2019-10-13

"ガレー船徒刑囚の回想" Jean Marteilhe 著

なにゆえ信仰に頼るのか。それは弱さの証。人間ってやつは、自分の願っていることを簡単に信じてしまう。それが希望ってやつか。
人の心は、何かに強制されれば反発心を焚きつける。死刑よりも苛酷な終身刑が、生き地獄を生きよと命ずると、囚人たちの心理は不思議な反応を示す。死ねと言えば生に執着し、希望を持てと言えば絶望に身を委ねる。心の自由が奪われるということは、自己存在が脅かされているに等しい。そう意識した時、人は怯え、攻撃的にもなる。
宗教は、それぞれに良心の在り方を説く。だが、絶対的な良心なんぞ、この世にありはしない。少なくとも人間の世界には。神が人間を選ぶのか。いや、人間が神を選ぶのだ。ならば、選ばないという選択肢もあっていい...

この物語は、ガレー船徒刑囚として、12年間を過ごした回想録である。プロテスタントであるがゆえに受け入れざるを得なかった運命とは。ただ、回想録が書ける機会があっただけでも運がいい。
信仰に取り憑かれた人間は恐ろしい。実に恐ろしい。彼らが自らの道徳を多数派の道徳として主張しだすと、異なる宗教観や道徳観を持った人々の排斥が始まる。集団化の過程で、自らの価値観を客観的に意識できなくなり、それを他人に力ずくで押し付けようとする。これが、政教一致の脅威というものか。人間ってやつは、神の事を知らなくても、神を信じることができる。この脅威が多数派の心理に飲み込まれた時、民主主義社会の弱点が浮き彫りになる。
本書が、一個人の、一キリスト者の回想録であることは間違いないが、政教分離という現在でもなお未解決な問題をつきつけ、ユグノーの歴史の一端を垣間見る思い。ここに綴られる、きわめて異様な状況!きわめて特異な経験!きわめて生々しい描写!は... ヘタな歴史書で知識をまとうより、当時の光景を恐ろしく目に浮かばせる。
尚、木崎喜代治訳版(岩波文庫)を手に取る。

1. 徒刑囚から解放への旅
「イエス・キリストやその弟子たちや多くの忠実なキリスト教徒たちが、この聖なる救世主の預言に従って迫害されたことを考えるとき、わたしは、かれらのように迫害されている以上、真の救済の道を歩んでいるのだと信じないわけにはいかない...」
時代は、ルイ14世治下のフランス。ジャン・マルテーユは、17歳でガレー船送りの刑に処せられた。そこには、国王とカトリック教会がプロテスタントを侵食していく背景がある。
次々と教会を閉鎖し撤去、牧師の活動を制限し、声高に聖歌を歌うことを禁ずる... プロテスタントの学校を閉鎖し、子供にカトリック教育を強制する... 職業も制限され、社会的地位も奪われ、国王の許可なしに国外へ出ることもできない... おまけに、臨終に際しては、カトリックの聖職者を枕辺に呼んで、カトリックに改宗しないか否かを訊ねてもらわなければならない... 国王の竜騎兵には殺人と婦女暴行以外の行為はすべて許されたそうだが、この二つの条件だけが尊重されるはずもなく、官吏は黙認。カトリックへの改宗を宣言するまで家に居座り、家具を破壊し、衣服を破り、食べ物を喰い尽くし、拷問にかける。そして、略奪するものがなくなるや、別のプロテスタントの家を襲う。狙われる家は、ブルジョア階級のプロテスタント。貧家には奪うものがないから... 等々。
このような光景を見せつけられては、あのパスカルの言葉をつぶやかずにはいられない... 人は良心によって悪をするときほど、十全にまた愉快にそれをすることはない... と。
マルテーユは、典型的なベルジュラックの裕福な商人の家の出。ベルジュラックは、フランス南西部のボルドーに近い小さな町で、古くからプロテスタント信仰の拠点の一つであったという。ガレー船の動力にプロテスタントの奴隷を使い、それでプロテスタント国イギリスと戦争をやるとは、なんとも皮肉な話。フランス軍は味方の監視も怠れない。プロテスタントのガレー船徒刑囚の存在は広く知られ、国際的に避難の的となった。
ユトレヒト講和条約の際、イギリスのアン女王の介入で一部のプロテスタントが解放され、マルテーユもその一人。解放後、プロテスタントの都市で歓迎を受けながら、スイスやドイツを経由してオランダへ旅をする。目的地はプロテスタントの亡命拠点として有名なアムステルダム。マルテーユは、アン女王に感謝し、なおガレー船に残る人々の解放を嘆願するために、代表団の一員としてイギリスに渡り、女王に謁見したとさ...

