達成すべき相手が、それとまったく気づかないほどに。」
ゲッペルスは、文学博士の称号を持ち、雄弁なレトリックと鋭い冷笑主義で、ヒトラーを偶像へと祭り上げた。彼は自己嫌悪と自己憐憫にどっぷりと浸かった性格だという。幼少期に右下腿部の骨髄炎を患い整形医療具を付けていたため、足を引きずって歩く。立派な容姿や金髪や筋力をトレードマークとするナチ党は、ぶかっこうな知識人にとって居心地のよいものではない。ヒトラーの寵愛だけが党内で身を保障してくれる。彼はアウトサイダー的存在だったという。名うての人間嫌いか。
ヒトラーが国家権力を掌握するとジャーナリズムを国有化する。この宣伝屋の武器は単純なメッセージと印象的なスローガンで、最大の戦略は国民に思考するいとまを与えないこと。ユダヤ人による国際的金融支配説、フリーメイソンによる世界支配説、あるいはイエズス会つまりはキリスト教の勢力をアーリア民族思想の敵とし、民族復活の救世主ヒトラーを印象づけた。ゲッペルスは全存在をヒトラーに委ね、自己放棄の域にまで達していたという。

2. ヘルマン・ゲーリング : 派手好きな虚栄心の塊
「左に勲章、右に勲章、おなかはいつも脂肪症」
純白の軍服に赤い縞の入ったズボン、勲章で飾り立てる滑稽さは、党内でも物笑いの種。この大ぼらふきは空軍戦略の失敗で、とうにヒトラーの信頼を失っていた。イギリスとの空中戦では5週間で勝利すると豪語したものの、その自信過剰は、じきに二日酔いの苦しみに変わる。スターリングラードでも空輸作戦を保証すると豪語しながら、激闘中パリに出かけて美術品を漁る。おまけに、1923年ナチ党の行進中で銃弾に倒れた時にモルヒネを投与されてから中毒となり、会議中でも居眠りする始末。ひたすら地位や称号や財産を求めた「第三帝国の太陽王」。それでも、この陽気な国家元帥は側近の誰よりも国民に人気があり、失脚させるわけにはいかない。他の党員にはない魅力もある。名家出身、洗練されたマナーと人々の心をつかむ才能、帝政時代の空軍の英雄。彼は、ライバルをスキャンダル沙汰に追い込み、国家元帥の称号を手に入れた。ゲシュタポ(秘密国家警察)はゲーリングの作品である。後にヒムラーが引き継ぐことになるけど。
オーストリア併合とズデーテン地方割譲を強行した際、二正面戦争を恐れてヒトラーの膨張政策を諌める場面もある。「これはのるかそるかの大きな賭けですぞ」、ヒトラーは「わたしの人生は、いつでも大きな賭けだった」と答える。
しかし、イギリスに対する空軍戦略はお粗末なもので、長期戦に有効な長距離爆撃機に対する認識が甘かったという。電撃戦の効果は、東西の限られた地域でしか機能しない。ナンバーツーという名目が与えられるものの、内心ではヒトラーに背き、表向きでは側近たちの誰よりも従属的に振舞う。まるで太ったオウム!
「わたしには良心などない!わたしの良心は、その名をアドルフ・ヒトラーという。」
もし、ヒトラーを制止することができる人物がいたとしたら、1938年頃までのゲーリングしかいなかっただろうという。だが、こけおどしで言いなりになる性格は、既に1920年スウェーデン医師団のお墨付きだそうな。

