2012-05-13

"小僧の神様 他十篇" 志賀直哉 著

かねがね日常の出来事を文章で魅了する小説家の凄みに感服してきた。取るに足らないものまで、さりげなく芸術にしてしまう、その技に。目の前の事象を素直に言葉にできるということは、自然学の極致と言えよう。
しかし、あまりにも平凡な題材が並べられると、少々疑わしくなる。目に映る被写体をすべて言葉にすれば、世間は騒がしくてしょうがない。これも徹底した現実主義か。知識とその奥行を見せつける鴎外文学や、奇抜なシナリオを展開する芥川文学と比べると、やや退屈感が襲う。志賀小説は国語教育の題材とされることも多く、頭でっかちなイメージがこびりついている。その弊害であろうか。そんな泥酔者でも、二度三度と読み返していくうちに、薄っすらと味わいが見えてくる。噛めば噛むほど...退屈な物語は退屈しのぎにいい。

本書には、「小僧の神様」「正義派」「赤西蠣太」「母の死と新しい母」「清兵衛と瓢箪」「范の犯罪」「城の崎にて」「好人物の夫婦」「流行感冒」「焚火」「真鶴」の十一篇が収録される。いずれも哲学的な様相をあまり見せない。素直で淡々とした文章から、心の奥底にしまいこんだもの、何か忘れかけているもの、そんなものを思い出させてくるような感じがする。デジャヴってやつか?文学作品というものは、文章の論理性と精神の合理性の調和によって癒されるところがあるが、ここでは、知性的に違和感があっても感性的に否定できないものがある。夢想的私欲をあっさりと書き流すところに、人間性の本質なるものが浮き彫りになるのか?いや、ある種の呪術か?所詮、文章なんてものは我欲を張った結果なのかもしれん。

1. 小僧の神様
鮨屋に入ってきた小僧が、一度持った鮨を値段を言われて、気まずそうに置いて出ていった。同情した貴族議員が、主人公の少年をその小僧と重ねて、鮨を思いっきりご馳走する。これは現実か?夢か?
しかし、作者は結末で筆を置くと宣言する。小僧が貴族議員の正体を確かめに行くと、その場所には稲荷の祠があったとさ...という展開にするつもりだったが、残酷な気がしたと。

2. 正義派
電車が少女を轢き殺した。運転手は慌ててブレーキをかけたが間に合わなかったと証言する。だが、線路工夫が「そら使ってやがらあ!」と叫んだ。やがて、形式だけの取り調べが始まる。みんな鉄道会社の仕事で飯を食っている。示談か?しかし、悪いことは悪い。良心との葛藤が続く。

3. 赤西蠣太
歴史的事件である伊達騒動を背景にした物語。赤西蠣太(あかにしかきた)は、伊達兵部の家来で、醜男で野暮臭い田舎侍。一方、銀鮫鱒次郎(ぎんざめますじろう)は、原田甲斐の家来で、美男で利口そうな侍。対照的な二人は将棋仲間で通っていたが、実は諜報員。蠣太は、ほぼ報告書が完成し、いつでも白石に引き上げられる。鱒次郎は、もう少し調査が必要。そこで、蠣太は先にずらかることにする。
さて、その方法を鱒次郎が思案した。蠣太が女に附け文をして肘鉄砲を食らわされ、物笑いとなって屋敷にはいたたまれなくなり夜逃げするという寸法。おあつらえ向きに、小江(さざえ)という美しい腰元がいた。蠣太は醜男に想われる小江が気の毒でしょうがない。艶書を出すのも慣れずドキドキする。しかし、その返事は以外なものだった。
「私は貴方に恋した事はございませんが、前から好意を感じておりました...」
なんと、前々から蠣太の知性に尊敬していたが、若侍たちにはそれがない。そして、新しい感情が湧いてきたという。やがて、蠣太と小江の恋仲が兵部に届く。
ある日、甲斐が兵部の屋敷を訪れ、二人のアンバランスな関係を話題にする。だが、甲斐はすぐに気づく、蠣太の行動が怪しいことに。間もなく伊達騒動が起こる。長いゴタゴタの結果、原田甲斐一派は敗者となり悪党呼ばわれする。事件が終わって蠣太は本名に戻り、鱒次郎を訊ねたが行方知れず。どうやら殺されたらしい。
尚、伊達騒動の講談では、小江は触れれば落ちる若いおさんどん風の女になっていて、下等な感じて滑稽に扱われるという。この女が実は賢く、蠣太が真面目な人物である事を見抜いていたとしたら、という仮定で書き下ろした物語だそうな。

