2014-09-14

"動物の心臓ならびに血液の運動に関する解剖学的研究" William Harvey 著

医師ウィリアム・ハーヴェイは、ガリレオやデカルトの時代を生き、解剖学で尊敬を集めた人物だそうな。ジェームズ1世やチャールズ1世の侍医だったというが、一般的にはあまり知られていないようである。ハーヴェイ贔屓の人々によると、目立たぬように振る舞うことで悦びを感じるような人物だったとか。真理を語る者にとっては、目立つと災いの降りかかる時代。科学的観点はことごとく宗教論争に巻き込まれ、案の定、ガリレオは宗教裁判にかけられ、デカルトは自由国オランダへ逃れた。全人類を敵に回すぐらいの覚悟がなければ、宗教的教説を打破することはできない。ハーヴェイは心臓と血液の運動についての画期的な理論を提示するが、これまた多大な批判を浴びたようである。本書には、アリストテレス主義の亜流に対する批判が多分に込められている。名指しはしていないが、スコラ学派あたりか。アリストテレスには敬意を払いつつも...
当時の解剖学は、ローマ帝国時代の医師ガレーヌスの学説が一般的だったという。つまり、ルネサンスに至る1500年もの間、この分野は進歩していないと苦言を呈しているわけだ。人体解剖は倫理的に攻撃されやすい分野だが、記録はヒポクラテスよりも前に遡る。言い換えれば、古代ギリシア、ローマ時代の智がいかに偉大であったかを示しているのだけど...

本書に示される血液循環の理論は、現代医学では当たり前とされる。それは... 血液は左心室の搏動によって動脈を介して身体全体に供給され、同様に右心室の搏動によって静脈を介して心臓へ戻す。そして、右心室から肺動脈を通して肺臓と接続され、肺静脈を通って右心室に入る。... といった血液経路である。
特に重視している点は、血液が運動を必要とするだけでなく、再び心臓へ戻ってくることが必要だとしていることである。この理論を証明するために、ハーヴェイは約128種もの動物解剖を行ったというから、その執念には凄まじいものがある。誇張することなく、真理を静かに物語ることが、研究者魂というものであろうか...
また、解剖を通して生命組織を解明しようするだけでなく、病理学の視点も忘れていない。医師の本能であろうか...
「真理への愛と、知識欲に燃えている真の哲学者は、その真理がたとえ誰からこようとも、またいつこようとも、それに対して道をあけないほどに自分が聡明で豊かな知識をもっているものでないことをよく知っており、また彼ら自身の感覚からいっても、決してそれほどに知識に富んではいないのである。」

従来の理論では、右心室は肺臓のために栄養を供給する役割があり、左心室は身体全体に血液を供給する役割があるとされ、血液は肝臓あたりで作られ、一方通行で身体の各部でそのまま消費されると考えられていたという。アリストテレスの時代から、血液の供給を生気の供給と呼んでいたそうな。動脈には生気がみなぎっており、赤々とした赤血球こそが生気の源とし、赤が生、青が死の代名詞とされてきた。生気とは極めて哲学的な表現だが、生気を酸素と読み替えるだけで、医学書っぽくさせる。尚、本書には、酸素や二酸化炭素という用語は登場しない。呼吸に関する空気と生気で区別されるぐらいか。
ハーヴェイは、右心室と左心室で役割が違うことに疑問を持った様子から語り始める。しかしながら、機能的な対称性を信じたとしても心臓の位置は左に偏っているし、実際に右心室と肺臓が接続されていれば、アリストテレスの構造論もそんなに悪くはあるまい。問題は、それを実証もせずに鵜呑みにすることであろう。想像や予測はできても、それを実証することこそ自然科学者の使命である。
とはいえ、凡庸な酔いどれときたら、こうした研究者たちの主張を鵜呑みにするしかない。ほとんどの知識は自分で確かめたものではなく、本を読んでお茶を濁すことぐらいしかできないのだ。それでも、手も足も出ない知識の渦の中に身を投じると、それが快感になってくるから困ったものである。ハーヴェイは、老人(プビリウス・テレンティウス・アフェル)が書いた喜劇の中に、こんな格言があることを紹介してくれる。
「ただ年齡(とし)をとり、経験をつむことは、なんら新しい変革をもたらさない。知っていると思っていることも、本当に知っているのではない。至上のものとして大切にしていることも、身をもってためしたうえでなければ、それを信じない。... このように、まったく理性を以てその生涯を、よく生きぬいた人は、いまだかつてみられない。」

