人類の知りたいという執念には驚くべきものがある。それは、自分自身を知るための旅だ。どこから来て、どこへ行くのか?これを問い続け、自己の棲家である宇宙の正体を知らずにはいられない。つまり、人類は自分が何者かも知らない。己を知る欲望こそ、科学の原動力である。古来、哲学者たちが夢見たことは、その数千年後、ポアンカレの語ったこの言葉で言い尽くされていよう。
「科学者が自然を研究するのは、それが役に立つからではない。科学者が自然を研究するのは、そのなかに喜びを感じるからであり、そこに喜びを感じるのはそれが美しいからである。もしも自然が美しくなかったなら、それは知るに値しないだろうし、もしも自然が知るに値しなかったら、命は生きるに値しなかったろう。もちろんここで私は五感を刺激する美、質と見かけの美について語っているのではない。そのような美の価値を低く見てはいない。それどころがそうした美を高く評価している。ただ、そのような美は、科学とは関係がないということだ。科学にかかわる美は、各部分が調和した秩序からもたらされ、純粋な知性によって把握されるような、より深い美なのである。」
世界中のあらゆる文化が、独自の宇宙創成モデルを作った。創造主という神話を。ビッグバンモデルが優れているのは、誰にでもイメージしやすいこと。案の定、カトリック教会は教義の後ろ盾とした。人間の客観性への憧れは、信仰への頑固さに劣らない。客観的に述べると宣言された有識者どもの主張が、客観的であったためしはない。無い物ねだりというやつか。アインシュタインは常識というものを激しく批判したという。「18歳までに身につけた偏見の寄せ集め」と...
慣習に培われた常識とやらに蝕まれていくと、やがて疑問すら持てなくなる。常識に囚われるということは、自発的な思考意欲を失ったと見るべきかもしれない。まずは自分が信じているお気に入りの仮定を捨ててみることだ。人間の思考において主観性が強いのは、自然の姿であろう。それを承知してこそ、思考結果を検証するための客観性の役割が見えてくる。物理学では、理論構築において論理思考が牽引し、実験結果によって実証されてきた。その過程で、理論の根拠にしようと自ら目論んだ実験が、結果的に反証してしまうこともある。いわば、自己否定に追い込まれるのだ。
マイケルソンは、エーテル説を実証しようとしたが、マイケルソンとモーリーの実験は反対の答えを証明してしまった。彼は、結果が容易に受け入れられず、こうもらしたとか。
「愛しいエーテルは打ち捨てられてしまったが、私は今も多少の愛着を感じている。」
ラザフォードは、J.J.トムソンが提唱した「プラムプディングモデル」、いわゆる、ぶどうパンモデルを実証しようとしたが、あっさりと覆された。
アインシュタインは、静止した永遠宇宙を信じて、せっかくの美しい重力場方程式に奇怪な宇宙定数を加えたがために、「人生最大の失敗」と言わしめた。
理論派は徹底的に論理にこだわり、実験派は徹底的に精度にこだわる。科学は、その互いの資質の相補作用によって成り立つ。本書は、理論派にケプラー、ルメートル、フリードマン、アインシュタインといった面々を、実験派にエラトステネス、ガリレオ、ハッブルといった面々を紹介しながら、宇宙論をめぐる科学史を外観してくれる。また、ガモフ、アルファー、ハーマンらのビッグバン宇宙論派と、ホイル、ゴールド、ボンディらの定常宇宙論派の論争もなかなかの見モノ。尚、表題は「ビッグバン宇宙論」から「宇宙創成」に改題される。
それにしても、神は究極の退屈しのぎを作ったものよ。ビッグバンという現象は、もしかしたら神の死を意味するのか?だとすれば、揉め事をこしらえ、不完全な遺産を残したことになる。なんと無責任なヤツか!