4. 母の死と新しい母
母は17で直行という兄を生み、兄が三つで死ぬと、翌年に主人公を生んだ。それっきり12年間は一人っ子。日清戦争後、母が懐妊したという知らせがある。帰省すると、二十何人かの予備兵が泊まって騒いでいる中、病床についていた。母が亡くなると、それから二ヶ月ほどしか経っていないのに、自家では母の後を探し始める。43歳の父が再婚するということが、思いがけないこと。新たに母となる人は、若く実母より美しい。新しい母の優しさに、実母は過去へと追いやられる。
そして、翌々年英子(ふさこ)が生まれた。また二年して直三が生まれた。また二年して淑子が生まれた。また二年して隆子が生まれた。若く美しかった母も、疲れが見えてくる。女は子供を産むものという価値観の強い時代、世間的圧力の表れか。
この物語は、著者の少年時代の追憶をありのままに書いたものだそうな。そして、次のように語る。
「小説中の自分が、センチメンタルでありながら、書き方はセンチメンタルにならなかった。この点を好んでいる。」

5. 清兵衛と瓢箪
清兵衛の瓢箪の凝りようは烈しかった。茶渋で臭味を抜くと、父の飲みあました酒で丁寧に磨く。道を歩いていても、いつも瓢箪のことばかり考え、オヤジの禿頭を間違うほど。瓢箪を学校へも持っていき、授業中でも机の下で磨いていると、教員に見つかり取り上げられる始末。教員は、家庭訪問し、自宅で厳しく取り締まるように食ってかかった。父は、清兵衛を叱り、散々に殴りつけた。そして、家にある瓢箪を一つ一つ割ってしまった。
さて、教員は、取り上げた瓢箪が穢れ物でもあるかのように、年老いた小使にやった。小使は、瓢箪を骨董屋に五十円で売った。小使は、4ヶ月分の給料をタダでせしめ、何食わぬ顔をして幸せを味わう。もちろん、教員にも清兵衛にも黙っている。その後、その瓢箪の行方は誰も知らない。骨董屋が、その瓢箪を地方の豪族に六百円で売ったことまでは想像だにしない。
「清兵衛は今、絵を描く事に熱中している。これが出来た時に彼にはもう教員を怨む心も、十あまりの愛瓢を玄能で破(わ)ってしまった父を怨む心もなくなっていた。しかし彼の父はもうそろそろ彼の絵を描く事にも叱言を言い出して来た。」
大人は自分の価値観でしかものを考えず子供の個性を抑圧するが、子供の創造性は留まることを知らない。大人の権威主義と子供の独創性の対比はなかなか。

6. 范の犯罪
范(はん)という支那人の奇術師が、演芸中にナイフで妻の頸動脈を切断するという不意な事故が起こった。妻はその場で死亡。しかし、三百人もの目撃者がいるにもかかわらず、それが故意か、過ちかは分からない。その芸は、女を立たせておいて、体の輪郭に沿ってナイフを投げるというもの。証言によると、熟練者ならばそう難しい芸ではないという。范の普段の素行は、賭博も女遊びも飲酒もしない真面目な男。昨年あたりからキリスト教を信じるようになり、暇さえあれば説教集を読んでいる。妻の素行も正しい。二人とも他人に柔和で克己心も強く、けして怒るような人ではなかった。だが、二人だけになると、驚くほど互いに残酷になる。二年前、妻が赤児を産んだが、早産ですぐに死んだ。その頃から激しく口論するようになる。范は妻を愛せなくなったと証言する。妻の産んだ赤児が自分の子ではないことを知ったから、殺したいと思うことも度々だったと。そして、自分自身の中にいる悪魔と葛藤するうちに、故意だと思い込んでしまう。
しかし、最初から実証することが不可能な事件。無罪のためなら、自分を欺いてでも、過失を主張すればいいが、范は自分に正直でいられる事の方が遥かに強いと考える。結局、無罪判決。范は言う。妻の死を悲しむ心は少しもないと。

