2022-09-11

"流刑の神々 精霊物語" Heinrich Heine 著

どんな散文も、形式を整えれば、詩に見える。音調を整えれば、詩に聴こえる。寓意を込めれば、戒文となり、霊妙を匂わせば、呪文となる。巷に溢れるキャッチフレーズの類い。標語に、スローガンに、モットーに、殺し文句に... 心に響く言葉は、人を惑わす。天国の門と地獄の門は、隣り合わせ。神と悪魔は、仲良しこよし。マクベス王の魔女どもが口ずさむ。きれいは汚い、汚いはきれい... 人間どもも負けじと狂喜乱舞。狂ったこの世で狂うなら気は確かだ!

ニンフは、至る所を棲家とする。海の精、川の精、山の精、森の精... 美しい精霊たちは自然界を看取り、小悪魔たちは人間界を見下す。美酒でもてなし、死者の館へいざなう者どもよ。誇り高き白鳥の乙女は、ヴァルキューレか、それとも死神か...
タンホイザー君ときたら、享楽の奥義を会得しようとヴェヌス山に籠もり、美女を侍らすこと丸一年。偉大な享楽が手に負えないと知れば、誰はばかることなくローマ法王に懺悔する。懺悔で本当に人は救われるのだろうか...
盲目でいる方が幸せやもしれん。アポロン神の愛を受け入れる代わりに予言能力を授かった王女カッサンドラは、見える未来に翻弄されて人生を狂わせちまった。
そして、神々は流刑の身となり、精霊たちも人間の住む場所から追放されちまったとさ。一神教の神に葬られた古代ゲルマンの民族神たちが、古代ギリシアの神々の共感を呼ぶ...
尚、本書には、詩と散文の入り乱れた「精霊物語」と「流刑の神々」の二篇が収録され、小沢俊夫訳版(岩波文庫)を手に取る。

「喜ぶがいい、迷信の可哀想な生け贄として葬られたお前たちの先祖の血は報復されたぞ!だが根深い遺恨などに取り憑かれていない私たちは、偉大なる者の落ちぶれた姿を見ると心から感動し、敬虔なる同情の念を捧げるのだ。この情の脆さゆえに、私たちの物語には、歴史叙述者の誉である冷たい生真面目な調子がつかないで済んだのだろう。」

詩であれ、散文であれ、ハインリヒ・ハイネの字面には、ローマ・カトリック教会への皮肉が込められる。いや、形式を整え、音調を整えれば、皮肉も神聖化すると見える。
昔の詩人は、ローマ教会の権威という軛から抜けられなかったようだ。詩人たちは、キリスト教の慈悲の深さを思い知るように、懺悔があらゆる罪をお許しになるという救済の力を讃美することを強いられてきた。そのために、古代の自然信仰を悪魔(サタン)への奉仕とし、異教徒の勤行を魔術とし、個性的な神々を悪魔(トイフェル)と触れ込む。森の奥では、悪魔たちが毎晩バカ騒ぎをし、地の果てでは、魔女たちが淫らな行為をしている、といった具合に...
トイフェルの容姿はグロテスクに描かれる。イメージ化するのは人間の御家芸。悪魔は俗人っぽく、神は人間離れしたように。手の届かない存在だからこそ、崇高や魔力が強調される。そうなると、理性は誰の能力であろう。人間の能力ということになろうか。神は、理性をも必要としないほど完全なはず。理性ってやつは、悪に対して働くのだから。そして、理性家は、神よりも悪魔に極めて近いということになろう...

「トイフェルは論理家である。彼は世俗的栄光や官能的喜びや肉体の代表者であるばかりでなく、物質のあらゆる権利の返還を要求しているのだから人間理性の代表者でもあるわけだ。かくてトイフェルはキリストに対立するものである。すなわちキリストは精神と禁欲的非官能性、天国での救済を代表するばかりでなく、信仰をも代表しているからである。トイフェルは信じない。彼はむしろ自己独自の思考を信頼しようとする。彼は理性をはたらかせるのである!ところで自己独自の思考は、もちろんなにかおそろしいものをもっている。ゆえにローマ・カトリック・使徒教会が独自の思考を悪魔的だとして有罪と認め、理性の代表者たるトイフェルを虚偽の父であると宣言したのももっともなことではある。」

古代ギリシア時代には、人間味あふれた多種多様な神々が住んでいた。得意技もあれば、欠点も堂々と曝け出す。実に神らしくない。主神の地位を思いのままにする雷オヤジときたら、女神では飽き足らず、人間の美女にまで手を出す始末。実に神らしくない。神らしくないということは、息苦しくなくていい。
十九世紀初頭に生をうけた近代詩人たちは、いかなる権威の圧力にも屈せず、ファンタジーを自由に駆け巡り、自然に湧き出る感情を表出することができたという。自らの精神をひたすら追求することこそ、詩の原点。一神教のドグマは、多様化する現代社会には不向きやもしれん...

「魔女裁判の時代から保存されているトイフェルの契約書を読むことほどおもしろいものはない。その契約書には、契約者がすべての策略に対して用心深くただし書きで制限をつけているし、あらゆる申しあわせを、ひどく心配そうに書きなおしているのである。」

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