2017-01-22

十周年企画... 名言集(歴史、哲学、文学、言語学編)

引き続きブログ開設十周年企画、すなわち、手抜き記事「歴史、哲学、文学、言語学編」を。新年早々、コピペ時代を謳歌する...

人間の本性は、悟性のうちに確固不動なるものを求める。身体と精神は、共に運動する存在でありながら、魂は安住、安定を求めてやまない。相対的な認識能力しか発揮できない知的生命体は、絶対静止なるものを知らない。それゆえ静止に焦がれるのか。
しかしながら、身体にとっての静止とは、死を意味する。身体は本能的に死を恐れながら、魂はというと、怖いもの見たさという衝動に駆られる。ニーチェ曰く、「人間は神の失敗作に過ぎないのか、それとも神こそ人間の失敗作にすぎぬのか。」

論理学には、根本的な思考原理に三段論法ってやつがある。こいつは人間精神と非常に相性がよく、大前提、小前提、そして結論へと導くやり方が妙に説得力を与える。それゆえ古来、熱病のごとく研究されてきた。弁論術は、媒辞を通じて命題を原理に還元し、そこには、自己存在の意義を求める思惑が潜んでいる。すべての原因と結果に因果関係を求め、すべての根源に理屈を与え、説明できないものには屁理屈も厭わない。何かのせいにしなければ、生きることも難しいのだ。誤りに門戸を閉ざすならば、真理もまた締め出してしまうだろう。
不完全な存在が求めてはならぬもの、それは完全性であろうか。学識が人間を傲慢にすることもしばしば。知らない相手を小馬鹿にしたり、知識を議論で勝つための道具としたり、結局は自己存在を自己優越に変質させる。答えの見つからない命題を前にすれば、いかようにも解釈でき、そして、説明に困った挙句に登場させるのが、完全なる神の存在である。最後は神に縋り、すべてを神のせいにできれば、神も本望であろう。
論理学に王道があるとすれば、おそらくそれは演繹法であろう。世界を人間の能力だけで完全に説明できるならば、演繹法だけで済むはずだ。
しかしながら、現実社会を生きるためには、帰納法に頼らざるをえない。正当な論理性だけでは、この複雑怪奇な人間社会を説明することができないのだ。善ってやつは、実証的に決定されるのではなく、心のうちに常につきまとう不安によって決定される。そして、形而上学を論じれば、相変わらずプラトンとアリストテレスの代理戦争を繰り返す。いや、プラトンやアリストテレスだって、記録という技術のない時代を生きた先人たちの代理戦争を繰り返していただけのことかもしれない。その証拠に、知の歴史は考古学から脱し得ず、血の歴史を繰り返す。ジョン・スローン曰く、「死んだ人の悪口を言うのはよくないから、生きているうちにせいぜいこきおろしておこう。」

1. 歴史

「人間は自分の歴史をつくる。けれども歴史をつくっていることを知らない。」... カール・マルクス

「自由と平和は、あくまでも原始以来のそれであり、その実体は時代とともに衰弱し、真の意味で自覚された自由と平和と平等の思想を自らの胎内から生み落とすとともに滅びていく。だからこそ、世俗の世界から、この自由と平和の世界に入ることはできても、その逆の道を戻ることは次第に困難、かつときには絶望的と思えるほどになっていく。」... 網野善彦

「人間の性質のうちには寛濶に答えるには寛濶をもってし、充溢に答えるには充溢をもってする、というところがある。」
「歴史は余計な後押しの手を少しも必要とはせず、ただ畏敬をもって叙述する言葉だけを必要とする。」
「歴史は、同時代人には、彼らの時代を規定している大きなさまざまな動きを、そのほんの始まりのうちに知らせることはしない、というのが、つねに歴史のくつがえしえぬ鉄則である。そこで私も、いつ初めてアドルフ・ヒトラーの名前を聞いたのかをもはや思い出すことはできない。」
... シュテファン・ツヴァイク