3. ハインリヒ・ヒムラー : 廃棄物処理係
あまりに凡庸な人物は、ホロコーストを機械的かつ徹底的に遂行した。その犯罪は言語に絶するものがある。カトリック信徒で、王家を敬い、つつましく教養もあり、バイエルン気質の家の出身。唯一きわだっているのは目立たない性格だという。几帳面で賄賂など受け取らず法に従順な役人という感じか。
だが、一旦人種妄想に憑かれると、オカルト的悪魔が覚醒する。それは北欧系民族による支配思想である。SSの稲妻のようなシンボルは北欧のルーン文字を採用し、親衛隊を古代北欧民族の選ばれし騎士団と重ねている。そして、スラブ系やジプシー、共産主義やボリシェヴィキ、キリスト教徒、反社会分子、障害者、同性愛者などが標的とされる。ヒムラーの目標は、まさに絶滅戦争であった。
しかし、「我が闘争」では「民族的オカルティズムというエセ学問」と蔑んでいるという。それでも、ヒトラーはヒムラーの信じられないほどの効率を認めた。民族抹殺を、あたかも役人の管理上の問題として淡々とこなす。ヒムラーは、親衛隊に大量殺戮の権利を認めたが、押収した財産をくすねることを厳しく処分したという。大量殺戮は民族優位性からくる道徳的権利であって、これがヒムラー流モラルというものか。強制収容所を統括するスローガンは「服従、勤勉、誠実、秩序、清潔、真面目、正直、献身、そして祖国への愛」で、これが唯一自由への道だとしている。そして、怪しげな祝祭や礼拝儀式を演出し、不可解な祭儀のための聖堂を建設し、ついには「最終的解決」という蛮行に走る。犠牲者の苦しみなど意に介さず、むしろ実行者の精神的苦痛を大いに配慮した。
1934年、「長いナイフの夜」として知られる粛清は、ヒムラーとゲーリングによって実行された。エルンスト・レームの突撃隊とグレゴール・シュトラッサーを抹殺。政権を掌握してしまえば、今まで貢献してきたならず者は用済みとなる。この機に、ヒムラーはゲーリングからゲシュタポを譲り受け、親衛隊をナチ党内でも独立した組織に育てた。「ゲシュタポ + 親衛隊」という構図は、最強最悪の実行部隊を形成する。
ところで、戦略的観点からすれば、ソ連侵攻は誰の目にも愚か。だが、民族的観点でヒトラーとヒムラーの意見は一致した。むしろイギリスよりもスラブ系民族の抹殺の方が優先事項だった。アングロサクソン人も元を辿ればゲルマン系だし。
ちなみに、1944年7月20日の暗殺計画にヒムラーが絡んでいたという噂がある。諜報網を張り巡らしていたヒムラーが、まったく知らなかったというのも不自然だ。7月17日、暗殺計画の中心人物カール・ゲルデラーとルートヴィヒ・ベックに対する逮捕状の発令をヒムラーが拒否していたのは事実だそうな。犯行を黙認したのか?この機に反政府分子の大掃除を企てたのか?

4. ルドルフ・ヘス : 不可解な総統代理
最初のヒトラー信者は、獄中で「わが闘争」の口述筆記を務めた。さほど重要な人物ではなく、モルモット的な存在だという。「わたしのヘスくん!」ヒトラーにとって独自の理念を持つマネージャは厄介なだけ。上品で、もの静かで、賢く、控え目、そして聞き上手、独裁者には心地良い存在だ。総統という称号はヘスの作品だという。ヘスは総統代理に任命されるが、書類仕事が嫌いだったという。そこで、マルティン・ボルマンを秘書に雇う。この野郎がしたたかで、後に秘書長の座に昇る男だ。
ヘスは信頼を得るために、ユダヤ人に対する合法的暴力に積極的に関与したが、半ユダヤ人の知り合いも多かったという。1938年「水晶の夜」では、全国でナチが一斉にユダヤ人を襲撃した。これにはヘスも愕然としたという。また、ヒトラーのソ連侵攻の意思を知ると、密かにイギリスとの停戦を画策し、単独でイギリスへ飛行した。ボルマンは、ほとんどヘスを孤立化させることに成功していたという。イギリスへ渡った理由の一つがボルマンにあるとか。
ところで、彼はなぜ命がけでイギリスへ渡ったのか?ヒトラーに無断で動けば裏切り行為となるが。「我が闘争」の中心テーゼに、イギリスとの友好があるという。ゲーリングもスウェーデンの外交官を介して、密かにイギリスに打診していたという。ヒトラーも、繰り返しロンドンに講和を申し出ていたようだ。英仏のダンケルクの撤退では、わざと止めを刺さなかったのか?
しかし、戦争屋チャーチルがその希望を打ち砕いた。ヘスは、イギリスとの戦争を食い止めるために直談判するしかないと考えたのか?大量虐殺を予感したのか?ヒトラーとの関係に絶望したのか?憶測が飛び交う。ヒトラーは、ヘスを処刑してやる!と激怒したという。尚、ヘスの不可解な行動について、ヒトラーとの共犯性を証明できた者はいないらしい。