2. ナント勅令の意味
歴史の教科書が教えていることは、ナントの勅令によって、カトリックとプロテスタントは和解し、プロテスタントにも信仰の自由が保障されたということ。しかし、こうした理解は適切ではないようである。
確かに、プロテスタントの信仰は国王によって承認されたが、そこには条件があったとか。特定の地域でのみ礼拝や結婚や教育活動が承認され、避難地帯や安全地帯が設置されたというから、ある種の隔離政策という見方もできよう。この勅令が、休戦状態に過ぎないという論評も的外れではなさそうだ。
また、プロテスタントの多くは、地方貴族、有力地主、裕福な商人で、独自の守備隊を持つほどの有力者であったといういから、国王にとって目障りな存在であったことだろう。太陽王がわざわざフォンテーヌブローの勅令で、プロテスタントの自由をチャラにすると宣言したところで同じことか。いや、略奪行為が国王のお墨付きとなれば、それは懲罰か、迫害か、と問うても詮無きこと。マルテーユは、「教皇至上主義の誤謬」と表現する。
だからといって、その場しのぎで改宗の意志を表明し、再びプロテスタントに戻ったとしても、今度はプロテスタントの側で裏切り者呼ばわれ。彼らにとって、「正義」という言葉ほど空虚なものはない。裁判などと名乗るのはやめて、国王命令の執行者とでも名乗れ!... といった台詞も飛び出す。
そして、プロテスタントの籠もった城砦都市が、一つの自由都市国家として国家安全保障の概念を目覚めさせ、ここに近代国家モデルの源泉を見る思い... などと解すのは、ちと行き過ぎであろうか...

3. ガレー船の有用性
読者を退屈させないように、ガレー船の構造や航行法、乗員組織までも詳細に解説してくれる。この記述は、まるで映画「ベン・ハー」の一場面。
「鎖でつながれた素裸の六人の男たちが腰掛に座り、櫂を握り、足置板に取り付けられた太い棒である足架に片足を乗せ、もう一方の足は前の腰掛の上に掛け、身体を長く伸ばし、腕に力を込め、同じ動作を夢中になってやっている前の席の者の身体の下まで櫂を押し出すのである。そして、こうして櫂を押し出すと、こんどは櫂が海を叩くように持ち上げ、同時に後方に身を投げ、というよりもむしろ、身を落とし、自分の腰掛の上に落ちるように座るのである。」
ちなみに、苛酷な労苦とか労働をする時、「ガレー船徒刑囚のように働く」という言い回しが、当時にはあったらしい。
また、ガレー船の有用性についても言及している。ガレー船の維持に要する出費は重い負担となる。戦時であろうと、平時であろうと、武装解除されている冬季であろうと、武装中の夏季であろうと、常に維持しなければならない。イタリアの共和国諸国が保有するガレー船とも事情が違う。イタリアでは、民間運営によって商売でも利用されていたようである。地理的な事情も違う。地中海は、潮の緩慢がないうえに凪の時間が比較にならないぐらい長いが、大西洋での航行は困難を要し、イギリスの軍船よりはるかに劣る... 等々。
要するに、フランスのガレー船は、軍用兵器というより、むしろ監獄の意味合いが強いということか。

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