2013-01-06

ふしめ

2013年は巳年ということで、蛇道(邪道)で参りとうござる... なぁーに、いつものことよ。

昨年は、いろんな意味で節目の年であった。
まず、独立10周年でささやかなパーティを催した...お集まり頂いた方々御礼申し上げます。尚、久しぶりの「朝までフルコース」は辛い。おまけに、その晩も某所から呼び出しを喰らう。
また、ちょうど30歳になった。尚、年齢表記は慣例に従い16進数を用いている。
そして、恐ろしい大台が見えてくる...

人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり、ひとたび生を得て、滅せぬ者の有るべきか...

人間50年も生きれば、それなりにケジメがつくものであろうか?寿命が延びれば、未練も先送りされる。考え方も学生時代からあまり変わっていないような気がする。いや、精神面では幼年化しているかもしれない。その証拠に、夜の社交場では...マダムにお子ちゃまと呼ばれ... 平成生まれのお嬢に恋愛論を説かれ... その横で、勉強になります!と畏まる始末。ちなみに、先日、献血に行くと、動機についてアンケートがなされ、耳にピアスをした二十歳ぐらいのガキが、「社会に少しでも役立ちたい!」と堂々と語っているのに見入ってしまう。そして、いざ自分に質問が向けられると、「若い看護婦さんに血を抜いてもらいたい!」と心の中でつぶやきつつ、「いやぁ...そのぉ...なんとなくぅ...」と慌てて答えてしまった。どっちがガキなんだか...
それになりに生きれば、多少の知識も増えよう。だが、忘れた知識も多く、消化と排泄によるエネルギー保存則は健在!元々頭の回転が鈍く、記憶力も弱いとなれば、衰えを感じなくて済む。これも、ささやかな幸せというものよ。
一方で、死を宣告された末期患者が、突然人生に目覚め、超人的な能力を発揮することがある。死と隣合わせだからこそ、研ぎ澄まされる感覚というものがあるのかもしれん。死を身近に感じていなければ、生きることの意義さえ考えることもないのかもしれん。

技術チームで仕事をしていると、歳をとる気があまりしない。マネージャとメンバーという立場の違いがあるにせよ、年齢に関係なく対等の意識が働く。だが、向こうはそうは思っていないようだ。そういえば、おいらが20代の頃、40代の人を大先輩という目で見ていた。同じように見られているのだろうか?いや、それはありえない。事実、アル中ハイマーなどと呼ばれバカにされている。
技術屋さんと付き合うのは気楽なもんだ。論理的に説明すればだいたい納得してくれるし、説得できない時はだいたいこちらの論理に隙がある。哲学的な共通意識さえチームに植えつけておけば、互いの意思が分かりやすい。
ただし、優秀なエンジニアと仕事をするとかなり辛い。こっちは、いつも全力疾走しなければならない。ちょっと休んでくれ!と弱音を吐くと、実は互いに見栄っ張りで、余裕を演じていただけというオチも、たまにはあるけど。最近、教育の依頼を受けることがある。教えられるものなんて何もない。そうか、引退勧告であったか...
そして、シニアという言葉がちらつく。シニアとは、何歳ぐらいからを言うのであろうか?ゴルフのシニアツアーは50歳以上と聞く... スポーツ選手の引退年齢は40代ぐらいであろうか... 将棋の達人戦は40歳から... フィールズ賞は40歳まで... プログラマに至っては35歳定年説なんてものもある... 職業寿命なんてものは意外と短いものかもしれん。
そういえば、健康診断では35歳以上になると検便用の小道具が手渡された。形状からして、初体験のおいらは直接突っ込むものかと勘違いした。すると、大先輩のSさんが嬉しそうに実演していた。次は大道具の出番であろうか?癖になりそうで恐い。

なんにせよ、年齢的な限界が訪れるのは生命の宿命。歳とともに気力が失せることもあろう。かつて自信を持っていた知識も、知れば知るほど分からなくなる。ただ、分からないことが増えると、なぜか心地よい。ある種の諦めであろうか?いや、人間の性質は、M系に走るものかもしれん。人生楽しまなきゃ損というわけか。何かを悟るのに、一人の人生ではあまりにも短い。それどころか、目指すものすら未だ見えてこない。ならば、技術を磨くのに年齢は関係ないとするしかあるまい。
そして目指すものは... 夜のテクニシャン!... ということにしておこうか。

1 コメント:

アル中ハイマー さんのコメント...

いつもの飲み会と何が違うのか?というご指摘を頂いた。
朝までフルコース!というところかなぁ...そして、記憶がありまへん。いつもと同じやんけ!

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