2021-06-13

"モロー博士の島" H. G. Wells 著

科学技術の進歩には、暗い影がつきまとう。人類がしでかした悍ましい科学実験といえば、まず、人体実験が挙げられる。アウシュヴィッツの医師ヨーゼフ・メンゲレが施した双生児実験、プロジェクト MK-ULTRA の名で知られる洗脳実験や被爆実験、タスキギー町の黒人を対象とした梅毒実験、日本でも感染症実験や生物兵器開発で 731 部隊の名が知られる。こうした実験が、非人道的であることは言うまでもない。
ならば、動物に施すのはどうであろう... などと発言すれば、今度は動物愛護団体から猛攻撃を喰らう。しかし、医学的な観点から、ヒトに近い種を実験対象とすることで有効なデータが得られるのも確か。
そもそも種が生きるとは、どういうことであろう。人間どもは、存続のための絶え間ない闘争と解釈している。人類の歴史は、まさに微生物との戦いの歴史であった。ペスト、ハンセン病、梅毒、麻疹、天然痘、コレラ、チフス、結核、インフルエンザ、ポリオ、マラリア、エイズ、エボラ出血熱... そして、コロナと...
それは、自然界の最も謙虚な存在と、最も自己主張の強い存在との間で繰り広げられる生存競争である。人類は、バクテリアの攻撃から身体を守るために様々な抗体を身にまとってきたし、あるいは、抗体機能を補うためにワクチンや治療薬の開発に没頭してきた。そのために、サル、イヌ、ブタ、マウス、モルモット、ウサギといった動物たちが犠牲になってきた。おそらく、これからも...


人間は、人間を模した知的生命体の製造という野望を捨てきれないであろう。それは、人間が人間自身の正体を知らないからかもしれぬ。人間はなぜ、思考することができるのか?なぜ、理性や知性をまとうことができるのか?あるいは、精神とは何か?魂とは?... こうした問いに対して、科学は未だ答えられないでいる。いずれ手っ取り早く、クローン人間なるものを作っちまうだろう。それで人間というものを、本当に知ることができるかは知らんが...
そんな野心を見透かしてか、ここでは H. G. ウェルズが、悍ましくも滑稽に描いて魅せる。彼が生きた十九世紀は、まだ、遺伝子工学や DNA といった用語が登場しない。解剖学の主役は、もっぱら血液だ。
ヒポクラテスの時代から、体液と病との関係が考察されてきた。四体液説では、人体には「血液、黄胆汁、黒胆汁、粘液」の四つがあるとし、それぞれの性質と病理が関連づけられた。今日でも、そのなごりを耳にする。あの人は、多血質でほがらかだとか、胆汁質でかんしゃくもちだとか、黒胆質で憂鬱症だとか、粘液質で無気力だとか。血気盛んという言い方も...
あらゆる病気の原因は、これら体液のバランスを欠くことにあるとし、瀉血が治療法でもてはやされた時代もあった。血を抜きすぎて、死んでしまった症例も少なくないけど...


さて、本物語で描かれるモロー博士は、輸血と腫瘍の研究で権威ある人物だそうな。もちろん架空の人物。
突然、博士は学者生命に終わりが告げられ、国外追放をくらう。皮を剥がせれ、切開手術を施された惨めな犬が逃げ出し、これがセンセーショナルに報じられると、非難の嵐。そして、南海の孤島へ逃れたのだった。
博士の研究は、人間の持つ知性や理性といった精神現象の根源を知るために、動物にもそれは可能か、ということ。つまり、動物の人間化実験である。その過程では、苦痛や快楽といった感情を肉体的に体験させようとする。まるで拷問!
物語は、主人公の乗った船が難破し、漂流した先がモロー博士の島だったことに始まる。次々に遭遇する奇妙な、いや、奇怪な連中。人間のような体つきをしているが、どうもバランスが悪い。胴体と手足の比率、鼻や口の位置、耳の大きさなど。はっきりと動物の面影を持った者もいる。
言葉をしゃべるからには、人間なのだろう。サル人間、ヒョウ人間、ハイエナ人間、ウシ人間、オオカミ人間... はたまた、ウマとサイの合成人間、クマとウシの合成人間... まるでギリシア神話にでてくる半獣神!彼らは、モロー博士につくられた混合種で、動物人間だったとさ...
尚、雨沢泰訳版(偕成社文庫)を手に取る。


飼い犬に手を噛まれる... というが、飼っている側が、勝手に主人と思い込んでいるだけのこと。力ずくで教育しようとする大人たち。支配する喜びに味をしめた大人たち。ひたすら隷属する奴らを求めて... そんな姿をモロー博士に見る。
「わしはいままで、道徳に反していると思ったことは、一度もない。自然を研究すれば、自然のように無慈悲になるものだ。なにごとにもわずらわされずに、解決すべき問いだけを研究し続けてきた。実験の材料は、あっちの小屋にいくらでもある...」


この島には、掟がある。まず、血の味を覚えさせないこと。掟を破れば、厳しい罰を受ける。連中は肉欲に負けないように、しばしば集団になって呪文めいたものを合唱する。教会に集まってお祈りを捧げるかのように。機械的に唱える言葉を理解しているかは別にして、祈るという行為を慣習化させることに重点が置かれる。お決まりの行為に疑問を持ったり、考えたりすることはタブー。掟とは、タブーを言うのか。
しかしながら、動物の頑固な本能をいつまでも眠らせておくのは、自然界の掟に反する。肉汁の余韻を味わうために、川に群れて水を飲む動物人間たち。ついに博士は、最も獰猛な本能を持つピューマ人間に殺されちまったとさ...


この島では、モロー博士が神!動物人間たちは、神の申し子!主を失った動物人間たちは、憐れなものだ。彼らは、生体解剖の犠牲者なのだ。無責任な実験によって、掟という名の責任を押し付けられ、義務という名の強迫観念を叩き込まれ、そして本能が目覚めた時、最も無惨な闘争が巻き起こる。それは、進化から退化への移行か、あるいは、自然回帰か。人間社会を生きるのに、なにも人間である必要はない。人間らしく振る舞うことができれば。近い未来、人間らしく振る舞う AI が、掟を破る人間どもを排除にかかる... そうした時代が到来するやもしれん。
「あの動物たちは、ことばをしゃべっている!... 生体解剖でできることは、たんに体形の改造だけにとどまらない。ブタだって教育できる。精神構造のほうが、肉体よりも変えやすい。催眠術の研究がすすんで、もとの動物の本能を、あたらしい思考にとりかえることができるようになった。移植するといってもいいし、固定観念をとりさるといってもいい。じっさい、わしらのいう道徳教育とは、そういう人工的なすりかえみたいなものなのだよ。本能をおさえつけてな。たとえば、たたかいたい気持ちを、自己犠牲の勇気に変える。異性への情熱を、神を信じる心でおさえこむ...」

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