2012-10-07

"茶の本" 岡倉覚三 著

岡倉天心こと本名岡倉覚三。著書「茶の本」は新渡戸稲造の「武士道」や内村鑑三の「代表的日本人」と並んで、日本人が英語で書いて日本の文化と思想を欧米に紹介した作品として知られる。尚、本書は村岡博による翻訳版。いずれも別の日本人によって翻訳されるという風変わりな経緯がある。自ら英文で記したのは、西洋人の翻訳では真意が伝わらないと考えたからであろうか?欧米で評価され逆輸入される形は現在でも見かけるが、ある種の西洋コンプレックスの顕れであろう。時代は19世紀、欧米では西洋中心主義全盛の時代。天心は東洋文化に対する偏見への悔しさを滲ませる。
「インドの心霊性を無知といい、シナの謹直を愚鈍といい、日本の愛国心をば宿命論の結果といってあざけられていた。はなはだしきは、われわれは神経組織が無感覚なるため、傷や痛みに対して感じが薄いとまで言われていた。西洋の諸君、われわれを種にどんなことでも言ってお楽しみなさい。アジアは返礼いたします。」

これは茶の本ではない。天心が茶道にどこまで精通していたかは知らん。ただ、茶を通じて人生を語り、老荘と禅那を説き、さらに芸術観賞に至るのには感服せざるを得ない。そう、これは茶の哲学である。
「茶道は、美を見ださんがために美を隠す術であり、現わすことをはばかるようなものをほのめかす術である。」
茶道と言えば、堅苦しい礼儀作法や儀式を重んじる印象を与えるが、それだけではない。厳正でありながら、風雅な気質から喜怒哀楽や滑稽を重ね、侘び、寂びを交える世界である。天心は、茶室の建築様式、あるいは茶器などの美術品や華道といった多彩な詩趣との調和の中で、悟りを開こうとする。そして、茶室を「好き屋」、「空き家」、「数寄屋」や「すきや」などと言い換えて、語呂と戯れるかのようにその意義を語る。茶碗は人間享楽を煎じるところ、茶の湯は享楽の涙にあふれ、飲み干せばすぐに乾く、と言わんばかりに。なによりも、惚れ惚れするようなフレーズの数々に、言葉の力とやらを見せつけやがる。

真の美はただ不完全を心の中に完成する人によってのみ見ださせる。...
心は心と語る。無言のものに耳を傾け、見えないものを凝視する。...
われわれは万有の中に自分の姿を見るに過ぎないのである。...

相対的感覚から絶対美なるものを見出し、空虚から実体を語り、不均衡から均衡を導き、そして人間の不完全性から自然美の完全性を求める。これが天心哲学の極意というものか。
「傑作というものはわれわれの心琴にかなでる一種の交響楽である。」
茶が芸術であるならば、絵画のように傑作も駄作もあるはず。その奥底には、自己に向かって微笑むような気高い奥義が秘められている。だからこそ、「茶気」という言葉は「茶目っ気」という俗語で受け継がれ、「茶化す」という余裕を与えるような言葉が生まれるのであろう。これこそが精神の奥行きであり、寛容さであり、人生に美と和楽を授けてくれる。
...などと褒めちぎれば、目の前の茶碗だって照れくさそうにしてやがる。もちろん今宵は、純米酒「天心」をやっている。茶碗に注いで。ちなみに、製造元溝上酒造は地元コース、河内貯水池へ向かう途上にある。

