2019-08-18

"インテリジェンスの歴史 水晶玉を覗こうとする者たち" 北岡元 著

なにゆえ歴史を振り返るのか。それは未来への布石。いや、過去をほじくり返して、ぼやいているだけか。過去から学ぶには、現在との関連性を見い出さなければ...
人間ってやつは、時間の連続性の中に身を置かないと、心が落ち着かないと見える。特に、予測不能な事態に直面すれば。そして、昔は良かった... などと老人病を発病させるのである。
古代ローマの歴史家クルティウス・ルフスは、「歴史は繰り返す...」との言葉を残した。カール・マルクスは、これを若干着色して「歴史は二度繰り返す。最初は悲劇として、二度目は喜劇として...」とした。歴史ならぬ言葉は繰り返される。戒めの言葉として。いや、皮肉の言葉として...
レオポルト・フォン・ランケは、「人類のもっとも幸福な時代は、歴史の本では空白のページである...」との言葉を残した。沈黙の時代こそが最も幸福な時代だとすれば、人類にとって絶望的である。そして今、記憶媒体の大容量化が進むばかりか、仮想化に邁進し、ますます騒がしい世となった。情報は、どこから飛んでくるかまったく予測がつかない。銃弾のごとく...
「予測する者は占い師ではない。彼らは教育者である。予測する者は将来を予言しようとするのではなく、代替シナリオを示すことにより高まる不確実性に対処すべきである。予測が役に立つためには、最もありそうな将来への経路の性質と可能性を述べるだけでなく、仮にその経路からはずれたらどうなるかを調査し、そのような領域に踏み込んだことを示す看板を識別しなければならない。予測とは分かっているものを要約し、それ以外の不確実なものを体系化する手段である。」

予測とは、知への予習。復習も大切だが、事前準備がより肝要である。頭のいい奴と仕事をする時は、特にそうだ。会議の場で情報を得るのでは遅い。事前に情報を検討していないと議論すらできない。読書するにしても、心の準備がなければ、それを受け入れる度量がなければ、目の前の幸せにも気づけない。
不確実な状況下ともなれば、心の平穏を保つことも難しくなり、情報や知識が不足しては苛立ちが隠せず、つい先に攻撃を仕掛けてしまう。クラウゼヴィッツは、「人間の恐怖心が、情報の虚言や虚偽の助長に力を貸す。」と言ったという。
そこで、あらゆる戦略において防御の兵法が役に立つ。孫子の兵法は、戦わずして勝つ!を信念とする。武士道の奥義は、相手に剣を抜かせないことにある。隙をおおっぴらにしながら、実は隙を見せない姿勢。それは、あらゆる事態に対して事前に備える姿勢である。先手必勝とは、先に攻撃を仕掛けるのではなく、先に備えるという意味で必勝となる。そして、この酔いどれ天の邪鬼ときたら、インテリジェンスとは、知の予習、ひいては人生の予習と解し、水晶玉と睨めっこするのであった。相手の意図ばかりか自我までも覗こうと..

「わしが教えようとしても、ことが現実となって現れないうちは、お前は、自分に認識できないことを何一つ習う気がしないのだ。」
... ワーグナー「ヴァルキューレ」より。神々の長ヴォータンが妻フリッカを諭そうとして

1. インテリジェンスの歴史紀行へ...
本書ではまず、かつて神の御手に委ねられた将来像の予測を、古代中国の思想家が人間の手に握らせるのを見る。古代ギリシアでは、巫女が神がかって未来の姿を告げていたが、それを人間の仕業としたのが、孫子であったとさ。
次に、情報伝達の時間差が情報に優先順位を与えていた時代から、技術革新によって時間差が縮小され、リアルタイムな活用範囲が拡がっていく様を見る。ここでは、時間差の影響の小さいものをベーシック・インフォメーションと呼び、時間差の影響の大きいものをカレント・インフォメーションと呼んで区別している。前者は、地理、人口統計、産業力といったもので、後者は、政策、戦略、作戦といったもの。ころころ変わる情報ほどリアルタイム性が要求されるのは、現在とて同じ。情報伝達の遅い時代にはベーシック・インフォメーションしか当てにできなかったが、リアルタイム性の確保された時代になると、カレント・インフォメーションの利用価値が高まり、ベイズ原理やデルファイ法も登場する。時間差ゼロは、いわばカレント・インフォメーションの理想郷というわけだ。
また、データの関連性と時間的変化を相手取りながら情報を組み立てていくプロセスは、ソフトウェア開発の現場を見る思い。時間構造の階層化にデータ構造を重ねていく様は、まさに抽象化のプロセス。
ついでに、相手の意図を探るために、こっそりと邸宅に侵入して信書を覗き見するような行為は、通信傍受や暗号解読といった形へ。相手の行動パターンを知る上で、人間性までも観察し、飼っているペットや趣味にまで及ぶ。敵を知り、己を知れば、百戦して殆うからず...というのは本当らしい。
さらに、戦争の変質と情報量の増大を背景に、インテリジェンス業務が組織化、官僚化していく様を見る。戦争の変質とは、かつて国王や宮廷のものだった戦争から、国民と一体化した総力戦への移行である。
こうして、「インテリジェンス」という用語が、国家安全保障の概念と深く結びついてきた経緯を物語ってくれる。軍から移植されてきたインテリジェンスというものを...
しかしながら、インテリジェンスの歴史は、失敗の歴史でもある。フリードリヒ大王は、「敗北はやむを得ないが、断じて奇襲されてはならない。」と言ったとか。ナポレオンは、「指導者はうち破られる権利を有するが、驚かされる権利は決して有しない。」と言ったとか。インテリジェンス研究家マーク・ローウェンソールは、「米国のインテリジェンス・コミュニティーの形成を促したのは、冷戦ではなく、真珠湾である。」と言ったとか。
いまや、技術の進歩によってあらゆる情報が入手可能となり、インテリジェンスの質は向上し、あらゆる方面の頭脳が結集される中で防衛組織が整備される。それでも、同時多発テロは起こった。大統領やその補佐官たちが、その危険性を知っていたにもかかわらず。
本書は、インテリジェンス業務の「途方もなさ」というものをテーマに掲げている。知的好奇心を掻き立てられるミステリーへのいざない、とでも言おうか。もはや、社会科学、行動経済学、心理学の領域。これはもう、情報の不確実性というよりは、人間そのものの不確実性と言うべきであろう...

