ストイックに生きるとは、どういうことであろう...
辞書を引くと、「禁欲的、克己的...」とある。スコラ哲学には、克己禁欲主義や厳粛主義といった息苦しさを感じる。悲観主義を忌み嫌い、自己肯定感を求めてやまない現代社会の風潮には、不向きな哲学やもしれん。
しかしながら、悲観するからこそ危険を察知する感性が磨かれる。混沌とした現代社会では、重要な観点にリスク管理能力ってやつがある。無知な楽観主義では、リスクを増幅させてしまう。自己否定を試みずに、真の自己肯定感は得られまい。ストア学派は自殺を肯定したと言われるが、寿命の伸びきった現代社会では尊厳死や安楽死といった問題が表面化する。死や苦難もまた人生の一部。これを否定することは、人生そのものを否定することになろう。ウィリアム・ヘイズリットは、こんな言葉を遺してくれた... 死に対する嫌悪感は、人生を無駄に過ごした諦めがたい失望感に比例して増大する... と。
「語録 要録」は、弟子アリアノスが師の言葉を記したものだそうで、これによると、哲学者とは愛叡者のことを言うらしい。はたして、叡智で人を救えるだろうか...
尚、鹿野治助訳版(中公クラシックス)を手に取る。
「ひとの気に入りたいという気持ちから、外部に心惹かれるということが、もしきみに、いちどでもあるならば、きみの計画は、ご破算だと知るがいい。それで、すべてのばあい、哲学者であることで満足したまえ。だが、ひとからもそう思われたいのならば、きみ自身にそう思われるようにするがいい、そうすれば、それで十分であろう。」
時代は、暴君で名を馳せる皇帝ネロの時代。弟を殺し、母を殺し、妻を自殺に追い込めば、残るは恩師を殺すのみ。家庭教師セネカは自殺を命じられた。ストア派哲学者には、生きづらい時代であったであろう。いや、自分で考えようとするすべての者が...
奴隷出自のエピクテトスは、人間社会の底辺を生きながら哲学者となった。皇帝ネロの臣エパロディトスに仕え、ルフスに哲学を学ぶことを許される。ルフスは、何度かローマを追放された人物。皇帝ドミティアヌスの時代には、ユダヤ人やキリスト教徒が迫害され、哲学者も追放された。この時、エパロディトスが処刑され、エピクテトスも追放されたという。
「ギリシア詞華集」には、こんな碑銘詩が載っているそうな。作者不明で...
「エピクテトス、奴隷の身に生まれ、身体は不自由、イロスのごとき貧しかりしが、神々の友なりき」
イロスとは、ホメロスの作品に出てくる乞食の名。生まれつきの苦難から生まれた悲観哲学、いや、やせ我慢の哲学とでも言おうか。しかしながら、自分の力ではどうしようもない境遇に置かれても、ひたすら耐えるだけの忍従の哲学ではない。むしろ、逆境に動じない、不動心の哲学と言うべきか。後に、「自省録」を遺した皇帝マルクス・アウレリウスは、宇宙論的な道徳を探求し、ひたすら不動心を求めた。真の自由人になろうと...
ちなみに、ラテン語に "nil admirari" という言葉があると聞く。「何事にも動じない」といった意味である。この言葉の域に達するには、よほどの修行がいる。ストイックに生きるとは、そういうことなのであろう...
どん底を生きれば、あとは這い上がっていくだけ。しかし、這い上がれない現実とどう向き合うか。金持ちはより金持ちに、貧乏人はより貧乏に... これが現代社会の縮図。哲学ってやつは、用い方を誤ればむしろ害になる。それは哲学に限ったことではないけれど...
自己の弱さを知るから強くなれる。悩み続けるから賢くもなれる。真理を見るにも勇気がいる。自己を知ろうものなら覚悟がいる。勇気も覚悟もなければ、哲学には近づかぬこと。真理は知らぬ方が身のため。そして、無知の哲学を実践するさ...
人間社会は矛盾に溢れている。慎重でありながら大胆に... とは、なかなかの難題をつきつける。調和させるよりも、対立させたままの方が楽なことが多い。あまりに多い。なのに...
自己主張に明け暮れれば、他人の目を気にしながら生きていることになる。無視されても愉快に生きるのは難しい。空気のように生きるのは難しい。自己を支配できなければ、他人を支配しようとする。幸福に隷属し、知識に隷属し、そうやって生きてゆくのが関の山。哲学に人類を救え!などと吹っかける気にはなれんよ。宗教だって救ってくれないではないか。それどころか、受難を与えてやがる。救いを求めるなら、音楽に、芸術に... そして自然の偉大さに縋るほかはあるまい...
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