2022-08-21

"書物の破壊の世界史 シュメールの粘土板からデジタル時代まで" Fernando Báez 著

破壊された書物を紹介する本が、ある種の目録になっている。過去に灰になった本に泊がつくのも、皮肉な話である。
破壊がすべて悪とは言えまい。創造あるところに破壊あり。人類の歴史は、創造と破壊の繰り返しであった。創造主は同時に破壊者でもある。大地を揺るがす地震は神の怒りか。一瞬にして暗闇にしてしまう日食は神のお告げか。破壊の神話は救済の神話にもなってきた...
尚、八重樫克彦 + 八重樫由貴子訳版(紀伊国屋書店)を手に取る。

「人間が創り出したさまざまな道具のなかでも、最も驚異的なものは紛れもなく書物である。それ以外の道具は身体の延長にすぎない。たとえば望遠鏡や顕微鏡は目の延長でしかないし、電話は声の、鋤や剣は腕の延長でしかない。しかしながら書物はそれらとは違う。書物は記憶と想像力の延長なのである。」
... ホルヘ・ルイス・ボルヘス

破壊者たちは、なにゆえ書物を恐れるのか...
書物の破壊は、自身の愚かさや無知に気づかぬ者の所業と思われがちだが、それはまったくの見当違いだという。
ビブリオクラスタ(書物破壊者)とは、むしろ用意周到な人間を言うらしい。頭脳明晰で世情に敏感、完全主義者で注意深く、並外れた知識の持ち主、抑圧的で批判を受け入れることが苦手、利己主義で誇大妄想癖あり、比較的恵まれた家の出で幼少期にトラウマを抱え、権力機関に属していることが多く、カリスマ性すら持ち合わせているとか。
確かに、無教養な人間が書物を恐れる理由は見当たらない。哲学者や作家が、書物の破壊行為を公言した例も多い。ディオゲネス・ラエルティオス著「ギリシア哲学者列伝」によると、プラトンですら論敵デモクリトスの著作を燃き、自作の詩も焼いたという。書物は、迫害の目的だけで焼かれるわけではない。自身の落胆や失望までも絡む。作家が、自らの作品の不完全さを嘆き、処分を遺言する事例も見かける。ウェルギリウスは、未完に終わった長編叙事詩「アエネーイス」の焼却を遺言したと伝えられる。

図書館戦争ともなると、血なまぐさい歴史が浮かび上がる...
アレクサンドリア図書館の変遷には、黒い噂がつきまとう。真の創始者とされるデメトリオスは、エジプトコブラの犠牲になったと伝えられるが、それは事故か、自殺か、それとも他殺か。検死をした医師たちは沈黙を守ったとされるが、それは保身のためか。女性天文学者ヒュパティアの悲劇は、映画「アレクサンドリア」にも描かれる。ギリシアとローマの伝統を併せ持つコンスタンティノープルでも、図書館は焼かれた。プラトン、アリストテレス、ヘロドトス、トゥキュディデス、アルキメデスらの功績が灰に...

「コンスタンティノープルの略奪は歴史上でも類を見ぬ性質のものだ... 第四回十字軍以上に、人類に対する最大の犯罪はないと思う。」
... 歴史家スティーヴン・ランシマン

イスラム世界には、「知恵の館(バイト・アル=ヒクマ)」という学術機関があったそうな。コンスタンティノープルから難を逃れた人類の叡智を、フナイン・イブン・イスハークやサービト・イブン・クッラといった翻訳家たちが辛うじて救った。それでも、ほんのわずかであろうが...
イスラムの科学者たちは、古代ギリシア、インド、ペルシア、バビロニア、中国の知的遺産をアラビア語に翻訳することで、自らの文化に取り入れたという。そして、継承した遺産に独自の思索と研究を加え、昇華させた上で西洋社会へ引き継いだ。アッバース朝の時代には、個人図書館を有する者も多かったとか。彼らの意思を継ぎ、翻訳や写本の絶え間ない努力によって、今日まで叡智が生き残ってきたことはありがたいことである。コンピュータ工学に欠かせないアルゴリズムの語源になったフワーリズミーの功績も...
そして、知恵の館もまたモンゴル帝国の侵略によって灰燼に帰す...

「本を燃やす人間は、やがて人間をも燃やすようになる。」
... ハインリッヒ・ハイネの戯曲「アルマンゾル」より

戦争や迫害が書物を焼いてきた例は目にあまる。異端審問にかけられた書物の群れ。パスカルは警告した、「人は宗教的確信に促されて行なうときほど、完全に、また喜んで悪事を働くことはない」と...
ダンテの作品は幾度も焚書とされ、その生涯は受難ばかり。永久追放に、焚刑に、放浪中に何度も殺されかけ、そして客死。だから、「神曲」で最初に遭遇するのが地獄ってか...
自由主義者が自由な執筆を妨げ、平等主義者が書物が平等に行き渡ることを拒み、モンテスキューやルソーも焚書とされた。
大衆もこれに呼応し、本を焼くだけでは不十分!書いた奴も燃くべきだ!と叫ぶ。人間の優越主義には呆れるばかり、書物のゲルニカはビブリオコーストに投影される。それは政治思想や宗教思想に留まらない。数学や科学でさえ、劣等民族の功績とされるものは抹殺されてきた。グノーシス文書の消滅にしても、よく推理小説の題材にされ、なにやら陰謀の臭いがする。人間は陰謀論に目がないときた。
ただ、過去の記録がすべて正確とは限らない。どんなに優れた叙述家でも、当時の時代背景から都合よく改竄した可能性もある。時には、自らの主義主張のために。時には、保身のために。人類の歴史は、改竄の歴史でもあり、改竄の応酬の歴史でもある。

では、21世紀の今はどうであろう。検閲主義から解放されているだろうか...
誹謗中傷の嵐は荒れ狂い、改竄の手口は巧妙化し、集団的抹殺はますます旺盛に。書物の媒体も電子化が進み、その記述も半永久的な存在となった。そして、その破壊の歴史は、まだ序章なのやもしれん...

「ここでひとつ引用させてもらおう。『芸術家の個性は、本来妨げられることなく発展させるべきものだ。われわれが要求するのはただひとつ、われわれの主義主張を公言することだ。』これはナチス・ドイツの大物、ローゼンベルクの言葉だ。それからもうひとつ。『どの芸術家にも自由を創作する権利がある。しかしわれわれ共産主義者はひとつの計画に適合することを余儀なくされている。』こちらはレーニンの言葉。あまりに似かよっていて、仮にこれが悲劇でなかったとしたら、実に笑える話なのだが...」
... ウラジーミル・ナボコフ

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