「サプライズは、敵が見えないまま起こるのではない。敵が見えているにもかかわらず、起こるのである。」
... 1994年、ジェフリー・オリーリー米国空軍少佐の言葉より

2. 官僚制のメリット
混沌とした時代には柔軟性が求められ、官僚化の弊害がよく指摘される。おいらも、アレルギー反応を示す言葉だ。官僚化への警鐘は、CIA にも向けられる。より古くに確立されたインテリジェンス組織と張り合う、もう一つのインテリジェンス組織に成り下がる、と...
しかしながら、官僚制はすべて駄目!潰してしまえばうまくいく!といった類いのものではない。米国フーヴァー研究所のインテリジェンス研究員ブルース・バーコウィッツは、こう指摘しているという。
「伝統的なインテリジェンス組織は、実は古典的な官僚組織の変形にすぎない。官僚制は三つの明確な特徴を有している。すなわち分業、階層性に基づく構造と指揮命令系統および作業手順の標準化である。これは多くの組織において、規則の中に明文化されている。官僚制には毀誉褒貶があるが(中略)それは必ずしも悪いものではない。実際官僚制は、人類のマネジメントの歴史上で最も偉大な発明かもしれないのだ。それに先立つ組織に比べれば、官僚制はより効率的で、説明責任も果たしやすい。また官僚制は専門化することができ、かつコミュニケーションと統制のラインが明確になっている。」
冷戦時代、官僚的なインテリジェンス組織はソ連の脅威を監視する上で充分に機能したという。ソ連自体が強固な官僚制に立脚していたからである。だが、冷戦終結後に脅威が多様化し、拡散した時代には不向き。官僚的組織は、他部署と情報交換をする機会を管理し、制限してしまう。与えられた業務に集中しなければ批判を受け、他人の縄張りに目を向ければさらに批判を受ける。優秀な官僚ほど命令の上下関係は絶対的で、正式に与えられた命令の範囲を越えたがらないらしい。我が国では、忖度という言葉が飛び交っているようだけど...
一方、官僚制を完全に破壊してしまうと命令系統が機能しなくなり、インテリジェンス組織そのものが成り立たなくなるという。大量の情報を秩序と専門性をもって分析し、インテリジェンスを機能させるためには最低限の官僚制は必要というのである。そこで、「官僚制を弱める」とうい議論になる。
さらに、文化論に及ぶと、なんとなく馴染みのある光景が見えてくる。インテリジェンスの失敗は、システム構造にあるのではなく、もっと根深い文化的なところにあるというわけだが、企業でも組織図などの構造だけをいじるようなことをよく見かける。名刺の肩書がころころ変わったり...
ところで、官僚という言葉を忌み嫌うおいらでも、日常を振り返ってみると、やはり官僚的なところが多分にある。日々のルーチンワークの中に。当たり前のように義務としている仕事は、本当に義務と呼べるほどのものなのか?と自問してみると、懐疑的にならざるをえない。それでも、惰性的にやってしまうのが習慣ってやつだ。常に習慣を見直そうと心懸けているものの、いや、そのつもりでいるものの、結局は先延ばしで、やっぱりやってしまう。行動パターンが安定しているというのは平静を保つ上でも重要な要素となるが、あまりワンパターン化すると、今度は退屈病を患ってしまう。そこで、良い習慣を!という議論になるのだけど...

