2018-08-26

"ケルトの封印(上/下)" James Rollins 著

原題 "The Doomesday Key"
鍵となる言葉は、"Domesday Book(土地台帳)" と "Doomesday Book(終末の日の書)"...
11世紀、イングランド国王ウィリアムは、王国全域の調査を実施するよう勅命を下したそうな。調査結果は「ドゥームズデイ・ブック」と呼ばれる一冊の長大な書物に編纂され、中世の人々の生活を記録した最も詳細な書物の一つとされる。この壮大な記録は民衆の税金を適切に定めるのが目的... 少なくとも、表向きはそういうことになっている。ただそれにしては、あまりに詳細すぎる。しかも、編纂に当たった学者は一人だけで、難解なラテン語で記されたという。極秘にせねばならぬ事情でもあったのか?台帳には意味ありげな単語がちりばめられる。"vastare(荒廃した)" と...
土地の荒廃は、なにも戦争や略奪で起こるとは限らない。鍵となる土地は、アイルランドとイングランドの間に位置する島。かつてケルト人が所有していた異教徒の聖地。ここに呪われた地でもあるのか?"Domesday" に "o" の一字が加わって "Doomesday"... 単なる土地の記録が「最後の審判」と結びついて伝えられてきたとさ...

ロリンズ小説の魅力は、なんといっても歴史と科学を調和させる手腕。おまけに、知識としての事実と小説としての空想の狭間をさ迷わせ(さま酔わせ)、世界各地を駆け巡るダイナミックさ。歴史は過去の知識を掘り起こす立場にあり、科学は最新の知識を発展させる立場にあり、時間と空間を超えた知識こそ真理へ導くと言わんばかりに。いや、ここでは調和というより対決と言うべきか。古代人と現代人の。何事にも人為的な手が加わると、自然界ではありえない害虫どもが活動を始める。ホモ・サピエンスという種もその類いなのやもしれん...
歴史的事実では、ドゥームズデイ・ブックを支柱に、ケルト伝説、聖マラキの予言、ストーンサークル、黒い聖母などを絡め、科学的事実では、遺伝子組み換え作物、マルサスの人口論、蜂群崩壊症候群などを持ち出し、これらの知識を辿りながら、オスロ港の端に位置して処刑の歴史を持つアーケシュフース城、イングランドからスコットランドを望むバードジー島、北極圏ノルウェー領にあるスヴァールバル世界種子貯蔵庫、ナポレオンが刑務所に転用したクレルヴォー修道院といった地域を駆け巡る。
前提知識が絶対に欠かせないのもこのシリーズの特徴で、それだけで脳みそをグチャグチャにされちまう。それが、前戯好きな M にはたまらん...

特に注目したい地域は、観光地でも有名なホークスヘッド村だ。この周辺に広がるイングランドの湖水地方は、地下の泥炭が何世紀にもわたって燃え続けているという。豊かなピート香を放つスコッチウィスキーの製造に欠かせない特性なのである。ここでは癒やしの村として登場し、のどかな風景を綴った文章に癒やされる。そして、徹夜で一気読みしながら、ピート香こそ抑え気味だが、優雅な香味を放つグレンリベット18年を一本空けちまう。暗闇をさまよって黒い聖母を読破し、その達成感に浸りながら、眩しい朝日を浴びて飲むブラックコーヒーもまた格別...

尚、本書はΣフォース・シリーズ第五作。シリーズゼロから数えると六作目で、邦訳版では最初の作品が五番目に刊行されたという事情から、1, 2, 3, 4, 0, 5 の順にシリーズ番号が振られる。やや苦し紛れ感があるものの。このシリーズは十作を超え、まだまだ続きそうな勢い。おまけに、外伝シリーズまで始まった。惚れっぽい追い手は、いつまでも背中を追い続けるだろう。どんなに離されようとも。永遠に近づこうとするということは、永遠に到達できないことを意味する。その絶望感が快感に変わった時、M 性を覚醒させる。これを微分学の美学という...

1. あらすじ
サン・ピエトロ大聖堂の神父、マリ共和国の赤十字難民キャンプの大学生、プリンストン大学の教授、この三人の殺人事件には共通点があったとさ。彼らは何を調査し、何を知ったのか?そこに残される円環と十字のマーク、そして渦巻模様。この謎に様々な野望が群がり、Σフォースとテロ集団ギルドとの争奪戦が展開される。
鍵の在り処は、聖マラキの生涯と黒い聖母伝説が手がかり。だが、すでに破壊の種子が世界規模で拡散しつつあった。「ドゥームズデイの鍵」とは... それは人類救済の鍵なのか?それとも破滅の鍵なのか?お望みのものを手に入れれば、他の人間が代償を払う。これがスパイの世界の掟だが、信仰の世界も生贄を捧げるのが掟...
ところで、十字マークといえば、キリスト教で象徴的なものだが、紀元前のはるか昔から信仰されてきた。十字は直角を表し、これと真円を崇める伝統をピュタゴラス教団が受け継いだ。美しい形は、人間の魂を癒やしてくれる。彼らは定規とコンパスだけで描ける図形の虜となった。God(神) と Geometry(幾何学)は相性がいいと見える。そして、ギルド(Guild)の頭文字も G とくれば、悪魔との相性も良さそうだ。
この象徴が十字架の磔刑と結びついたのは偶然で、一段と崇高な存在にしたのか。あるいは、意図的に重ねたのか。いずれにせよ、国教に定め、しかも、四つの福音だけ公認すれば、排除の原理が働く。ローマの呪いか。あのナザレの大工のせがれは、あの世で呟いているだろう。わしはカトリック教会なんぞ知らんよ!と...

