文豪ゲーテは、七十を過ぎて二十歳前の娘に求婚したという。not 酒豪も負けちゃおれん!一夫多妻を拒否するハーレム主義者は、結婚しなければ矛盾しない。ホットな女性の数だけ愛があるとすれば、惚れっぽい独身貴族こそ純粋な平等主義者となろう...
さて、歳を重ねると丸くなると言うが、それは本当だろうか。心配症を募らせ、せっかちになり、頑固になり、嫌味の一つも口にしないと気が済まない。説教することでストレスを発散させているのだ。おまけに、足が臭くなり、口が臭くなり、酒の場で醜態を演じながら、肉体も精神も腐っていくのを感じる。
信じられない速さで去っていく... 時とは、そういうものらしい。だからこそ、自然で風狂な言葉を欲するのであろうか。死に近づけば、詫び、寂びってやつが見えてくるのかは知らん。だが、そうした美意識にでも縋らなければ生きることも難しくなる。沈黙の美徳を忘れ、相手を黙らせてまで議論に割って入り、批判論、いや愚痴論を喋らずにはいられない。これも、ある種の依存症か。
もはや、デジタル依存症などと若者たちに説教を垂れている場合ではない。ちなみに、スマホを自宅に忘れ、オンライン(二段階)認証ができないと騒ぐオヤジがいる。
経験を積んだからといって理性的になるわけではない。経験したからといって理解したことにはならない。生まれたばかりの幼児は、野心や邪心の欠片もない純粋な状態にある。対して、大人はどうであろう。
プラトンは、森羅万象の原型であるイデアなるものを唱えた。魂にも原型のような状態があり、そこから善の根源的な意識が芽生えると。しかし、知識を得れば、そのすべてを脂ぎった欲望に注ぎ込み、もやは知識のない頃の自分を思い出すこともできない。人の言葉は耳に入らず、思いやりや友情などという言葉に照れくささを感じ、正義や道徳という言葉ですら虫唾が走る。子供が素朴な哲学者とすれば、大人は脂ぎった屁理屈屋というわけだ。寛大な者を僻み、人々に愛される者を妬み、知識ある者を羨み... 魂は嫉妬の塊に成り果てる。おまけに寿命が延びれば、生への執着は衰えるどころかますます旺盛となり、命が一番大切だと叫びながら、他人の命を押しのけてまで助かろうとする。そして、どう生きるかではなく、長く生きることが目的と化す。ますます自己保存に執着し、未練を永遠に断ち切れそうにない。
その一方で、余命宣告を受けた者が、超人的な能力を発揮することがある。死に近づくことによってしか、生を問う機会が訪れないというのか。平均寿命が延びれば、新たな世代層が生まれ、社会の構成員が変わり、幼年、少年、青年、壮年、老年の概念も変わっていく。だが、いつの時代も、古き時代を鼻で笑い、新しき時代に過剰な期待をかけることに変わりはない。新技術や最先端という言葉に目を奪われ、進化や進歩という言葉までも迷信化する。そんな時代にあっても数千年前の哲学が輝きを失わないとすれば、人類は慢性的に老人症にかかっているのかもしれん...
受け入れる度量のない子供に道徳観や倫理観を期待しても、人間が人間でなくなることを期待するようなものである。とはいえ、大人だって具体的に指示しなければ、行動できないではないか。大人だって大きな子供でしかない。
孔子曰く... 十五で学問を志し、三十で独立精神を持ち、四十であれこれと迷わず、五十で天命をわきまえ、六十で人の言葉を素直に聞き入れ、七十で思うままに振る舞って、それで道を外れないようになる...
しかし現実は、十歳でお菓子に、二十歳になると快楽に、三十になると野心に、四十になると愛人に、五十になると利欲に憑かれる。そして、迷信、偏見、誤謬へ導き、自分を賢いと信じ、人を見下すような権威主義に陥り、人権はとるに足らないものとなる。都合の悪い問いかけは、脂ぎった魂が常識とやらで片付けてくれるという寸法よ。
腐敗は、生あるものの本質か。自己に疑問が持てなくなったら、腐っていると見るぐらいでちょうどいい。大人から教わることは、たいてい本を読めば済む。だが、子供から教わることは、理屈では説明できないことが多い。R-18 指定すべきは、理性や知性の方かもしれん。酒の味を知らぬ者が、プラトンの「饗宴」を読んだところで得られるものはあるまい...
1. ささやかな煩悩
一霊四魂という思想があると聞く。勇、親、愛、智によって構成される魂が、一つの霊によって統括されるという思想である。いずれの魂も孤立すれば、邪気となる資質を具えている。邪気が悪魔の手に落ちれば、たちまち邪悪な鬼と化す。血塗られた歴史の陰には、いつも邪鬼が潜んでいた。アダムとイブが禁断の果実を食して以来、人間は神の意を解すことができなくなり、お釈迦様ですら菩提樹の下で心を惑わせた。イエスは敬虔な使徒に裏切られ、シーザーは誠実な盟友にあやめられ、芸術を愛した皇帝ネロを暴政に狂わせ、ボルジア家を強欲の代名詞とし、建築家を夢見た内気なヒトラーをば悪魔へ変貌させた。人の心には、恐ろしき邪鬼の棲家がある。歳を重ねれば、心の病を克服することができるだろうか?