「創造主である巨人が死ななければならなかったことから、人間は永遠に苦労するように運命づけられた。」
ところで、「科学」や「科学者」という用語は、意外にも新しいらしい。
1834年、ヴィクトリア朝の博識家ウィリアム・ヒューエルが「scientist(科学者)」という造語を用いたのが初めだそうな。ラテン語で知識を意味する「scientia」に由来。それまでは、「natural philosopher(自然哲学者)」と呼ばれていたという。
確かに、哲学は主観によって牽引されてきた。いや、直観と言うべきか。アインシュタインが時空の概念を持ち出す百年も前、カントがア・プリオリな認識に時間と空間の二つを置いたことは、直観の偉大さを示している。そして、冷静な目としての論理性で補完しながら、熱狂や迷信に対する解毒剤としてきた。真理に近づくために主観性だけでは不十分だと知れば、悟性が客観性を求めるは必定。ヒューエルがどういう意図で、このような用語を持ちだしたかは知らんが、客観性を強調したことは想像に易い。
とはいえ、科学は自然との相性がすこぶるよく、哲学にしても人間の自然の姿に意義を求めるため、自然哲学という用語も捨てがたい。
そういえば、日本語の「科学」という用語も奇妙な漢字が当てられる。「科」を「学ぶ」とはすべての学科を含むニュアンスを与える。実際、人文科学、社会科学などの用語が編み出されてきた。現在では客観性という意味で用いられることが多いか。いずれにせよ、客観性のレベルは、数学のものとは比べものにならない。
「どんな科学分野でも、人が初心者であることをやめてその分野の達人となるには、自分は一生初心者のままだと知ったときである。」... ロビン・ジョージ・コリングウッド
1. アリストテレスの呪縛
神話という語は、物語を意味するギリシャ語の「ミュトス」に由来するそうな。他にも「権威ある言葉」という意味もあるとか。世界中の神話は、その社会で絶対的な真理を表してきた。神話は信仰や迷信と強く結びつき、これに疑問を呈する者はことごとく罰せられる。そんな時代が長く続いた後、紀元前6世紀頃、知識人たちは突如として様々な可能性を考えるようになったという。哲学者たちは、広く受け入れられていた神話的宇宙観を捨て、自分なりの説明を自然学の下で作り出す。
例えば、ミレトスのアナクシマンドロスは、地球の周りには火に満ちた環(わ)が回っていて、太陽はその環に開いた穴であるとしたという。月や星も同じように、天空に空いた穴であると。小学校の工作で見かけそうな手作りプラネタリウムの発想か。
コロポンのクセノパネスは、地球は可燃性のガスを放出していて、夜のうちに溜まり、臨界質量に達すると発火して太陽になると考えたという。ガスの玉が燃え尽きると再び夜が訪れ、後に火花として星々が残ると。月もまたガスが溜まっては燃えるという周期で動いていると。
本格的な合理主義運動は、紀元前540年頃のピュタゴラスに始まる。「万物は数である」という信仰だ。弦の長さを半分にすると1オクターブ高い音が生じ、元の音と調和することに気づくと、一弦琴を使って和音の理論を構築した。一般的に弦の長さを調整する時、元の弦に対して簡単な比になるようにすると、元の音と調和する。弦の長さを3対2にすると今日で言う5度の音程になり、複雑な比にすると不協和音になる。太陽も月も、星々も、すべての天体運動が数学で説明されると、天空の音楽理論が構築される。宇宙が数によって調和しているとなれば、人間社会におけるあらゆる運動が数学モデルで構築される。気象観測、市場予測、人口予測など。カオスを前にして、やや息切れ気味ではあるものの...
アリストテレスの時代、惑星のループ軌道がカオスに映ったことだろう。自己存在の大前提とされる大地が丸いというだけで、人々はまるで悪魔の世界であるかのように戸惑い、知性の崩壊から理性の崩壊を招いてきた。おまけに、地球は太陽の周りを回り、太陽系も銀河系も運動しているとなれば、黙殺せずにはいられない。
しかし、現代人はアリストテレスの世界観を本当に捨てきれているだろうか?リンゴが木から落ちるのを見て、自発的に落下しているのか?地球の重力に引き寄せられているのか?と問えば、相対的な解釈はどちらでも可能だ。ならば、自分は社会を生きているのか?社会に生かされているのか?を問うてみるがいい。人間ってやつは、何かを中心に置き、しかもそれに向かって運動していないと落ち着かないものらしい。そして、いくら客観的な知識を蓄えたところで、いくら神を崇めたところで、最終的に自分を中心に置くことになる。重い物体も軽い物体も同時に落下するって本当なのか?と問うてみても、たとえガリレオが正しいと知っていても、やっぱり酔いどれはアリストテレスの世界で生きている。その証拠に、アルコール濃度が重いほど肉体も精神も沈むのが速い!