2. 人口抑制
この物語は、一つの問題を提起している。それは、マルサスが「人口論」でも唱えた人口抑制という問題である。量子力学は告げる... あらゆる物理現象は、臨界点に達した途端にまったく違った局面へ移行する。その存在すら危ぶまれるほどの... と。このまま人口増殖が続けば、いずれ食料供給量の臨界点に達し、人類の 90% が餓死の危機に追い込まれる、と予測する研究報告もある。マルサスの理論を克服したのは産業革命であったが、技術力によって、さらなる人口増殖を促進してしまったとも言える。青天井となった性向が暴走を止められないのは、金融危機が示してきた。
しかしながら、人口抑制はデリケートな問題であり、人口増加を抑制するための提言が極端に走っている面があることも否めない。強制的な産児制限、不妊手術、子供を作らない家庭に報奨金を支払うといった類いである。そうした政策が現実味を帯びる日が来ないよう願いたいものだが、差別好きな種は必要な人間と不要な人間で線引する。古代都市国家スパルタでは、未熟児や奇形児が廃棄された。優生学との境界も曖昧で、他族を劣等種族とみなすカルト集団もあれば、民族優越説なんぞを唱えはじめると、ヒトラーの最終的解決を想起させる。そして、正義をまとって異教徒の抹殺が使命となる。これはもう人間という種の性癖である。
本物語では、暗躍する民間企業が、石油化学製品から遺伝子組み換え種子産業へ鞍替えした目的を、世界規模で食糧の安定供給を目指す!と宣言しながら...
「石油を支配すると国家を支配できる。だが、食糧を支配すれば世界中の人々を支配することができる。」
ところで、化学兵器もどきの戦術は、古代エジプト時代からあったらしい。疫病を流行らせて民族レベルで抹殺しようといった類いの。井戸などに毒を仕込むのも古くからあるやり方。敵対国家の混乱を目的とした通貨偽造の歴史も古く、この手の発想で古代人と現代人との違いは技術と巧妙さぐらいであろう。人類のずる賢さという性癖は、エントロピーに逆らえないと見える...

3. 蜂群崩壊症候群
2006年から2008年頃、ミツバチの大量失踪事件が発生したと報道された。飼育されていた三分の一ものミツバチが何の前触れもなく姿を消したとか。「いないいない病」なんて俗語を耳にしたような記憶がかすかにある。ナッツ類、アボガド、キュウリ、大豆、カボチャなどの受粉に影響を与え、食料供給にも深刻な問題を与える。様々な憶測を呼び、地球温暖化や環境汚染が原因とする説もあれば、遺伝子組み換え作物が原因とする説もあり、宇宙人の仕業という説まである。
しかし、原因はすこぶる単純なものらしい。フランス政府がイミダクロプリドとフィプロニルという二つの農薬を禁止したところ、数年でミツバチが戻ってきたという。マスコミは、この成功例を報道しないらしい。ニュース価値がないんだってさ...
本物語では、暗躍する民間企業がこの現象を利用して、食糧供給量を制御しようとする。遺伝子組換え作物の種子が風で飛ばされ、他の畑や種苗会社の農場などに紛れ込むと、新種の害虫を誕生させる。ミツバチの個体数を制御するだけで、食糧供給量が制御できるという寸法よ。そして、トウモロコシを遺伝子操作するだけで...

4.スヴァールバル世界種子貯蔵庫
食糧の安定供給は、今日の重要課題の一つ。百年前、アメリカで栽培されたリンゴの品種は七千種以上あったが、現在では三百種にまで減少したという。七百種近くあった豆も、わずか三十種になったとか。実に、世界の生物多様性の 75% が、一世紀の間に消えてしまったというのである。絶滅種を救う!これがスヴァールバル世界種子貯蔵庫の主な目的で、世界中の種子がここに収容される。世界の種子銀行だ!地球最後の日のための種子貯蔵庫として、別名「ドゥームズデイ貯蔵庫」と呼ばれるそうな。種子版のノアの方舟か!
スヴァールバル諸島は、ノルウェーの北岸と北極の中間に位置する極寒の地にある。まさに人間の目の届かない場所に人間が建設したのだったが...
尚、本物語では、ホッキョクグマが警備に一役買っているが、それも事実だそうな...

