2019-08-25

"インテリジェンス 機密から政策へ" Mark M. Lowenthal 著

原題 "Intelligence: From Secrets to Policy"... こいつは、インテリジェンスの標準的な教科書だそうな。しかし、応用力の試される世界、マニュアル人間ではとても生きては行けまい。「インテリジェンス」という用語が国家レベルで論じられ、政治と結びついて発展してきたことは、本書が如実に物語っている。
とはいえ、その思考原理となると、政治的な側面よりマネジメントの側面が強く、社会科学や行動経済学、ひいては心理学に踏み込まずにはいられない。この領域では、経済学あたりで言われる「合理的行動」などといったモデルは、まったく当てにできない。無論ハウツー本ではない。読者を優秀な分析官に育てるものでもなければ、スパイに仕立てるものでもない。国家安全保障政策の策定において、インテリジェンスが果たす役割、その長所と弱点についての理解を手助けすること、そして、学生諸君や素人にも、そうした視点を持ってもらうことを目的としている。
著者マーク・M・ローエンタールは、CIA の分析部門の長を勤めた経歴を持ち、引退後、コロンビア大学やジョンズ・ホプキンス大学で教鞭を執ったという。この分野が講義として成り立つのも、アメリカの大学教育の奥行きを感じずにはいられない。ちなみに、翻訳者茂田宏氏は、こう書いている。
「人間の行動を説明する上で、観念論と唯物論の二つがあるが、私は人を動かすものは情報であるとの情報論というものがあってもいいのではないかとさえ考えている。」

本書の貫く姿勢に、こう告げられる。
「インテリジェンスは政策決定者を支援することを唯一の目的とする。」
インテリジェンスは、あくまでも政策を目的とし、政策に従属し、情報の収集や分析、諜報や防諜、秘密工作といった行為もまた政策目標と結びついてはじめて機能するというわけである。結びついていなければ、税金の浪費ってか。政策決定者の存在そのものが、社会の浪費とならぬことを願うばかり。
インテリジェンス機関には、少なくとも四つの存在理由があるという。戦略的奇襲攻撃を回避すること、専門的知見を長期に渡り提供すること、政策プロセスを支援すること、および情報、ニーズ、方法についての機密を維持すること。
かつて、「友好的なインテリジェンス機関などというものはない。友好国のインテリジェンス機関があるのみ...」と発言したのは誰であったか。インテリジェンス機関は、通常の政治機関とは明らかに違う性格を持っている。それは、機密性であり、民主主義と相容れないところ。スパイ活動、盗聴、秘密工作といった行為は、理想の国家像からはかけ離れており、暗殺までも正当化されかねない。表向き政治家たちは、開かれた政治というものをスローガンに掲げ、「秘密工作」といった用語を嫌って「特別政治活動」などと呼ぶ。
しかし、理想の人間像を掲げるならば、警察は不要となろう。人間の本性には悪魔性が潜む。個人が自己の悪魔性を抑制しても、集団化すると抑えきれない。おまけに、人間は寂しがり屋ときた。しかも、集団思考に操られてもなお自分で思考しているつもりでいる。これに対抗して、警察機能を強化したとしても、拡大解釈のうちに裁判機能まで行使してしまう。そして、国家にも抑止力が必要という議論が成り立つ。
もちろん、インテリジェンス活動も合法的であることが前提とされる。人間ってやつは、現実を見ず、理想郷ばかり追いかけていると、却って卑しくなるものらしい。人間社会に、万能な装置なんぞ存在しない。インテリジェンスとは、悪魔との和解... という見方もできそうか。もちろん行き過ぎた事例も多く見かけるが、民主主義の砦を影で支えてきたのは確かであろう...
「秘密工作には、概念上も実際上も、多くの論点がある。最も基本的なものは、そのような政策オプションの正統性であるが、この種の多くの疑問と同様、正しい解はない。主要な意見は、二つに分かれる。理想主義者と実用主義者である。理想主義者は、他の国家の内政への国家の秘密裏の干渉は、受け入れられる国際行動規範に違反すると主張する。第三のオプションという考え方自体が正統ではないというものである。実用主義者は理想主義者の議論を受け入れつつも、自国の利益のために、時として秘密工作が必要であり正統である場合があると主張する。数世紀にわたる歴史的な慣行を見ると、実用主義者に軍配が上がる。理想主義者は、歴史的記録は秘密の干渉を正統化するものではないと応じるだろう。」