「私が神から特別に保護されていないという証拠はあるのか。」... アドルフ・ヒトラー

「純粋なアーリア人とは何でしょう?それはヒトラーのようにブロンドで、ゲッペルスのように背が高くて、ゲーリングのように細っそりとしていて、その名前をローゼンベルクという。」... 当時のジョークより

「神聖でもなくローマ的でもなく、そもそも帝国ですらない。」... ヴォルテール

「人間のもつ人間らしさというものは、脆いものであり、人間性だけに頼るのは軽率であろう。明確な規範をもち、人間性の豊かな社会を土台とする強い国家だけが、歴史のなかで正義から悪が生まれるのを効果的に防ぐことができる。」
「権力は悪である。かぎられた権力で満足できる人間はいない。それができるのは聖人だけであろう。」
... グイド・クノップ

2. 哲学

「百パーセントのアルコールがないように、百パーセントの真理というものはない。」... ジークムント・フロイト

「愛することのすぎたる者は、また憎むことのすぎたる者なり。」... 古代ギリシアの格言より

「理知の視力は、肉眼の視力がその減退期に入ると、ようやくその鋭さを増し始める。」
「言論の場に立ち向かう者は、対話を行う両者に対して、公平な聞き手でなければならないけれども、平等な聞き手であってはならない。」
「死とは、人間にとって幸福の最上なるものかと問えば、知っている者はいない。では、最悪のものかと問えば、人々は覚知しているかのごとく、死を恐れる。」
... プラトン

「最高善が幸福であることは万人の容認せざるをえないところ。だが、幸福の何たるかについては異論がある。」
「人々は、不正をはたらくということは自分の勝手になることだ、だから正しい人間たることも容易なことだと思っている。」
「人は自愛的でなくてはならない。だが世人の多くがそうであるごとき意味においては自愛的たるべきでない。」
... アリストテレス

「人間どもよ!と叫ぶと人々が集まった。おれが呼んだのは人間であって、がらくたなんぞではない。」... ディオゲネス

「知性の欠乏は、とかく多言を弄する。」
「自ら迷わされ、人を迷わし、自ら欺かれ、人を欺く。」
「悪意のある善意というものがあるとするなら、本当に心から憐れむ人は同情するために、哀れな人々の存在を望むこともある。それゆえ、是認されるべき悲しみもあるが、けっして愛されるべきではない。それゆえ、魂を愛する主であられるあなたは、わたしたちよりも、はるかに清く純粋に魂を愛されるのである。」
... 聖アウグスティヌス

「ある人にとっては、優しそうな友人より辛辣な敵の方が役に立つ。敵はしばしば真実を語るが、友人は決して語らぬから。」
... 大カトー

「節度があり気むずかしさや不人情とは無縁の老人は耐えやすい老年を送るが、苛酷さと不人情は、どの世代にあっても煩わしいものだ。」... キケロ

「何にもまして有益なのは、死の定めを思うことである。」
「すべての人間の中で唯一、英知のために時間を使う人だけが閑暇の人であり、真に生きている人なのである。」
「人は皆、あたかも死すべきものであるかのようにすべてを恐れ、あたかも不死のものであるかのようにすべてを望む。」
「何にせよ度を過ぎれば害になるが、節度なき幸福は何より危険である。脳を揺さぶり、心を虚ろな妄想へ誘い込み、偽りと真実の中間の靄を大量にまき散らす。徳の支援の下に絶えざる不幸を凌ぐほうが、はてしない度外れの善で破裂するより、どれほどましなことか。断食の死のほうが楽である。食いすぎは破裂させる。」
「怒りの最初の発作を言葉で鎮めようとしてはならない。耳が聞こえず、正気でないのだから。怒りに時の猶予を与えよう。緩和してきたとき、治療はよく効く。目が腫れ上がってる時は手当てを控え、力が冷えて固まっている時、動かすことで刺激する。他の疾患でも、激しい時は同様である。病気の初期段階は安静が癒してくれる。」
... セネカ