5.聖マラキの予言
12世紀、アイルランドのカトリック司祭メル・メドック、後の聖マラキは、ローマへの巡礼中に幻覚を見たそうな。それは、世界の終末に至るまでのローマ法王に関するもの。112名のローマ法王についての暗号めいた予言は記録され、ヴァチカン公文書館に所蔵されたが、後に行方不明となり、16世紀に再発見されたという。その経緯から、偽物と見る歴史家もいるらしい。
いずれにせよ、予言は無気味なまでに的中しているそうな。例えば、ウルバヌス8世は「百合と薔薇」と形容されているとか... 彼は赤い百合を紋章とするフィレンツェ生まれ。パウロ6世は「花の中の花」... 彼の紋章は三輪の百合の花。ヨハネ・パウロ1世は「月の半分の」... 彼の法王在位期間は、半月から次の半月までのわずか一ヶ月。ヨハネ・パウロ2世は「太陽の労働によって」... 日食の比喩として一般的に使用される表現で、彼は日食の起きた日に生まれた。2013年に退位したベネディクト16世は「オリーブの栄光」... 名前の由来となったベネディクト会はオリーブの枝がシンボル。
そして何よりも気がかりは、法王ベネディクト16世が予言に記された111番目の法王だということである。つまり、次の法王のもとで世界は終末を迎えるということか...
「聖なるローマ教会への最後の迫害の中で、ローマびとペトロが法王の座に就く。彼は数多くの苦難の中で信者たちを導くであろう。その後、七つの丘の都は崩壞し、恐ろしい審判が人々のもとにくだされるであろう。」
2013年3月、アルゼンチン生まれのフランシスコが新たな法王に選出された。史上初のアメリカ大陸出身の法王誕生である。彼が、「ローマびとペトロ」なのか?ただし、最後の法王だけは番号が振られていないらしい。なので、111番目から最後までの間には、名前の挙げられていない法王が何人もいるのではないか、と楽観視する歴史学者も少なくない。そもそもローマ教会の運命で世界の運命を決めてもらいたくないものである。世界の宗教は実に多様性に満ちているのだから...

6. ケルト伝説
「荒廃した」と記される地域の一つに、アイルランドとイングランドの間に位置する荒れ果てた島があるという。古代ケルト人の聖地であったバードジー島。ただ、ケルト人よりも先に定住した民族がある。ストーンサークルといえば、最も有名なのはストーンヘンジだが、イングランド各地に点在する遺跡で、この島にも巨大な石が環状に並べられるという。宇宙人の仕業という説もあるが、ケルト人でなくても、そこに神が宿ると信じるだろう。
アイルランド神話によると、ケルト人が最初にアイルランドへやってきた時、すでにフォモール族という巨人族がおったとさ。ノアによって呪われたハムの子孫とも言われる。ケルト人とフォモール族は領有をめぐって何百年にも渡って争ったそうな。フォモール族は武器には長けていないものの、疫病を感染させる技術を持っていて、侵略者に「痩せ衰える死」を与えたとか。
フォモール族の女王は病を癒やす大いなる力を持っていて、疫病を治すことができたという。ケルト人がアイルランドを征服することになるが、女王の癒やしの力は崇拝され、この周辺を聖地としたらしい。アーサー王伝説にしても、アヴァロンをバードジー島が起源と信じている人も多いようである。ちなみに、アヴァロンはアーサー王の剣エクスカリバーが作られた場所で、地上の楽園とされる。
しかしながら、ケルト人もまたローマ人に征服される運命にある。この島は二万人の聖人が埋葬されることでも知られるそうな。まさに巡礼の島か!ローマ人もここを聖地としたのか?文化ってやつは、完全に抹殺したようでも、実は自然に組み込まれて生き残る性質を持っている。寄生虫のように。
「ドゥームズデイの鍵」とは、疫病を発生させる毒薬か?それとも、疫病の治療薬か?いや、その両方か?

7. 黒い聖母伝説
黒い肌で表現した像や絵画が、ヨーロッパ各地に点在するという。ポーランドのチェンストホヴァの黒い聖母、スイスの隠者の聖母、メキシコのグアダルーペの聖母など...
黒い聖母の作品には不思議な力が宿ると主張する学者もいれば、肌が黒いのはロウソクのすすが積もったり、木製の像や古い大理石が年代とともに変色しただけという学者もいる。カトリック教会は、こうした像や絵画の持つ意味や不思議な力に関しては、一切言及しないとの立場をとっているという。
本物語では、フォモール族の女王の肌が黒かったことから、黒い聖母伝説とのつながりを示唆する。肌の黒い巨人族は、古代エジプトの種族という説もあるという。フォモール族は、農業技術をケルト人に伝えているとか。ナイル川流域で培った技術を。
イングランドの各地に点在するストーンサークルを作ったのも、古代エジプト人ではないかと主張する歴史学者もいるようだ。アイルランドのタラにある新石器時代の埋葬地から、釉薬を使用した陶製のビーズで装飾を施した遺体が発見されているという。ツタンカーメンの墓から発見されたものとほぼ同じものだとか。イングランドのハル近郊には、紀元前1400年頃と推定されるエジプト様式の大きな船も発見されているとか。ヴァイキングなどの海洋民族がイギリス諸島を訪れるはるか昔に。ケルト人は、エジプトの女神イシスを崇拝したということか?

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