1. 真理は人間を解放するか...
CIA本部の旧入口に入ると、左手の大理石の壁にこう刻まれるという。

「そして、あなたがたは真理を知るであろう。そして真理はあなたがたを解放するだろう。」
... ヨハネによる福音書第8章第32節

結構な言葉だ。しかし、実際に行われていることへの誇張で、誤解を招く元となる。政治は、正直者には向くまい。純粋な者には向くまい。ユートピアを夢想する者には向くまい。それは、皮肉に満ちた世界。それは、人間の本性を相手取る世界。凡庸な酔いどれには、知らぬが仏!という事柄があまりに多すぎる。
「インテリジェンスの単純さ...
映画『さよならゲーム』では、マネージャーは不運な選手たちに、彼らがプレイするべきゲームの単純さを説明しようとする。ボールを投げる!ボールを打つ!ボールを受ける!インテリジェンスにも似たような見かけ上の単純さがある。質問をする!情報を集める!質問に答える!両方のケースにおいて、細部に悪魔が多数潜んでいる。」

2. シギントとイミントの違い...
インテリジェンス関連の書に触れると、ヒューミントについては人的インテリジェンスとしての位置づけが分かるものの、シギントとイミントの違いがうまく飲み込めない。信号インテリジェンスと画像インテリジェンスの違いが。合わせてテキント、すなわち技術インテリジェンスとされるが、双方ともテクノロジーに支えられており、実際の区別は微妙であろう。そこで本書は、ちと皮肉まじりな指標を提示してくれる。
「シギント対イミント...
ある国家安全保障庁長官が画像インテリジェンス(イミント)と信号インテリジェンス(シギント)との違いを指摘したことがある。曰く、『イミントは何が起こったかを示すが、シギントは今後何が起こるかを示す』。その表現は誇大であり皮肉まじりではあるが、この発言は二つの収集方法の重要な違いを示している。」

3. インテリジェンスのユーモア?
分析官たちは、ちょいと暇な時に風変わりな収集方法について議論するという。最も有名なのがピツィント(PIZZINT)ってやつ。すなわち、ピザ・インテリジェンスである。ワシントン滞在の敵国の政府関係者が、CIA、国防省、ホワイトハウスに夜遅く向かうピザの配達トラックの数から、危機発生を探知するというもの。他にも、こんなものがあるそうな...

  • ラヴィント(LAVINT) : トイレ(lavatory)で聞かれるような情報インテリジェンス
  • ルーミント(RUMINT) : 噂(rumor)インテリジェンス
  • レヴィント(REVINT) : お告げ(revelation)インテリジェンス
  • ディヴィント(DIVINT) : 神から授かった(divine)インテリジェンス

そういえば、戦国武将の情報戦でも似たようなものがある。川中島の戦いで、上杉軍は炊事の煙量で武田軍の動きを察知したと言われる。いつもより煙の量が多いことで。
本書は、ユーモアとして紹介されるが、ユーモアでは片付けられないものを感じる。競争相手の分析では、高官の人間性までも分析され、異性関係やペットまでも、その対象となる。情報戦が高度化すればするほど、何がヒントになるか分からない...

4. 言語的な余談、oversight...
oversight には、二つの定義があるという。一つは、監督、注意深い配慮といった意味で。二つは、見過ごし、見落とし、無考慮といった意味で。インテリジェンスの監視では、議会や行政府は前者を実行し、後者を避けようとする。
一つの言葉でも、二つの異なる解釈が成り立つことはよくある。しかも、真逆な。情報がどんなに優れ、どんなに客観性が担保されようとも、分析・解釈の段階では主観性に満ちている。そして、分析結果が真逆となることもしばしば。人間の思考が介在するということは、そういうことだ。
インテリジェンスは、有用でありながら危険な側面が共存する。それゆえに監督責任がよく問われる。旧ソ連や中国では、国内情報と対外情報が一つの情報機関によって担われ、それが秘密警察的な機能を持つ事例が紹介される。米英などの民主主義国家では、こうしたことを排除するために、国内情報と対外情報を峻別する。
また、民主主義国家では、インテリジェンスの監督責任は行政府と立法府が共同で担う傾向にある。米国の場合、立法府が広範に監督権限を持つ点で、やや特異なようである。産業界などのリーダーたちが何かと公聴会に引き出されるのを目にするが、これも正義を崇拝する慣習からくるのだろうか。いつも説明責任を背負わされているリーダたちの給料がべらぼうに高いのも、その責務の裏付けであろうか。ただし、正義の暴走は、悪魔よりもタチが悪い...

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