2. 宗教から科学への回心
宗教が科学理論を支持したところで、なんの援護にもならない。証券アナリストが、ほら当たった!と自慢するのと同類か。
アリストテレスは、哲学的な考察から重い物体は軽い物体よりも速く落下すると論じた。ガリレオは実験によってその間違いを証明したが、アリストテレスは既に神聖化された人物。ガリレオには権威の反対を主張する勇気があった。望遠鏡によって測定精度という観点を、科学にもたらした貢献は大きい。ガリレオは異端審問でこう反論したという。
「聖書は天国への行き方を教えるものであって、天の仕組みを教えるものではありません。」
科学者には政治的に振る舞うのが苦手な人が多い。その功績は死後に称えられるケースも珍しくない。何かにつけて常識を持ち出し、道徳を持ち出し、その究極に神を持ち出すのは、無知を覆い隠す絶好の手段となろう。ベラルミーノ枢機卿はこう述べたという。
「地球が太陽のまわりを回ると主張することは、イエスは処女から生まれてはいないと主張するのと同様に誤りである。」
聖書の馬鹿馬鹿しい解釈のおかげで、その反発として科学的思考が生まれ、宇宙創成モデルの構築が始まった。ダーウィンの進化論が登場すれば、人類の歴史もすぐに覆される。マックス・プランクは、こう述べたという。
「重要な科学上の革新が、対立する陣営の意見を変えさせることで徐々に達成されるのは稀である。サウロがパウロになるようなことがそうそうあるわけではないのだ。現実に起こることは、対立する人々がしだいに死に絶え、成長しつつある次の世代が初めから新しい考え方に習熟することである。」
尚、サウロはキリスト教徒迫害者であったが、奇跡的な回心を遂げて使徒パウロという呼び名となった。
3. ビッグバン宇宙論への道
アインシュタインは、重力場方程式に宇宙定数を付け加えた。それ故に、一般相対性理論と静的で永遠宇宙という概念を両立させることができる。
対して、アレクサンドル・フリードマンは、重力場方程式の美しさのみに着目したために、宇宙に自由な形を与えた。特に重要なのは、宇宙定数がゼロの時の宇宙モデルで、動的に発展することが示されたこと。動的とは、激烈な崩壊によって終焉を迎えることを意味する。最初は膨張によって始まり、重力に対抗できるだけの勢いがある。そして、宇宙が重力に対抗する方法は、三つの可能性が考えられる。
第一の可能性は、宇宙の平均密度が高く、与えられた体積中に含まれている星の数が多い場合。星が多ければ重力の総和が大きくなり、やがて星が引き寄せられて膨張が止まる。宇宙は収縮に転じ、ついに完全に潰れる。
第二の可能性は、星の平均密度は低いものと仮定した場合。重力の総和が宇宙の膨張を押さえこむことなく、どこまでも膨張を続ける。
第三の可能性は、宇宙の密度は高くも低くもない場合。重力のために膨張速度は小さくなるが、膨張が完全に止まることはない。宇宙は収縮して一点になることもなければ、無限大に膨張することもない。
これらの中でどのパターンになるかは、宇宙が膨張を始めた時の速度と、宇宙に含まれる物質の総和で決まる。いずれにせよ、フリードマンが提示したのは、宇宙は変化するという発想だ。多くの物理学者が宇宙定数を歓迎し、一般相対性理論が固定観念になりつつある中、フリードマンはコペルニクス的な柔軟性を披露した。にもかかわらず、アインシュタインの方がはるかに名声が高い。37歳の若さで死んだこともあろうか。理論家の多くは狂信者として世を去っていく。エドウィン・ハッブルの観測によって宇宙の膨張が発見されると、高く評価されることになるが、死後のこと。
聖職者で宇宙論研究者のジョルジュ・ルメートルは、ビックバン・モデルをはじめて合理的に説明したという。彼は、放射性崩壊というプロセスを知っていたようだ。ウランなどの大きな原子が壊れて小さな原子になる時、粒子、放射線、エネルギーを放出する。まさに原子モデルを宇宙モデルと重ねた発想だ。そして、フリードマンより少し運が良かったようである。ハッブルが発見した大ニュースを耳にすることができたのだから。
「宇宙について無知であればあるほど、宇宙を説明するのは簡単だ。」... レオン・ブランシュヴィック
4. 宇宙論と望遠鏡
宇宙論の発展に望遠鏡の進化は欠かせない。パルサー(脈動星)の発見が、一般相対性理論が予言する重力波の存在を匂わせる。宇宙の灯台と言われるやつだ。
1700年代、ハーシェル(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヘルシェル)は、太陽系が天の川銀河という星団の集団に埋もれていることを示した。では、天の川銀河は宇宙で唯一の銀河なのか?あらゆる星雲は天の川銀河の内側にあるのか?外側にあるのか?シャルル・メシエは、星雲のカタログを作る。
