2022-09-18

"アッタ・トロル - 夏の夜の夢" Heinrich Heine 著

諷刺文学ってヤツに、おいらは目がない。天の邪鬼な性癖がそうさせるのか...
時代を彩り、時代を炙り出し、時代に演じられた滑稽を芸術の域にまで昇華させ、ここに批判哲学の実践を見る。芸術心ってやつは、道化を演じることに始まるのやもしれん。猿楽を深化させ、「風姿花伝」を記した世阿弥のように...
ハインリヒ・ハイネの作品では、詩文と散文の入り乱れた「精霊物語」と「流刑の神々」の二篇にしてやられた(前記事)。ここでは、純粋な詩文に心を委ねるとしよう...
尚、井上正蔵訳版(岩波文庫)を手に取る。

「アッタ・トロル」とは、熊の名。これは熊の物語である。かつて百獣の王として自由に生きたアッタ・トロルも、谷間の町で見世物となり、くだらぬ人間どもの前で踊り、笑い物として生きていた。そんな一匹の熊が、檻を破って森へ逃げ帰り、人間に対抗するために動物たちに一致団結を呼びかける。毒舌を捲し立てる様子は、まるで革命家気取り!

 人間はすべてこの世の
 財宝を取りっこしている、
 それも、果てしない掴み合いだ、
 どいつもこいつも泥棒だ!

 そうだ、全部のものの遺産が
 めいめいの掠奪物になっている、
 そのくせ、所有権とか
 私有財産とかぬかしてやがる!

 私有財産!所有権!
 おお、盗む権利!嘘つく権利!
 こんな怪しからん滅茶苦茶の悪企みは
 人間でなけりゃ考え出せない。

この長編叙事詩が誕生したのは、1841年の晩秋。当時、政治詩が流行し、「反政府派がその皮を買って文学となった」と皮肉る。時代は、まだフランス革命の血生臭さが色濃く残り、ナポレオン戦争を経てウィーン体制を崩壊させた諸国民の春へと向かう、いわば革命の時代。ハイネは祖国を追われ、自由都市パリへ逃れ、ドイツの革命家ベルネ派と知り合う。だが、主義主張を相い容れず、臆病者背信者とみなされ、こう罵られたという。
「才能はあるが、節操がない!」
そして、物語では言葉を裏返して、こう唄い上げる...

 アッタ・トロル、傾向的熊なり、
 道徳的宗教的、妻に対して肉欲旺ん、
 時流の思想に誘惑されし
 山出しのサンキュロット。

 踊りは、すこぶる拙劣なれど
 毛深き胸に高邁なる信念を抱く。
 またしばしば悪臭を放つことあり、
 才能はなけれど、節操あり!

フランス革命に発した共和主義の思想原理は、自らの暴走によって国粋主義へと向かわせる。恐怖政治とテロリズムは、すこぶる相性がいいと見える。独裁政権は危険だが、民主政治の暴走もまた危険というわけか。どんな善も行き過ぎると悪と化す、人間社会とは、そうしたものらしい。
芸術が国家思想の後ろ盾となり、国家権力を後押しするようになると、ナショナリズムという集団的な悪魔が寄生する。愛国心と呼べば聞こえはいいが、国家に忠誠を誓うのと権力に服従するのとでは、しばしば矛盾する。独裁政権ともなれば尚更。国家を私物化しちまった政権に忠誠を誓うことが、本当の忠誠なのか。権力の正当性をどう担保するか、政治体制が永遠に問い続けなければならない問題であろう。それゆえ、政治屋は正義といった言葉にすこぶる敏感で、これを乱用しまくる。法を後ろ盾にして...

「傾向的...」という柔らかめの表現に物足りなさを感じ始めると、これを、偏狭な主義主張... 愛国心の暴走... などと大袈裟に解し、やがて訪れるイデオロギー戦争の時代を予感させる。思想観念なんてものが、そうなに大層なものなのかは知らんが、党派心に燃えない者を、目的がない!と罵れば、中庸の哲学はまさに目的がないということになり、痛快に唄い上げる...

 夏の夜の夢よ!私の歌は
 空想のように目的がない。
 たしかに恋のように命のように
 神と自然のように目的がない!

 わが愛する天馬(ペガサス)は
 自由自在に
 地を走り天を飛び
 物語(ファーベル)の世界を駆けまわる。

 わが天馬は市民社会に
 役立つ律儀な馬車馬ではない、
 悲壮に地を蹴っていななく
 党派心に燃える軍馬でもない!

そして、アッタ・トロルは、妻ムンマのそっくりな声におびき出され、奸計のうちに銃殺されたとさ...

 私はその時シラーの言葉を思い出した。
 「詩にうたわれて永遠(とこしえ)に生きるものは
 この世では滅びなければならぬ!」

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