仏教では、克服すべき最も根源的な三つの煩悩を三毒と呼ぶそうな。貪、瞋、癡が、それである。一つの欲望を満たせば、すぐに次の欲望に走る。他人が持っているものが良く見え、それを欲する。カネが欲しい、愛人が欲しい、時間が欲しい、快楽が、才能が、知性が、理性が... まったく懲りない性分よ。すべての欲望を放棄できれば、精神は自由になれるであろうに...
しかしながら、精神は欲望によって成長する。欲望を捨てたいというのも、これまた欲望!精神とは、欲望に幽閉された存在というだけのことかもしれん。
一方で、芸術家の目覚めは精神を悟るに、いくら狂っても足りない。四魂の邪鬼を存分に解放させてもなお、猛烈な狂気の調和を目論んでやがる。ただ、能力が欠けていても夢を描くことはできる。偉大な夢を実現できたら、どんなに幸せであろう。せめて過ちを夢に閉じ込められたら、どんなに楽になれるであろう。そして、狂人の悲痛な叫びを聞くがいい... おいらのささやかな望みは、ハーレムに収監されたいだけなのだ!
2. 頭脳年齡と知性年齡
若い頃は、優れた人物の言葉に率直に耳を傾け、同世代の仲間と議論することで、より多くを学ぶことができる。だが、大人になると防衛意識や縄張り意識のようなものが働き、似た者同士で集まろうとする。寛容性では子供の方が優れていそうだ。友情とは、人を利用するために育むものではあるまいに...
本質を学ぼうとする資質も、政治的な思惑に毒された大人よりも、純粋に学びたいと願う子供の方が優っていそうだ。やはり大人になるほど狡猾になるものらしい。
しかしながら、大人や子供の指標は年齡では計れない。仮想社会の奇妙な人間関係が、妙に社会的な意識を成熟させたり、大人顔負けの戦略的思考を実践する者までいる。大人たちがネット社会から子供を守ろうと手引を思案している間に、子供たちは遥かに有用な行動をしている。むしろ大人たちの方が、子供の持ちかける議論に感情的になり、子供じみた犯罪を繰り返しているではないか。
長老という威厳も過去のものか。寿命が延びれば、親より先に逝くケースも増え、世代の概念までも曖昧にさせる。頭脳年齡や記憶年齡というのは、確かにある。肉体が衰えれば、人体の機能組織が衰えるのも道理だ。知識を得ようとする意欲もまた年齡に関係しそうなものだが、死ぬ瞬間までその意欲を持続させる者がいる。持続力とは、天才の特質であろうか。知性年齡や理性年齡なるものは、時間とは別の次元にありそうだ...
3. 遠近法と老眼法
情報の溢れる社会では、あまりにも身近なために、つい見過ごしてしまうことがある。情報収集の難しい時代は、瞬時の変化を探知する微分的視点が必要であったが、今日では、積分的思考の方が有効であろう。世間から少し距離を置くことも大切にしたい。意欲さえあれば、情報は自然に得られる時代、くだらない意欲さえ放棄できれば、くだらない情報は自然に遮断されるであろう...
分かりやすい情報は目の前を通り過ぎて行きやすい。そこに疑問を感じなければ、思考する機会も訪れない。その点、難解な書は思考の材料にうってつけだ。だからといって、理解できると期待してはいけない。目は文章を追うものの、頭は別のことを考え、幽体離脱のような気分にさせる。絵画を鑑賞するようにページを眺め、数十ページ単位で後戻りするのもしばしば。少し目を離し、遠近法のような立体的な観点を要請してくる。そういえば最近、近くが見えにくい... 老眼って言うな!
4. 地球の老化とともに
毎日、顔を合わしていれば、十年経っても変化した様子が見当たらないというのに、十年ぶりに友人に会うと、歳をとったなぁ、という印象を与える。そして、毎日、自分自身を鏡に映し、明日はまだ大丈夫!と自分に言い聞かせる。そして、保証のない安心を買い、不摂生を繰り返す羽目に...
地球環境も似たようなものであろうか。平凡な日常が、環境の変化に気づかせない。百年前の人が現在にタイムスリップしたら、空気の香りや山の景色に驚愕し、町の汚染に幻滅するかもしれない。温暖化と寒冷化の繰り返しは、生物の生存分布に大きな影響を与える。今後、十年から二十年ほどのスパンで世界的な食料危機が訪れると言われている。ある研究報告によると、植物が光合成によって生産する有機物の総量、いわゆる純一次生産が、地球上でほぼ一定だとか。つまり、地球上の植物で養うことのできる生命の総量が決まっているということだ。
もし、その量が限界に近づいているとすれば、酸素を必要とする動物たちを激減させて、二酸化炭素を吸収する植物の社会からやり直さなければなるまい。それが、氷河期の意義であろうか?やがて氷河期を迎え、人類がまた生き延びられるかは知らん。ただ、偉大な地球の歴史に照らせば、エネルギー消費量の高い生物は、その数を思いっきり増やしてきたツケを払わされることになろう...
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