1. 茶道
「宋の詩人李仲光(りちゅうこう)は、世に最も悲しむべきことが三つあると嘆じた、すなわち誤れる教育のために立派な青年をそこなうもの、鑑賞の俗悪なために名画の価値を減ずるもの、手ぎわの悪いために立派なお茶を全く浪費するものこれである。」
茶が粗野な状態から理想の域に達するには、唐朝の時代精神を要したという。8世紀頃、仏教、道教、儒教が混在する時代、茶道の鼻祖とされる唐の陸羽(りくう)が「茶経」を書した。ここに、茶の湯に万有を支配するものと同一の調和と秩序が現れ、高雅な遊びの一つとして詩歌の域に達したという。15世紀、将軍足利義政が茶の湯を奨励し、禅の儀式にまで高められた。茶道は、神聖で背後に微妙な哲理が潜み、道教の仮りの姿であったという。
茶道の奥義は、「不完全なもの」を崇拝することにあるという。人生という不可解なものに照らしあわせる道とでも言おうか。単なる審美主義ではなく、倫理、宗教と合わせて、天人に関するすべての見解を表すもの。そして、清潔を厳しく説く衛生学、複雑な贅沢ではなく純粋な慰安を教える経済学、宇宙に対する比例感を定義する精神幾何学となり、東洋民主主義の真精神を表しているという。

2. 道教と禅道
茶の湯は禅の儀式の発達した形態であり、道教は審美的な理想の基礎を与え、禅はこれを実践的なものにしたという。
まず、道教に目を向けてみよう。
老子曰く、「物有り混成し、天地に先だって生ず。寂(せき)たり寥(りょう)たり。独立して改めず。周行して殆(あやう)からず。もって天下の母となすべし。吾れ其の名を知らず。これを字(あざな)して道という。強いてこれが名をなして大という。大を逝(せい)といい、逝を遠といい、遠を反という。」
天地より先に、カオス(混沌)が生じた。静かで無形で何事にも依存せず、あらゆるところを動き回る。これを母となすべきだが、名も知らない。とりあえず「道」とし、あえて「大」とで呼ぶか。大なるがゆえに果てしなく広がり、果てしなく遠く、はるか遠くに達して戻る。果てしなく先に何かを悟る。これが「道」というものか。まるでヘシオドスの「神統記」を思わせる一節だ。
一定や不変は、成長停止を表す言葉に過ぎないという。
屈原(くつげん)曰く、「聖人はよく世とともに推移す。」
「道」は経路を意味し、宇宙変遷の精神、すなわち新しい形を生み出そうとする永遠の成長というわけか。道教では、絶対的な宇宙観念は相対的だという。倫理学において、道教徒は法律道徳を罵倒したとか。彼らにとって、正邪善悪は単なる相対的な言葉でしかなく、定義は制限になるからである。無限宇宙に矛盾するというわけか。
「社会の慣習を守るためには、その国に対して個人を絶えず犠牲にすることを免れぬ。教育はその大迷想を続けんがために一種の無知を奨励する。人は真に徳行ある人たることを教えられずして行儀正しくせよと教えられる。われらは恐ろしく自己意識が強いから不道徳を行なう。おのれ自身が悪いと知っているから人を決して許さない。他人に真実を語ることを恐れているから良心をはぐくみ、おのれに真実を語るを恐れてうぬぼれを避難所にする。」
道教の考えでは、物事の釣り合いを保って己の地歩を失わず、他人に譲りながら、個人を考えるために全体を考えることを忘れてはならないという。これが、精神の相対性原理というものか。己を虚にし、他人を自由に受け入れれば、すべての立場で自由に行動できるのだろうか?全体は部分を支配できるのだろうか?生の術を極めるとは、虚の美徳を極めるということであろうか。
次に、禅に目を向けてみよう。
禅は、禅那からとった名で、その意味は静慮であるという。精進静慮によって、自性了解の極致に達することができると教える。静慮は、悟道に入ることのできる六波羅蜜の一つで、釈迦牟尼はその後年の教えで特に力説したとされるそうな。禅道もまた相対を崇拝し、真理は反対なものを会得することによってのみ達せられると考えるらしい。悪を知らずして、善を知ることができない。だからといって、悪行を実践するということにはならない。人には、追体験能力や先験的能力というものがある。
また、禅道は、個性主義を強く唱えているという。全体の調和における個精神の美徳である。精神の働きに関係しない一切のものは実存ではないとするあたりは、アリストテレスのモナド的な思考を感じさせる。禅は、しばしば正統の仏道の教えと相反したという。道教が儒教と相反したように。先験的洞察においては、言語はただ思想の妨害になるという。精神の抽象化は、言葉では限界があるということであろう。経験的思考が真理の妨げになると言っているのだろうか?なんとなくカントのア・プリオリな概念にも通ずる。禅の主張によれば、事物の相対性から大小の区別がなく、一原子の中にも大宇宙がある可能性があるとなる。ただ、相対性は単なる人間認識の産物だとすれば、無意識無想こそが真理ということになりはしないか。

