本棚の奥底から埃をかぶった書の群れが出土された。引っ越し貧乏だったので、その都度、処分してきたはずだが。「ケインとアベル」に魅せられ、ジェフリー・アーチャー狂になったことだけは、かすかに覚えているものの、内容となるとまるで覚えなく。まさか学生時代に読んだ本で、もう一度、幸せにあやかろうとは... 進歩していない証拠というわけか。この考古学的な発見に感動を禁じ得ない...
ダウニング街10番地とは、イギリス首相官邸の所在地であり、政治の中心街。日本でいえば永田町である。1964年、貴族、中流、労働者出身の三人の新人議員が下院入り。陰謀、スキャンダル、国際紛争に揺れる政界にあって、首相の椅子を巡ってしのぎをけずる野郎ども。周りには... 女でしくじる者あり、破産して辞職する者あり、ライバルを蹴落とすために策を弄する者あり、見返りを求めてやまないタカリ屋あり... 卑劣な小悪党どもが寄生虫のごとく群がる。
「きみたち政治家はどんどん鈍くなってゆくようだな。きみに一株提供するとしたら、わたしがどれだけの見返りを要求すると思う?... 会社の1パーセントが1ポンドできみのものになるんだよ。... もう一度くりかえすが、わたしは会社の1パーセントを1ポンドとひきかえにきみに提供しようといっているんだよ。」
見事なほどの紳士の台詞!権力欲、名声欲、金銭欲を剥き出しにするからこそ人間味に溢れている。
一方で、ご婦人の冷ややかな台詞が象徴的に響く... まったく政治というのは騙し合いなのね!まさにゲーム!ゲームに勝利すれば世界は俺のもの?... おまけに、総選挙や党首選までも賭けの対象にしてしまうイギリスの国民性が絡み、報道屋もヒートアップ!
この皮肉に満ちた政治道は、しょうのない人間の性癖を観察するには、絶好の場というわけか。そして1991年、サッチャー首相退陣。エリザベス女王退位後の新国王チャールズが決定した首相は?
アーチャー自身が、政界に身を置きながらスキャンダル沙汰で何度か辞職した経験を持ち、いわば、お庭ネタ。
尚、彼が副幹事長に任命されて政界に復帰できたのは、保守党人気の低迷に苦慮するサッチャー首相が、総選挙に向けて世界的作家のタレント性に目をつけた、という見方が一般的なようである。そして、冒頭には、こう綴られる...
「この小説はフィクションである。登場人物の名前、性格、場所、事件などはすべて作者の想像力の産物か、フィクションとして使われたものである。現在の事件、場所、現在または過去の人物に似ているとしても、それはまったくの偶然である。」
この物語は、貴族、中流、労働者の階級闘争という三つ巴の構図を呈する。だが実は、米版と英版で大きく違うそうな。英版では、もう一人、スコットランド選出の議員が加わって四つ巴になるとか。首相レースで勝利する者も違うらしい。イギリスの複雑な政治事情を分り易くしたものが、米版ということのようだ。そして、本書は米版ということになる。それでも、イギリス政党政治の複雑な事情を浮彫にする。
「イギリス憲法は、北海に浮かぶあの小さな島に生まれなかったほとんどすべての人間にとって、また一度もその岸をはなれたことがない多くの人間にとっても、大きな謎のままにとどまっている。これはひとつには、アメリカ人と違って、イギリス人が1215年のマグナ・カルタ以降いかなる成文憲法も持たず、あらゆる点で前例を踏襲してきたことにもよる...」
1. 政権交代の事情
一般的に、イギリス議会は貴族院(上院)と庶民院(下院)の両院制とされる。ここに国王の決定が絡むと、国王を含めた三院制とする古い学説も頷ける。
まず注目したいのは、保守党と労働党で比較的頻繁に政権交代が行われていることである。この点はアメリカ議会も同じで、民主主義のあるべき姿と言えば、そうかもしれない。イギリスの場合、これを根本的に支えている原理に「影の内閣」の存在がある。議員内閣制であるからには、不信任決議がいつ成立するか分からない。イギリス首相は5年の任期があるが、いつでも解散総選挙にうってでて国民の総意を問い、野に下る危機感を持っている。そのために、与野党ともに、次期政権を担うための準備を怠らず、常に本格的な内閣組織をちらつかせる。
ちなみに、この影の存在は、かつての日本のそれとは意味が違うようだ。日本では、本当に影で操っていた派閥のドンが存在した。今はどうかは知らんが。おまけに、政権交代の方が目的化し、巨大与党の残党や脱退の寄せ集めとなるケースが横行する。実際、二大政党制という形ばかりを崇める政治家も少なくない。ほとんどが与党の失策で野党第一党が担がれる事例ばかりで、本格的に民意が反映されることは、ごく稀。仮に優れた政策を立案したとしても、自分が関与できなければ反対派に回るような露出狂ぶり。政権交代によって、さらに悲惨な状況を露呈すれば、元の鞘に収まり、より傲慢にさせる。結局、破壊屋の餌食となって終わるのは、どこの国の事情もあまり違いはないようだ...
政治屋というのは奇妙な思考の持ち主で、支持率を足し算することばかりに執着し、合併によって新たな不支持者が生じるなどとは考えないものらしい。この足し算の思考は、報道屋にも働くようで、視聴率がまさにそれ。スポーツ中継にバラエティー要素を混在させれば、純粋にスポーツも楽しめない。彼らには引き算という概念がないのか?
政治哲学がないということが、国民にとっていかに不幸であろう。それを選出しているのが国民自身だから仕方がないのだけど、あまりにも選択肢がなさすぎる。ほとんど消去法で選出されているにもかかわらず、政治屋どもの勝利宣言は目に余る...
2. 議会制度の事情
イギリス議会、特に下院の運営の仕組みがややこしい。選挙で影響力を持つ「境界委員会」というものが登場する。1944年に設置された委員会で、人口の増減に合わせて選挙区の新設、廃止、統合を行い、議席を適正に再配分するという。
ちなみに、日本では一票の格差で違憲が指摘されて久しいが、そもそも現行の選挙制度で当選してきた連中に改正ができるのか?
さらに、「1922年委員会」というものが登場する。文字通り1922年に設置された委員会で、保守党下院のバック・ベンチャー(役職を持たない平議員)全員で構成される。政策決定の権限はないが、保守党の意見の反響板の役目を果たし、党首選出に大きな影響力を持つという。
日本にも「国会対策委員会」という分かりにくい組織がある。尤もこちらの場合は平議員ではなく、議長よりも事実上の権限を持ち、しかも非公式ときた。そのために「国対族」などと呼ばれ、暗躍組織と揶揄される。どうせなら、こいつを正式な委員会に昇格させて、他の国会議員をリストラしてはどうだろう...
いずれにせよ、権力闘争に明け暮れれば、幼稚な発言しかできなくなるという議会現象は、どこの国も同じようである。三権分立などを持ち出せば、いかにも政治機構の美しさを物語っているようにも映るが、実際のところ、毒を以て毒を制す!の原理に縋るしかない。
尚、政治屋とは、政治家の専売特許ではない。あらゆる集団において、人と人との駆け引きにおいて湧いて出る、いわば人間の性癖である...
2016-10-16
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