2021-06-20

"透明人間" H. G. Wells 著

「透明人間」というものに、憧れたことはないだろうか...
誰の目にも付かず、なんだってできる。犯罪系でも。非道徳系でも。しかし、世間体を気にしなければ同じこと。なにゆえ体裁を整えねばならぬ。なにゆえ気取らねばならね。いったい誰に。いや、自分に気取って生きたい。人間失格な生涯を堂々と生きてやるさ。そして、自己啓発も自己陶酔に。いや、自己泥酔か。この、ナルシストめ!
なぁーに、心配はいらん。誰もが自己が透けて見えるのを嫌い、見えない仮面をかぶって生きている。誰もが道化を演じながら。政治屋は正義の仮面をかぶり、教育屋は道徳の仮面をかぶり、エリートは知性の仮面をかぶり、大衆は凡庸の仮面をかぶり... あとは、幸運であれば素直に波に乗り、不運であれば生きる糧とし、いかに達者を演じて生きてゆけるか。人間社会は、仮面舞踏会の盛り場よ...


そもそも、「見える」とは、どういう物理現象を言うのであろう...
それは、光によって知覚できる存在意識。光は、物体に吸収されたり、反射したり、屈折したり、あるいは、これらの現象を重ね合わせたりするため、その変化の瞬間を人間の眼が感知する。


では、光とは、なんであろう...
それは、電磁波の一種。その中で、人間の眼で感知できる周波数帯が可視光線などと呼ばれるだけのこと。あらゆる電磁波が、物質に吸収されたり、反射したり、屈折したりしているわけだが、そのうち光だけが人間の眼にとって特別な存在というだけのこと。


では、透明とは、どういう状態を言うのであろう...
ガラスが透けて見えるのは、光の吸収率、反射率、屈折率が、人間の眼に感じさせない程度に小さいからである。海中には、透けて見える生物がわんさといる。微生物や幼虫やクラゲなど。彼らは水と同じ屈折率の身体を持つために、水と同化しているかのように見える。
また、実体が見えない状態を作る方法もある。例えば、二台の自動車の間でヘッドライトが重なると、その物体は光源体の方向からは見えない。そう、ハレーションってやつだ。あるいは、軍事用のステルス性は、レーダーなどのセンサで正確に感知できないように電磁波を吸収したり、乱反射させたりする技術を駆使している。どこぞの諜報機関では、ステルス・コートやカメレオン・コートの研究が進んでいることだろう。
さらに言えば、光の周波数を、物体と接触した瞬間に可視光線外の周波数に変換できれば、その物体は見えないはずだ。
さて、前戯はこれぐらいにして、本物語における技術ポイントは、「ある種のエーテル波動の二つの発光中心点の中間で屈折率が低くなる」ことにあるという。なんのこっちゃ???


透明人間とは...
ある薬を服用すると、肉体が空気と同じ屈折率を持つ状態になるそうな。空気と同化するような薬を作っちまったとさ。いや、掴めば、普通に掴めるので、確実に存在している。瞼が透明になって、眠ることも難しいらしい。目を開いたまま眠るようなものか。こちらの姿が他人の網膜に映らないとしても、自分の網膜には映るらしい。なんと都合のいいこと。ならば、眼球だけが空中を浮遊してそうな気もするけど。そして、空中から声が... 俺はここにいる。五体満足でな!


やたらと存在感をアピールする現代社会にあって、存在の不可視化というのは、逆に爽快かもしれない。しかし、人間ってやつは、自己存在に矛盾が満ちていくと、精神を患わせていく。体重計の前で、いくら軽い存在を演出しようとも、存在が軽すぎれば、やはり精神を病む。


当初、百貨店に入り込んでは、食料から衣料まで頂戴してしまう。商業主義への嫌味か。やがて世界支配を目論見、恐怖政治を夢見る。影の命令に逆らうヤツは、お仕置きよ!動機は、イデオロギーなんて大層なものではない。格差社会への嫌味か。
ヤツは、研究費のために父親を死に追いやり、研究に没頭し孤立していった。研究成果に満足して優越感に浸るものの、疎外感からは逃れられない。どんな悪戯も誰にも気づかれなければ、面白くもない。同級生の博士の家にこっそり入り込み、透明な姿を見せつけ、世界支配の野望を論じてみせる。社会で必要なのは、正義の殺戮だ!と。まるで演説家気取り。
ヤツの危険性を知った博士は、証拠立てながら透明人間の存在を大衆に知らしめる。噂はすぐに広まり、誰もが用心深くなり、汚い言葉を浴びせる。恐怖ってやつは、本能によってすぐに伝染する。
そして、透明人間狩りが始まり、捕まえた感触に殴る蹴るの集団リンチ。やがて薬が切れ、傷らだけの男の屍体が姿を現わした。なんでもかんでも不思議な出来事は、透明人間の仕業ということに。大衆社会への嫌味か。
一連の騒動が収まると、博士は桃源郷を夢想しながらて口走る... 俺だったら、ヤツのようなヘマはやらないぜ!
人間の眼ってやつは、何が見えるにせよ、夢でも見てなけゃ、やってられんと見える...


尚、橋本槙矩訳版(岩波文庫)を手に取る。

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