7. 城の崎にて
山の手線の電車に跳飛ばされて怪我をした。その後、養生に一人で但馬の城崎温泉を訪れた。秋の山峡に一人でいると、淋しく沈みがちになる。一つ間違えば死んでいたのだ。青い冷たい顔をした祖父や祖母の死骸が傍にあり、お互いの交渉もない淋しい光景を想い浮かべる。それでも、死を恐怖には思わない。
ある日、一匹の蜂が玄関の屋根で死んでいるのを見つけた。他の蜂は気にする様子もなく働く。それが、いかにも死んだという冷淡な感じを与える。蜂の死を自分と重ね、親しみを感じるのだった。
またある日、小川に人の集まりがあった。大きな鼠を川へ投げこんで見ていたのだ。鼠の首には魚串が刺さっている。鼠が石垣を這い上がろうとすると石が投げられ、見物人は笑っている。鼠が必死に助かろうとする姿、その最期を自分の死と重ね、今度は恐ろしくなる。死後の静寂に親しみを感じても、死に至るまでの騒動は恐ろしい。
「自殺を知らない動物はいよいよ死に切るまではあの努力を続けなければならない。」
いくら静かで穏やかな死を理想に思っても、もがき苦しみながら死ぬのが現実であろうか。
そして、またある日、小川の半畳敷ほどの石に、蠑螈(イモリ)がいた。もし蠑螈に生まれ変わったら、どうなるだろう?そんなことを考えながら、しゃがんで観察している。驚かせて水へ入れてやろうと石を投げると、蠑螈に当たって死んでしまった。なんてことを。
「可哀想にと思うと同時に、生き物の淋しさを一緒に感じた。自分は偶然に死ななかった。蠑螈は偶然に死んだ。」
少なくとも、助かろうと思わない限り助からない。一方で、生きたくても生きられない人たちがいる。とりあえず自分は生きている。そのことに感謝したい。生とは、死を感じて始めて感じられるものであろうか。生と死は両極ではなく、隣り合わせということであろうか。

8. 好人物の夫婦
のんびりとした秋の晩、妻は裁縫をし、夫はごろ寝している。夫の怠け癖と、妻がせっせと働く、昔ながらの光景であろうか。夫が気ままに旅行すると言えば、妻は淋しくて留守番が嫌だと言う。妻が浮気するだろうと問い詰めれば、浮気癖のある夫はしないかもしれないと曖昧な返答をする。妻の問答に付き合っているうちに、夫は急に気分が萎える。
翌朝、大阪から手紙が届く。祖母が病気だという知らせだ。妻は看護のために大阪へ向かう。夫も四週間ほどして大阪へ。そんな時、女中が妊娠し、夫が真っ先に疑われる。妻はうまいこと嫌味を言う。露骨に打ち明けられても落ち込むだけ、疑いで留めるのが親切というものか?夫は、今度は俺じゃない!と打ち明け、妻は涙する。
信じているのか?疑っているのか?信じたいという気持ちと、その自信のなさとの葛藤を描いた奇妙な作品。悲しみとは、自らの愚かさからくる誤解や意地っ張りが招き入れるものであろうか。

