2020-12-06

"辞書を読む愉楽" 柳瀬尚紀 著

いつも脇役を演じ、存在感も薄く、それでいて、すこぶる頼りになるヤツらがいる。百科事典に広辞苑、英和辞典に漢和辞典、科学用語事典に IT 用語辞典... 義務教育時代から書棚にのさばる国語辞典ときたら、いまだ現役だ。
そして媒体は、リアルな紙からバーチャルな電子機器へ。パピルスが発明された時代も、一大革命であったことだろう。紙面の活字にしても光と呼ばれる電磁波を介して見ているわけで、電子を媒介することに変わりはないのだけど、ネット媒体におけるサービスの可能性には目を見張るものがある。いまやグルグル翻訳の多言語ぶりは百を超え、ウィキウィキ百科のボランティア記事は勢いを増すばかり。
ボキャブラリー貧困層の酔いどれときたら、類語や対義語を集めたシソーラスは必要不可欠だし、OED に病みつきだし、古典を読む時には、手書き入力の漢字認識や新旧漢字の対照表にもお世話になりっぱなし... たまには、彼らに感謝の意を込め、辞書で愉楽に浸ってみるのも悪くない。
ところで、「愉楽」という文字をちょいと観察してみると、「愉」は、りっしんべんの「心」と旧字体の「兪」に分解できる。旧字体の方が心が踊っているようで、まさに愉快!そこが象形文字のいいところだけど、合理化の波には勝てないと見える。
「愉」を「楽しむ」ついでに、「湯楽」には純米酒がつきもの。毎年改版される名酒辞典にも粗相があってはなるまい...

辞書といっても、堅苦しいものばかりではない。本書は、マニアックなものも持ち出して言葉遊びを仕掛けてくる。日本方言大辞典に日本民俗大辞典、将棋戦法大事典に... 競馬ファンなら当たり前の種牡馬辞典ってのもあるらしい。そこには、辞書にまつわる 81 篇ものエッセイが掲載、いや、駄洒落挿話が満載...
辞書を編むとは、言葉を編みだすことであろうか。言葉を新たに知ると、すぐに使ってみたくなる。そして、文章のバランスを欠き、ついには壊してしまう。それは、プログラムを書くのでも同じ。新たな技を覚えると、無理やりにでも使ってみたくなるもので、まさに子供心に看取られた証。
こうしたささやかな失敗の積み重ねが、言語センスを磨いていくのであろう。どうせやっても同じ!と考えるようになったら、脂ぎった大人心に見切られた証。
試行しなくなったら、思考もしなくなる。せめて言葉と戯れていたい。そして、言葉遊びは、語呂合わせとなり、駄洒落に走る。それも老害心に蝕まれた証。
だとしても、言葉には救われるよ...

様々な方面で編み出される専門用語は、夜の社交場でも教えられる。ちなみに、恋愛の達人と称すお嬢には、「愛」と「恋」では心の在り方が違うと教えられた。「愛」は心が真ん中にあるから真心がこもり、「恋」は心が下にあるから下心が見え見えなんだそうな。言葉遊びで、心変わりも見て取れるというわけである。そういえば、ある男性が向こう隣のボックスでチェンジ!チェンジ!と叫んでいたが、この専門用語の意味は未だに分からん...

1. ナナカンオウ vs. シチカンオウ
著者には棋士羽生善治氏との共著もあって、史上初の七冠王が誕生した時のエピソードを紹介してくれる。そこで、「七冠王」の読み方は?という話題になる。なにしろ、この世に初お目見えの用語だ。「三冠王」なら、野球のみならず見かけるけど。
おいらは「ナナカンオウ」と読むのが普通だと思っていたが、国語の専門家の間では「シチカンオウ」とする意見が圧倒的に多いようだ。近年、永世七冠に、囲碁界にも七冠が誕生したが、相変わらず「ナナカン」と読まれる。新語というものは、最初に編み出した時のインパクトで、そのまま定着してしまうところがある。某国営放送が発表すれば尚更。
学術用語や専門用語にも、最初に翻訳した偉い学者の用語が定着しているケースは多い。中には違和感のあるものもあり、無理やり日本語にする必要があるのか、と思うことも。言葉には民主主義的な性質があり、意味にせよ、読み方にせよ、圧倒的多数が支持すれば、そのように変化してしまう。要するに、言葉は文法や規則に縛られるものではなく、言い方であり、使い方なのであろう...

2. ポチ vs. pooch
犬の愛称でお馴染みの「ポチ」。英語にも "pooch" という語があるらしい。グルグル翻訳機にかけると、「犬」とでる。そこで、ポチと pooch の語源は同じか?という話題になって、辞書めぐりを始める。
pooch は、特に雑種をいい、血統書付きではなく、駄犬を指すらしい。"butch" なら、そんなイメージも湧くけど、トムとジェリーの見すぎか。どちらも、小さいという意味が含まれ、チビのニュアンスを与えるらしい。pooch からポチを連想する話題は、なかなか!
しかし、語源となると、pooch から ポチが生まれたとは考えにくい。そして、二葉亭四迷の小説「平凡」を紹介してくれる。どうやら、愛犬ポチのことを綴ったものらしい。とりあえず、ToDo リストにエントリしておこう。酔いどれは暗示にかかりやすいのだ...

3. キツネ vs. タヌキ
うどんや蕎麦にキツネとタヌキがあるが、女の顔もキツネ顔とタヌキ顔で分類されるという。著者は、真夜中に奥方を起こして、キツネ蕎麦が喰いたいと言うと、油揚げがないからできません!と、タヌキ顔の奥方に素っ気ない応対を喰らったとさ。
うどんでは、キツネの方はネタがはっきりしているが、タヌキの方は地方によって様々なようである。
そういえば、男の顔もソース顔としょうゆ顔で分類される。いや、ケチャップ顔やマヨネーズ顔、塩顔なんてのも。女はキツネとタヌキの化かし合い、その脇で男は調味料を演じているわけか。人間社会の主役は、やはり女の方らしい。せめて男は、辞書の役を演じたいものである。影が薄くても...

4. 名言 vs. 豪語
辞書にまつわる名言を見かける。いや、豪語か!
ナポレオンの名言に「余の辞書に不可能という文字はない。」というのがあるが、そんな辞書は役に立ちそうな気がしない。ナポレオンの豪語も強烈だが、ヘミングウェイの豪語もなかなか...
「もし作家が辞書を必要とするなら、書くべきではないのです。その辞書を少なくとも三度は読破して、とっくに誰かに貸してあって当然でしょう。」
そういうヘミングウェイ自身は、よく綴りを間違えたらしい。実行するかどうかは別にしても、作家なら辞書を丸ごと記憶するぐらいの意気込みがいるというわけか。小説を書くということは、そのぐらいの凄みが必要なのであろう。酔いどれには、ささやかにつぶやくのが関の山よ...

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