1912年、ヘンリエッタ・リーヴィットは、ケフェウス型変光星、いわゆるセファイドを調べることで、距離を見積もることができることを示した。天文学者は宇宙を測定するための物差しを手に入れた。セファイドは、安定した平衡状態にはなく状態が揺れ動く。圧縮と膨張を繰り返す風船のような。この発見だけでも、宇宙の膨張と収縮を予感させる。北極星も代表的なセファイドで、天空に同じ位置にありながら明るさが変化する。
1923年、ハッブルは、アンドロメダ星雲内のケフェウス型変光星を見つけ、天の川銀河の遥か遠くにあることを示した。ほとんどの星雲が天の川銀河とは別物で、宇宙は銀河に満ちていた。
原子は決まった波長の光を放出したり吸収したりするので、分光学によって星の光を調べれば星が何でできているかが分かる。ハギンズ夫妻は、星の光の波長がわずかにずれていることを観測する。それはドップラー効果によって説明できる。銀河の大半は、天の川銀河から赤方偏移を示すことが観測された。ハッブルの法則は、銀河の距離と速度の関係を示す。それは、宇宙の膨張を予感させるだけでなく、なんらかの出発点があったことを予感させる。聖書は正しかった!と叫んで飲み明かした宗教家も少なくなかったろう。
5. 原子モデルと核反応
ルメートルは、宇宙の始まりは、極めて小さく有限な状態を持った原初の原子が平衡を失って、放出した結果だとした。フリードマンはちと違う。宇宙は原初の原子から始まったのではなく、一点から始まったとした。ゼロからの創成ならば、時間も空間も有限ということか?完全なる神が消滅するとなれば、宗教家にとっては由々しき問題!
ビッグバンモデルを受け入れるには、科学的にも無視できない問題がある。豊富に存在する物質もあれば、稀にしか存在しない物質もあるのはなぜか?物体が均等に存在しないのはなぜか?宇宙は大きくて重い元素ではなく、小さくて軽い元素で占められている。元素の存在率は、水素の90% 、ヘリウムの0.9%。ここから原子を理解しようという試みが始まる
アーネスト・ラザフォードは、ラジウム原子にアルファ粒子を衝突させる実験から、一つの原子核と多数の電子からなる原子モデルを提唱した。原子核は、陽子と電荷を持たない中性子で構成され、しかも原子に対して驚異的に小さい。陽子と電子の数は、原子の種類を決める重要な指標で原子番号とされる。
水素とヘリウムは、小さくて軽い方から二つの元素。陽子と電子をやりとりすることによって、他の原子に変わる。これが放射の背後にあるメカニズムである。ラジウムのような重い原子の原子核は非常に大きく、88個の陽子と138個の中性子を含んでいる。このような大きな原子核は不安定であることが多く、より小さな原子核の状態に移ろうとする。ラジウムの場合、2個の陽子と2個の中性子をアルファ粒子として吐き出し、86個の陽子と136個の中性子を含むラドンに変わる。アルファ粒子とは、ヘリウム原子核の別名だ。大きな原子核が小さな原子核に分かれるプロセスが核分裂である。逆に、水素のような軽い原子と中性子を核融合させれば、ヘリウム原子核に変わる。
水素は比較的安定しているので核反応は自発的に起こらないが、高温高圧などの適切な条件下で起こる可能性がある。水素が核融合してヘリウムになるメリットは、ヘリウムの方がより安定しているからだという。そのエネルギーは、どこから来るのか?それがアインシュタインのあの有名な公式で、エネルギーと質量の等価性が示される。安定した原子状態ほど、核反応が生じた時のエネルギーは莫大なものとなる。水素の核融合爆弾は、プルトニウムの核分裂爆弾よりも、いっそう破壊的というわけだ。核反応の研究が、水素とヘリウムの存在比率に矛盾することなく、ビッグバンモデルを裏付ける。
では、既に宇宙が存在する中で、ビッグバン級の核反応が発生したらどうなるだろうか?宇宙は階層構造となるのか?あるいは、宇宙は破壊されるのか?時間と空間の始まりを宇宙創成、すなわちビッグバンに求めるならば、自由意志の正体とは、空間を自由に泳いでいた原初時代の自由電子の名残であろうか?人間のあらゆる細胞は原子で構成され、当然ながらそこには原子核に捕まった電子がいる。電子の中には、DNAよりも微小な記憶素子が埋め込まれているのだろうか?いずれにせよ、安定志向が強いほど改革は難しく、それだけ大きなエネルギーが必要となるのは道理であろう...