9. 流行感冒
最初の子が死ねば、ちょっとした病気でも死ぬんじゃないかと不安に襲われる。主人は、病的なほど子供の病気を恐れていた。裕福で、子供をあまりにも大事にする家庭があるかと思えば、貧困で、無神経に放ったらかしにする家庭もある。結果的に、どちらが善く育つかは分からない。小学校に乳児をおぶって通うような時代。どちらが自然な姿なのかは分からない。
さて、ある日、流感が我孫子の町に蔓延した。スペイン風邪が流行した頃か。芝居のような人が集まる場所へ行くだけで、感染が疑われ、道徳的な非難を浴びる。女中の一人が、こっそりと芝居を見に言った。長いこと楽しみにしていた芝居に嘘をついてまで。それを主人に見つかり咎められる。しばらくして主人が流感にかかり、妻、他の女中、そして最も大事にしている子供まで。だが、芝居を見にいった女中だけは元気で献身的に働く。あれほど喧しく言っておきながら、その主人が感染したのだから、彼女が痛快に思っても不思議はないのだけど。彼女には、欠点も多く、間抜けをしてよく叱られるけれど、悪い子ではない。そして、人間性を見直されるのだった。...我儘がちな主人が反省する様子がなんとも印象的だ。

10. 焚火
静かな晩、画家と宿の主人と、ある夫婦の四人で小舟に乗る。小鳥島の裏へ入ろうとする向う岸に焚火が見える。別の岸で、四人も焚火をはじめる。そして、山で怖いものの話を始める。蛇や山犬、あるいは、地獄谷の方で野獣の髑髏を見たとか、大入道を見たとか。気分が盛り上がったところで、宿の主人は不思議な体験を語り始める。
去年、雪が二、三尺も積もった頃、東京の姉の病気が悪いという知らせを受けて見舞いに行った。その帰り、鳥居峠を越える時、雪が腰くらいまで入るほど深くなっていて、引き返すこともできない。まるで蟻地獄。体力には自信があり、雪にも慣れていて、恐怖も不安も感じない。だが、もう一息、もう一息と、その道程りは遠い。そして、意識がぼんやりとしてくる。大概、雪で死ぬ人はそうなってしまうという。なんとか峠の上まで漕ぎつけると、遠くの方から提灯が見える。宿の主人の声を寝耳に聴いた母が、義理の兄を迎えによこしたのである。宿の主人の帰る日は未定だった。虫の知らせ!というやつか。母が聴いたのは、一番弱って気持ちがぼんやりしていた時。こんなことがあって、彼はいっそう母想いになったとさ。

11. 真鶴
伊豆半島の年の暮。十二、三歳の少年が弟の手を引いて歩いている。弟は疲れきって不機嫌だが、兄の方は物思いに耽っている。恋煩いというやつだ。父から歳暮の金をもらうと、小田原まで弟と二人で下駄を買いに行く。ところが、途中で唐物屋で水兵帽を見つけると、少年はそれが欲しくなり財布をはたいてしまう。叔父が海軍の兵曹長で、よく海軍の話を聞き憧れていたのだ。
更に、松飾りの出来た賑やかな町に通りかかると、騒々しく流している法界節の一行に出会う。一行は三人、チンドン屋か。一人は四十くらいの男で琴を鳴らし、一人は女房らしい人で甲高い声を張り上げて月琴を弾き、もう一人は少女で厚化粧をして唄っている。少年は、月琴を弾いている女性の色白さに魅せられる。少年時代、年上の女性に憧れることはよくある。少年は、尨犬のように弟の手を引いて、一行に付いていく。
日が暮れると、真鶴まではまだ一里あった。ちょうど熱海行きの列車が通りかかり、客車の窓からチラリと二人の横顔を照らす。弟は法界節が乗っていたと言う。弟の疲れきった様子にやっと気づくと、急に可哀想になり、おんぶする。そして、今の列車に乗っていたかと思うと空想が膨らむ。女性が何処かで自分を待っているという夢想を。この先の出鼻の曲り角で汽車が脱線し、崖から落ちて女性が倒れているところに少年が通りかかるというシナリオである。だが、出鼻へたどり着いても何事も起こるはずがない。それを曲がると提灯を持って来る女の姿があった。余りに帰りの遅いのを心配して迎えに来た母である。弟は兄の背中で眠っていた。母が、弟を少年の背から移そうとすると目を覚まし、今まで抑えに抑えてきた我儘を一気に爆発させた。母が叱ると、なお暴れた。少年は水兵帽を、弟にかぶせて、お前にやるから、おとなしくしな!と言った。少年は、もう水兵帽をそれほど惜しく思わなかった。...平凡な作品だが、なにやら懐かしい風を感じる。

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