「道理があるからといって必ず報われると思うのでは道理から外れている。」
「学んでも考えなければ、はっきりしない。考えても学ばなければ、危険である。」
「自分のことばに恥を知らないようでは、それを実行するのはむつかしい。」
「君子には仕えやすいが、喜ばせるのはむつかしい。道義によって喜ばせるのでなければ喜ばないし、人を使うときには、長所に応じた使いかたをするからだ。小人には仕えにくいが、喜ばせるのはやさしい。喜ばせるのに道義によらなくても喜ぶし、人を使うときには、何でもさせようとするからだ。」
「生まれついてのもの知りは一番上だ。学んで知るのはその次だ。ゆきづまって学ぶ人はまたその次だ。ゆきづまっても学ぼうとしないのは、最も下等だ。」
... 孔子

「知識はこれを学ぶ者の心に同化せられ、その品性に現れる時においてのみ、真に知識になる。」... 新渡戸稲造

「禅とは、中国のタオとインドの仏教を混ぜ合わせ、日本人がこしょうと塩で味付けしたようなものだ。」
「美徳と隣人愛を宣伝しなくなれば、隣人愛は回復する。」
... レイモンド・スマリヤン

「真に神を愛するものは、神からも愛されることを願ってはならない。」
「自由な人間が、死ほどおろそかに考えるものはない。自由人の叡智は、死ではなく生を考えるためにある。」
「精神は理解することがより少く知覚することがより多ければ、それだけ大きな虚構能力を有し、また理解することがより多ければ、それだけそうした能力が減少する。」
... スピノザ

「もし信仰と理知の境が立てられないと、狂信すなわち宗教で常軌を逸したことも反駁できない。」
「必然性と自由が両立できて、同時に自由に束縛されるということができるのでないかぎり、自由であるはずはない。」
...ジョン・ロック

「哲学をばかにすることこそ、真に哲学することである。」
「二種の人々がいるだけである。一は、自分を罪びとだと思っている義人、他は、自分を義人だと思っている罪びと。」
「人は良心によって悪をするときほど、十全にまた愉快にそれをすることはない。」
「キリスト教を本当だと信じることによって間違うよりも、間違った上でキリスト教が本当であることを発見する方が、ずっと恐ろしい。」
... ブレーズ・パスカル

「意識の度が増せば増すほど絶望の度も増す。」
「孤独への衝動は精神の徴候であり、精神のありかたを量る尺度である。」
「勇気をもって挑戦すれば、一時的に足場を失う。だが挑戦しなければ、自分自身を失う。」
... セーレン・キェルケゴール

「およそ語られうることは明晰に語られうる。そして、論じえないことについては人は沈黙せねばならない。」... ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

3. 文学

「死というものがなかったなら、この地上に詩人は生まれなかったろう。」... トーマス・マン

「多くの書物は、これほどに明晰にしようとしなかったら、もっとずっと明晰になったろうに。」... イマヌエル・カント

「少なくとも作家の名に値する作家というものは、なによりもまず自分自身のために書く強烈なエゴティストである。なまじ世道人心や良俗教育のために書かれた文学に碌なものがなく、ひたすら自我のカタルシスのために書かれた作品こそが、かえって人間を高め、浄める文学であるというのは、文学の一つの皮肉である。」... 中野好夫

「たいていの本は、小論文で十分。たいていの小論文は、ブログで十分。たいていのブログは、ツイッターで十分。そして、たいていのツイッターは、そもそもツィートするほどの価値はない。昨今、本を書くというのは、期待などという言葉では収まらない大胆な行為だ。」... イアン・ブレマー

「人間は、自由が与えられる途端に自由に飽き、生を与えられる途端に生に耐えがたくなる。」
「現代は、生き延びることにすべての前提がかかっている時代である。それが民主主義だ。」
... 三島由紀夫

「人間であるか精神になるか、そのどちらかを選ばねばならない。人間が行動できるのは、ただただ知らずにいることができ、人間の特異な奇癖である認識の一部分で満足できるからに他ならない、つまり、この認識というものは必要以上に少し大き過ぎるのだ!」
「真実と虚偽とは同一の目的をめざす。 同じひとつのものが、別々の仕方で振舞うだけで、わたしたちを嘘つきにもするし、真実を語る者にもする。」
... ポール・ヴァレリー

