物理学を支えてきた研究者には、二つの相補的な資質がある。それは、理論派と観測派(実験派)だ。科学文献では、理論が主役で観測データは付録のように静かに掲載されるのが、一般的であろうか。エドウィン・ハッブルは自ら観測派に属すと語り、少々悔しさを滲ませる。
しかしながら、双方の資質を厳密に区別することは難しい。理論的な推測なくして、適格な観測は成し得ないのだから。実際、ハッブルは観測による標本収集というアプローチから、銀河の距離と遠ざかる速度の法則を導いた。銀河の放射する赤方偏移は近似的な距離の線形関数である、などという法則性を見抜く眼力こそが秘められた資質と言えよう。
本書は、その立場から理論説明よりもデータ解析が主に置かれる。局部銀河群では、M31、M32、NGC205、M33、NGC6822、IC1613 などの詳細データが紹介され... 書籍版プラネタリウムとでもしておこうか。そして、銀河の分布や構造を論じながら、島宇宙仮説と膨張宇宙説の証拠をつきつける。また、宇宙定数についても言及される。アインシュタインは、せっかく編み出した美しい宇宙方程式に自己の思想観念を埋め込んだために、人生最大の失敗!と言わしめた。権威者が自分の過ちを素直に認めることは難しい。健全な懐疑主義こそが、科学に最も求められる資質であろう。そして、啓発された利己主義ってのも付け加えておこうか...
どんなに理論が優れていようとも、見たまんま!というほど説得力のあるものはあるまい。だが、観測の命は精度にあり、宇宙規模にまで及べば誤差との戦いが宿命づけられる。
研究者たちの精度のこだわりや、道具を駆使する技術的発想は、どこからくるのだろうか?理論家の中には、狂信者のレッテルを貼られたまま世を去った者も少なくない。観測者の中には、結果的に無駄に終わる実験に憑かれて人柱となった者も少なくない。人間自身を知ろうとする執念が、そうさせるのか?まずは、自己存在を強烈に意識させる自己の棲家を知ることだ。
ゲーテは言った、制約の中にのみ巨匠の技が露になると。宇宙の距離梯子は、科学者たちの思考梯子として受け継がれる。観測技術は進化し、信憑性のあるデータは確実に増えていく。もし、ニュートンが今を生きていたら、どんな法則を発見してくれるだろうか?ジョージ・サートンは、こう書いたという。
「現代の聖人は、千年前の聖人より神々しい必要がない。現代の芸術家は、ギリシャ初期の芸術家ほどに偉大である必要もない。実際彼らは劣っていそうだ。そしてもちろん、科学者は昔の科学者より知性的である必要はない。しかし一つだけ確かなことは、科学者の知識は次第により広範になり、同時に正確になっていくということだ。確実な知識の取得と体系化は、人間のみが行える行動で、真に蓄積的で日々進歩するものである。」
ところで、単位系ってやつには、その学問分野の哲学がさりげなく顕れるものだと思う。天文学では、視差(parallax)の観点から生まれた「パーセク」という単位がある。やはり、距離測定の基本は三角法にあろう。比較的近い天体は、地球上の二点による視差や、年周視差によって算出できる。なんといっても、天文学の基礎は掃天観測にあり、統計学と誤差関数の欠かせない世界。この単位だけで、ガリレオから受け継がれる望遠鏡のロマンを感じる。
やがて、遠方の恒星では、光のスペクトルから距離を算出する方法が編み出された。だいたいにおいて恒星は太陽型のスペクトルをもっており、そこに絶対等級との関係が定式化されると、見かけの明るさが距離の二乗に反比例するという法則が利用できる。
さらに遠方の銀河では、セファイド変光星を利用して距離を算出する方法が編み出された。周期的に光度が変化し、宇宙の灯台と呼ばれるやつだ。周期が長いほど明るいという性質が判明すると、周期と絶対等級の関係が定式化され、見かけの明るさと比較しながら距離を推定することができる。
ハッブルの法則は、こうした観測過程から生まれた。彼の主な功績は、ハッブル分類を提唱したこと、セファイド変光星を発見して銀河の距離を測定したこと、そして、銀河の距離と赤方偏移の関係を定式化して宇宙膨張を示したことである。確かに、ここに示される観測データは時代的に古く、銀河までの距離が2倍から5倍ほど短めに示される。だが、宇宙の成り立ちの大枠が変更されたわけではない。本書がその醍醐味を最もよく伝えているのは、理論的な結論よりも観測データから生じる思考過程を大切にしていることである。忘れかけていた技術魂を思い出させてくれるような...
