2022-10-23

"愚者の知恵" 福原麟太郎 著

霧曇る秋雨前線を振り切って古本屋で宿っていると、いつの間にやら手にしてやがる。福原麟太郎という書き手は、智慧足らずを焚きつける達人とお見受けする。無い物ねだりは、人間の本能めいたもの。愚者だって、それなりにでも知恵を持ちたいと思う。だから焚き付けられる。
しかしながら、知恵を得るには知識がいる。根気もいる。好奇心だけでは心許ない。知識を得る手段は千差万別で、どれを選ぶにせよ、これまた知識がいる。
まず、手段の一つに、本を読むという行為がある。幸い、この行為にあまり抵抗がない。面倒いところもあるけど... 読書体力もいるけど...

「買わなくても、本の並んでいるのを見るのは愉快なものだ。古本屋は、ことにそうである。... たなをずらりとひと目で見て、買う本が一度に目にとまるという早業までに達しなければ、ほんとうの古本屋党とはいえない。そのくらいになると、念力で本を見つけるようになる。上中下三冊本の上と下は持っているが中はないというような場合、中だけ一冊ぽかり見つかるなどいう経験は、たれでも本好きなら持っている。」

そこで、合理的に良書を選びたい!となるが、それを嗅ぎ分けるにも知恵がいる。良書を良書にできるか、それも読み手次第。賢者なら、悪書までも自省にしちまうだろう。愚者とは、目の前の幸せにも気づかない愚か者をいうらしい。
クチコミやオススメの旺盛な社会にあって、それを鵜呑みにするだけでは芸がない。天の邪鬼だから無条件で反発する。そして、場末の古本屋に癒される今日このごろであった...

「人の推薦や批評が何かと役に立つものであるが、すこし本を読みなれるとよい本と悪い本という区別は、見た瞬間にわかるものだ。直覚的である。人に初めて会ったときの印象と同じである。もちろん、見当違いをすることもあるが、だんだん経験を積むに従って、当たることが多くなるものだ。当りはじめると得意になる。するとまた当たらなくなる。虚心ということがたいせつである。」

本書は、個人主義の視点から知恵というものを物語ってくれる。イギリス留学の経験から最先端の個人主義を通して、個人主義後進国の日本を振り返りながら...
とはいえ、本書が刊行された 1957 年当時、イギリスという国には、個人は立派でも植民地国家としては横暴というイメージが定着していたようである。

イギリス思想を代表する言葉に、「われ愚人を愛す」"I love a fool." というのを挙げている。チャールズ・ラムの随筆「万愚節」 "All Fools' Day." の中に出てくる一句だ。それは、1821年4月1日号のロンドン雑誌に掲載されたもので、"April Fools' Day" に掛けたものらしい。つまり、冗談の許される日というエイプリルフール思想は、人間は愚かであるからこそ、可愛く、可笑しく、愛すべきものという考えに発するというわけである。嘘をつき、騙すような言葉を冗談で笑い飛ばすには、ユーモアのセンスが問われ、まさに高度な個人主義が問われよう。
しかしながら、高度な情報社会では、誹謗中傷の嵐が吹き荒れ、エイプリルフール禁止令が出される始末。個性の発達がついて行けず、自由主義や個人主義を無理やり知識として詰め込んで様々な無理が生じる。真に四月一日を謳歌できる日は、まだまだ遠そうだ...

また、日本人全体が夢やロマンスを失いつつ、あまりにリアリストであり過ぎと指摘している。いかに生きるか、を問うて生きるのがイギリス流だとすれば、学歴や肩書の路線に乗っかるのが日本流ってところか。
個人の在り方を問えば、エゴとの結びつきは避けられない。だが、エゴを否定するばかりでは能がない。エゴを中心とする自我を認める訓練も必要であろう。
21世紀の現在でも、個人主義を利己主義と履き違える人は多い。科学の進歩が迷信の類いを衰退させ、現実主義を旺盛にしてきたのも確か。その分、仮想社会へ邁進すりゃ、世話ねぇや...

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