「己に嘘をつく者は、腹を立てるのも誰より早い。」
「人間にとって良心の自由ほど魅力的なものはないけれど、同時にこれほど苦痛なものもない。」
... フョードル・ドストエフスキー

「善人は気楽なもので、父母兄弟、人間共の虚しい義理や約束の上に安眠し、社会制度というものに全身を投げかけて平然として死んで行く。だが堕落者は常にそこからハミだして、ただ一人曠野を歩いて行くのである。悪徳はつまらぬものであるけれども、孤独という通路は神に通じる道であり、善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや、とはこの道だ。キリストが淫売婦にぬかずくのもこの曠野のひとり行く道に対してであり、この道だけが天国に通じているのだ。何万、何億の堕落者は常に天国に至り得ず、むなしく地獄をひとりさまようにしても、この道が天国に通じているということに変りはない。」... 坂口安吾

「伝統の奴隷にならぬというのが、わたしどもの伝統でしてね。」
「信仰の根幹には中庸があり、いかなる行き過ぎも避けるという徳を説き、逆説的にはその徳そのものの行き過ぎですら避ける。」... ジェームズ・ヒルトン

「時事問題の騒音を BGM にしてしまうのが古典である。同時に、この BGM の喧噪はあくまでも必要なのだ。」
「古典を読むのは、それがなにかに役立つからではない。古典を読まなければならない理由は、ただひとつしかない。それは読まないより、読んだほうがいいからだ。」
... イタロ・カルヴィーノ

「不機嫌は、愚劣な虚栄によって煽られた嫉妬とつねに結びついている。」
「われらの書きしもの、正誤いずれにせよ、われら生くる限り、それを弁護してやまず。われらの死後、いま遊び戯れる子らが裁き手とならん。」
... ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

「人間は、時として、充たされるか充たされないか、わからない欲望のために、一生を捧げてしまう。その愚を哂う者は、畢竟、人生に対する路傍の人にすぎない。」... 芥川龍之介

「人生のあらゆる形式は、その初め生じた時に意義がある。礼をして荘重ならしむるものはその意義である。」... 森鴎外

4. 言語学

「人間は言語によってはじめて人間である。しかし、その言語を考案するには、すでにまず人間でなくてはなるまい。」... ヴィルヘルム・フォン・フンボルト

「母語に対して超越論的であることは難しい。また、母語を外部の視座から問うのは難しい。しかし、そうすることによってしか母語は問われないのかもしれない。そうであるとすれば、私たちははじめからこの困難の中にあることになる。」... 浅利誠

「認識と言語とは厳密な意味で交錯する。両者は、表象のうちに同一の起源と同一の機能原理をもち、互いに支えあい、補いあい、たえず批判しあう。」... ミシェル・フーコー

「言葉はもともと歴史的な存在であり、過去によつて刻印を打たれることではじめて機能が成立するものなのだから、然るべく言葉を選ぶには、その語の由来来歴から現代との関係に至るまでの総体をしつかりと感じ取ってゐなければならない。」... 丸谷才一

「文法は言語の規則とみなされている。だが、日本語をしゃべっている者がその文法を知っているだろうか。そもそも文法は、外国語や古典言語を学ぶための方法として見出されたものである。文法は規則ではなく、規則性なのだ。... 私は外国人のまちがいに対して、その文法的根拠を示せない。たんに、"そんなふうにはいわないからいわない"というだけである。その意味では、私は日本語の文法を知らないのである。私はたんに用法を知っているだけである。」
... 「定本 柄谷行人集、ネーションと美学」より

2 コメント:

R さんのコメント...

最近ブログを読み始めました とても勉強になります これからも頑張ってください

アル中ハイマー さんのコメント...

お言葉を頂き、ありがとうございます。非常に励みになります。
ただ、いつも酒をやりながらですので、書いている本人がよく分かっておりません。十年どころか数ヶ月も遡れば、こんな本を読んだっけ?こんな事を考えたっけ?といった始末。自分自身が別人にも感じられます。記憶力がないことが、いかに幸せか!を感じ入っている次第です。

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