1. 停止メカニズムと起動メカニズム
人体組織の構成を観察するだけなら、死体を解剖すればいい。だが、生命のメカニズムを解明するとなると... 動物愛護団体から集中砲火を浴びそうだ。
ハーヴェイは、心臓が停止する順序を手で触りながら克明に綴っている。最初に左心室が搏動をやめ、次に左心耳、ついに右心室が停止し、最後に死亡が確認されているにもかかわらず、右心耳はなお搏動し、生命は右心耳において最後まで残留するという。そして、心臓が漸次死に近づきつつある間に、心耳の二搏、三搏した後に、心臓はあたかも再び覚醒したかのように時折反応し、やがて緩やかになると。心臓が搏動を停止した後も、心耳がなお搏動している間は、心室中に搏動が認められるらしい。心耳が搏動するということは、血液の放出も見られるということであろうか。
なるほど、停止メカニズムを逆に辿れば、起動メカニズムを想像することもできそうである。ここには、デカルトの機械論をより具体化しようとした印象がある。人間機械論的ですらあるけど...
鼓動メカニズムがポンプの原理である以上、一時的に停止しても蘇生できる可能性がある。つまり、鼓動がたまーに乱れたり、瞬時に停止してもおかしくないほど、際どい関係から成り立っている。そこに呼吸作用が関与する。
では、呼吸の正体とはなんであろうか?赤血球が二酸化炭素を放出して、代わりに酸素を取り込む。化学では酸化と呼ばれるやつだ。こんな単純な交換作用によって、生命が維持されるとは... これを宇宙の奇跡とするか、神の仕業とするか、あるいは、何億年もかけて獲得した進化の産物に過ぎないとするか、まぁ、好きにすればいい...
注目したいのは、心臓の運動に心耳が関与していることを重視している点である。尚、心房という用語が登場しないのは、心室で抽象化しているのだろうか?
左右の心耳は同時に運動し、左右の心室も同時に運動するが、それぞれの系統は同時に起こらないという。心耳が先行して心臓の運動がこれに続くという。心耳が起動タイミングを作っているということか?心臓がポンプ運動を起動しているのは確かなようだが、一旦起動を始めると、身体全体が惰性的な周期運動を続ける。血液の放出からの圧力、すなわち、左心室側から主導されるということになろうか。そうなると、心耳には、物理的な連動波、鼓動波や周期波の伝播、ひいては、リズムを整える役割があるのだろうか?心耳と呼ぶからには、受動的な伝播運動なのかもしれない... などと解釈してみたものの、ん~... よく分からん。実は、それほど重要でない組織ってことはないの?ハーヴェイ先生!
まぁ、モノの有難味ってやつは、失った時に実感できるもの。その機能を排除した時、どうなるか?それを実験してみれば明らかになろう... おっと、動物保護団体の眼が怖い!
「肺臓と心臓とは、血液のための倉庫、源泉および宝庫であって、血液がそこで完成されるための実験場である。」

2. 動脈と静脈の対称性、そして、静脈弁の神秘
本書は、静脈の全域に配置されるシグマ字型の弁があることに注目している。つまり、逆流防止機構があることに。動脈には、逆流防止は必要ないのだろうか?血液の放出圧力で制御できると言えば、そうかもしれん。大動脈の入り口には弁があるけど...
弁は、分岐のあるところに明らかに多く見られるが、それだけではないという。頭部など上部へ血液を流れやすくする役割もあろうが、単に重力に逆らうためのものではないらしい。動脈から噴出したものを、静脈を通して必ず心臓へ戻す必要があると指摘している。そして、食物の摂取量から換算して、大量に血液を供給するには、循環路を巡っているとするしか、充満させることはできないという。ハーヴェイは血液の放出圧力と脈拍数から、血液の供給量を算出して見せる。
生命維持のためには栄養は必要であるが、食物を摂取してそれを消費するという工程だけでは説明がつかないのも確かだ。エネルギー保存則の観点からも、エネルギーの逃げ道が必要である。動脈こそが生気を与えるとされる従来の理論に対して、動脈と静脈の対称性こそが、安定した整脈をもたらすというわけである。
尚、静脈内に膜のような弁があることを最初に唱えたのは、ヤコブ・シルビゥスという人だそうな。ただ、弁は発見されたものの、用途が解明できなかったという。
ところで、本書では扱われないが、循環系には血管系とは別にリンパ系ってやつがある。血管系が燃料補給の役割があるとすれば、リンパ系は余分な組織液を排除する役割があるとされる。素人感覚では、リンパ系を静脈で兼用できそうな気もするが、そう単純でもないのだろう。
また、同じく本書では扱われないが、怪我などで身体が異常状態になると、動脈と静脈の間に痩管という連絡路ができると聞く。例えば、硬膜動静脈瘻といった病では、動脈と静脈が直接つながるといったことが起こるらしい。正常状態では、太い動脈から細い動脈へ、更に細い毛細血管を経て静脈へ繋がる。静脈から動脈へ移ることは心臓を経由しない限り不可能なはずだが、循環系に異常がきたすと、こんな補完機能まで具えているとは、生命の神秘どころか脅威すら感じる。
尚、本書は毛細血管までは言及されない。後に、マルセロウ・マルビギィが顕微鏡によって毛細血管を発見することに...

「哲学者が言ったとおり、人間は宇宙の中心だ。マクロの世界とミクロの世界の中間にいる。そのどちらも無限だ。赤いのは赤血球だけだよ。それも動脈内だけ。あとは海水に似た結晶だ。生命の川だな。... 全長10万マイルある。」
... 映画「ミクロの決死圏」より

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