2020-12-13

"死父" Donald Barthelme 著

原題 "The Dead Father"...
これに「死父」という怪しげなタイトルを与えたセンスはなかなか。直訳するだけでは芸がない。外国語と母国語の狭間でもがき、日本語にない日本語まで編みだす。翻訳家という仕事は、創造的な仕事のようである。
そして、原作者ドナルド・バーセルミとの対談を仕掛ける。
「あのう... ええと... 思い切っておききいたします。死父とは、いったい、何なのですか?尋ねられたアメリカ人の驚愕。尋ねた日本人の顔をまじまじと見つめる。もじもじする尋ねたほうの日本人。死父とは死んだ父親です。死父とは死んでいるのに生きている父親です。死父とは生きている父親です。死父とは... まだつづけますか?」
しかも、架空の対談というオチ!仕掛けが大きすぎると、そのギャップを読者が埋める羽目に...
尚、柳瀬尚紀訳版(現代の世界文学:集英社)を手に取る。

こいつぁ、父親の存在感というものを、世に知らしめる物語か。いや、居場所を求める父親諸君を慰める物語か。その支離滅裂ぶりときたら...
まず、巨大な存在感を示すために、でかい図体。全長 3200 キュービット、半分は地下に埋没し、四六時中、生きている者どもに目を光らせている。キュービットは、古代文明から伝わる長さの単位で肘の長さに由来し、1 キュービットは 50 センチ弱。つまり、全長 1600 メートル弱の恐るべき巨人で、左足の義足には懺悔室がすっぽり入る。
大きな人間というのは、幅を利かせたり、社会を支配したりすることかは知らんが、畏怖の的でありながら愚かしく滑稽。その狂気ぶりはパスカル以上に病的で、身体がでかい上に態度もでかい... とくれば、ぼくらは死父に死んでもらいたいのです。
そして、息子と大勢の従者に牽かれて埋葬の地へ。このバカでかい穴はなんだ?わしを生き埋めにする気か!巨大な骸(むくろ)にブルドーザーが押し寄せる...

死んだ人間に死んでもらいたいとは、どういうことか...
故人を偲び心の中に生き続けるということもあろうし、その思いを断ち切るということもあろう。だが、そんな感覚からは程遠い。そもそも、生きていることと死んでいることの違いとはなんであろう。肉体の有無か。魂は永遠... というが、死人に口無し... ともいう。沈黙する限りでは神にも似たり。
死後の世界を知らないことは、人間にとって幸せであろう。天国も地獄も都合よくこしらえることができるのだから。生きている人間を黙らせるには、神に大いに語っていただかなければ。ただ、神ってやつは、よほどの面倒くさがり屋と見える。代理人と称する輩に思いっきり語らせているのだから...
では、死んだ人間に喋らせれば、言葉に重みが与えられるだろうか。いずれにせよ、生きている間は生きている者同士で語り合い、死んでいる者に口を挟んでもらいたくないし、死んだら死んだ者同士で静かに心を交わし、生きている者に眠りを邪魔されたくないものである...

ところで、父親の威厳ってやつは、どこの家庭でも影が薄いと見える。居場所を確保するだけでも大変と聞く。書斎のような籠もれる場所があればいいが、たいていはベランダで雨風に晒され、寒さに凍える。
存在感ってやつは、それが威厳や風格に結びつくとは限らない。威厳は威圧と紙一重、風格も風刺と紙一重。妻は子供とグルになり、まるでゴミ溜め扱い。休日に寝坊でもしようものなら掃除機に追い回され、洗濯物だって別々にされ洗濯槽を二つ備える洗濯機がバカ売れ。「父親」という語は、もはや家庭内差別用語か...
生きている間はお邪魔虫、ならば、死んでみるのはどうであろう。威厳が取り戻せるだろうか。そもそも威厳ってなんだ?肩書や年功序列の類いか。寿命ってやつは、移動平均で年功序列ということになってはいるけど。
超高齢化社会ともなれば、子供が先に逝くケースも珍しくない。天国の受付窓口で年功序列などと言い張っていれば、すぐに地獄の窓口へ回される。
おまけに、たいていの男は年下の女房を娶り、平均寿命では女の方が長いときた。たいていの父親は、死に顔を曝け出し、女房に愚痴を言われながら死んでいくのよ。子供はいらんが、孫がほしい... 嫁はいらんが、娘がほしい... そんな愚痴が死に顔から聞こえてきそうな。
父親の人生は、はかない!そりゃ、ノーパンでぶらりぶらりしたくもなろう...

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