1. ハッブル分類
銀河の大部分は「規則銀河」と呼ばれ、共通パターンは明るい中心核に対して回転対称性を示すこと。対して、「不規則銀河」の方は、数%程度しか存在しないという。そして、規則銀河の構造的特徴を「楕円銀河」,「正常渦巻銀河」,「棒渦巻銀河」の三つに分類する。
とはいえ、見かけの話で、その基準は像の形や明るさの勾配のみ。円に見える銀河だって、本当は球になっているかもしれないし、扁平な銀河なのかもしれない。
まず、扁平率の小さいものから大きなものへと並べ、楕円銀河を左側に置いて右側で二種類の渦巻銀河に分離する。楕円銀河は左から、E0, E1, E2, ... で表され、二種類の渦巻銀河の分岐点は、S0 で表され、続いて、正常渦巻銀河、Sa, Sb, Sc、棒渦巻銀河、SBa, SBb, SBc が配置される。この系列は、銀河の成長過程を示していることが、すぐに想像できる。収縮による回転速度の増加により、扁平率が高くなることが、考慮されているのだろう。その意識は、「初期型」や「晩期型」という用語に顕れている。
正常渦巻銀河は、中心核が小さいほど腕がはっきりし、渦巻腕は開いて、しまいには中心核が分からなくなるほど小さくなる。棒渦巻銀河は、外側の領域に同心円上の輪と、中心核の端から端を貫く棒を持つレンズ状の形をしている。ギリシア文字のθのような。そして、中心領域が小さくなるとともに、渦巻きが発達し、星の分布も中心核に集まり、しまいにはS字型となる。二つの渦巻銀河は、最終的に中心領域が小さくなり合流するかのように見える。
不規則銀河にしても、その典型とされるマゼラン銀河などは、晩成型の渦巻銀河に似ているという。そのために、規則銀河の最終段階と見られることもあると。推測の域を出ていないとしながらも。
本質的な現象は、回転対称性を持たないことよりも、中心核がないことの方かもしれない。中心核がないから必然的に回転対称性が持てない、という見方もできそうだから。
「銀河の形の研究は、銀河が強い関係を持った単一の種族を構成しているという結論を導いた。それらは限られた領域に沿って系統的に変化する基本的なパターンを形づくっている。銀河は、形についての規則的な系列を自然に作り、その性質は系列上の標準銀河に縮約される。」
恒星の構造にしても、規模の違いはあれど、太陽型スペクトルでほぼ近似できるようだし、宇宙における物質のあり方は、それほど多様ではないということか。これが自然の摂理というものか。恒星が一度天体を形成すると、ほとんど衝突せず、銀河の重力体系の一員として振る舞う。衝突しなければ、熱エネルギーも極度に減少することはない。この奇跡の調和力は、ダークマターの仕業であろうか?いや、ダースベイダーの野郎に違いない...
2. 銀河の分布
天の川銀河の吸収、散乱物質による見かけの分布を議論している様子は圧巻!当初、銀河が天の川銀河を避けるように分布することが、研究者を悩ませてきたという。仮想的な万有反発力を唱えた研究者もいたとか。
ハッブルは、銀河面に集中して吸収、散乱物質が存在し、低銀緯ほど視界が悪くなることを指摘している。暗黒星雲は、天の川の帯に沿って分布し、天の川銀河の中心核方向に多くあるという。そして、吸収、散乱物質には二種類あるとしている。一つは、暗黒星雲中の塵によるもの。塵による散乱は青い光を吸収し、星の色が全般的に赤く見える。二つは、銀河面に一様に広がる成分で、高温ガス中にある自由電子のトムソン散乱だと考えられている。高温ガスは、ほぼ一定の厚さで銀河円盤内に満ちている。したがって、天体の分布を考察するには、天の川銀河の吸収効果を補正する必要があるというわけだ。
また、小さな銀河の分布は不規則で、大きな銀河の分布は近似的に一様であるとしている。分布の勾配が見つからず、どの方向の観測領域でも、ほぼ同じであると。ただ、この時代では、銀河の規模も限定的とされ、銀河団までの言及はあるが、超銀河団の記述は見当たらない。
3. 銀河の距離
宇宙の距離梯子は、望遠鏡の進化の歴史を如実に物語っている。それは、見かけの明るさの標本集めから始まり、やがて、赤方偏移が距離の一次関数であることが定式化される。
1924年、ハッブルはアンドロメダ銀河の中に、セファイド変光星を発見した。当時、アンドロメダ星雲と呼ばれ、銀河が恒星の集団であるということが、あまり認知されていなかったようである。
さて、天文学には、「H.R(ヘルツシュプルング・ラッセル)図」で示されるように、光スペクトルと絶対等級に重要な関係がある。絶対等級が分かれば、見かけの明るさが距離の二乗に反比例することから算出できるという仕掛けだ。恒星の場合、恒星の発するスペクトルが分れば、絶対等級が推定できる。
対して、銀河の場合は、セファイド変光星の周期と光度の関係を利用する。セファイド変光星は、変光周期が長いほど絶対等級が明るいという性質を持っている。銀河の中にセファイド変光星が見つかれば、その絶対等級から距離が推定できるという仕掛けだ。
「セファイド変光星で距離が決められた銀河の中の最も明るい星は、その絶対光度は天の川銀河の内の最も明るい星と同程度であるという事実が、この結果に整合性をさらに与えている。」
4. 赤方偏移による速度と距離の校正
当然ながら、それぞれの銀河は質量も違えば、大きさも違うし、光度も違う。測定対象によって補正を加える必要がある。ハッブルの法則におけるハッブル定数が、その役割を果たす。本書では、赤方偏移による見かけの明るさを補正する事例が紹介される。
例えば、次式は見かけの等級 mc に対して、⊿m0 は赤方偏移の効果を表している。
mc = m0 - ⊿m0
赤方偏移の効果は速度が速いほど増加するが、偏移が3000マイル/秒以上になるまでは重要でないとしている。
また、速度の対数 v と見かけの等級 mc の相関が、次式の形で考察される。
log v = 0.2mc + 補正値
尚、補正値は、銀河や銀河団で値を変えている。速度は、赤方偏移に光速をかけたもの。そして、距離の対数 d の校正が次式で示される。ただし、Mは絶対等級。
log d = 0.2(mc - M) + 1.513
しかし、このままでは、あまり抽象度を感じない。速度が生じるということは時間に関係するので、ハッブル定数を時間の関数とすれば、もっとシンプルに記述できるだろう。
無数の銀河が一様に分布しながら赤方偏移しているということは、膨張宇宙説の強力な裏付けとされる。速度が対数で表されるということは、指数関数的に遠ざかっていることを示している。天文学がいくら進化しても、宇宙の果てに追いつけそうな気がしない。そして、人間がやりがちな、膨張の中心はどこにあるのか?なんて議論も虚しく映る。
「天文学の歴史は地平線の後退の歴史である。」
2014-05-25
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