3. 相手の意図は重視されるべきか...
もちろん重視されるべきであろう。分かればの話だが。相手とは敵のことだが、そもそも相手の意図は重要か?という議論がある。意図を重視する側は、相手の意図が分からなければ、実際にどれほど脅威なのか分からないと主張する。意図のみが真の脅威を測ることを可能にすると。意図を軽視する側は、相手にある程度の敵意があり、かつ軍事力の情報があれば十分と主張する。最悪のシナリオを想定していればいいと。
ただ、この議論には大前提がある。例えば、冷戦時代、米国はソ連の軍事力をほぼ把握していた。そして、多少なりとも敵意があったことも事実。相手国の情報が正確に把握できていなければ、感情論に訴えるしかない。そして、悲劇を増大させた歴史をわんさと見てきた。
いくら人間の意図を知るのに限界があるとはいえ、相手の脅威は意図と能力によって構成されるであろう。国王の一言で戦争がおっぱじめらる時代は、国王の意図を知ればいい。それでも、人の意図を知ることの難しさがつきまとう。人の意志を相手取るということは、気まぐれを相手取るようなもの。しかも現在は、政治指導者一人の意図で何かが変わるわけでもない。どうせ分からないのであれば、最悪のシナリオを想定する方が現実的かもしれない。そして、エージェントを送って、相手をこちらの意図に誘導する方が手っ取り早い、という考えも成り立つ。世論ぐるみで誘導すれば。ちなみに、CIA の予測はよく当たるらしい...

4. 参謀制度とナポレオン
インテリジェンス組織の起源は、参謀制度にあるようである。参謀制度といえば、プロイセンのものが有名である。だが、その起源を遡るとプロイセンとフランスの制度が混じり合っているという。
まず、フリードリヒ大王の時代に組織化の傾向が見られる。大王が視野に入れたのは、兵站と作戦の両方であったが、組織化という意味では兵站の方が中心だったようである。作戦面では、天性の戦略家ゆえに組織なんて不要ってか。
その後、ナポレオンが本格的な参謀制度を導入し、ナポレオンに敗北したプロイセンが発展させ、普仏戦争でプロイセンが勝利すると、今度はフランスが模倣するという流れ。
一方、英国で本格的な組織化のきっかけになったのは、ボーア戦争だという。ボーア戦争は、地理を熟知する現地人を相手にゲリラ戦の様相を呈し、インテリジェンス上では大失態を演じてしまう。戦争省軍事作戦局の防諜を担当する第五課(MO5)は、世界屈指の MI5 へ。Operation から Intelligence への移行か。
総力戦に突入した第一次大戦では、防諜から諜報をしかける動きへと発展していく。米国は、プロイセンを模倣したフランスの体制を、第一次世界大戦中に模倣したという。
ところで、ナポレオンの参謀本部は興味深いものがある。彼の軍事的成功は、ひとえに天才的才能というイメージがある。戦略や謀略の面では、シュテファン・ツヴァイクの描いた警務大臣ジョゼフ・フーシェの影がつきまとい、秘密警察という組織も、彼に発しているような印象さえある。
しかし、参謀本部を明確に組織し、情報を組織的に収集、分析し、インテリジェンスを機能させていたのは、おそらくナポレオンが初めてではなかろうかというのである。
まず、ナポレオンにして「スパイの皇帝」と呼ばしめたカール・シュルマイスターという人物を紹介してくれる。彼は、フランス語、ドイツ語、ハンガリー語に堪能で、変装にも長け、彼の組織はプロイセンやロシアにスパイを送り込んだという。ウルムの戦いで、オーストリア軍のマック将軍を不運に陥れたと目される人物である。
また、ルイ・ベルティエ元帥の参謀部はあまり知られてない。ただし、この参謀部がどの程度のものであったのかは議論が分かれるようである。例えば、軍事史家ゲルリッツは、ナポレオンは自分で作戦計画を起草したので、ペルティエ元帥は命令の文書化と伝達を行う皇帝付き副官団長にすぎなかったという厳しい評価を下しているとか。歴史家ダグラス・ポーチは、当時の水準では実に精巧なシステムで、ナポレオンの三つの総司令部の一つで、私的な軍事キャビネットを備え、用兵、人事、インテリジェンスの三部門に分かれていたと評しているとか。
いずれにせよ、ナポレオンの先見性に注目したい。兵站と作戦の両面のインテリジェンスを、戦略と戦術の両レベルで組織していたというのだから。ここで、ナポレオンの金言が一段と輝く。「交戦し、しかる後はひたすら待ち、観察せよ」と...
しかし、これだけ分析を重視したにもかかわらず、ロシア遠征まで手を広げ、強行し、没落の一途を辿った。どんなに冷静沈着な情報と分析をともなったところで、野望には勝てないと見える。インテリジェンスの世界は、やはりミステリー!いや、人間そのものがミステリーなのやもしれん...

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