6. 宇宙マイクロ波背景放射とゆらぎ
宇宙マイクロ波背景放射(CMB放射)とは、全天空からほぼ等方的に観測されるマイクロ波である。ビッグバン後に、宇宙の温度が下がって電子と陽子が結合して水素原子を生成し、宇宙が放射に対して透明になった時代のスナップショットと考えられている。宇宙の晴れ上がりの時期の名残か。
密度のゆらぎは、あらゆる現象で見られる。人間社会にも過密と過疎が生じるように、CMB放射にもゆらぎがあるらしい。宇宙初期に生じたゆらぎだとすれば興味深い。COBEチーム(宇宙背景放射探査機)は、ゆらぎの検出に没頭する。ビッグバンから1秒のうちに超高温だった宇宙は膨張して急激に冷え、温度は数兆度から数十億度にまで下がる。その頃、主として陽子と中性子と電子からなり、すべては光の海に浸されていた。それから数分のうちに、水素原子である陽子は他の粒子と反応して、ヘリウムなどの軽い原子核を形成する。最初の数分で、宇宙に存在する水素とヘリウムの比率がほぼ決定されたという。宇宙は、その後も膨張を続け、冷え続ける。この頃の宇宙は、簡単な原子核と、エネルギッシュに飛び回る電子と、膨大な光が存在し、それらがぶつかり合って、跳ね飛ばされる。約30万年が経過すると、温度が十分に下がり、電子の速度が落ちて原子核に捕まり、原子が形成されたという。これ以降、光はほぼ何にも邪魔されず、宇宙をまっすぐ突き進むようになったとか。この光こそが、ガモフ、アルファー、ハーマンらによって予測された宇宙マイクロ波背景放射というわけか。これは、光によるビッグバンのこだまだという。宇宙が平坦でないのも、ビッグバンから30万年後の密度のゆらぎによるものらしい。
1979年、アラン・グースはインフレーション理論を提唱した。宇宙は、一定に膨張してきたのではなく、インフレーション期に一気に膨張し、やがて膨張速度が衰えたというもの。インフレーション期には、ゆらぎも大きかったことだろう。では、やがて膨張は止まるのか?そして、収縮に転じるのか?
まぁ、宇宙からやってくる電磁波の研究もいいが、逆に何を放射しているかということには、科学者はあまり気にしないようだ。地球外生命体から見れば、地球ってやつは惑星のくせしやがって、様々な電波を放出するだけでなく、衛星という宇宙ゴミをまき散らす奇妙な天体に映っているかもしれん。到底自然界では説明のつかない悪魔の棲家にでも...
7. 暗黒物質と暗黒エネルギー
近年の観測によると、銀河の周辺部にある星は非常に大きな速度で運動しており、銀河内部にあるすべての星々の重力を合わせても、銀河の形をつなぎとめるには足りないことが示された。そこで、膨大な量の暗黒物質、すなわち光を出さない重力子のようなものがあり、星たちの軌道をつなぎとめているという説がある。
この物質の天体からの候補は、MACHO(Massive Astrophysical Compact Halo Object)というカテゴリーがあり、ブラックホール、小惑星、巨大な木星型惑星などが分類される。素粒子からの候補では、WIMP(weakly interacting massive particles)というカテゴリーの粒子が想定されている。
1990年代末、宇宙の膨張速度は減速どころか加速を続け、自爆しようとしているという説が検討される。宇宙を膨張に駆り立てているものとは何か?それが暗黒エネルギーってやつか?実は、暗黒物質ってやつが、古くから噂されてきたエーテルってことはないのだろうか?
ビッグバンを仮定すれば、ビッグクランチを想像することも難しくない。あるいは、その間を揺らぐビッグバウンスを繰り返しているのか?いずれにせよ、いまだ人類は宇宙の正体のほとんどを知らないでいる。分からないことがあり続けるということは、幸せなのかもしれない。ビッグバン以前にはどうなっていたのか?この問いに対する神学版とも言うべき答えで、聖アウグスティヌスの言葉を引き合いに出すと...
「神は天地創造以前に何をしていたのか?神は天地創造以前に、そういう質問をするあなたのような人間のために、地獄を作っておられたのだ。」
2014-05-11
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