3. 花道(華道)
花道が生まれたのは、15世紀頃で、茶道とほぼ同時期だという。始めて花を生けたのは仏教徒だったとか。千利休と同じ頃、織田有楽、古田織部、光悦、小堀遠州、片桐石州らが、競って新たな配合を作る。
だが、生花は、茶室にある他の美術品と同様、装飾の全配合の従属的なものであったという。花の宗匠が現れ、花を花だけのために崇拝するようなことが起こったのは、17世紀中旬。形式派と写実派の二大流派が生じる。池の坊を家元とする形式派は、絵画の狩野派に相当する古典的理想主義を狙っていたという。一方、写実派は、自然をモデルに、ただ美的調和を表現する助けとなるような修正を加えただけとか。
しかしながら、花の宗匠の生花よりも、茶人の生花の方が、ひそかに同情を持つと言っている。茶人の花は、適当に生ける芸術であって、人生と真に密接な関係を持っているから、心に訴えるものがあるという。そこで、形式派や写実派に対して、茶人の花こそ自然派と呼んでいる。
「どうして花はかくも美しく生まれて、しかもかくまで薄命なのだろう。虫でも刺すことができる。最も温順な動物でも追いつめられると戦うものである。...花は皆、破壊者に会ってはどうすることもできない。彼らが断末魔の苦しみに叫んだとても、その声はわれらの無情の耳へは決して達しない。」
人々は、花に癒されながら、花の叫びが聞こえない。なんと不条理な。真の愛とは、見返りを求めいないということであろうか。

4. 千利休(宗易)
日本で偉い茶人は、みんな禅を修めた人だという。
「宗教においては未来がわれらの背後にある。芸術においては現在が永遠である。」
芸術を真に観賞することは、ただ芸術から生きた力を生み出す者によってのみ可能だという。あらゆる状況において平静を保ち、談話は周囲の調和を決して乱さぬようにする。着物の格好や色彩、身体の均衡や歩行の様子、これすべてが芸術的人格の顕れであり、審美主義の禅だという。日本の有名な庭園は、すべて茶人によって設計されたという。人格と芸術の一体感、総合的な調和、これぞ日本式美徳ということであろうか。ちなみに、ガウディは建築家だけが総合的な芸術家になれるとし、自ら画家、音楽家、彫刻家、家具師、金物製造師、都市計画家となった。
また、自己を律する道を知らない者は、外観は幸福に努めても、絶えず悲惨な状態にあると指摘している。心の安定を心がけたところで、すぐに荒波に呑まれる。利休は、死刑執行の日でもなお、門人を最後の茶会に招いたとされる。その時、笑を浮かべて残した言葉がこれ。
「人生七十 力囲希咄 吾が這(こ)の宝剣 祖仏(そぶつ)共に殺す」
「力囲希咄」を利休がなんと読んだかは分からないが、「りきいきとつ」という読みは「茶話指月集」にならっているという。その意味も、茶人の間で問題になっていて諸説があるらしい。今泉雄作氏の説では、禅の喝のような一種の間投詞で、「ええんじゃないの」という意味があるんだとか。死に向かう覚悟か?あるいは気合のようなものであろうか?

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