5. アルベルト・シュペーア : 千年王国の建築家
「大きな建築のためなら、わたしはファウストのように魂を売りわたしただろう」
最もまともな側近と言われるシュペーアは、生涯ホロコーストについて何も知らなかったと主張し続けた。ヒトラーはオーストリアで建築家を目指していたことがあり、趣味において友人であり、不愉快なことがあると、シュペーアと一緒に千年王国の夢を語って上機嫌になったという。シュペーアは、ナチのイデオロギーを建築物で表現した。40万人収容のスタジアム、新しい首相官邸、世界首都ベルリン...そぅ「世界首都ゲルマニア」の建設だ。新都市建設には、ベルリン市民を退去させる必要がある。そこで、ユダヤ人を強制退去させ、空き家を利用した。帝国首都建設総監に任命され教授の称号を得て、これを実行している。ゲシュタポや親衛隊の協力を得ながらゲットーへ。しかし、彼自身は確信犯と思っていないようだ。確かに、古参の国家主義者たちとは血統が違う。
ヒトラーお気に入りの建築家は、前任者トート博士の事故死の後、軍需大臣を努める。そして、軍備生産に力を注ぎ収容所の労働者を動員している。となれば、ヒムラーの協力がなければ実行できないはずだが。
シュペーアは、敗戦間際のヒトラーの焦土作戦という狂気の命令を、密かに阻止しようとした。だが、敗戦が決定的だったために、西側諸国に対するアピール的な要素が必要だったと本書は分析している。シュペーアは、戦後の復興大臣になろうと考えていた節があるらしい。
それにしても、なぜ、おかかえ建築家になったのか?またなれたのか?ヒトラーは、自分よりも専門的に優れている者に劣等感を持つところがあるらしい。有名な建築家よりも、新米で謙虚な有望人物を探していた。つまり、言いなりになる建築家だ。ナチ党からの最初の依頼は大管区本部の改築、そして、1933年、第三帝国の大規模な政治大会で、偉大なる総統の登場を演出した。総統がパトロンとなれば資金や資材は無限に徴発できる。芸術家としての野望がヒトラーと結びつけたか。現実から目を背ける無関心と、認めようとしない態度。犯罪に加担したわけでもなければ、それなりに同情もされよう。シュペーアの態度は、当時の「モラルを失った人々」というドイツ人が描いたトラウマの典型かもしれない。最後の最後にベルリンの地下壕に赴いた理由を、本書はヒトラーがその後を誰に託したかを知りたかったと推測している。閣僚リストにシュペーアの名前があると、戦後処理で都合が悪い。だが、ヒトラーの遺書には後継者デーニッツの名があった。

6. カール・デーニッツ : 後継者
デーニッツ元帥は軍人としてあまり悪い印象がないが、道徳的無関心の典型だという。彼は、ファシズムを根底から支える価値観を持っていたという。皇帝と祖国に仕えることが第一の義務であり、個人の幸福は瑣末なこととした。プロイセン気質と言おうか。この群狼作戦の立役者は、ビスマルクのような巨大戦艦は時代遅れと見て、Uボート部隊にエリート意識を叩き込んだ。デーニッツは、少なくとも現場の分からないゲーリングとは違う。Uボート戦略は、チャーチルも最も苦しめられたと回想している。ここまでは英雄的な軍人という印象か。
しかし、本書はヒトラーのドグマに侵された正体を暴露する。確かに、ヒトラーは後継者にデーニッツを指名した。彼は、撃沈した船の乗員を救助することを禁じたという。また、首都がソ連軍の砲火に見舞われている時ですら、楽観的な状況を説いたという。ビスケー湾を確保できれば、Uボートで戦局を打開できると。ヒトラーはこの手の夢想を気に入っていた。ご機嫌取り、大ぼらふきというわけか。Uボートの乗員4分の3が帰らぬ人となったが、それは本当にプロイセン気質の勇敢さだったのか?
戦争末期には、村々を抜けると脱走兵たちが木に吊るされたという。海軍の追跡部隊に気をつけるように、やつらは親衛隊よりも酷い...などという噂があちこちから聞こえてくる。ただ、海軍にもヒトラー崇拝者が多いだろうし、この混乱期に完璧に統制ができていたとも思えない。デーニッツが意図したかも不明。それに後継者がヒムラーだったら、はたして無条件降伏を受け入れただろうか?
「わたしの孫たちが、ユダヤ人の精神と汚辱のなかで育てられ、毒されてゆくぐらいなら、わたしは土を食らった方がましだ。」
この思いを裁判官が知らなかったために、もっとも肝心な起訴理由での訴追を免れたという。ニュールンベルグ裁判で投獄された連中が強制収容所のことで思い悩んでいる時に、一人名誉ばかりを気にしていたという。「君は最後の最後まで軍歴ばかりを気にするのか!」とシュペーアから叱責されたとか。デーニッツの刑はシュペーアの禁固20年に対して禁固10年。んー...

下巻へつづく...

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