2022-09-04

"ハイネ" 一條正雄 著

詩ってヤツは、癒やされるためだけにあるのではない。幸福を感じるためだけにあるのでもない。美しい調べに乗せて歓喜に耽り、感傷に浸るのもいい。だが、それでは足りない。目を背けたくなるような苦難を叫び、皮肉まじりの風刺を効かせ、シニカルなブラックユーモアまでもぶちまける。詩の受容性は、自ら愚痴の捌け口となり、滑稽なほどの悲壮感を漂わせ、寓意を込めて惨憺たる時勢を唄い上げる。自ら怒りの矛先となり、心の奥底に棲み着く悪魔をも包み込む。そんな作風を試みた最初の詩人を、おいらは知らない。
ただ、ハインリヒ・ハイネの詩には、そんな空気を漂わせるフレーズがちらほら目に留まる。おいらの天の邪鬼な性癖が、そのような字面ばかりを追わせているのやもしれんが...
印象深い言葉といえば、これだ!本書には紹介されないけど...

"Dort wo man Bücher verbrennt, verbrennt man auch am Ende Menschen."
「本を焼く者は、やがて人間をも焼くようになる。」
... 戯曲「アルマンゾル」より

焚書は序章に過ぎない... というのは本当らしい。歴史文献にしても、当時の実力者たちが改竄や抹殺した可能性が多いにある。人間のやることだから...
一方、芸術の物語性には人の苦痛を治癒する力があると言われるが、晩年のハイネにとっては苦痛も幸福も一体化して捉えていたようである。「快く失血死する!」とまで言い切ったとか。同様の叫びが、詩文のあちこちに散りばめられる...

「耐えに耐えたわが心よ、裏切り故に恨むまいぞ!」
「エホバ!どこまでも怒らせるために告げるぞ、俺はバビロンの王だ。」
「友よ!なんの役にたつというのか、いつも昔の歌を掻き鳴らして...」
「気違いじみた子供のぼくは、いま暗闇でうたうのだ。その歌が楽しくなくても、ぼくを不安から解き放ってくれたのだ。」
「この本は、僕の恋の焼け殻のつまった骨壺だ。」
「そこにはまた一人男が立って虚空をじっと見ている、そして両手を揉み合わせている、苦痛のあまり。その男の表情を見てぞっとした、月光がぼくに見せたのはぼく自身の姿だ。」
「暗黒の海に神の声がお前に聞こえるか?その神は数知れぬ声で語りかけている。われらの頭上の数知れぬ神の光、それがお前には見えるか?」
「そうだ、立派な散文でぼくらは隷属のくびきを打ち破ろう!でも詩歌のなかではもうぼくらの最高の自由の花が咲いている。」

本書では、「光輝ある孤立を保った最後のロマン主義詩人にして、最初の現代詩人」と紹介され、抒情詩「歌の本」、「新詩集」、「ロマンツェーロ」と叙事詩「アッタ=トロル」、「ドイツ冬物語」を辿る。
そして、ヘーゲル哲学の洗礼を受け、マルクスやフランスの卓越した友人たちと交流し、若き日は、シュレーゲルに問い、ゲーテに挑みながらも、その相違に苦悩する様子などが描かれる。
また、ユダヤ人の家に生まれてキリスト教との狭間で苦闘し、政治や社会革命における著述活動の草分けでもあったという。
ハイネが生きた時代は、まだフランス革命後の血生臭さが色濃く残り、ナポレオン戦争を経てウィーン体制が崩壊していく政治動乱の時代。その象徴とも言うべきドラクロワの描いた「民衆を導く自由の女神」は、ジャコバン党の赤い帽子をかぶり、片手にフリント銃、他方の手に三色旗を持ち、腰まで肌を露わにし、屍を踏み越えて士気を鼓舞する。ハイネは、この女性を「娼婦、商い女、自由の女神のたぐいまれな混合」と捉えていたという...

「思想は行為を欲し、言葉は肉体とならんとする。」
「マクシミリアン・ロベスピエールは、ジャン=ジャック・ルソーの手以外の何物でもなかったのだ、血塗れの手。」

なりふり構わず覚醒させた偉大な政治思想へ向かい、誰もがそれを信じることのできた時代。知識人までもが愛国心を高揚させ、イデオロギー時代の幕開けを予感させる時代。それ故、政治的な批判精神を強めていったのか。芸術家であるがゆえに、言葉を操るがゆえに、余計に感じるものがあったのか。しかも、詩では収まらず、散文で捲し立てる...

「詩がこれ以上どうにもならないことを知って久しかったので、私は新たな立派な散文をめざした。けれども散文では、美しい天気、春の日差し、五月の喜び、ニオイアラセイトウ、名もなき樹々で間に合わせることができないので、新しい形式のために新しい素材を求めなければならなかった。そのことによって私はいろいろ理念と取り組むという不運なことを考えついてしまった...」

「共和主義的な視点から、不平等批判がパロディ化される。自由・友愛・民族統一のための闘争が、政治史的視点から、モラルの視点からの真剣さが、美的視点の文化事業としての芸術の理念が、宗教的視点から理神論が、それぞれパロディ化される。社会革命的視点からは結局共有財産がパロディ化される。私的所有は泥棒だ!」

「ワルシャワが陥落した!われらの前衛が斃れた!このような喧嘩の中では、思想や形象のすべてが混乱し、脇へ追いやられてしまう。ドゥラクロワの自由の女神がすっかり顔つきを変えて、私のほうへ歩いてくる。激しい目に不安の色をたたえてといってよいくらいにして。... 死せるチャールズの顔もすっかり変わっった。一挙に変わって、よく見ると黒い柩の中には、王ではなく殺害されたポーランドが横たわっている。柩の前には、クロムウェルはすでに見えず、ロシアの皇帝がいた。」

「サン=ジュストが述べたあの革命の偉大な標語 - パンは人民の権利 - というのは、われわれ汎神論者から言えば、- パンは人間である神の権利である - ということになる。われわれは人民の人権のために戦うのではなくて、神としての人間の権利のために戦う。... われわれは幸福な神々の民主主義国家を建設しようとするのだ。... われわれドイツ人は神の飲む酒、神の食物、緋のマント、尊い香料、肉の歓び... などを求めているのだ。... 私はシェイクスピアの戯曲の中のある道化の言葉を借りて答えよう。- おぬしは自分の行いがまっすぐだからというので、この世に美味い菓子やぶどう酒がないと思うとるのか?」

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